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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

多少のコミック構想の記録

小池一夫氏のキャラクターシートにトライしていた事があったので、その記録です

ザッと言うならば、古代異星人の遺産、通称「メテオナビ」を巡る争奪戦ファンタジー、といった風のSFアクション物語のイメージ。SF風インディ・ジョーンズ冒険物、というところです

このお話のタイトルは、まだ決まっていません。そのうち、このキャラクターシートから本格的にお話を起こす事があれば、何かタイトルを決めると思います(結構、いいかげん…)

登場キャラクターの名前は決めてなかったのですが、一応、以下の通り:

★主人公=「ノエル・ジョーンズ」(19歳、安値の学生寮住まいの女子学生、異星遺物の発掘プロジェクトに、雑用として駆り出される)

★相棒その1=人工知能ロボット「ラブリー」(量産型の家事全般&乗物操縦ロボット。単純に型番が「ラブリーハート型」なので略して「ラブリー」と言う。他にも、星型、円型、三角型などの商品も有り、「トウィンクル」「リング」「トライアングル」など)

★相棒その2=「マイケル」(異星遺物探索プロジェクトの開始と共に送り込まれた、ちょっと怪しい仮面持ちの男子学生)

★師匠「ジョーンズ博士」(初老の変人冒険者。ノエルの保護者を務めていた叔父。デンジャラス小惑星帯で異星遺物を発掘している時、何かがあって消息を絶つ。メテオナビ発見についての通信が最後の痕跡となった)

★最大の敵にしてライバル=「エンペラドール・エース」(未来の皇帝になるつもりの人。娑婆における正体をばらす訳には行かないので、闇の通称がこういう風になっている)

★トラブルメーカーにしてプチ悪人=「ロズウェル博士」(麻薬におぼれるドラッグ教授。ジョーンズ博士とは異星遺物の発掘プロジェクトにおける同僚で、ジョーンズ博士の最後の通信を受け取った人物でもある。ジョーンズ博士の行方不明の事情にも関わっているかどうかは、目下、不明)

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2021年01月お絵かき記録

◆中世ファンタジー衣装のモデル:リアル歴史の服装の変化の調査

11世紀~13世紀

袖口が大きく広がるように布地を裁断して縫製。何故この形なのかは不明だが、おそらくローマ・ビザンチン(オリエント方面)の流れにこのスタイルがあったのではないか。一般庶民は、おそらくガリア風(ケルト風)と大きく変わらない、素朴な古代風の服装、チュニック風がほとんど。裾の長い方のチュニック風の当時の上着は「コット」と呼ばれた

14世紀~16世紀

イタリア・ルネサンス期、都市フィレンツェなどで着られた男女ファッション。当時の男性服は多くのスラッシュが入り、派手な下衣の色を見せるのが伊達と思われたらしい。カボチャ型パンツ全盛期。女性はコット風・変形したコット風の長着に長い引き裾(トレーン)を付けていた。未婚女性は髪を見せたが既婚女性は髪を布で覆い、一般には見せなかった。おそらく当時の先進地域アラブ・イスラム文化の影響。

16世紀~17世紀

男性服は特に激変した。

(おまけ)中世ファンタジー衣装:王女ドレス

15世紀ルネサンス期イタリア宮廷ファッション風(ファンタジー物としてイメージしており、リアル歴史で実際に存在したドレス風俗とは違うので注意)、長いトレーン、髪型はモダン風味、頭部ティアラ(宝冠)をセット

◆ファンアート絵:ちはやれいめい様「とべない天狗とひなの旅」に寄せて

制作過程(線画起こし)記録

ラフ絵2020年11月30日

原画起こし2020年12月19日

線画(完成間近)2020年12月31日

色彩絵(完成)2021年1月3日

太元帥法,太元帥大法2022.10.03開催Web記事

■秋の三宝院特別拝観~太元帥大法後拝み~1170年間伝承される真言密教最大の秘法「太元帥大法」を150年ぶりに醍醐寺で厳修。法要終了後の道場を参拝
https://www.value-press.com/pressrelease/305198

太元帥大法は、仁壽二年(852)より毎年正月八日開白し七日間、宮中(後には醍醐・理性院)に於いて、太元帥明王を本尊として修し、宮中の真言院(現在は教王護国寺)で毎年正月に真言宗各本山の代表の高僧によって行われる国家安穏を祈る後七日御修法と双璧をなす大法のことです。この法は真言密教の秘法である儀軌や経典、陀羅尼経等を所依として、鎮護国家の為に修する最大秘法です。

■PDF論文「太元帥法について」(A4用紙14ページほど)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/69/0/69_135/_pdf/-char/ja

(コメント:150年ぶりと言うのがスゴイ)

■150年ぶり再興 国家安寧祈る「太元帥大法」 京都・醍醐寺(毎日新聞2022.10.04)

醍醐寺(京都市伏見区)の別院、三宝院(さんぼういん)(真言宗醍醐派大本山)で3日、国家安寧を祈る「太元帥(たいげん)大法(だいほう)」が始まった。平安時代から営まれてきた真言密教の修法で、明治初めの1871年を最後に途絶えていたのを、醍醐寺では約150年ぶりに再興した。
普段は弥勒菩薩(みろくぼさつ)座像を安置している三宝院本堂に、怒りの表情の太元帥明王(たいげんすいみょうおう)像の仏画など6幅を掛け、9日まで営む。天皇の健康安全や国家鎮護を祈る「秘法」のため非公開だが、法要後の10日から12月4日まで堂内を公開して参拝を受け入れる。
太元帥大法は852年の正月に宮中で行われたのが始まりで、室町時代以降は、醍醐寺の別院、太元帥明王を祭る理性院(りしょういん)で営まれてきたとされる。天皇の即位に合わせ、大正初めの1915年、昭和の1928年には東寺の灌頂院(かんじょういん)(同市南区)で行われたものの、平成では見送られた。
醍醐派では「継承が難しくなる」と再興に向けて準備を進めてきた。新型コロナウイルス禍で2年延期されていたが、ようやく実現した。
大法は、仲田順和・醍醐寺座主(三宝院門跡)が導師となり、全国の醍醐派寺院の僧侶14人が務める。3日は、僧侶らが三宝院本堂へ進む様子が報道機関に公開された。

大元帥法(だいげんすいほう/だいげんのほう):真言密教における大法(呪術)の1つ。

大元帥明王(だいげんすいみょうおう):真言密教では「太元明王(たいげんみょうおう)」とも云う。非アーリア系鬼神アータヴァカに由来。すべての明王の総帥として「大元帥」を冠す。

国土守護および怨敵・逆臣の調伏、国家安泰に絶大な功徳があるとされ、これを祈って修される法が「大元帥法」である。承和6年(839年)常暁が唐から法琳寺に伝えた。

翌年、常暁は大元帥法の実施を朝廷に奏上し、仁寿元年(851年)に大元帥法を毎年実施することを命じる太政官符が出され、この年に大元帥法が成立したと言われる。

当時は、毎年正月8日から17日間、宮中の治部省の施設内で行われた。

中世になって法会の一部が廃れたり戦乱で散逸する事例が増える。大元帥法はこれらの儀式を吸収し継承した。このため、御斎会など他の中絶した仏教儀礼が意図していた「五穀豊穣」や「玉体安穏」を含むようになった。