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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:土井晩翠「暮鐘」

「暮鐘」/土井晩翠『天地有情』

森のねぐらに夕鳥を
麓の里に旅人を
靜けき墓になきがらを
夢路の暗にあめつちを
送りて響け暮の鐘。

春千山の花ふゞき
秋落葉の雨の音
誘ふて世々の夕まぐれ
劫風ともに鳴りやまず。

天の返響地の叫び
恨の聲か慰めか
過ぐるを傷む悲みか
來るを招く喜びか
無常をさとすいましめか
望を告ぐる法音か。

友高樓のおばしまに
別れの袂重きとき
露荒凉の城あとに
懷古の思しげきとき
聖者靜けき窓の戸に
無象の天(そら)を思ふとき
大空高く聲あげて
今はと叫ぶ暮の鐘。

人住むところ行くところ
嘆と死とのあるところ
歌と樂(がく)とのあるところ
涙、悲み、憂きなやみ
笑、喜び、たのしみと
互に移りゆくところ、

都大路の花のかげ
白雲深き鄙の里
白波寄する荒磯邊、
無心の穉子(ちご)の耳にしも
無聲の塚の床にしも
等しく響く暮の鐘。

雲飄揚の身はひとり
五城樓下の春遠く
都の空にさすらへつ
思しのぶが岡の上
われも夕の鐘を聞く。

鐘の響きに夕がらす
入日名殘の影薄き
あなたの森にゐるがごと
むらがりたちて淀みなく
そゞろに起るわが思ひ。

靜まり返る大ぞらの
波をふたゝびゆるがして
雲より雲にどよみゆく
餘韻かすかに程遠く
浮世の耳に絶ゆるとも
しるや無象の天の外
下界の夢のうはごとを
名殘の鐘にきゝとらん
高き、尊き靈ありと。

天使の群をかきわけて
昇りも行くか「無限」の座
鐘よ、光の門の戸に
何とかなれの叫ぶらむ、
下界の暗は厚うして
聖者の憂絶えずとか
浮世の花は脆うして
詩人の涙涸れずとか。

長く、かすけく、また遠く
今はたつゞく一ひゞき
呼ぶか閻浮の魂の聲
かの永劫の深みより、
「われも浮世のあらし吹く
波間にうきし一葉舟
入江の春は遠くして
舟路半ばに沈みぬ」と。

恨みなはてぞ世の運命(さだめ)、
無限の未來後にひき
無限の過去を前に見て
我いまこゝに惑あり
はたいまこゝに望あり、
笑、たのしみ、うきなやみ
暗と光と織りなして
歌ふ浮世の一ふしも
いざ響かせむ暮の鐘、
先だつ魂に、來ん魂に
かくて思をかはしつゝ
流一筋大川の
泉と海とつなぐごと。

吹くや東の夕あらし
寄するや西の雲の波
かの中空に集りて
しばしは共に言もなし
ふたつ再び別るとき
「秘密」と彼も叫ぶらむ。
人生、理想、はた秘密
詩人の夢よ、迷よと
我笑ひしも幾たびか、
まひるの光りかゞやきて
望の星の消ゆるごと
浮世の塵にまみれては
罪か濁世(ぢよくせ)かわれ知らず。

其塵深き人の世の
夕暮ごとに聲あげて
無限永劫神の世を
警しめ告ぐる鐘の音、
源流(げんりう)すでに遠くして
濁波(だくは)を揚ぐる末の世に
無言の教宣りつゝも
有情(うじやう)の涙誘へるか。

祇園精舍の檐朽ちて
葷酒の香(か)のみ高くとも
セント、ソヒヤの塔荒れて
福音俗に媚ぶるとも
聞けや夕の鐘のうち
靈鷲橄欖いにしへの
高き、尊き法の聲。

天地有情(うじやう)の夕まぐれ
わが驂鸞(さんらん)の夢さめて
鳳樓いつか跡もなく
花もにほひも夕月も
うつゝは脆(もろ)き春の世や
岑上(をのへ)の霞たちきりて
縫へる仙女の綾ごろも
袖にあらしはつらくとも
「自然」の胸をゆるがして
響く微妙の樂の聲
その一音はこゝにあり。

天の莊嚴地の美麗
花かんばしく星てりて
「自然」のたくみ替らねど
わづらひ世々に絶えずして
理想の夢の消ゆるまは
たえずも響けとこしへに
地籟天籟身に兼ぬる
ゆふ入相の鐘の聲。
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