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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

萩原朔太郎詩歌&考察

昔の詩集の中で、萩原朔太郎の幾つかの詩歌作品が心に残ったことがありました

特に印象深かった二作品:

◆「思想は一つの意匠であるか」―萩原朔太郎・青猫 閑雅な食慾

鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
仏は蒼明の自然を感じた
どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。
「思想は一つの意匠であるか」
仏は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。

(鑑賞コメント)・・・今でも良く分からない謎めいた作品ですが、謎めいたままでも良いかなと思っています。考えてみれば、「思想とは?」というような訳の分からない問題を考え始めたのは、この作品に影響された部分もあるかも知れません…^^;

◆「漂泊者の歌」―萩原朔太郎・氷島

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠(くおん)の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなれば愁ひ疲れて
やさしく接吻(きす)するものの家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

(鑑賞コメント)・・・結構、気になる作品です(青春の思い出です。ちょっと暗いかも…)^^;

この作品を読んだ時、「死(≒詩)は、ひとつの救済である」と思ったものでした。

詩歌作品には、「言葉の墓標」という要素も大いにある…と思っています。言葉の死。即ち詩歌作品。沈黙の夜と音響の朝との間に漂うおぼろな虚空、曖昧な狭間に静かに沈みゆく「何かであるもの」、純粋な表現のための表現、語りかける相手無き表現…、それは確かに、言葉の墓標となるべきものであります…

死(≒詩)という形を与えられた言葉が、生ける者の想念の依り代として、寄る辺無き漂泊者として、時空を超えてとこしえに機能するものであるならば。詩歌は、歌は、祝詞は…、言葉というスタイルを取った、名も無き神々へのひそかな生贄だと思いました。

詩歌…、最初から完成形である事を要求される、寂寥の芸術…

ちょっと暗めですが、詩的に考察してみたのでありました…;^^ゞ

もし「和のアルケオロジー」を、ここから導き出すとすれば。

和歌が何故生まれたのか。死せる言葉が、それ自体で輪廻を求め始めたからではないかと思われる節があります。「和」の歌…即ち「輪」の歌。先の世から後の世への、世代を超えた「寄る辺/輪廻」をそれ自身で形成しようという、さすらいの言葉自身の意思が働いたから。それが《言霊》の意思。

死せる者として虚空に投げられた/流された言葉に、微妙な命を与えた、名も無き神は、《誰》であったか。漂泊と忘却の神「速佐須良比賣(はやさすらひめ)」がそこに居たのなら…と、想像するものであります…(=大祓詞に出て来る神です^^)

和歌には、詩歌スタイルでありながら詩歌を越える部分があるのかも知れない…と、思われたことでした。

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