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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

考察メモ:近代現代の終わり&それ以後の哲学

《考察のためのメモ》

時代の転換期である今、哲学は何を問うのか?(ダイヤモンド・オンライン)

◆哲学は「人生論」ではない

「哲学」という言葉を聞いて、皆さんはどのような学問だと思われるでしょうか? この問いに対して、日本ではおそらく、「人生論」をイメージする人が多いのではないでしょうか。「人生とは何ぞや? 」とか、「いかに生くべきか? 」といった問題を考えるのが、哲学というわけです。じっさい、Amazonで「哲学・思想」ジャンルの売れ行きランキングを調べてみると、たいてい、このタイプの本が上位を占めています。
たとえば、D.カーネギーの『人を動かす』や『道は開ける』は、この部門の長年にわたるベストセラーですし、最近ではマンガまで出版されています。ところが、哲学の研究者でカーネギーを哲学者と見なす人を、私は知りません。また、哲学の学会で、彼の本が問題になることもありません。
また、日本で「哲学」という場合、「誰某の『哲学』」をイメージすることが少なくありません。たしかに、哲学の学会に参加すると、哲学者の説を紹介したり、批評したりするのが主流となっています。論文や口頭発表のタイトルは、たいてい「○○(哲学者)における△△」という形を取ります。たとえば、「ヘーゲル『論理学』における〈反省〉の構造」といったタイトルです(このタイトルは、若かったころ私の論文で使用しました)。
ここから分かるように、哲学の研究とは、歴史上の偉大な人物(哲学者)の考えを紹介したり、解釈したりすることだと見なされているのです。そのため、大学院の哲学科に入って、最初に決めることは「誰(の学説)を研究するか」になります。哲学研究とは、ある哲学者の説を詳細に理解することだ、と考えられているからです。この作業を進めるには、哲学説にかんする先行研究をサーベイ(調査)する必要があります。こうして、「(誰某)専門家」が誕生するわけです。
問題なのは、そうした哲学説の研究者が、ただ学説にとどまって、その先に向かわないことです。おそらく、ホンモノの哲学者であれば、問題とする事柄(ひとまず「具体的な現場」と呼んでおきます)に直面し、それをどう捉えるか格闘しながら、理論を作り上げていったはずです。
したがって、哲学者の学説を理解するには、研究者はその学説だけでなく、さらに具体的な現場に赴き、自らもそれと格闘しなくてはなりません。具体的な現場こそが問題であって、哲学説を理解するには、哲学者が直面したその現場に迫っていく必要があるのです。
私たちが今、生きている現代世界は二つの革命――IT革命とBT(バイオテクノロジー)革命によって、大きな転換点にあるといえます。この時代に哲学者は過去の学説研究ではなく、どのように目の前で進展しつつある世界の変化を捉えているのでしょうか。

◆現代哲学は 「人間の時代」のその次を考える?

ここであらためて「人間」概念に着目したいと思います。というのも、IT&BT(バイオテクノロジー)革命が、今までの「人間」概念を根底から変えてしまうからです。
それを確認するために、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが提示した「人間の死」という考えから始めることにしましょう。フーコーは構造主義が流行していた1960年代に、『言葉と物―人文科学の考古学』(1966年)を出版し、その最後で「人間の終わり」を次のように宣言しています。
人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが―八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば―そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。
フーコーの「人間の終わり」という考えには、ニーチェの「神の死」という思想が前提にされています。ニーチェの「神の死」という思想は『ツァラトゥストラ』(1883~85年)で語られていますが、その原型は『悦ばしき知識』(1882年)のなかで「神の殺害」という形で登場します。
「神の殺害」というニーチェの表現を使いながら、フーコーは近代における「〈人間〉の時代」と結びつけています。神を殺害することによって、「〈人間〉の時代」が始まる、というわけです。
フーコーは『言葉と物』の最後で、現代における「人間の終わり」を示唆しました。けれども、残念なことに、彼はそれ以後について何も語っていません。それに対して、「神の死」を語るニーチェは、同時に「人間」の彼方をも語っています。『ツァラトゥストラ』のなかで、彼は次のように述べているのです。
わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。(中略)人間は、動物と超人のあいだに張り渡された一本の綱である。(中略)人間において偉大な点は、彼が一つの橋であって、目的ではないことだ。
「神を殺害した人間」によって、「近代」という時代が始まりますが、ニーチェはこの「人間」を超克すべきだと主張しています。彼の言葉でいえば、「超人(人間を超える)」への道を歩まなくてはならないのです。ニーチェは予言者のようにこの言葉を繰り返していますが、まさに現代(ニーチェにとっての現代)はその始まりと言えるでしょう。
ニーチェやフーコーは、「人間の終わり」や「人間の超克」を語っていましたが、そのとき想定されていたのは「生身の人間」ではなく、あくまで「概念としての人間」でした。その点では、彼らの思想は抽象的なままだったと言えます。
ところが、バイオテクノロジーの発展によって、その思想が現実味を帯びてきたのです。こうした気配を嗅ぎとって、20世紀末に、ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクが、バイオテクノロジーによる人間の改変を擁護しているともとれる考えを講演で発表します。
スローターダイクはその講演でニーチェの表現(「育種」)を利用しながら、「人間というものは、その内のある者が自らの同類を育種する一方で、他の者たちは前者によって育種されるような獣である」と述べました。これがまさに、人間に対する遺伝子操作の肯定と理解されたわけです。講演が行なわれたのは、「体細胞クローン羊」のニュース(1997年発表)直後ということもあって、ドイツではセンセーショナルな受け取られ方をしたのです。
このスローターダイクの講演に対して、「ドイツの良心」と呼ばれるハーバマスやその周辺の思想家たちが反発し、大きな論争になったのです。ここでスローターダイクの講演そのものの意義を確認しておきたいと思います。というのも、スローターダイクの講演は、バイオテクノロジーの問題を、歴史的な視点から捉えているからです。
スローターダイクによると、「人間」を遺伝子操作する現代は、ポスト人間主義的時代と呼ばれていますが、ここで人間主義(ヒューマニズム)という言葉には注意が必要です。周知のことですが、ルネサンス以来、人文学は「Humanities」とされますので、ヒューマニズムは「人文主義」でもあります。
つまり、ルネサンス以降の近代において、ヒューマニズムは書物による研究(人文学)であると同時に、人間を中心にした「人間主義」でもあったのです。スローターダイクは、こうした近代の「人文主義=人間主義」が現代において終焉しつつある、と宣言したわけです。
ルネサンス以降の近代社会では、印刷術によって可能となった書物の研究である「人文主義(ヒューマニズム)」と、人間を中心におく「人間主義(ヒューマニズム)」が展開されてきました。ところが、現代において、こうした近代ヒューマニズムが終焉しつつあるのです。
一方で情報通信技術の発展(IT革命)によって書物にもとづく「人文主義」が、他方で生命科学と遺伝子工学の発展(BT革命)によって「人間主義」が終わろうとしています。近代を支配した書物の時代と人間の時代が、今や終わり始めたのです。

岡本裕一朗・著

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https://twitter.com/history_theory/status/1626577394357387264

https://amazon.co.jp/dp/4396112033/
ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203)

ヒトラーの経済政策とケインズ理論の共通項として、「公共事業」の次に挙げられるのは、「金本位制からの離脱」である。

ヒトラー政権直前のドイツ経済は金の流出が続き、金融危機に陥っていた。

それを見たヒトラーは、金本位制を捨てて管理通貨制に移行したのである。

大恐慌から脱却するため各国は必死の模索を続けたが、いち早く経済を回復させたのはドイツだった。失業率33%という破綻状況をヒトラーが解決したのは奇跡とされているが、矢継ぎ早に打ち出した画期的な政策群は、結果的にケインズ理論を積極的に応用したものであることが明らかになっている。 ナチスはケインズ理論の正しさを実証した唯一の実例として後世に名を残したということになる。

これには世界中が仰天した。

他のヨーロッパ諸国は、世界大恐慌以降、金兌換の停止を行っていた。
しかしそれはあくまで一時的なものであり、金融の混乱が回復すれば金本位制に復帰するつもりだったのだ。
当時の常識では、あくまで「通貨というのは金と結びつけられることで、その信用が裏づけられる」とされていた。

「金と交換する」という保証があるからこそ、通貨は流通するのであって、金とまったく切り離された通貨など信用されないので流通しないと考えられていたのである。
しかしヒトラーは、金に結びつけない通貨制度を取り入れ、それを成功させた。

ヒトラーはドイツの労働力などを担保にして、通貨を発行したのである。

ヒトラー政権の期間、際立った金融危機やインフレは起きていない(政府崩壊後は起きたが)。
ヒトラーは通貨に関して、次のようなことを側近に語っている。
「国民に金(かね)を与えるのは、単に紙幣を刷ればいい問題である。大切なのは、作られた紙幣に見合うだけの物資を労働者が生産しているかどうかということである」

これは、通貨の本質を突いている言葉だといえる。
発行した通貨量に見合うくらいの産業力があれば、その国の通貨は安定する、ということである。
むしろ金というたったひとつの鉱物を基準に、一国の通貨量を決める方が不自然なのである。
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異世界ファンタジー小説作品(第一部)の感想&ファンアート

拝読した小説作品(創作ポータルサイト「小説家になろう」掲載):

『ロシアンルーレットで異世界へ行ったら最強の魔法使いになってしまった件(第一部)』
http://ncode.syosetu.com/n5935dl/(2016.08.13連載開始-2016.09.07連載終了)

あらすじやタグの記載内容を見て、最初は割と警戒心を持って読み始めていたのですが、意外に正統派の王道ファンタジーになっていて、続きのパートを楽しみにしながら読み進める事ができました。一定以上のレベルのテンションを保ちながらシリーズ連載を続けると言うのは、プロの小説家でも難しい作業だと思います

序盤に置かれてあります「SF風味になっている転移篇」は、「元の世界から、これ程にも遠くまで来てしまったのだ」という科学的なリアリティを感じさせられる部分でした。この「世にも奇妙な物語」めいた序盤の数篇は、ユーモア感覚も含めて、割とお気に入りのパートになっています

※地上世界に降りた途端に、SF風味がかき消えたという点では、流石に一瞬、呆気にとられました(笑)

本編のストーリーの流れが、メリハリを付けられた状態(ホノボノ展開と緊迫展開が交互に出る感じ)で良く考えられており、「主人公は、いつ異世界の魔法の力に目覚めるのだろうか」という点では、随分ヤキモキさせられました(笑)

一方で、所々、「どんな光景が広がっているのか」という描写が薄くなった部分では、主人公の置かれた状況が余り良く分からなくなっていました。しかし、モンスターとの対決などの盛り上がるシーンや心理的な集中シーンでの描写については、ドキリとさせられる部分がありました

ストーリー情景の描写バランスが取れて来れば、前作『異世界の彼女が…』でも見られた色彩表現の鮮やかさと共に、作風の中で最大の魅力ポイントになる可能性があると思いました

なお、モンスターや魔物は異世界の定番ですが、どうやって現れて来るのか説明が無いので、その辺は、ちょっと分かりにくかったかなと思います。第二部以降で、主人公が異世界に詳しくなってくると、だんだん分かって来るのでしょうか?

  1. 元々そこに棲息していて、野生動物みたいに身を隠しながら現れて来る?
  2. 超能力があり、何処かに隠されている魔境やモンスター異次元から、自力でテレポーテーションして、いきなり現れて来る?
  3. モンスターや魔物の原料となる邪悪なマナもまた存在していて、誰かの魔法でイメージ化&召喚されて、現れて来る?

あとは、「やはり異世界標準という事なのだろうか」とジワジワ来たのは、精霊だという少女・リムの存在です。人物紹介の場で「精霊だ」と紹介されても、リムに注がれる人々の視線の、唖然とするほどの、変化の無さ。精霊と言うのはそんなに普遍的な存在なのか、それとも「自称・精霊(見習い)」が余りにも多いのか…それとも子供フィルター…

ひそかに、「異世界の不思議」と名付けました(笑)

序盤の転移篇を含めて、第一部の中で完全に回収されていない伏線が、幾つか見受けられました。第二部以降のストーリー展開の何処かで、いつか、スッキリ回収される事を期待したいと思います

目下の疑問は、主人公は果たして、(おそらくはパーティーのパートナーとなる)仲間たちに、「自分は本当は異国人ではなく異世界人だ」という事を明かすのかどうか?…ですね


《ファンアート》

登場回数の多いキャラクターについては、だんだん具体的な絵につながるイメージが溜まって来ました。ラフ程度ではありますが、個人的に感じたイメージを、色彩イラストに起こしてみました:

主人公の人相については、第一部の最終話に至ってもなおボンヤリとしたままだった…という事もあり、こんな感じになってしまいましたが…(キャラのイメージ「ぶち壊し」になっていましたら申し訳ありません・汗)

ちょっと考えてみましたが、ストーリーを進める上では、主人公キャラだけは、不特定多数的なボンヤリしたイメージのままの方が却って良いのかも知れません。この辺りは、主人公キャラの人相や特異性をハッキリさせる事で物語世界に引き込む"漫画&アニメ(グラフィック)"とは違う、"小説(テキスト)"ならではの手法のひとつであり、メリットでもありますね

2017/05/21画像作成&追加=第一部のクライマックス場面の想像図(7-047~7-048)

Molldiaz:モルディアス=ドイツ語のモル(音楽用語:短調)とスペイン名ディアスを合体

2017/03/21画像作成&追加=第一部の初登場の時から「是非、描いてみたい」と思っていた魅力的なキャラですが、なかなか印象が固まらなくて、すごく時間が掛かってしまいました。一癖も二癖もある人物は、だいたい描きにくいタイプでして、この爺さんの場合、様々な面を見せて来る物ですから、最大公約数をまとめるのが何ともハードでした(笑)

モル爺さん描画イメージのモデルになった、リアル歴史人物が3人居ます⇒世界三大提督、ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎

マントのデザインの方でも、「肩から胸にかけての丸型ルーン文字似のパターン刺繍」が気になりまして、「どんなデザインのマントだと、これが映えるんだろう?」と、数ヶ月間、ウンウン考えておりました。そして、2月の記事に出て来た『ロードス島戦記』女性キャラ着用の黒マントを見て、「こんな感じかな~」と、まとめました

第一部の最終盤のところで、モル爺さんとリムが祖父と孫のように向き合うシーンがあったので、「目の色は相応に似通っているのでは?」と考え、それっぽくしています(正しくは金色の目では無いですけど、ハシバミ系の曖昧な色合いを付けたので、金色にも緑色にも茶色にも灰色にも見えると思います)

神話研究:淀姫神社と鯰

『歴史と民俗のあいだ―海と都市の視点から』宮田登・著1996年(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー2)

【地震鯰の発想・鯰と世界蛇】

鯰は淡水魚の一種であり、インドネシアから中国を経て日本列島に及ぶ地帯に生息している。鯰の独特の風貌が擬人化されて鯰男のイメージとなったのは日本の庶民の間であり、地震鯰の発想は、日本の民俗文化の一つの特徴と言えるかも知れない。

地震鯰は地域性が強いが、世界蛇の方はより普遍的である。これはイランからアッサム、ビルマ更にインドネシアの島々に分布しており、その中心はインドとその影響を受けた東南アジア地域である。大地の底に竜蛇が居ると言う神話は、インドでは竜蛇がぐるりと世界を取り巻いていると言う考え方になっている。

【鯰と巨人】

行基式と称される古地図は、列島のイメージを鯰あるいは鯨に似せているものであり、地震鯰ではなく地震鯨と言っても良い。重要な事は、この巨魚を巨人が石か剣で押さえていると言う考えである。

鹿島明神は建御雷命であり、高天原から降臨して国土を鎮めた功績により、東国の境界に守護神として鎮座した。特に北方に向かって聳立する巨人の面影がある。この大神が油断して要石を抑える力が緩むと、大地震が起きると言うモチーフは、阿蘇山の神話にもうかがえる。

阿蘇の大神は建磐竜命(たけいわたつのみこと)である。この神はかつて天皇の命により阿蘇に入った。外輪山から見ると、そこは巨大な湖である。そこで大神は外輪山の蹴破れそうな場所を探してそこを蹴破り、湖水の水を放出した。湖の主であった大鯰は流出して、麓の一の宮町に留まったと言う。大鯰が住む川を黒川と言い、別称鯰川とも言う。この鯰は大神の眷属であるから食べてはいけないと言われている。

また、巨大な鯰で尾が分かれて六ヶ村に渡っていたとか、若宮神社のご神体が洪水で流されたが鯰によって助けられて戻って来たと言う伝説もある。また大神によって大鯰が殺され、その死体は湖水と共に黒川を流れ落ち、辿り付いた土地の名を鯰と言ったり、大鯰の身体が六荷もあったので、その地を六嘉と命名したと言う地名伝説もある。

要するに、阿蘇大神は巨人であり、踏ん張って押さえていた大地を蹴破った事により、湖水の底の大鯰が暴れた事になる。鯰以前に、単に大魚が湖底に臥していたという伝説があり、大魚は大神の国土建設以前の地主神とする考え方もある。

阿蘇山頂には「神霊之地」があり、『続日本後記』承和7(840)年9月の条にも記載されている。天下に異変ある時には、この地に対して朝廷からの祈祷があり、奉幣が行なわれていたと伝えている。

阿蘇山の神話を、大地を支える巨人の変形したモチーフと見なすならば、これはむしろ、朝鮮半島に多く類話が見られるものである。ここでは抑え込んでいる筈の竜蛇や大魚の影が薄くなっている。阿蘇では、大鯰が暴れる伝承が途絶えているが、大神の眷属として守護霊に化して、現在まで伝承されているのである。

福岡県筑紫野市には、鯰の形をした3個の大石があって、これを「鯰石」と称していた。この石は、かつて菅原道真が鍬柄(すきえ)川の鯰を斬り殺したのが石に化した物と言い、大旱が続いた時、この石を酒で洗って祈ると雨乞いに霊験があると伝えている。ところが明治6(1873)年に雨乞いをした時、この石を焚いてしまった。それ以後、石が裂けてしまい、鯰がそこから多く発生して来たと言う話もある。

【物言う魚】

大鯰が水界の魚王で、危険が迫った時にそれを回避しようとして、人間たちにメッセージを送る。しかし人間はそれを十分に受け止めないままに、自然界の破局が起こると言う、共通したモチーフを持つ説話群がある。

大鯰以外にも、ウナギ・イワナ・コイ・サンショウウオなどもあって、魚類と人間の交流の在り方が、まず考えられていたのである。魚たちの住処が人間の侵犯行為によって破壊されると言うところから、「物言う魚」の存在がクローズアップしている。その事は、天変地異と言う出来事が、人間に対する天譴であるとする原初的心意に基づいている事を示唆している。

大魚はいずれも水界の主であり、その支配する自然界が人間によって浸食される事を未然に防ごうとして失敗した。その恨みから大洪水・大津波を起こすと言う結末に至っている。こういう、「物言う魚」型の鯰の伝説が、まず挙げられる。

【鯰を食べない伝説】

資料:淀姫(與止日女)神社の縁起

淀姫さんの氏子にはなまずを食うてはならぬという掟があり、食えば腹が痛むといわれている。
その昔、川上川には魚もたくさんいたが「かなわ」といって、まむしが年を経て変化したという怪物がいた。夜更けになって官人橋を渡ると、この「かなわ」に襲われて死んでしまうので、土地の人はこの得体の知れない怪物に恐れおののいていた。
ある夜、2人連れの親子が舟に乗って川魚をとり始めたが、思いもよらぬ大漁なので、時のたつのも忘れて夢中で漁をしていた。ところが突然火の玉のようなものが舟へ近づいてくる。あっ、これが日ごろ聞いていた「かなわ」だと思った途端、2人ともびっくり仰天して気絶してしまった。
それからどのくらいたったか、ふと気づいて辺りを見ると川岸に30cm余りの大なまずが死んでいた。恐ろしく腹がふくれているので、2人は恐る恐るなまずの腹を切り開いてみると、まさしく「かなわ」をのみ込んでいた。
さては、このなまずが危ないところを助けてくれたのかと感涙にむせび、このことを村人に告げ、ねんごろに葬ったうえ、今後はどんなことがあっても決してなまずを捕らない、なまずは食わないと淀姫神社に固い誓いを立てたという。
また、なまずは淀姫さんのつかい(従者)だから食わないという伝えもある。/出典:大和町史P.663(佐賀県佐賀市)
淀姫神社は、県社河上神社で与止日女という女神を祭神とする古社である。縁起によると、神功皇后が半島に進出の折に海神を祀り、航海の安全と勝利を祈った。神功皇后の妹に当たる与止日女命は磯童と共に竜宮に到って満珠干珠をもたらした。満珠は青、干珠は白であって、この二つの宝珠は風雨を起こす力がある。戦いの際、これにより敵船を覆した。凱旋した後は川上にある神社に納めたと伝えられている。しかし、その神社は何処にあるのか判明しなかった。ところが与止日女命が磯童と共に竜宮に到る際に乗って行ったのは海神の使と称する大鯰である。その後、鯰は淀姫さんの眷属であり御使であると言うようになった。それでこの鯰を捕らえて食べるような事があれば、海神の怒りが立ちどころに起こり身体が鯰のように膨らんでしまうとか、腹痛を起こすと言われている(北九州市在住の江藤徹氏の調査資料による)。

この言い伝えは現在までも残っていて、川上神社の氏子たちは鯰を食べない。鯰が神使であり、祭神の眷属として指令に扱われている。これは指令型と言うべき鯰伝説である。ちょうど稲荷神社が狐を、春日神社が鹿を指令としているのと同様である。

【鯰と異変の予兆】

この淀姫と鯰との関係には、神と神使というモチーフがあり、巨人が抑え込む鯰では無くなっている。しかし、なお断片的ではあるが、鯰による異変の予兆があり、鯰の出現を海の彼方と結び付ける思考が語られていたと言えるだろう。このような「物言う魚」としては、鰻(ウナギ)と鯰(ナマズ)、岩魚などが古来より知られていた。

大魚を捕らえて担いで帰る途中、魚が声を発するので慌てて水中に戻したと言う。もし、そのまま魚を持ち帰ると、大雨になったり、洪水や津波が起きると言う。大魚は人間に化けてこちらの世界に危険を告げようと働きかけているのである。人間の方でその事を解読できかねて、遂に災厄をこうむる羽目になるという伝説が多い。沖縄のヨナタマという人魚は海神の変化であり、ヨナタマが人語をささやいたのを聞き取った母子だけが、一村全滅の危機から救われたと言う話は良く知られている。こうした「物言う魚」が、福岡県や佐賀県下では大鯰に表現されているのである。

滋賀県の琵琶湖の主は鯰である。『竹生島縁起』には、かつて水底に潜んでいた竜蛇が島を七巡り囲んでいたが、それが大鯰に変化した事を記している。湖底の鯰たちは八月十五夜に砂浜に出現して踊ると言われ、特に国土に異変が生ずる時には大群となって出現すると言われている。

このように大鯰が擬人化され、道化役にされやすいのは、鯰の異相によるところが大きいが、それとは別に海神や竜神の変化であり、かつ水界の主であって、神の託宣や予言を伝えるという信仰もある。やはり、それを身近に見ている人々の鯰に対する想像力の帰結するところと言えるだろう。

列島や国土を囲繞しているというのは竜蛇のイメージによるものだが、それが大魚のうちでも、とりわけ鯰へと収斂したのは、やはり幾つかの要件が重なった事は明らかであろう。

【海の彼方からのシグナル】

この問題を海からの視点で捉え直してみると、どうなるだろうか。

黒潮の起点に近いフィリピンのミンダナオ島のマノボ族の神話によると、彼らの先祖はマカリドンという巨人であった。彼は1本の天柱を中心に立て、その傍に数本の柱を立てた。そして自分は中心の柱の所に住み、1匹の大蛇を伴っていた。もし彼が柱を揺すると、大地震が起き、世界は崩壊すると言う。

更にミンダナオ島のマンダヤ族の神話では、大魚は鯰であり、大地はこの巨大な鯰の背中に乗っている。そしてこの鯰が身動きすると地震が起こると言うのである(大林太良『神話の話』)。

明らかにフィリピン南部のミンダナオ諸島の神話の巨人と、黒潮の北限に当たる鹿島大神とが、鯰・竜蛇と言う同工異曲のモチーフを伴っている事に気付かれる。これはまた伊勢神宮の心御柱の地底に竜神が祀られていると言う伝説との共通性も示唆している。

鹿島大神が用いる要石は、大きな柱の先端部であり、その柱が地底奥深く突き刺さっている故に大地は安定している。時折それが大鯰によって揺るがされると言う太平洋沿岸部の伝承に対し、黒潮が対馬海流となっている五島列島、対馬海峡そして北九州の日本海に面した地帯では、先述した福岡・佐賀の淀姫神社の伝説があって、そのモチーフは熊本や香川の方にも及んでいる。この場合の淀姫は、海の女神であって、巫女信仰との結び付きがあった。一方、大魚による天下異変の予兆がうたわれており、これは海の彼方からの特別なシグナルを読み取ろうとした想像力として共通していると言えるだろう。


《管理人コメント》

海洋(黒潮)系の渡来人が持ち寄った神話群と、大陸系の渡来人が持ち寄った神話群との交錯が、大いにあったのだろうという事が想像できます

地図の上で見ると、昔は「熊襲」と呼ばれた九州南部~中央部で、神話ストーリーの流れがほぼ直交している…と言うところが、より興味深く思われました。特にバトル系統の神話が語られた阿蘇山の周辺は、昔から物流の道が開かれており、住み着くに良い豊かな地域だったのでしょう。ヤマト王権の祖をはじめ、数多の古代移民が殺到した事が想像されます。或いは、火山噴火を含む天災の記憶が、このようなストーリーを作り上げた可能性もありますが…

ヤマト王権の東進と共に、大陸系神話も海洋系神話も東進し、そのとりあえずの最終地点が、鹿島エリアでありました。鹿島神話の、均衡を保ちながらも危うい緊張をはらんで語られる内容は、日本列島における大陸系と海洋系の、緊張をはらんだ混血の有様でもあろうと思います

太平洋沿岸に広がった神話ストーリーと、日本海側に広がった神話ストーリーを比較すると、大陸系神話の影響が強くなると巨人の存在がクローズアップし、海洋系神話の影響が強くなると地震鯰や大魚(竜蛇)の存在がクローズアップする、そういう傾向を見て取ることができます

「淀姫」という存在が、神話の交錯の中から生み出されてきた物だとすれば、「淀姫」はある意味、最初に大陸系と海洋系の相克に見舞われた、九州の歴史と知が生み出した物と言えるかも知れません

九州の王朝から見た視点の記録が残っていれば…と、この辺は、歴史の記憶の消失を、惜しく思います