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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

「夜の旅」を探して

物語心理学分野で、「主人公の夜の旅」という言葉が(説明なしに、いきなり)使われていたのを見て、「夜の旅」とは何だろう?と思って調べてみました。ところがこれが相当なミステリーで、まともに書かれていそうなサイト記事にめぐり合えませんでした^^;;

かろうじて、ヒントめいた記事を見つけたので、後々のためにメモです。そのうち、「夜の旅」をキーワードにして「物語論うんちく」っぽいものを仕立ててみたいと思います。(モノになるかどうかは分かりませんが、ユングの深層心理学・夢ジャンル著作集を少しかじった事があるので、それといくつかの知識の端切れを一緒くたにして、何かを真剣にこさえてみよう…という程度です^^;)

ブログ:こぐまの秘密の書斎
「M・アシン・パラシオス『イスラムと《神曲》』/Islam and the Divine Comedy by Miguel Palacios」より
http://eloise.cocolog-nifty.com/bibliotheque/2007/07/m_ea84.html

・・・精神の目的は、実在の本質である神についての認識を獲得することである。この目的に向かう道を探すうちに彼らは、創造者の知識に彼らを導く使徒と出会う。ある人々は感謝のうちに使徒の導きを受け入れ、またある人々は、自分たちの認識の能力がまったく劣るものではないというのを理由に、その導きを見下して受け入れない。前者が、啓示された教義の導く方向へと従い進む一方、後者はただ自身の理性の光にのみ導かれて進む。ここに神秘的寓意物語が始まる。
物語の主人公は二人の旅人で、それぞれ上記二種類の人々に分類される神学者と合理主義的哲学者である。彼らは同時に、神へと向かう旅路へ出発する。

・・・『夜の旅の書』はこのようにして始まります。 (以上、部分引用)

うーむ、次の章以降に使えそうかも…と、アンテナ反応中です。

大阪府立信太高等学校のサイト(保健室関連らしいです)より
http://www.osaka-c.ed.jp/shinoda/HearthLetter/heart/heart03.htm

旅に出る夢は・・・
一般に旅に出る夢は、新しい出発、人生の変わり目、未知への挑戦を意味します。夜の旅はナイト・シー・ジャーニーと言われ、無意識の世界への旅路を意味します。深い水の底にのみこまれ、真っ暗な水の中を航海し、さまざまな冒険をするのです。英雄が西の海で怪獣や怪魚にのみこまれ、夜の間、怪獣の腹の中で過ごし、朝とともに東の陸に打ち上げられ、輝かしい太陽となって生まれ変わるというお話がありますが、これは、死と再生を意味しています。ダンテの地獄への旅や、迷路の探検なども同様な意味を持っています。
 (以上、部分引用)

続いて、ネットサーフィン中に見つけた良さげなサイトです。

iwatamの何でもコラム(トップページ)
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/index.html

iwatamの何でもコラムより「センス・オブ・ワンダー
このコラムの中に書かれてあることは、すごく共感できました。物理学という分野へ頭を突っ込むことになったのも、元はといえばこのコラム内のような経験を子供のうちにしていたからかも…と納得。

iwatamの何でもコラムより「科学する心
トンデモ科学批判にからめてのお話。ひとつの世界観のみに拘泥するのはやっぱり注意ものである…と共感です。センス・オブ・ワンダーの感覚と通ずるところがあると思います。

他にも興味深い文章が発掘できそうなので、もう少しこのサイトを調べてみようと思います。

とりあえず、宝探しの報告でした…^^

★9.12追記:「アムゼルくんの世界」(エキサイトブログ)の9.11エントリに初コメント。お返事嬉しかったです。あとで計算違いに気がついて、「アワワ」状態でした(大汗)。ちょっと緊張していたかも…

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覚書「呪いの研究」

『呪いの研究』中村雅彦著より:

…オリンピックは、国民の多くが、そして世界中の人々が、大きな注目を寄せるスポーツの祭典である。…つまり、われわれ人類の注意が一点に集中しやすい瞬間なのである。このような状況では、意識は集合レベルで一つにまとまり、一体になろうとする。そのことが物質レベルでの変化と同調して現れるというわけだ。スポーツの世界では、観衆の声援が後押しして、驚異的な記録が誕生することがある。…(選手の)イメージトレーニングだけにとどまらず、ファンやサポーターの声援が一つになったとき、これが集団念力という形で選手の運動能力を驚異的に引き上げる形で作用する可能性がある。

…同様に…逆に、大勢の人々の憎しみが一つになったときは、集団レベルでの悲劇、争いが勃発する可能性がある。…宗教団体による霊的虐待も、そうしたマイナスの想いを霊的な専門職が集団念力としてまとめ上げ、実行している。…地域社会などで起きる悲喜こもごもの出来事の背景にも、こうした意識場による念力の効果が、目立たない形で働いているのかも知れない。

…実際、現代の新興カルトは呪術的色彩を強めており、霊能力の強い人物を集め、ワークショップやセミナー、霊的修行などを通じて、子飼いの呪術師として養成しているとの報告があります。呪術(奇跡)によって新たな信徒を獲得するというプロセスがあり、下手に霊能力のある人は、そうした問題カルトに狙われやすいという事です。特に念力、透視、テレパシー能力を持っている人は要注意だそうです。

「時代精神」という概念もきっちりあるので、気になるところです。もし、「アセンション」という大勢の人々の想念が、集団念力として知らないうちに発動していたら…何が起こるのか分からないです。これだけ科学も発達しているのに、いまだに祭祀支配を受けていたりする世界なのかな…と、目がくらみました。(陰謀論系統でしたら、ユダヤ祭祀集団でしょうか・汗)

(補遺)・・・『呪いの研究』より要約
宗教団体は、信者を束縛・拘束するために「救済」という名の暗示ないしは呪詛(霊的虐待)を常に行なっている。これは「われわれを信ずれば救われる」「奇跡はわれわれ(の神)が起こした」という科白に代表されるもの。
霊的虐待とは、呪詛によって体調悪化(霊障)を起こしたり、また不運を次々起こしてターゲットを絶望させ、死に至らしめる行為。また呪詛によってターゲットを生命の危機に陥れ、そこからの救済を図ることで、新たな信者として獲得することも多い(狙われるのは霊的守護の弱い資産家や成金)。
一般に、霊能者の能力が高いほどに呪詛の成功確率も高まるため、新興宗教団体は才能のある霊能者をスカウトし、専属の呪術師として養成する事が報告されている。この過程で、裏切りを行なった霊能者は「ポア」されるという事で、狂人を装って脱会した霊能者のエピソードもある。

秋葉原☆オカルト☆メモ

▼秋葉原通り魔殺人と平将門伝説をめぐる「7」の不可解な符合
リアルライブ2008.6.12(http://npn.co.jp/article/detail/54407087/)
アニメ、コスプレ、フィギュアなど世界中から若者が集まる街・秋葉原。この秋葉原が流血の惨事に見舞われた。加藤智大容疑者(25)は、静岡の自宅から上京、レンタカーを借りて秋葉原の歩行者天国に乱入し、行き交う人々を車でなぎ倒した後、サバイバルナイフで次々に刺すという暴挙に及んだのだ。この史上に残る通り魔事件に関して、NMR編集部に数々の不気味な都市伝説情報が寄せられているのだ。都市伝説といえども、その中には社会不安の残像が見え隠れしているはずだ。今回のこの事件にまつわる都市伝説とフォークロアをお届けしたい。
まず、平将門と今回の事件の奇妙な符合である。加藤容疑者は静岡から上京、レンタカーを運転し、神田明神の前を通過して秋葉原に乱入している。この神田明神に奉られているのが将門の御霊である。因みに神田(かんだ)とは、元々神田(かど)と読んでいた時期があり、将門に通じる。つまり、江戸の守護神・将門が祭られた神田明神の眼前を通過して、秋葉原に切り込んでいるのだ。さらに、犯行日である6月8日は、鳥越明神の祭日にも当たっている。この鳥越明神とは、将門の首が飛び越えたことから、飛び越えがなまり鳥越明神と名づけられた将門ゆかりの神社である。加藤容疑者は将門ゆかりの鳥越神社の祭日に、将門が祭られた神田明神の前を通って犯行に及んだのだ。
しかも、彼の住む静岡県にも、将門の首塚がある。掛川市にある十九首塚は、将門一族郎党19名の首が埋まっていると言われているし、同市内の池辺神社も、将門の首が埋葬されており、将門の剣、犬の掛軸、薬師如来など将門の宝物が奉納されているという。
まだまだ不気味な偶然の一致は続く。将門は北斗七星を信仰しており、北斗七星の呪術を使って、朝廷軍と対峙したのである。そのためだろうか、将門関連の伝承には数字の7が深くかかわってくる。千葉県市川市にある薮知らずは将門の影武者が死んだ場所とも言われているが、この影武者が7人なのだ。また西多摩にある七つ石という場所も、将門が7人の影武者を使って、天敵・俵藤太をかく乱した場所。さらに、都内にある将門ゆかりの7つの神社、鳥越神社、兜神社、将門首塚、神田明神、筑土神社(津久戸明神)、水稲荷神社、鎧神社を結ぶと北斗七星の形になるのだ。今回の通り魔事件でも7人の尊い命が奪われた。北斗七星と被害者7人の一致、この偶然の一致はいったい何を意味しているのであろうか。
さらに、この加藤智大容疑者と宅間守の犯行が一致しているという情報もある。今回の惨劇は2008年6月8日に発生しているが、この日からちょうど7年前の01年6月8日に宅間守が池田小学校に乱入、無差別殺人が発生しているのだ。加藤容疑者はひょっとして宅間守に影響を受けた上で犯行に及んだのであろうか。自ら進んで死刑台に上った宅間守は、一部の犯罪者の間で神格化されているらしい。
それにしても、加藤智大と宅間守の行動は似ている。車で犯行現場に乗り込んで、刃物で無差別殺人を行うという手口はまったく一緒だし、宅間守は当初、大阪の商店街に車で乱入し、無差別殺人を行おうと思っていたという。さらに似ているのは、子供時代の境遇である。少年時代、加藤も宅間も頭脳が明晰であり、その後成長するにつれだんだんと歪んでいった。また、2人とも強い自殺願望があり、自分ひとりで死ぬのはいやだからという幼稚な理由で、他人を巻き添えにしているのだ。はたして加藤容疑者は宅間守をオマージュして、似たような犯罪を同じ日に行ったのであろうか。
どちらにしろ、許しがたい犯罪であり、今後発生が予想される模倣犯への徹底的な警戒、殺傷能力の高いダガーナイフの取り締まりが必要であろう。今回の惨劇で理不尽なまま亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。このように都市伝説を生み出すほど、社会不安を引き起こした犯人には厳罰が科されることを強く希望する。