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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・上古4

【古代の青銅について】

青銅は銅と錫(スズ)との合金ですが、そのままでは脆く、やわらかい合金であります。

故に、農機具や武器などとして通用する堅牢さを備えた青銅が、次第に求められていった筈です。おそらくは旧石器時代以来の長い年数をかけた、冶金術の蓄積があり…それは時代を下って、錬金術の基礎となった知識でもあります。

※錬金術は、元々は、金属の色とその変容を扱うテクノロジーであった、つまり、古代の冶金術であった、という話があります。鉱石と普通の石とを区別する知識、そして鉱石から金属のみを分離する知識、さらに金属の種類を判別する知識…そういったものの蓄積が、錬金術の基礎だった…という事です。金・銀・銅・鉄を分けるだけでも、知識と技術の十分な蓄積が必要であります。

そして、灼熱の溶鉱炉を扱うのは、現代でも簡単では無いのだそうです。技術伝承…熟練の職人を生み出すには、数十年の時間がかかります。古代は尚更で、腕の良い金属職人は、本当に魔法使いのような存在だったと思われます。古代インドのカースト制度でも、冶金術を扱う職人、つまり鍛治師は、高い地位にあった事が知られています。

青銅は、錫(スズ)の含有量で色が変わる合金です。

錫(スズ)の割合の少ない青銅は、いわゆる純銅と同様の赤銅です。そして、錫(スズ)の含有量が増すと共に黄味を帯び、次第に金色に輝くようになります。最も堅牢で、武器や祭器として珍重されたのが金色青銅です。

(なお、碩学によれば、殷代の前の東アジアの銅は、スズ含有率が大きくばらついているそうで、これが、東アジアでも独自に銅の技術が発生していたのではないか…という議論の元になっているという事です。今のところ、発掘地点が限られているため、そこまではまだ明らかになっていないようで、殷代になって急に高度な青銅技術が見られる…という状態です。今後の発掘研究が待たれます。)

錫(スズ)比率がある割合を越えると、錫(スズ)の色である白銀色が勝るようになります。これがいわゆる白銅と呼ばれるものです。銅鏡に使われるのも、この白銅です。

古代青銅における硬化技術は、ことに西アジアにおいて、こうした青銅合金の研究と共に進歩しました。紀元前4000年頃には既に、ヒ素を含む新しいタイプの青銅が見られます。(西アジア沿岸~ギリシャ西部海岸で、ヒ素を含む青銅の出土例あり。)

含ヒ素青銅の出現は、比較的重い元素であるヒ素を含む深層鉱脈まで採掘が進んだためという説もありますが、いずれにせよ、他所の青銅とは比べ物にならないほどの堅牢さを備えている事は、古代人の目にもあきらかでありましたでしょう。

含ヒ素青銅のブレークスルー現象は、紀元前3000年頃の東地中海、エーゲ海諸島といった西アジア沿岸地方で、特に著しいものであったようです。そして紀元前2700年頃には、最高強度を実現し、かつ脆くない銅90パーセント、錫(スズ)10パーセントという理想の混合比率を遂に獲得した――という推測が出ています。

銅90パーセント、錫(スズ)10パーセント、及び脱酸のための不純物(ヒ素・亜鉛等)…という構成となっている最高強度の青銅合金は、その優れた堅牢性が注目され、後世は大砲用の合金としても活用されていました。この比率を備えた青銅は、大砲用の金属として使われていた事から、現在でも砲金(gun metal)と呼ぶところがあります。

東アジアの古代文明を支える事になる青銅が、民族大移動の波に乗って遥か西アジアからもたらされたものであったとすれば、このタイミングや交易速度からしても、西アジア由来の優秀な青銅に刺激されて、〈前シナ文明〉が開花したのだと申せましょう。

それは西の最果て、古代エーゲ海文明においても、同様でありました。(※エーゲ海の方が西アジアに近接している分、文明開化の時期はとても早く、西アジアとほとんど間をおかずに連動しています)

ちなみに武器としての青銅の切れ味は包丁にも劣る代物であり、実際の戦争においては、殴り合い・突き合いといったスタイルが主であったようです(想像すると、ちょっと気分が…)^^;;;;

★今回、物語仕立てに出来るまでに調べられたのは、ここまでです。続きはまた次回。

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