中世史折り返し雑考・後篇
(前知識)・・・5世紀から7世紀の間は、世界的に寒冷化し、食糧不足が起きていたという指摘があります。その影響は、再び地球平均気温が上昇した中世高温期(10世紀-13世紀)になって、やっと薄れてきたそうです。
ユーラシア東端でも、この急激な寒冷化による影響は大きかったようです。
魏晋南北朝の末の大混乱を経て、遊牧騎馬民族を中心とする隋唐帝国が出現したのがそうですし、その後の中世高温期に入ると、中央アジアの食糧事情が好転したという事もあって、ウイグル、キルギス、遼(契丹)、西夏、金、吐蕃、南詔、新羅、渤海…と、遊牧騎馬系諸王国の勢力拡大が目立っています。
…寒冷化の原因は火山灰では無いかと言う説もあります
「6世紀~7世紀の寒冷化と社会変化」http://sicambre.at.webry.info/201604/article_20.html
中世交易の主力商品は、「スラブ人奴隷ないしは白人奴隷」だったそうです。
ヴァイキングは、川沿いに遡上しての奴隷狩りが、とても上手だった。アラブ商人との奴隷貿易があり、ヴァイキングの本拠地の1つだったバルト海付近から、大量のアラビア銀貨が見つかっているそうです。
当時の各宗教の法律に、次のような項目があるそうです。
- イスラム教バージョン=イスラム教徒はイスラム教徒を奴隷にしてはならない。
- キリスト教バージョン=キリスト教徒はキリスト教徒を奴隷にしてはならない。
- ユダヤ教バージョン=ユダヤ教徒はユダヤ教徒を搾取してはならない。
同じ頃、スラブ人が大挙して民族移動し、バルカン半島に続々と流入しています。当時の歴史資料によれば、気候悪化・食糧不足によって暴徒化した人々が、大部分だったそうです。すさまじい略奪&暴力行為とか、かなりの流血が見られたそうで…歴史記録を読んでいて、気が遠くなってまいりました…(貧血症の経過観察中なのに、これはハード過ぎる)…orz
『三国志』のハイパー悪役キャラ・董卓が、集団で襲来したのか、と思われるほどの行為なのですね(ただしこの場合、メインは食い詰めた人々だったので、メタボは皆無だったと思われます…)。
※日本でも餓死者が多かったのですが、日本の一般民衆の間では、そんなにすさまじい暴力行為の記録は無いのです。歴史記録にあるのは、聖徳太子の記録とか、物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の宗教的抗争とかです。当時の大和朝廷の人々は渡来人系が殆どで、混血が浅い分、血の気も多かったのでは…と思われるところがあります。在来の日本人は、現代と同じように大人しい性格が大多数で、わずかな備蓄を少しずつ分け合ったり、備蓄が尽きた後は、倉の打ち壊しや一揆に走る程度であった…と推測されます。
大陸系の人々って、やっぱり脳みその何処かに未解決の問題があって、集団暴徒化&パッション化すると、他者の痛みへの想像力が徹底的に欠けてしまうとか…ムニャムニャ…「繊細なセンスが無い人々」=「蛮族」ではありますが…orz
…ともあれ、このスラブ民族大移動が、現代にまで続くバルカン半島問題の始原。
スラブ民族大移動…突厥に追われたアヴァール人の東欧への侵入とか、気候悪化・食糧不足・情勢不安もあったのでしょうが、何故このタイミングでスラブ人が急にバルカン方面へ移動してきたのかについて、ひとつの大きな要因を想像せずにいられません。それが、「奴隷貿易」です。
…特にヴォルガ流域やキエフ、南ロシアは、アラブ商人とヴァイキング商人が出会うところであり、白人奴隷の供給地であり、奴隷貿易の中継地かつ市場だったそうです。ヴォルガ川は、北欧のバルト海と中央アジアのカスピ海とを結んだ大河であり、黒海へのルートも開けていました。ホラズム、ニシャプールなどの諸都市は、アラブ商人の奴隷市場として繁栄した都市だそうです…
当時のキエフ-南ロシア、その中心部にハザール(たぶん白系ユダヤの起源問題)の謎がある…
…問題は、ヴァイキング等が活躍した中世の奴隷貿易が、どの地域で、どの程度の規模で行なわれていたのか?です。アラブ方面では、奴隷貿易の結果、8世紀頃に白人傭兵(マムルーク)が急増して、マムルークによる王朝すらあった訳で…、オスマン=トルコでは、イェニチェリと呼ばれる白人傭兵も多かったのです。トルコ白人の増加は、アメリカ黒人の増加と、理由は同じだと思われます。
キエフ=ルスやハザール王国(7-10世紀頃)は、中世の奴隷貿易が盛んだった頃、どういう役割を果たしていたのでしょうか?カフカス交易ルートの独占で栄えた王国だった以上、この貿易利権に無関係だったとは…とても思えないです。
…同じ頃に奴隷貿易に手を染めていたヴァイキング商人(海賊)は、何処へ消えたのでしょうか?
同じくヴェネツィア商人、つまりフェニキア人の末裔とも噂される富裕なユダヤ商人もまた、奴隷貿易に手を染めたという記録があり…いわば国際豪商、今で言う国際金融グループの先駆に違いないけれど、ハザール王国を中継した奴隷貿易で儲けた筈の、ヴァイキング商=ヴェネツィア商=ユダヤ商の富は、いったい何処へ流れ、蓄積されていたのか…
…当時のローマ・カトリックは、盛んに異端審問を行なっていたけれど…ひそかに奴隷として売り飛ばす、というのも無かっただろうか…?ヨーロッパとアラブと共通で、中世の内戦とか、繰り返し流行したペストで、えらく人口が減少したはずだけど…、その頃に荘園制度(穀物生産)を支えた「農奴」という労働力は、そもそも、何処から湧いて来たものだったのか?
…この時代の動向をまとめた資料が少ない感じで、何だか「ごちゃごちゃ」で、どうにもまとまらないですが、歴史時空の中に複雑にセッティングされた「《光》と《闇》の封印=呪縛の相」を感じますし、様々な疑念が湧いてまいります…