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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・上古5

中原の青銅諸王国(1)…青銅到来の前

いわゆる「中華文明」の栄えた華夏の地における青銅器時代は、ほぼ都市国家の成立~発展の時代と並行していると言える事が、ひとつの特色だと申せましょうか。

その青銅が到来する前の時代となると、未だ歴史記録を編纂する習慣が根付いていない時代です。想像ですが、当時は、氏族社会の全盛期と言えるかも知れません。宗家を中心にして多数の分家が取り巻く形を取るという、各氏族の集落が点々と営まれていた時代。「城壁」の有無は、地域によって様々だったのでは無いか…と思います。

(個人的想像ですが、当時は「国」というのが曖昧?なので、「城壁」と言う概念は、まだ薄かったかも知れない…)

甲骨文字のスケッチからは、おそらく玉器を軸としていたであろう〈上古諸州〉の農耕文化には、2種類の系統があっただろうという事が読み取れます。ひとつは、乾燥した大地の中、オアシスに寄り集まり、雨季に頼る農耕を営むスタイル。もうひとつは、東方の氾濫原で洪水を防ぎつつ、輪中を造成して農耕を営むスタイル…

後世、「邑」という漢字で表現される集落…

大地の中の孤島のように、思いも拠らぬ旱魃、または洪水におびえる数百~数千という小集落の群れ。〈上古諸州〉の歴史は、こうした条件の下で、緩やかに、かつ大きな地域差を含みつつ、展開していた…のでは無いでしょうか。

真に恐れ、礼を尽くすべきは、我ら人の外に超在する永遠の天。…『礼記』に記された伝承、「夫れ礼は必ず天に本づく」…というくだりから想像できる心象風景です。

初期の「邑」は、自治。氏族社会における自治の伝統。

「大人」として邑のリーダーを推挙し、それ以外の人を「小人」として区別…、もちろん氏族社会である以上、「大人」として選ばれるのは、長老的な集団または人物…実績を認められた宗族である事が多かった筈です。

或いは、迫り来る災厄を敏感に察知する人物、いわば超能力を持っていると見なされた人物を選ぶ、というケースもあったかも知れません。しかし多くは、長老の補佐的な立場だったのではないでしょうか。(殷の時代は、占い師が王の補佐の地位にあり、「貞人」と称されていたという記録があります。)

しかし、洪水や旱魃といった深刻な天災への対応は、単一の邑だけで出来るものではなく、数多の邑を取り仕切る「大人」たちがさらに寄り合いを持って「大人」を選ぶという流れもあった筈です。次第にそうした中から、「大人」たちの上に立つ「大人」も生じてくる…

「大人」の中の「大人」…、それが、「君」。

「君」という漢字の語源には、杖が密接な関わりを有しているらしいという事が、白川静氏の研究によって指摘されています。「尹(いん)」は杖をもつ形。神に仕える聖職者としての「尹」は神杖を帯び、神の依代となるべき存在だと説明されています。

この「尹」に、祝詞(のりと)や託宣を示す「口」を添えた形が「君」。「王」と「君」と、どちらが古いかは分かりません。分かりませんが、シャーマンという存在の古さからみて、「君」の方が古いのかな、と思いました。

そのかみの文字とは、神と人の物語を物語る、素朴な「器」でありました…

当時の社会は、石器・土器(彩陶・黒陶・白陶・褐色陶)文化です。アワ・キビ農耕が主流でした。玉器祭政…玉(ギョク)の文明。イネ農耕文化の絶頂期にあった長江に比べると、中原は北部の辺境でありました。

西域・華北に青銅が到来したのは、その頃です。コムギ農耕もほぼ同じ頃に持ち込まれたのではないか…という、現代考古学の推測があります。西アジアに由来する牧畜農耕の流れが前後して到達した、と言えるかも知れません。青銅とコムギ農耕とセットだったのかどうかは分かりませんが、そこに青銅文化の洗礼を受けた遊牧系民族の到来を見ることは、可能だと思われます…

前2000年頃、チベット高原の大融雪。想像を絶する大洪水。黄河へ、長江へ、四川・雲南地方へ、大量の水が押し寄せ…長江文明(良渚文化)壊滅。見渡す限りの絶望…泥の海。大勢の死者…飢餓、疫病。数々の洪水神話の草創期…苗族(南系)衰退。龍山文化は高台に逃げる。内陸に逃げる。中原の神が目覚める…中原の歴史。

…中原にひしめく流民の群れ。洪水のたびに、あふれる流民。西域から押し寄せる異族。暗黒時代…歴史上のミッシングリンク。中原の流血…龍血。灼熱の炎、ロードスの呪い。残された無傷の、安全な土地の奪い合い。戦闘的な文化に入れ替わっていく。洪水以後の中原に、都市。「國」の形成…抗争。青銅と文字はきつく絡み合い、呪術の道具として立ち上がり、変貌を遂げてゆく…

…よく分からないけれども、…ともあれ…、「君」という最高の霊的権威と、最新テクノロジーの結晶である青銅器が、原始の文字を軸として、上代神話の中で急速に結びついていった事は容易に考えられます。

・・・???ちょっと混乱しています。整理予定です。続く・・・orz

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古代ユーラシア史考察・雑感

☆インド=ヨーロッパ語族

英単語の起源は「I」と「WHO」、英研究機関がスパコンで解析
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200903022032

英レディング大学(University of Reading)の調べにより、英語などヨーロッパ系言語に共通する特徴としてインド・ヨーロッパ語族でもっと古い単語は「I(わたし)」「WE(わたしたち)」「WHO(だれ)」「1」「2」「3」であることが同大学の発表により明らかとなった。

レディング大学では英語の文法構造、意味構造の解析を続けてきたが、これまでの研究手法では計算量が膨大になることから言語進化上、5000年以上前まで遡ることは困難だった。

今回、研究グループは、新規に導入されたIBMのスーパーコンピューター「ThamesBlue」を活用することでこれまで2対の単語の比較解析を行うためには6週間の時間を要していた解析時間を2、3時間に短縮することに成功。その上でスーパーコンピューターの計算リソースを最大限に活用することで、インド・ヨーロッパ語族の起源となる3万年前までに遡ることに成功した。

研究グループによると今回の解析作業の結果、言語を構成する形態素の内、(時代変遷することが少なく)進化がもっとも遅いのは数字で、(当時の)名詞、動詞、形容詞が続くことが判ったとしている。

その上で、言語を構成する各形態素は1万年の歴史の中では10回は入れ替えが起こっており、現在、使われている英語で使用されている単語の半分は2500年前の英語には存在しなかったものとなると述べている。(後略)

(コメント)

2500年前には存在して、現代には存在しない…という言葉とは、果たしてどういうものだったのか、興味を惹かれます。

古代ユーラシア・インド=ヨーロッパ祖語の時代。

ゾロアスターが活動し、元祖リグ=ヴェーダが唱えられた時代よりもずっと以前。

現代の言語学が割り出した音素のつづりからの想像に過ぎませんが、多分、その頃の「銅」は、「ロードス」という発音を持っていた…その頃は、少なくともインド=ヨーロッパ語族については、部族ごとの言葉の差も、限りなく曖昧だったと思われます。

…「動詞」と「形容詞」が、最も変化しやすい種類の単語だというのは、日本語の変遷を眺めていても、ほぼ同意であります。きっと古代人も、「いまどきの若い者は言葉がなっとらん」とつぶやいていた筈です。現に、メソポタミア文書の粘土板やエジプトのピラミッド石に、そういう「ボヤキ」が書かれているもの(=古代バージョンのブログ?)があるという話です

*****

中国文化が何処から来たのか、儒教を生み出す思想が何処から来たのか、氏姓制度が何処から来たのか…、氏姓制度は、遊牧民族が編み出した制度らしい…と言われていますが…

遊牧をしていて家畜の遺伝を長く見ていると、優性遺伝とか、病弱が生じやすい遺伝とかが次第に分かってくるそうです。そこから人間同士の近親婚のタブーも編み出された。それが氏姓制度である…と言う話。

エジプトなどは完全に農業文明だったので、近親婚の遺伝的危険性に関する認識があまり育たず、ずっと長い間、王族同士の近親婚が行なわれていたという事です。日本でも、同様の習慣がありました。一般に、古代の農業民族(広く言うと、非・牧畜系でしょうか…)が起こした王朝には、王族同士の近親婚が見られるそうです。

近親婚は、王権概念の形成に関わってきたのでは無いか、という事が宗教社会学の方面で言われています。血の濃いものから順に王位継承権があるという意味で。

中国における王権概念(皇帝概念)がどのような過程を辿って確立していったかは、まだ研究途上のようです。感想に過ぎませんが、最近の書籍をいろいろ読んでみると、夏の時代に王権が確立したのか、それとも殷の時代に王権が確立したのか、で揺れ動いている感じです。

日本では、天智系と天武系が激しく争った壬申の乱を経て、王権神話が確定したようです。新たな国家神話の確立と共に「天皇霊」という神話的概念が確立した後は、近親婚の習慣も薄れていったようです。(そこに藤原氏の政治的陰謀が関わったりとか、いろいろ血みどろなエピソードがあるわけですが・汗)

詩歌鑑賞:土井晩翠「暮鐘」

「暮鐘」/土井晩翠『天地有情』

森のねぐらに夕鳥を
麓の里に旅人を
靜けき墓になきがらを
夢路の暗にあめつちを
送りて響け暮の鐘。

春千山の花ふゞき
秋落葉の雨の音
誘ふて世々の夕まぐれ
劫風ともに鳴りやまず。

天の返響地の叫び
恨の聲か慰めか
過ぐるを傷む悲みか
來るを招く喜びか
無常をさとすいましめか
望を告ぐる法音か。

友高樓のおばしまに
別れの袂重きとき
露荒凉の城あとに
懷古の思しげきとき
聖者靜けき窓の戸に
無象の天(そら)を思ふとき
大空高く聲あげて
今はと叫ぶ暮の鐘。

人住むところ行くところ
嘆と死とのあるところ
歌と樂(がく)とのあるところ
涙、悲み、憂きなやみ
笑、喜び、たのしみと
互に移りゆくところ、

都大路の花のかげ
白雲深き鄙の里
白波寄する荒磯邊、
無心の穉子(ちご)の耳にしも
無聲の塚の床にしも
等しく響く暮の鐘。

雲飄揚の身はひとり
五城樓下の春遠く
都の空にさすらへつ
思しのぶが岡の上
われも夕の鐘を聞く。

鐘の響きに夕がらす
入日名殘の影薄き
あなたの森にゐるがごと
むらがりたちて淀みなく
そゞろに起るわが思ひ。

靜まり返る大ぞらの
波をふたゝびゆるがして
雲より雲にどよみゆく
餘韻かすかに程遠く
浮世の耳に絶ゆるとも
しるや無象の天の外
下界の夢のうはごとを
名殘の鐘にきゝとらん
高き、尊き靈ありと。

天使の群をかきわけて
昇りも行くか「無限」の座
鐘よ、光の門の戸に
何とかなれの叫ぶらむ、
下界の暗は厚うして
聖者の憂絶えずとか
浮世の花は脆うして
詩人の涙涸れずとか。

長く、かすけく、また遠く
今はたつゞく一ひゞき
呼ぶか閻浮の魂の聲
かの永劫の深みより、
「われも浮世のあらし吹く
波間にうきし一葉舟
入江の春は遠くして
舟路半ばに沈みぬ」と。

恨みなはてぞ世の運命(さだめ)、
無限の未來後にひき
無限の過去を前に見て
我いまこゝに惑あり
はたいまこゝに望あり、
笑、たのしみ、うきなやみ
暗と光と織りなして
歌ふ浮世の一ふしも
いざ響かせむ暮の鐘、
先だつ魂に、來ん魂に
かくて思をかはしつゝ
流一筋大川の
泉と海とつなぐごと。

吹くや東の夕あらし
寄するや西の雲の波
かの中空に集りて
しばしは共に言もなし
ふたつ再び別るとき
「秘密」と彼も叫ぶらむ。
人生、理想、はた秘密
詩人の夢よ、迷よと
我笑ひしも幾たびか、
まひるの光りかゞやきて
望の星の消ゆるごと
浮世の塵にまみれては
罪か濁世(ぢよくせ)かわれ知らず。

其塵深き人の世の
夕暮ごとに聲あげて
無限永劫神の世を
警しめ告ぐる鐘の音、
源流(げんりう)すでに遠くして
濁波(だくは)を揚ぐる末の世に
無言の教宣りつゝも
有情(うじやう)の涙誘へるか。

祇園精舍の檐朽ちて
葷酒の香(か)のみ高くとも
セント、ソヒヤの塔荒れて
福音俗に媚ぶるとも
聞けや夕の鐘のうち
靈鷲橄欖いにしへの
高き、尊き法の聲。

天地有情(うじやう)の夕まぐれ
わが驂鸞(さんらん)の夢さめて
鳳樓いつか跡もなく
花もにほひも夕月も
うつゝは脆(もろ)き春の世や
岑上(をのへ)の霞たちきりて
縫へる仙女の綾ごろも
袖にあらしはつらくとも
「自然」の胸をゆるがして
響く微妙の樂の聲
その一音はこゝにあり。

天の莊嚴地の美麗
花かんばしく星てりて
「自然」のたくみ替らねど
わづらひ世々に絶えずして
理想の夢の消ゆるまは
たえずも響けとこしへに
地籟天籟身に兼ぬる
ゆふ入相の鐘の聲。