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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

月光の中の散歩、クリフォードの丘/ジョン・クレア

月光の中の散歩(Moon Light Walk) L I 431./『後期詩集』ジョン・クレア

太陽は、愛する者の最後のまなざしのように
塔と樹木に、さよならの笑顔を見せてしまった。
そして全ての森の、蔭という蔭に
私を喜ばせる静寂を残して去った。
その間、周りの全てがたいそう清らかに見えるので
私の神様が近くにおられるのでは、と空想し、
あるいは何か甘い夢のなかにいるのでは、と考える、
この夢では夕べの月が、澄みきって輝いている。

今や夕べの露が降り始めている、
そして砂利の上に月の光線が、あまりに明るく
暗闇に投げかけられて舞い降(くだ)り、輝いているので、
月の光は、拾い上げることができそうに見える。
暗闇に似た柩の黒布より、さらに黒々とした
樅(もみ)の木の低地が、ひとかたまりになった影をなすので
まったく地面がないように見える影のあたりを
触ろうとして腰を屈(かが)めねばならないのも月の明るさ。

夕刻の歌を奏でながら、近くに羽音をたてる
粉ふき黄金(コフキコガネ)は、何ときれいなバグパイプ吹きなのか、
この昆虫は、ハリエニシダに覆われた荒野、厳(いか)つい雑木林で
ただ一人出歩く人に出会ってくれる。
今はもうべちゃくちゃした昼間の語りは終わった、
そしてこの景色をただ一人だけに残してくれた、
だから私は、月光に照らされた散歩道をそぞろに歩く、
この道の楽しみがみな私のものだと想いながら。

*****

クリフォードの丘(Clifford Hill) L II 675./『後期詩集』ジョン・クレア

川は蛇のように くねくねと流れる、
緑の牧草地に沿いながら、
そして夏の季節の夕刻には
水車の回転が大きな響きをたてる。
水車のあたりに水が疾(と)く行き過ぎるのと同じに
ひとのいのちも疾(と)く行き過ぎてゆく。
私は草地のうえに腰をおろす、
この美しい眺めを探るために。

頃は夏の日、そして露多き夕べ、
太陽はうるわしく低くたれ込む、
私は微笑む、しかし心は悲しむ、
水と波が流れ去るから、
あまりに濃き緑の菖蒲を見るから、
太陽があまりに波を輝かせるから。
私はこの愛らしい夕べにここをさまよう、
驚きと歓びとに満たされながら。

クリフォードの丘には、樅(もみ)の木が黒々と見える、
その下には輝いている川、
水車の下では、流れは全て泡立ち、
そばには美しい花々が咲きそろう。
朝も晩も、私がそぞろに歩くのはこのあたりだった、
愛を籠めてじっと眺めながら
夕陽で金色になった光が
向こうの空に落ちてゆくまで――

そうとも、親しいものとして私はこの景色を愛する、
あの樅(もみ)の木に覆われた丘も親しいもの、
この場所ならまったく安全に野鳩は巣作りし、
水車はクリック・クラックと回り続け、
今は《自然》の心地よい休息のなかで
私もしばらくこの場を立ち去る。
蜜蜂は薔薇の花の中に埋もれてしまった、
そして人は労働から去ってしまった。

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