忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ワンコ写真集:ツイッター埋込み2020年-2022年

2020.06.28

2020.10.18

2020.11.15

2020.11.28

2021.08.01

2021.08.15

2022.09.16

2022.09.17

2022.09.24

2022.10.20

2022.11.03

2022.11.12

2022.12.18

PR

宣伝アピール類の文章・考

少し前、訳あって、宣伝アピール類の文章チェックする機会がありました。

「先方から、いくつかの質問事項に回答する形で、宣伝アピール文章を出してくれ、という事で。特定の事物ごとに個別にテキスト作成してみたんだけど、どうかな?」という感じ。

ふむ。

事物1件あたり、あらすじ風、300文字~400文字程度。

読んでみました。

……あれ?

もう一度、二度、三度と、全文を読み直してみました。

…………(ビミョウな表情)……(◉▾◉ )……(◉▾◉)

「あぁ……アピールの順番が! 順番が!」

と、我に返って、ツッコミ。

そこは「如何にして、その信念に至ったか」を逆転披露する所じゃ無くて、「根拠・プロセスを述べたうえでの現状の説明」を問われている場面じゃ!

何故に、あちらの部分で問われている「結論」や「回答」の内容をさしおいて、「(単に)○○しました!」や「無関係な途中談話(失敗談のオマケ付き♪)」を、前と後の両方の位置で、優先的ズラズラ盛って来るんじゃ!

混乱の余り、グルグルしてしまいました。

ふう。

半分以上の確率で、書類選考で落とされるタイプの文章かも知れない……と、感じました。

で、でも、アピールする内容と、順番を、何とかすれば、ギリギリ書類選考の合格ライン(100点満点中、50点レベル)に乗れるかも知れない……?

……「頭痛が痛い」と共に、書類選考の担当者の感覚を、(あくまでも想像ですが)実感してしまったような気がします……

orz

登場する事物を個別にギュッと絞ってある文書でさえ、こんな感じ。

……多数の登場キャラクターと人物ドラマ場面を扱う小説テキストって、とんでもない国語力と、ストーリー構成力が必要なのね……と、改めてシミジミ。

簡単な要約、みたいな文書であっても、目的と論述の方向が混乱しているテキストとなると……

正直、読みこなすのは……難問だな、と思いました。

「このテキストを書いた人は、いったい、どのような関連過程を記したかったのか? どのような結論をアピールしたかったのか?」

どこまでも目的&主旨に到達しない「堂々めぐり・ストーリー」に突入……そんなグルグル・メリーゴーランド作業に割く時間が有ったら、別の文書の検討に移った方が早いですし……

その後。

やはり多少の問題が出て来た、という事で(文章チェックさん1名、お手上げ状態になったらしく)。

「どのように直したら良いかな? 添削できる?」という話があり。

添削サービス作業、上積み。

混乱している文章は、「5W1Hが整理されていない」「前・後がつながっていないように見える」タイプが多いようです。

思いつくままにポンポン論述しました! さらにドラマチック修飾と演出(無関係な途中談話♪)てんこ盛り盛り! という感じ。

5W1Hを整理して、枝葉を剪定して、時系列順に並べるだけで、かなり見通しが良くなるようです……と感じられるところ多々。上手なタイプの印象的な文章と比べると、当然、アピール力は弱いけれど……「平均の中の下っぽい」ながらも、なんとか主旨をつかめるようになる……

さらに、結論へと至る論述の経路が整理されて、前後一本の筋が通るようになると、アピール印象パワーも随分と違ってくる……と感じられます。

(ただし、内容・情報が、ガッツリ存在する文章に限る)

上手なタイプの文章は、修飾と演出においても、目的と方向性をシッカリそろえて手堅く整理してある。それで、「アレッ」と思うほど文字数が少なくても、印象的な……と感じるらしいです。脳ミソへの浸透がスムーズ。

多いか少ないかは分かりませんが、或る程度、テキスト添削してみて。

「目的・方向性を見失わない論述」&「結論へと至る経路を、適切に提示してある構成」=希少価値、と感じました。

これが、小説テキストへ応用できるのかどうかは、分かりませんが。

同じテキスト同士、何かしら共通する部分もあるかも? と思われ。

以上まとめてみた……という風です。

(ザックリ省いた部分が多く、「お前は何を言ってるんだ」文章かも知れませんが……)

おしまい(◉▾◉)

研究:祖霊祭の習慣&資料保存

『万霊節の連祷』(Litanei auf das Fest Aller Seelen D343)
音楽・シューベルト/詩・ヤコービ

安らかに憩え 万の霊よ
恐るべき苦しみ終えたもの
甘き夢見果てたもの
生に倦んだもの 生まれきて幾許ならず
この世より去っていったもの
万の霊よ 安らかに憩え
また 決して太陽に笑いかけず
月の下 茨の上 目を覚ましていた者も
神と 清き天上の光の中で
いつか あいまみえよう
この世を去りし あらゆる人々よ
万の霊よ 安らかに憩え
この世の平和を知らぬまま
勇気と力のゆえに
死屍累々のいくさ場の彼方
半ば死にゆく世に送られたもの
とわに帰らぬ万の霊よ
万の霊よ 安らかに憩え
Litanei auf das Fest Aller Seelen
Ruh'n in Frieden alle Seelen,
Die vollbracht ein banges Quälen,
Die vollendet süßen Traum,
Lebensatt, geboren kaum,
Aus der Welt hinüberschieden:
Alle Seelen ruhn in Frieden!

Und die nie der Sonne lachten,
Unterm Mond auf Dornen wachten,
Gott, in reinen Himmelslicht,
Einst zu sehn von Angesicht:
Alle die von hinnen schieden,
Alle Seelen ruhn in Frieden!

Auch die keinen Frieden kannten,
Aber Mut und Stärke sandten
Über leichenvolles Feld
In die halbentschlaf'ne Welt:
Alle die von hinnen schieden,
Alle Seelen ruhn in Frieden!

キリスト教や大乗仏教といった、立派な教義を備えた宗教が世界を席巻する前は、元々、それぞれの民族に先祖信仰が存在していたと言われている。

例として=ケルト&ゲルマン民族の祭り=「燻し十二夜」

冬至の日、故人の好みの料理を作り、好みのワインをテーブルに並べ、家庭祭壇にロウソクをいっぱい灯して、祖霊を迎える行事であるとされている。豊かな収穫を得て安らかな思いで冬を迎えられることを、先祖の霊(または祖霊=守護霊)に感謝するのである。

キリスト教はこの燻し十二夜の祖霊祭を、11月2日の万霊節に移したと言われている。しかし地方によっては、12月25日のクリスマスの後に、墓地に小さなクリスマスツリーを立ててロウソクを灯し、パンやワインなどを供えて先祖を祀る風習が残っているらしい。

【付記-1】・・・12月25日をキリストの誕生日に定めたのは381年のコンスタンティノープル会議である。それまでは、ヨーロッパでは、12月25日は冬至祭=収穫祭=祖霊祭だったらしい。

【付記-2】・・・日本ではお盆と御魂祭が習合して、8月の盆供養がメインの祖霊祭になっているが、仏教渡来前の時代は、冬至に祖霊祭を行なうのが習慣だったらしい。仏教伝来が遅れた東国地方では、鎌倉・室町時代の頃まで、この風習が根強く残っていた。

特徴的な天文現象と特別な祭祀(お盆や祖霊祭)との日取りのシンクロが興味深い。春分、秋分、冬至、夏至に集中する傾向。