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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

オウム真理教etc雑考

2011.11.21本日、オウム真理教が関与した数々の事件の結審が行なわれたそうです。

個人的に、特に印象に残っているのが「東京地下鉄サリン事件」です。その事件では、タイミングの差で友人の一人が死にかけたと言う事情があり、いろいろと複雑な気持ちになりました。

※当時、警察組織のトップが狙撃されましたが、真犯人がまだ不明である…と言うのも、結構ショッキングなものがあります(国松長官狙撃事件)。短い期間にいっぺんに多くの事件が起きたという点で、とっても特別だと思います…

伝統・新興に関わらず、宗教組織は本質的に、殺人集団としての顔をも持つのだ…と確信。

オウム真理教はチベット密教に影響されているそうで、チベット密教を少し調べてみました。

チベット密教はダライ・ラマを生んだ宗教ですが、この宗教は、かつて性的ヨーガを使った修行方法によって霊力を高め、呪殺の能力を磨くことで、殺人兵器として活躍した血みどろの歴史を持っていたそうです(あくまでも、まだダライ・ラマが登場していない、最初の時代の話ですが…)。

チベット密教は、「後期密教」に属します。空海の時代より少し後の時代になります。後期密教は、8世紀から11世紀のインドにおいて成立した、ニュータイプの仏教でした。この後期密教は、仏教史においても、その最終段階に現れた仏教であると理解されています。

8世紀頃、インドで、『グヒヤサマージャ(秘密集会)・タントラ』が登場しました。その最大の特徴は、解脱のための至高の修行方法として、性的ヨーガを導入した点にあります。しかし、それまでの伝統的な仏教戒律は、その類いの行為を厳しく禁じており、真理にいたるための新しい修行方法と伝統的な戒律との間に生じた矛盾を、インド人仏教者は解決できませんでした。

そしてその後インドはイスラム征服を受け、仏教の伝統が途絶えました。そのため、この重大な矛盾を解決するのは、チベット人に任される形となりました。そしてチベット密教成立への道が始まるのです。

チベットはインドの進んだ文明や宗教を継続的に導入しており、チベット仏教界とも呼べるような宗教界が、チベットに成立していました(日本仏教界が成立していったのと同じです)。チベットにおいては、それまでの仏典のチベット的独自解釈によって、チベット風に加工された呪術的・シャーマニズム的な仏教が広がっていました。

その中で、チベット仏教史が誇る宗教家、天才ドルチェタクが登場します。彼は明晰な頭脳を持ち、正確な仏典翻訳を行なったばかりか、地方各地で荒廃していた仏教寺院を復興するなど、学問的にも宗教的にも目覚ましい活躍をしたことで知られているそうです。

しかしその一方で、彼は、霊力を使っての呪殺に長けた呪術師でもありました。その霊力は、性的ヨーガによって鍛えられたものでした。大勢のライバルが、彼によって次々に呪い殺された(=ポア・度脱=往生させられた=)と言う記録があるそうです。彼は、後期密教の闇の部分においても大きな存在だったということです。

その後もチベット密教は進化を続け、ドルチェタクの時代から200年後のチベット仏教界は、プトゥンという新たな天才を得ました。彼は、チベット史上、最高の頭脳の持ち主であったと伝えられているそうです。彼は『チベット大蔵経』をまとめ、修行における性的ヨーガの問題に、彼なりの答えを出しました。

プトゥンは「戒律なきところに解脱なし」と喝破、修行に性的ヨーガを持ち込むことを厳禁し、度脱(ポア)を行なうことも禁じました。当時のチベット密教に欠かせなかった呪術的要素を排除するということが、彼の回答だったということになります。

プトゥンの次の世代、更なる宗教的天才ツォンカパが登場します。彼はプトゥンの姿勢を継承し、性的ヨーガ及び度脱(ポア)、その他の呪術全般の行為を禁じました。ただし、病気治療の分野では特例として呪術が許可され、延命呪術などが施されたと言われています。

以上の内容が、チベット密教が300年かけて出した、「矛盾への答え」でした。

とどのつまり殺害も救済も、宗教が持つ「祈り」の要素の裏表なのである…と申せましょうか。

オウム真理教は、宗教が本来的に持つ魔性をまざまざと示したと言う点で、それなりに、この世に存在しただけの意味はあったのでは無かろうかと思っています。ただ、その道に長けた宗教家たちからすれば、魔性に振り回されているばかりの、全くもって修行の足らない「未熟者」の範疇に入る筈です。

未熟な宗教家は、どんなに明晰な頭脳を持っていたとしても、それだからこそ、自らの判断が生み出した《精神の牢獄》に閉じ込められてしまうのです。深い意味での「善と悪」ないし「光と闇」の判断が出来ず、それに振り回されてしまうからこそ、魔道・外道に落ちてしまう未熟な存在なのです(並み居る宗教学者たち・宗教評論家たちは、この点の判断については、実に弱腰であったと思うのであります…)。

更に、我々は、ムツカシイ問題を持っています。つまり、「暴力には暴力をもって対抗するしかないのか」と言う問題であります。

キリスト教やイスラム教を生んだセム系一神教は、「暴力には暴力を」という回答を出しました。仏教は、釈迦やダライ・ラマの如く「非暴力主義」という回答を出していますが、果たしてそれが、万人に受け入れられるものなのかという事については、はなはだ疑問が残るものであります(=とりわけ親しい人たちに、理不尽な暴力が振るわれた場合)。

宗教における闇の部分の巨人であった、天才宗教家ドルチェタクの存在は、「部分的にせよ正当防衛のための暴力の行使は認められる」という宗教的方便があることを示しています(=どうも、日本には、このドルチェタクの姿勢に近い要素があるようです。それが正しいことかどうかは、全く分かりませんが・汗)。

今のところ、個人的には、宗教は宗教それ自体で完成された存在では決して無く、実際の社会においては、半分かそれ以下の意味しか持たないという見解を持っております。そもそも、宗教家は、第一次生産者ではありません。

残りの「半分かそれ以上の意味」は、目下のところ、俗世の共同体に属する我々が行使する強力な権力、つまり「法治」によって補完するしか無いのだ…というのが結論であります。

…と、キマジメに考えてみたのであります(=でも、余り自信は無いです)

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スパイウェア騒動顛末記

この週末は、某スパイウェアとのオフライン戦闘で、忙しくしておりました…^^;

※この記事を書く前まで、疲労回復のため、昼寝しておりました※

「とある個人サイト上」での「とあるダウンロード画面」がスパイウェアに感染していたようで、あっという間にやられました(=ちなみに、それまでは存在も知らなかった個人サイトでありまして、素材配布をメインにしているブログタイプのサイトです)。

「この素材を試してみたいな」という気持ちでダウンロードしたら、素材じゃなくてスパイウェアがダウンロードされてきました。すると、それまで動いていたインターネットブラウザが、いきなり強制終了。パソコン上の覚書用に開いていた「よろずメモ帳」も強制終了。

※さすがに疑心暗鬼になりましたが、現在は、悪意の無い個人サイトも大手会社サイトも、こうしたスパイウェアに付け狙われていて、隙があればあっという間にスパイウェアが入り込んでくるような時代になっているそうです。「インターネット版の"振り込め詐欺"みたいなものか…」と、理解してみました。

見慣れぬ英語画面がいつまでも居座るという事態には、正直言って焦りました…^^;

あらゆるソフトの動きがブロックされ、アンチウイルスソフトすら、動きを封印された状態でした。

【参考】☆ とんちくんの創業日記 ☆(アメーバブログ)
インチキ偽セキュリティソフト Security Protection の削除方法(2011.8.22)

名前が違うだけで同種のデザイン・同種の症状のスパイウェアのお話。まさにこんな感じ…^^;

非感染パソコンを使ってインターネットを検索しまくり、対抗手段をまとめました。

1.呪文をかけて、スパイウェアの動きを封印する(『無題なブログ(2011.11.6)』様を参照)。
嘘のメールアドレスは「お断りします@」にしました。これでも、自分なりの怒りのユーモアであります…^^;
2.「マイコンピュータ」を開き、ファイルとフォルダの表示設定を「全て表示」に変更。
「ローカルディスク(C:)」の中身を全てひっくり返して、調べてみました。
▼"Program Files"内部に怪しいアイコンがあったので削除。
▼"Documents and Settings"内部に怪しいアイコンがあったので削除。
▼他、"Application Data"フォルダ(?)の中にもあったという記憶が…。
※表示フォルダも非表示フォルダも全てひっくり返していたので、割と長い時間がかかりました。空のフォルダが割と多いのは、意外でした。
3.レジストリを起動し、怪しいレジストリ・キーの削除にトライ。
レジストリの開き方は、非感染パソコンでインターネット検索して、すぐ分かりました。インターネット検索で見つけた対抗手段ページで出てきた該当レジストリ・キーを全てチェック。存在があったり無かったりでした。
▼HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Run "スパイウェアの名前"
▼HKEY_LOCAL_MACHINE\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Run "スパイウェアの名前"
▼HKEY_LOCAL_MACHINE\Software\ "スパイウェアの名前"
▼HKEY_LOCAL_MACHINE\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Uninstall "スパイウェアの名前"
4.非感染パソコンを使って、インターネットより駆除ツールを入手し、USBに保存。
スパイウェアの動きの封印には成功していたので、「Rkill」は使いませんでした。
▼"Microsoft Safety Scanner"を入手。『インストール不要な無料お手軽ウイルス駆除ツール (フリーソフト)』様のご紹介から。
▼"Malwarebytes' Anti-Malware"を入手。『無題なブログ(2011.11.6)』様のご紹介の英語ページから。
▼"TDSSKiller.exe"を入手。『Rootkit.Win32.TDSS ファミリーのマルウェアを削除する方法』様から。『Anti-rootkit utility TDSSKiller』の方が新しかったみたいです(英語ページ)。

5.感染したパソコンにUSBを差し、保存しておいた駆除ツールを移動。

6."Malwarebytes' Anti-Malware"をセーフモードで駆動し、ウイルススキャン。

7."TDSSKiller"を通常モードで駆動し、ウイルススキャン。
その時は時間が無かったので、セーフモードスキャンは出来ませんでした。これから新しいバージョンの"TDSSKiller"でトライの予定⇒2011.11.14追記:セーフモードスキャン完了。問題点は見つからずで、ホッとしました。
8.通常モードで再起動、"Microsoft Safety Scanner"を駆動しウイルススキャン。
2個の有象無象マルウェアが見つかったとの事で、削除しました。他にはおかしいところは見つからなかったので、どうやら駆除成功と判断。

9.戦闘を終了。⇒2011.11.14追記:手持ちのアンチウイルスソフトでも、念のためパソコン全体スキャンをかけてみて、それで完了…と決定しました。いずれにしても画像処理専門のパソコンですし、用心のためにも、重要情報は、もっとガードの固い別のパソコンで扱いたいと思うのであります…^^;

・・・《以上》・・・

どうも、Windowsパソコンは集中的にウイルスに狙われるようです。将来の防衛のためにメモであります…^^;

※他にもいろいろお勉強になるページがありました…^^;

読書ノート『月瀬幻影』

◆大室幹雄・著『月瀬幻影(げつらいげんえい)』中央公論新社2002

〝風景のナンバリングまたは政治学(227p-232p)〟より、興味深い議論を記録…

・・・(前略)ナンバリングの発想は漢土の古代、中国文明の歴史のうえで、思想が、従って言説が、相対的にもっとも自由で、それなりに多様な可能性の萌芽がきざしていた戦国時代(前403-前222)に確立された。筆記の用具が未発達で貴重品だったこの時代に、書物のコピーはきわめて少なかったから、学問をすること、読書することはまず第一に暗誦し記憶することだった。記憶すべき対象を整理し限定して数にまとめる、これはたいていの人が経験で知っている暗記術の初歩である。つぎに中国語は単音節言語、明るく開きっぱなしの一個の音節が一個の意味を有する言語で、動詞をはじめ形容詞、名詞に人称・時制・格などによる屈折変化がないし、語そのものにそれ自体としては品詞の区別がない。それで一音節からなる一語は、他の一語(一音節)と容易に結合して、意味が限定された。逆に拡張された複数音節(通常は四音節どまりが好まれる)からなる新しい一語がつくられる。・・・(中略:瀟相八景のひとつ「平沙落雁」について、音節結合の例を挙げている)・・・
これらの要因に加えて、ひとくちに諸子百家と呼ばれる多様な学派と思想のうち法家の韓非が現われて、その明快な言説においてナンバリングの長所を最大限に活用した。・・・(中略)・・・
韓非の活発で犀利な言説は、かかる絶対的専制の理想を実現するにあたって、それを阻害する困難がいかに多く存在するかを抉剔(けってき)することに向けられた。・・・(中略)・・・シニカルな心理主義によって、絶対的専制の実現を妨げる障害をあばきだすリアリズムは、放胆かつ躍動的であり、飾りも媚びもなしに覚書のようにそっけなく書きつけられた言説はほぼ数学的な明晰にちかい。その覚書に類いする散文に多用されているのがほかならぬナンバリングのレトリックなのだった。・・・(中略)・・・
(と過去形で書いたけれど、ナンバリングによる思考と言表が政治的言語として活用されたのが韓非の時代特有の現象ではなく、現存中華人民共和国において最大限に使用された(ている)ことは、毛沢東と彼の共産党によって、二十世紀半ばに敢行された二回の革命において、たとえば、今日ともなればすでに骨董的な「三大規律」「八項注意」以下「黒五類」のたぐいにいたるまで、ひんぱんに夥しく発動されて、何がどうやら永久にわからないままの老百姓(ラオパイシン)たちを熱烈歓迎、感涙、熱狂、恐怖、怨嗟、失望、冷却に駆りたてつづけた政治的口号(スローガン)の堆積によって記憶に新しい(?)であろう)

(感想1)・・・この辺りの中国語の事情は、全然知らない事ばかりだったので、非常に参考になりました。言語が政治体制を創出する現場に立ち会った…ような思いがします。

政治と記憶術には非常に密接な関係があって、そこにナンバリングと言う手法が導入されると、それまでバラバラの無秩序な相だったものが、極めて序列化パワーの強い数字と連結することによって、人間が集ったその無限定の場に、一気に社会秩序(政治制度)の相(それがたとえ世界の非常に微小な部分だったにせよ)を現出するという図式が浮かび上がってきました。

(そして、当時の政治は祭政一致スタイルで、儀式順序の記憶は、極めて重要だった筈…)

※身近なナンバリング…「春の七草」「秋の七草」という形で記憶する方法がありました…^^;

中国語が単音節語だというのが、ナンバリングを使った言論が極めて効果的に働いてしまった要因では無いかと思いました(大室氏による細かな議論の部分があって、ちょっと分かりにくかったけど、ほぼうなづけるように思いました。当方から何か付け加える事があるとすれば、「数字の魔術」でしょうか:タロットからの曖昧な感じで恐縮ですが、数字そのものに象徴性や寓意性を見ると言うオカルト的な心理も作用したかも知れない、というようなものであります。たとえば「八は吉祥の数字」とか…)。

このようにナンバリングの思考と言説は、権力もしくは権力への期待による支配と管理と抑制の政治的論理である。世界の無限性、環-世界(ウム-ヴェルト)の多彩な魅惑、社会の猥雑な多様性はこの論理にとって本質的な敵である。この論理にあっては、未知なもの、不可知なものはすべて嫌悪され排除されなければならない。それらは人を無限の可能性の原野へ誘い出すけれど、その原野へ迷いこんだばあいの人間の浮動と社会の流動を、この論理は嫌悪して否定する。無機的なまでに冷厳な秩序と安定へ人間と社会のありようを固着させることがこの論理の第一原理だからである。・・・(中略)・・・その限界はこのうえもなくせまい。しかしそれが極まれば、一種シニカルな明快と軽捷を思考と言説の双方に(さらには行動まで)わたって発揮しないではいない。それは単純なものに固有の属性である。そしてそれが前記のような中国語の特徴に従って放恣に濫用されるとき、未知なものの排除のあとに残された極く少数なものの真らしさの信憑性を高めないではいないから、反復して口号されるナンバリングの言説は、人びとの思考と感受を対照的世界の全事象、のみならず世界全体が彼らの理解のうちに明らかになったという確固不動の心理-精神的な安定をこしらえあげることに成功する。

(感想2)・・・ナンバリングのキモとは、実に「数字を制するものは世界を制する」という呪術的な考え方なのだなあとシミジミです(この辺りは、二進数の数字を使って世界の相を判別すると言うスタイルを取った『易』の普及で、増幅・強化されてしまった部分があるかも知れない…)。

自分ないし他人が生み出した言語=思考に呪縛されるというのは、何とも言えないですが…(ニガワライ)

それでも、人間心理というもの、完全に言語化(意味分節/幻想)できないような完全なリアルの混沌の相には、耐えられないのかも知れません(何処かの詩人が、「嘔吐」と表現していたような…)。人間は秩序の中に生きる生き物であります。一番身近な秩序が、どのような未開の社会にもある「親/子/孫」という秩序…

問題は、目の前の身近な風景を見る時、景勝を見る時、世界を見る時、宇宙を見る時――その認識において、人間の頭脳は、如何に多様な秩序の相(認識の相、あるいは幻想)を編み出しうるのか?という未知の可能性の方だと思いました。

中国的な言語結合の思考(ないし漢詩的文脈)やナンバリング思考による秩序の認識は、風景批評を可能にするような完成された世界観を構成するひとつの回答ですが、それだけが唯一絶対の正しい答えという訳ではなく、おそらく、我々がまだ知らない秩序パターンのあり方――認識のあり方――が、宇宙には無限にあるのだろうと想像しています。

東洋の認識スタイルでもなく、西洋の認識スタイルでもないもの…それを日本古来の伝統文化が生み出せるのかどうか…となると、「ちょっと心もとないかなあ」と言う部分もありますが…(でもそれなりに、期待してみたりする…)

…と、キマジメに考えてみたのであります…(余り大した内容じゃ無いですが・汗);^^ゞ

最後になりましたが、毎度コメントありがとうございますm(_ _)m<読書のヒントになりました

コメント・メモより⇒
〝『月瀬幻影』ですが、わたしが以前アマゾンの書評に書いた以下の部分が核心だろうと今でも考えています。<シノワズリ(シナ趣味)の江戸人たちの風景の見方、つまり自然をそのままに見るのではなく、社会的秩序に従って見ること。ここでは彼らの頭を満たす漢文の世界観、審美観によって風景を見出すこと、それはほとんど幻想であること。本書のポイントが、もうすでに書名に見事に表徴されている。>、と♪〟

《おまけ》・・・311pの〝ムラ-ゲマインデ概説〟に添付されていた図版は面白かったです^^

古代(5-6世紀ごろ)の地方豪族の居館の図、中世の土豪領主の居館の図、近世17世紀ごろの豪農屋敷の図、歴史も建築技術も、ゆうに千年の差がありますが、構造的・機能的な部分がまるで変わって無いので、笑ってしまいました。

自分の田舎にある、元・網元(水郷エリア)のお屋敷や、元・名主(水田エリア、今は収入が大きい芝生の栽培がメイン)のお屋敷も、建築こそ20世紀バージョンに近代化されてますが(=厩が屋根つきの駐車場になったりとか)、まさにそんな感じ…

「宗家」とかもあって、昔々は、分家の方では宗家から来たお嫁さんに頭が上がらなかったとか、そういうエピソードを聞いたことがあります。田植えの時期は、身元不明の「フーテンの寅さん」みたいな不思議な人も厩とかに泊めてあげて、屋根や食事を提供する代わりに、田植えを手伝ってもらっていたとか…、ただ、いつ頃の話かは分かりませんでした。江戸時代という感じはありましたが、江戸時代と戦前時代と滑らかに連結している状態なので、余り区別が付かないのです。

自分が子供だった頃も、「元・網元」とか「元・名主」とかいう家は、割と地域に影響力を及ぼしている部分があったみたいで、「網元ってとっても偉いんだからね、気をつけてね」なんて注意されたことがありました…^^;

そういう田舎事情を思い出してみると、鳩山前首相が「皇族の血筋をひいている高貴な家の出」というのは、北海道の方でも、何故か当選確率が高いとかいう風に、政治的な影響力などが極めて大きくなっている理由のひとつと考えられるのかも知れません…

でも最近は、第一次産業中心の共同体構造が崩れてきた影響か、田舎の雰囲気も変化しているようです(さすがに、時期的なものとしては、3.11東日本大震災の被害を受けた影響もあるかも知れないです。部分的にせよ集落人口がいっぺんに削られると言うのは、けっこう深刻なものがあります…)。