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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:西脇順三郎「旅人かへらず」

旅人かへらず/西脇順三郎

旅人かへらず/1節(冒頭節)

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃

旅人かへらず/10節

十二月の末頃
落葉の林にさまよふ
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出てゐる
これは都の人の知らないもの
枯木にからむつる草に
億万年の思ひが結ぶ
数知れぬ実がなつてゐる
人の生命より古い種子が埋もれてゐる
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい実の中に
うるみひそむ
かすかにふるへてゐる
このふるへてゐる詩が
本当の詩であるか
この実こそ詩であらう
王城にひばり鳴く物語も詩でない

旅人かへらず/30節

春には
うの花が咲き
秋には
とちの実の落ちる庭
池の流れに
小さい水車(みづぐるま)のまはる庭
何人も住まず
せきれいの住む
古木の梅は遂に咲かず
苔の深く落ちくぼみ
永劫のさびれにしめる

旅人かへらず/32節

落ちくぼむ岩
やるせなき思ひ
秋の日の明るさ

旅人かへらず/36節

はしばみの眼
露に濡れる頃
真の日のいたましき

旅人かへらず/39節

もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴

旅人かへらず/66節

野辺に出てみると
淋しい風が吹いてゐた
水車の音がするばかり

旅人かへらず/67節

こほろぎも鳴きやみ
悪霊をさそふ笛の
とりつかれた調(しらべ)
野を下り流れ行く

旅人かへらず/73節

河原の砂地に幾千といふ
名の知れぬ草の茎がのびてゐる
よしきりや雲雀の巣をかくして
その心の影

旅人かへらず/104節

八月の末にはもう
すすきの穂が山々に
銀髪をくしけづる
岩間から黄金にまがる
女郎花我が国土の道しるべ
故郷に旅人は急ぐ

旅人かへらず/105節

虫の鳴く声
平原にみなぎる
星もなく夜もなき
生命のつなぎに急ぐ
この短い永劫の秋に
岩片にひとり立ちて
このつきせぬ野辺を
聴く心の悲しき

旅人かへらず/112節

とき色の幻影
山のあざみに映る
永劫の流れ行く
透影(すきかげ)の淋しき
人のうつつ
この山影に
この土のふくらみに
ゆらぐ色

旅人かへらず/158節

旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壺をこはせば
永劫のかけらとなる
旅は流れ去る
手を出してくまんとすれば
泡となり夢となる
夢に濡れるこの笠の中に
秋の日のもれる

旅人かへらず/165節

心の根の互にからまる
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る

種は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭草の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまはる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る

無限の過去の或時に始まり
無限の未来の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
この小さい庭に
梅の古木 さるすべり
樫 山茶花 笹
年中訪れる鶯 ほほじろなどの
小鳥の追憶の伝統か
ここは昔広尾ヶ原
すすき真白く穂を出し
水車の隣りに茶屋があり
旅人のあんころ餅ころがす
この曼陀羅の里
若き水鳥の飛立つ
花を求めて実を求めず
だが花は実を求める
実のための花に過ぎぬ

旅人かへらず/167節

山から下り
渓流をわたり
村に近づいた頃
路の曲り角に
春かしら今頃
白つつじの大木に
花の満開
折り取ってみれば
こほつた雪であつた
これはうつつの夢
詩人の夢ではない
夢の中でも
季節が気にかかる
幻影の人の淋しき

旅人かへらず/168節(最終節)

永劫の根に触れ
心の鶉(うずら)の鳴く
野ばらの乱れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくづるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
曼陀羅の織物を拝み
枯れ枝の山のくづれを越え
水茎の長く映る渡しをわたり
草の実のさがる藪を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず
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