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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作14

異世界ファンタジー5-1危機回避の後の夜と朝:神祇官と祖母

――養老アパートの一室。

奥にある一番広い寝室では、祖母がいつものように、静かに寝入っている。

回復を促す効果のある薬草風呂の後、数種の薬草を処方され、ロージーは居間にセットされたソファ兼ベッドに落ち着き、改めてライアナ神祇官による《宿命図》の観測を受けた。ライアナ神祇官の予想によれば《死兆星》は消えているはずだが、実際に読み出してみなければ確かなことは言えない。

更に、《死兆星》に完全に侵されながらも、不自然な横死を回避したケースは非常に少ない。その前後の《宿命図》の変化パターンでも分からないことが多く、目下、国家レベルでサンプル収集が奨励され、研究対象になっているという事もある。

ライアナ神祇官は《宿命図》を抽出する作業を続けながら、ロージーに語り掛けた。

「ロージー様、さっき馬車で送ってくださった監察官、綺麗な男性でしたねえ。無紋の馬車だったから何処のお貴族様か分からなかったけど、お名前は聞いてますか?改めてお礼の品をお屋敷にお持ちできれば…と思うのだけど」
「ごめんなさい、名前は知らないから。それに彼は賄賂を取り締まる側だから、お礼の品をお持ちしても受け取らないわ、きっと」
「窮屈ですねえ。――ま、微妙なケースだから仕方ないですかね…」

ライアナ神祇官は、物思わしげに溜息をついたロージーを、不思議そうに眺めた。

「ロージー様、もしかして今、恋してますか?」

ストレートな問い掛けだ。ロージーは真っ赤になった。

「で、お相手は、あの監察官ですか?――《運命の人》?」

――鋭い。図星を突かれたロージーは真っ赤になったまま、口をパクパクさせるのみだった。

「し、《宿命図》で、そんな事まで分かる物なんですか?」
「んー、《運命の人》は幅があるから、《宿命の人》に比べると特定しにくいのねー。でも私は大勢の人を見てきましたからね、だいたい雰囲気で分かりますよ。ロージー様は恋する乙女の目であの馬車を見送っていたから」

ライアナ神祇官の顔には、憂いが浮かんでいた。婚約者の居る身で、別の恋人ができてしまった。それは間違いなく、禁断の恋。

「ロージー様、今日は大変な日だったから色々お疲れでしょう。もう寝ていてくださいな。一週間の強制的な隔離休養を勧めます――王宮や婚約者殿への連絡は、このライアナ神祇官にお任せくださいね」
「済みません――よろしくお願いします」

ロージーは小さく息をつくと、掛け布団の下に潜り込み目を閉じた。

*****

翌日、ライアナ神祇官はロージーの体調をチェックし、風邪の時と同じくらい疲労レベルは高いが、安定していると判断を下した。そして、早速ロージーの《宿命図》や診断書を携えて、王宮へと出掛けて行った。

空は高く青く晴れ渡り、上空には強い季節風が吹き続けていた。冬の到来を暗示する雲群が少しずつ厚みを増している。

――父と母の眠る共同墓地――あの北部辺境の雑木林は、既に深い根雪に覆われているだろう。

ロージーはあの白いショールをまとい、居間の窓からいつもと変わらぬストリートを眺めながら、物思いに沈んだ。

やがて一刻、祖母の様子を見る時間だ。祖母は一日中眠りに沈むようになったし、特に変化は無いとは思うが――ロージーは以前のペース時間で、祖母の眠る寝室へと向かった。

――祖母の目は、パッチリと開いていた。シッカリと焦点を合わせ、ベッド脇に近づくロージーを見つめていた。

「お祖母さん?」
「ロージー、調子はどう?昨夜は知らない人に襲われていたでしょう?怪我は大丈夫なの?」

昨夜は、祖母は深い眠りの中にあり、意識が無かったはずだ。どうして――ロージーは事態が理解できず、絶句するばかりだった。それが顔に出ていたのであろう、祖母は更にロージーを呼び、傍の椅子に座るように促した。

「やっぱりそうだったのね。私も夢を見ているのかと思ってて。ここのところ、意識が身体を抜けてあちこち浮いている夢が多くて。夢なのか、私が実際に幽霊か何かになってそこを漂っているのか…見ているものは分かるんだけど現実感が無くて」

祖母は、ロージーが襲撃されていたところを、最初から最後まで――妙な形ではあるが――目撃していたのだ。

「すごく嫌な感じがするから、そっち行っちゃダメよ、危ないわよって何度も言ったんだけど、ロージーはドンドン行っちゃって…もう、焦ったわよ。人相の良くない方の男が――何でか竜体もボンヤリと重なって見えるんだけど、貴族クラスと同じくらい大きかったわね――ナイフを大きく振りかぶっていたから、はたき落そうとパタパタ手をやっていたけど。――あら?ロージーのコートがパッと広がっていたけど、あれ、風だったのかしら?」

ロージーは信じられない思いで、祖母の説明に聞き入った。ロージーがショックの余り覚えていない事すら、知っているのだ。

「そ…それじゃ、あの、監察官の、あの人のことも…」

ロージーはそう言いかけながらも、昨夜の馬車の中での告白の事を思い出して真っ赤になった。祖母は目をパチパチさせた。

「…ロージーを助けてくれたのは、その人なの?私はロージーが助かったところを見てないのよ。気が付いたら、あの危ない二人は地面に転がっていて、あの場所には王宮の衛兵がドンドン集まってきてたわ。あの危ない二人…ロージーがやったとは思えない程の重傷だったから、ずっと謎だったんだけど」

祖母は暫し思案に沈んでいたが、やがて何かがパッと閃いたようだ。

「その人、高位の竜人なのね。一定以上の高位の竜人は、何となく気配は伝わってくるんだけど見えてなかったから。多分、存在感とかが、こっちの感覚レベルをオーバーしてしまうのね。 存在感ダダ漏れな人はバッチリ分かるんだけど、礼儀正しく気配を消されたら――何と言うか、遮蔽シールドが掛かってるとか、ベールが掛かってるとか、そんな感じかしら」

ロージーには、思い当たることが大いにあった。

あの監察官は上手に気配を消していたのであろう、高位の竜人に付き物の、気が詰まるような威圧感は、余り感じなかったのだ。感じたのは一回だけ。食堂でナンパして来た金髪碧眼の貴公子から、ロージーをかばった時だ。周囲の気温が一気に下がるような、凍て付いた殺気――あの金髪碧眼の貴公子の威圧感と対峙するには、もう少し気を張っていた方が良かったのかも知れないが、その時でさえ監察官は、ロージーに配慮して必要最小限のみに抑えていたに違いない。

祖母はじっとロージーを見つめていた。そして、不意にニッコリ微笑む。

「ロージー、恋してるのね。その人に」

何で分かるんですか。ロージーは、ライアナ神祇官に続いてのズバリとした指摘に、あわあわするばかりだった。

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異世界ファンタジー試作13

異世界ファンタジー4-4夜の街角:《運命の人》

監察官は目を見開いたまま、驚愕の表情で固まっていた。竜人の聴力は決して悪くない。貴族クラスの竜人であれば尚更だ。

――あなたが、好きです――

一瞬で踏み潰されそうな程の小柄な体格。透けるような肌の白さと白緑色の髪が、スプリング・エフェメラルのように儚げな雰囲気を作っている。しかし、再びゆっくりと露わになったラベンダー色の眼差しは、奥に秘めた思いに比するかのような、高い透明度をもってきらめいていた。

薄暗い馬車の中で、監察官の表情は良く分からない。ロージーは更に、「あなたは…」と、そっと口を動かす。

「私の、《運命の人》です」

そう言ってロージーは、モジモジとした様子であらぬ方に視線を流し、一方の手をもう一方の手で覆った。それは、監察官が以前にも見た仕草だ。ロージーは整理のつかない――遣る瀬無い思いに沈むと、無意識のうちに、婚約指輪をくるくる回す癖がある。

禁断の恋――それは、是か非か。

監察官は青い目を閉じて口を食いしばっている。監察官の手にも、婚約指輪があるのだ。

「…ロージー」

ただ一言の、硬い声の呟き。それでも、胸が潰れそうな不安の中で待ち受けるロージーにとっては、全身を震わせる呟きだった。

《宿命の人》。

《運命の人》。

人は、揺れ動く生き物だ。その心の、自由性、不確実性。自由であるがゆえの喜びと、不確実であるがゆえの残酷。

揺れ動き定まらぬ《運命》――しかし、そんな不安定な中から敢えて立ち上がり花開いた思いの、何と甘い事か。

「ごめんなさい、変なこと言って。私、きっとまだ混乱してるんです」

婚約者の居る人に告白なんかして、どうするのだ。監察官は優しいし、気を利かせて誰にも言わないでくれるだろうけど――いたたまれない思いに顔を赤らめ、涙目になりながら、ロージーはうつむいた。

やがて、目の端で、監察官が身じろぎした――身を乗り出して、ロージーに手を差し伸べてきた。

――監察官…?

ロージーは目を大きく見張って、男の手の動きを見ていた。頬に触れ、肩に触れ、そして脇の下に腕が差し込まれたかと思うや、ロージーの身体は力強い腕で宙に浮き、次の瞬間には、対する座席に座っていた男の、広い胸の中に居た。

男の腕は決して強く締め付けるものでは無かったが、その内に抱き込んだロージーを逃がさなかった。ただ一回、先ほど「ロージー」と呼び掛けたきり、それ以上愛をささやくような言葉は一切出て来なかった。しかし、馬車の窓から入ってくる夜店のわずかな明かりの中で、男の深い青い目は言外に、ロージーと同じかそれ以上の、禁断の思いを告げている。

――これは、夢かしら?

ロージーは男の目から視線を外せなかった。見ていると男は、再び綺麗な微笑みを見せた――が、目は笑っていなかった。

「私の婚約者は《宿命の人》です――でも、今の私はきっと、ロージーにとってはこの世で最も危険な男です。先刻、ロージーが襲撃されているのを見た時、私は…、――何故なのかは分かりませんが」

さっきまでの滑らかな低い声は、いつの間にか掠れていた。青い目は、未知の感情――おそらくは激情に近い何か――を秘めて、暗くきらめいている。今まで見たことの無い闇を見せた眼差しに貫かれ、ロージーは知らず、震えていた。

――男の青い目が伏せられ、やがて、ロージーの額と両頬に、ゆっくりと男の口づけが落ちた。その後、暫しためらうような小休止があったが、――いつしか、どちらからともなく互いの腕が、互いの背中に回っていた。


4-4@夜の街角:帰宅と別れ

馬車は軽快な足取りで進み、通りの停車駅に止まった。

乗合馬車の停車駅には既にライアナ神祇官が居て、無紋の馬車の到着に気付き、「ロージー様?」と声を掛けた。すると、すぐに馬車の扉が開き、白いショールをまとったロージーが荷物を抱えつつ、背の高い男に抱きかかえられて降りて来たのであった。

ライアナ神祇官は目を潤ませ、だいぶシッカリしてきた足で立つロージーに抱き着いた。

「ああ、ロージー様!生きていて良かった…!」

そして、襲撃事件の顛末について、監察官から簡単な説明を受けたライアナ神祇官は、「大変お手数をおかけしました」と、深々と頭を下げた。事情はどうあれ、ファレル副神祇官を大急ぎで派遣して、王宮警備の一角を騒がせたことには変わりない。

監察官は、念のため門前まで送る事を申し出たが、ロージーの傷は大したことは無く、足取りも既にほぼ問題ない状態であり、ライアナ神祇官の付き添いのみで済むものだったため、停車駅で分かれる事になった。

ロージーとライアナ神祇官は停車駅の元に佇み、王宮へと戻って行く馬車を見送った。

詩歌鑑賞:北原白秋「帰去来」三好達治「雪夜」

「帰去来(ききょらい)」

山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(いまひとたび)。

筑紫よ、かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度(いまひとたび)。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

*****

(三好達治「雪夜」より)

雪は思出のやうにふる また忘却のやうにもふる