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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

倫理とは何か

某所の「男の浮気が許せない(仕事も持っていないのに、責任も考えず子供を作って逃げてしまう)…キリスト教の倫理って何だろう?」などの議論に関する当サイトの回答として:

倫理の問題は、難しいものの一つであると思います。いささかオカルトに偏るものになりますが、当サイトは以下のように考えるものです。

良く聞かれる男性の勝手気ままな浮気行動は、母系社会であった頃の社会的慣習(か、習慣?)の名残です。いわば「社会の変化についていけなかった意識」による「時代遅れの何か」では無かろうか…

(進化と退化は、同じ時代の中を入り乱れるもの)

人類の社会は、その昔、母系社会であったものが父系社会に変容した…という風に言われています。その原因となったのは、女性(生物学上の人類のメス)の出産に関わる生物的・遺伝的な変化だったのでは無いか…と、当サイトでは考えています。

かつて、人類もまた動物と同様に、出産は難しいものでは無かった筈です。母系社会の全盛の頃は、「強い遺伝子を残す」という目的もあって、 今では「倫理的に問題」というような「気ままな交渉(浮気とか・乱交とか)」も多かったと思います(サケやカエルの産卵とか、魚類・両生類は、今でもそうしています)。

人類の中で結婚制度が明確に確立していなかった母系社会の時代、当然、男女間の倫理も曖昧で(親子間の倫理は流石に厳格だったと思います)、子孫についても、「父親が誰か」という事は不問だった筈です。

しかし、遺伝子の変化により出産が重くなり、女性の半数が出産で命を落とすという時代になってくると、男女の社会的優位性が逆転し、必然的に父系社会へと切り替わっていったのでは無いかと考えられます。

父系社会は富や権力の集中もあって、母系社会をはるかに上回る文明レベルや生産力を発揮しており、母系社会は急速に時代遅れになり廃れていった…そして、母系社会の中では容認されていた男女間の気ままな交渉も含めて、様々な行動が倫理的に問題とされ、タブーとなっていった。

そういった、人類レベルでの大きな変化が、キリスト教が生まれた二千年前の前後に起きていたのでは無いでしょうか(神話の変遷を考えると、もう少し前かも)。

以上、色々考えてみると…

倫理とは、人類社会を回転・変容させる、自動車のハンドルのようなものかと思われてきます。富の力の濃縮(エネルギーの濃縮)や、駆動力や投資(自動車のエンジンやアクセルに相当)があっても、ハンドルが無ければ自動車が思う方向へ進まないように、倫理が無ければ、新しい地平線に辿り付く事すら出来ません。

キリスト教は父系社会の発展に伴う産物であり、同時に母系社会の衰退・消滅に伴う産物でもありました。聖書の記述やその解釈の歴史からは、そうした人類社会における背景の変化や、それに伴う様々な価値観の混乱が、明確にうかがえるものです。

父系社会の発展に伴い、今の社会(代表:キリスト教の社会)の基底をなす「男女間の倫理」や「繁殖行動におけるタブー」が、次々に確立していったのです。

(「女性の浮気は絶対にダメだ&大罪だ」というのも、財産・地位における男子直系の相続を重視する父系社会ならではのルール。相続問題の紛糾を防止するために、「父親が誰か」と言うことを、一片の疑いもなく明確にしておく必要があったのです。結婚制度が厳格になったのもそのためです。実際、キリスト教の儀式では、男女の清らかな結婚が重視されています)

おそらく、人類の中で最初に父系社会に変容したのは、キリスト教の発生地でもあったイスラエル・中東・アラブにわたる地域だったと思います。

二千年前、人類の集合意識そのものが、父系社会への変容を受け入れる状態になっていた…

(そしてこの事は、何故に全世界に「キリスト教≒父系社会の約束事」が広まったのかという、世界史における疑問の回答にもなると思います)

それ以来、父系社会の拡張・全盛の時代が二千年続いて…現在の高度科学・文明社会に至るのであります。

現代は、医学の発展により、出産における女性の生存率が再び上昇し、それ故の再びの男女逆転が起きている部分もあります。更に遺伝子の方面では、男性遺伝子(Y遺伝子)は急速に縮小していると言う報告がなされており、遺伝子異常による遺伝病もまた増加傾向にある…生物学上の「人類のオス」が消滅するのは、それ程遠い時代では無いとも言われています。

また、平均結婚年齢・出産年齢の上昇により、子孫減少、ひいては人類そのものの繁殖力の弱体化、という危機的な変化も認められるようになりました。公害による影響も、ますます拡大しています(かつての出産の困難化に匹敵する、大きな危機的な変化だと思います)。

こういった変化が、将来どんな社会を作り出すのかは、今はまだ誰にも分からないのでは無いでしょうか。母系社会⇒父系社会⇒…その後に来るのは、一体どんな社会なのか?

いずれにしても、「その時」は、遠い未来の話ではありません。ここ千年の間に、或いは数世代の間に、急速に切り替わっていくものと思われます。かつて、人類社会が、母系社会から父系社会に急速に切り替わったように。

その時、冒頭の「浮気男」は、社会的には如何なる扱いになるのか?というのも、かなり興味深い問題だと思います。当サイトとしては、「二千年以上も経つのに、原始の母系社会の意識のままである」⇒「退行現象」として扱われるのでは無いかと思いますが…

(そもそも、社会や倫理の変化についていけない意識を持っている⇒人類の集合意識において、進化・退化につながる分裂が先行して起きていても、不思議では無いように思います)

当サイトとしては「人類の進化に関するヒトラーの2039年予言」は余り信じておりませんが、「ここ千年の間に、人類レベルの大きな変化が生じるだろう」という点では、「かなり可能性はある」という風に考えております。

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人工知能が自動彩色をする-2

人工知能による自動彩色その2

その1は、ほとんど鉛筆タイプ線画、スケッチ風というか、モワモワした雰囲気の場合。線画がペン入れされていて、昔ながらのコミック絵のようにクッキリしたパターンの場合は、どうなるのか、知りたかったのでトライ。

使用させて頂いた自動着色サービス

https://paintschainer.preferred.tech/index_ja.html

▽使用した線画、ビスクドール系をイメージ、縦ロール巻ガール。▽

▽全自動彩色、「かんな」タイプ▽

▽全自動彩色、「さつき」タイプ▽

▽全自動彩色、「たんぽぽ」タイプ▽

何だか、モワモワ風の線画パターンとは逆になったような気がします。クッキリ&パッキリ風の線画は「かんな」タイプが強く、スケッチ風やモワモワ風の線画は「たんぽぽ」タイプが強いらしいと分かりました。興味深い傾向だなと思いました。

クッキリ&パッキリ風の線画で、「さつき」タイプが選んだ全自動カラーが予想外にカラフルで綺麗でした(モワモワ風の線画の方は、ヒント色なし、全自動だと、ちょっと「うーん?」な結果だった)。

詩歌鑑賞:ハウスマン「ウェンロックの丘にて」

On Wenlock Edge

On Wenlock Edge the wood's in trouble;
His forest fleece the Wrekin heaves;
The gale, it plies the saplings double;
And thick on Seven snow the leaves.

'Twould blow like this through holt and hanger
When Uricon the city stood:
'Tis the old wind in the old anger,
But then it threshed another wood.

Then, 'twas before my time, the Roman
At yonder heaving hill would stare:
The blood that warmed an English yeoman,
The thoughts that hurt him, they were there.

There, like the wind through woods in riot,
Through him the gale of life blew high;
The tree of man was never quiet:
Then 'twas the Roman, now 'tis I.

The gale, it plies the saplings double,
It blows so hard, 'twillsoon be gone.
Today the Roman and his trouble
Are ashes under Uricon.

ウェンロックの丘にて/A.E.ハウスマン・作/武子和幸・訳

ウェンロックの丘に森がざわめく。
リーキン山には森が羊の毛のように波打つ。
疾風は若い木を二つに折り曲げ、
木の葉はセヴァーン川に厚く散る 雪のように。

風は雑木林や山腹の森をこのように吹き抜けていったものだ
ユリコーンの町があった頃も。
むかしながらに吹きすさぶむかしながらの風だが、
それが吹きつけていたのは別の森。

そのころ、私の時代よりもむかしのことだが、ローマ人が
そこに波立つ丘を見つめていた。
ひとりのイギリス人の農夫に生命を伝えた血、
彼のこころを傷つけた想い、それらがそこにあった。

森を吹き抜けて荒れ狂う風のように、
生命の疾風が激しく彼を吹き抜けていった。
人間の樹は静まることなく、
当時はローマ人、いまは私。

疾風は若い木を二つに折り曲げ、
強く吹き、やがて静まる
ローマ人とその苦悩は いまでは
灰、ユリコーンの町の下で。