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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ソ連ロシア詩人パステルナーク

ソ連ロシア詩人パステルナーク未刊詩集『晴れようとき』

〔有名になることは〕

有名になることは醜い
高名は人間を高めはしない
書籍の山をきずくよりは
草稿をこそ惜しめ

創るとは自らを与えること、
評判や成功ではない
うかうかと無知の輩の口はしに
のぼせられる口惜しさよ

生きよ、
虚飾の名誉を捨てて
いつの日か宇宙の愛を引き寄せ
未来の呼び声を聴く
そのためにこそ生きよ

そして余白を残せ、
まったき人生の章や内容の
欄外に線で仕切りつつ
紙の面にではなく、運命そのもののなかに

無名の中に沈潜せよ
己の足取りを秘めよ
文目(あやめ)も分かず
地形が霧の奥に隠れるように

やがて他者が足跡をたどり
一歩一歩おまえの道を来るだろう
だが敗北かそれとも勝利か
それを見きわめるのはおまえではない

一瞬たりとも個性を捨てるな、
おまえ自身をつらぬきつつ
ただ生きてあれ、生きてあれ
生きてあれ、ただ最期のそのときまで

*****

「晴れようとき」

大皿のようなみずうみ
みずうみのうしろには――うずたかい雲の重なり
氷河の
白い堆積が生み上げられたほどだ

日は輝く
移ろいにつれ森も色彩を変える
ときとして森全体が燃え盛る
ときとして煤けた黒い翳におおわれる

雨つづきの日が終わり
雲間に空の青さがのぞくころ
雲の決壊箇所で空は何という晴れやかさ
草木は何と喜びに満ちみちていることだろう

遠景を吹ききよめて風はしずまる
日は地表にふりこぼれる
葉むらのみどりの奥が透けて見える
ステンドグラスのようだ

教会の窓枠の中に見えるイコン壁画は
不眠の煌めく冠をつけた
聖人たち 修道僧 皇帝たちが
内部から永遠をのぞきこんでいる

大地は大寺院の内部のような広がりだ
窓辺にもたれていると
ふとわたしにも
聖歌合唱のこだまが聞こえる

自然よ いのちよ 宇宙の谷間よ
おまえのながい勤行のあいだ
わたしはひそかな戦慄につつまれ
幸せの涙にくれて立ち尽くす

*****

「雷雨のあと」

大気は駆けぬけた雷雨の名残に満ちみちている
すべてが蘇生しすべてが楽園のように息づく
ライラックは紫の花房をほどいて
新鮮な流れを吸い込む

すべてが天気の変化に生き生きしている
雨水は屋根の樋になみなみとあふれ
すべてが空の移動よりも明るく
黒い雨雲のかなたの高みは淡青色だ

もっと全能に芸術家の手は
あらゆるものから泥とほこりを洗い流す
人生や現実や過去が
彼の染色工場から一変して出て来る

この半世紀の思い出が
駆けぬけた雷雨となって後方へ去っていく
やっと世紀は思い出の庇護から抜け出たのだ
未来に道をゆずるときだ

新しい生のために道を清めるのは
激動や革命ではない
だれかの燃え立つ魂の啓示であり
嵐であり 恩寵なのだ

*****【その他・文学コメント】

古典文学とは:

均斉のとれた世界観の調和した像を作品において与えてくれる作家、それを私は古典作家(クラシック)だと考えています。古典文学とは、のちにその時代の世界観だとみなされるような作品や傾向の総体のことです。

詩(ポエジー)とは:

詩(ポエジー)は永久に、高さを誇るアルプスのどの峰よりも高々としたものとしてとどまるでしょう。詩は足元に、草の中に、転がっているのです。だから、それを見つけ大地から拾い上げるためには、ただ身を屈めさえすれば良いのです。
詩は、会議などで論じられるようなものよりも、常にずっと単純そのものなのです。
詩は永久に、理性的な言語能力という至高の贈り物に満たされた人間の、幸福の本質的な機能でありつづけることでしょうし、それゆえ、地上に幸福が多くなればなるほど、それだけ芸術家であることがずっと容易になることでしょう。

人間とは:

存在とは歴史的なものであり、人間とは何らかの地理的一点の移民ではないのです。時代や世紀、まさしきこれこそが人間にとって土地、国、空間となるのです。人間とは時間の住民なのです。
…人間とは登場人物なのです。人間は、《歴史》もしくは《歴史的存在》という名の出し物の主人公なのです。
…さまざまな世紀において、人間に創造的な変化を与えるとすれば、さまざまな都市や国家、神々が、芸術が、おのずとして結果として発生するのであって、その自然さは果樹に実が熟するのと同じです。
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2016.06.11ホームページ更新

2016年6月11日付で更新した内容は、下記のとおりです。

物語ノ本流》http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html
第二部「タタシマ」・第五章「熊野道・後篇」の完成版を公開

第五章「熊野道・後篇」は紆余曲折が多くなったパートです。

後のパートに続く考察や伏線が相当に多く含まれている事もあり、ストーリー的に分かりやすかったかどうかについては、反省部分が残っています

此処で提示したストーリー上の設定は、ざっと以下のような物でしょうか:

●伊勢暴動に関わった新興カルト「熾天聖光神道」と、甲斐国から出て来たという噂のある新興カルト「金剛光連衆(欠き眉の弟である紫銅が居る謎の集団)」が、裏で手を結んでいるのでは?という「疑惑」

●東北アテルイ伝説にからむ「日ノ丸」の存在の提示。実際の歴史においても、紅白で彩られる「日ノ丸」は元々は東北由来、それも、ひとまとめに蝦夷と呼ばれた「まつろわぬ民」の物でした。京都文化圏では「紅白の日ノ丸」という発想はありませんでしたが、東北からシンボルが流入した結果、「日ノ丸」のモチーフが普及したという説があります

●「オオマガツヒ/ヤソマガツヒ」「アラハバキ」と「日ノ丸」とのつながりの提示。後のパートに関わる伏線です。平安時代から鎌倉時代にかけて再編集されたミクロ説話&神話群(神仏習合が多い)と関係があります。「禍」と「日ノ丸」が結びついていたのは、「まつろわぬ民」との抗争の歴史も影響していた筈です

●古語「ユツ/イオツ」の提示。これも後のパートの伏線となっています。今は「そういう古語が存在する」という知識だけでOK。考察は徐々に進行する予定です

●田辺の生首事件や道成寺の妖異事件で、欠き眉の性格や行動パターンを実際に提示。思いつく限りの「残虐」というのを表現してみましたが、「欠き眉の豹の残虐さ」というのがキチンと表現できたかどうか、ちょっと良く分かりません。この部分は、流石に他人任せになります

以上

道成寺の妖異事件は、複数の伏線が絡み合った物になりました。流石に、背景が分かりにくくなったかもという点で反省しています

この部分は、「壮大な呪術によって時空に不自然な歪みが入った事件」「不思議な勾玉が謎のパワーを発揮した事件」「欠き眉の行方不明&消失事件」という3つの要素を含んでいます。この3要素は、ストーリー上、多数のパートに関わる重要な要素です

*****《制作メモ》*****

斎つ「ユツ」=名詞の上に付き「神聖な」「清浄な」の意。一説「いほつ(五百箇/イオツ)」の音変化、数の多い意⇒「豊か(ユタカ)」は「ユツ/イオツ」から出たかも?/使用例=「―真椿」「―磐群(いわむら)」「―爪櫛(つまぐし)」「―御統(みすまる)」「―真賢木(まさかき)」

ヤヌス(両面の双頭神)=ローマ神話の出入口と扉の神。前後2つの顔を有し一年の終わりと始まりの境界に位置、1月を司る/オアネス(海洋性、人頭&魚頭の双頭神)=シュメール文明神/両面宿儺(双頭の人物?)⇒「スクナ」名を持つ事から文明伝達の神スクナヒコナと同一視する説もあり

2021年07月イラスト記録

2021.03.31写真撮影、ジャーマンアイリス

2021.04.17いろいろ考案して絵描き、竜人の姿かたちのデザイン。色々考えてみたけど、「人類の耳」を長くして、ミニサイズ竜角(細いタイプのドラゴンの角、あまりゴリゴリしてない方)みたいな細長いタイプのエルフ風なのが一番、単純そう

2021.04.25、4月イラストテーマ「悪」、欠き眉の豹、初カラー化

2021.05.25、5月イラストテーマ「ゴリラ」、コミカルポップな印象の宣伝ポスターイメージで描画。コピーライト設定「ゴリラ印ジューンブライド/シアワセ、ゴリラ級」

2021.07.04、描画感覚を取り戻すためトライ描画、白黒絵、オリジナル小説の女主人公ルシール・ライト嬢

制作日は不明、かなり古い

※共通シンボル考案