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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

派閥の力学・考(中篇)

ちょっと思いついた事があったので、編集し直して、中篇を入れました。中篇は、文明社会と派閥との関わり・・・という感じの話です。

文明主義の別の姿とは、「派閥主義」では無いだろうか・・・と思いついたのは、以前に読書した本の内容が、いつまでも心にひっかかっていたからなのです・・・

宮崎市定(礪波護・編)、『中国文明論集』、岩波文庫1995。
「素朴主義と文明主義再論」の章。

この章の内容については、改めて感想を書き直して、ホームページに掲載してみようかなと思っています。心にひっかかった文章を、以下に適宜、引用します・・・


【引用始】・・・およそ文明というものは、進歩するに伴って必ず一方では毒素が発生して堆積し、やがてはその社会を腐敗させ、崩壊させてしまうのが、これまでの歴史が辿る運命であった。

中国もその例に洩れないが、ただし中国ではそういう場合に、周囲の未開な異民族が中国文明の刺激を受けて成長し、やがて中国に侵入してこれを占領支配する。これは中国社会にとっては災厄であるが、しかし新しい支配者の下で秩序が恢復されると、中国社会は再び新しく生気を取り戻して復活し、従前にも増して積極的な活動を開始する。

その最近の例は明に代って中国を支配した満州族の清朝の場合である。明政府の下では乱れに乱れて手のつけられなかった中国の社会が、清朝が統治すると空前の繁栄を誇るようになる。これは歴史上の事実であって、何人も疑うことができない。このような対立を私は素朴主義の民族と文明主義の社会と名づけて、過去の沿革を辿ってみたのである。・・・(中略)

・・・四人組時代の紅衛兵の狂態は、他の国では考えられぬ極めて特異な現象である。これは文明の爛熟しきった老大国にして初めて起こりうるもので、私の言う文明主義の病弊である。国を挙げて狂うが如く、一切の産業施設を破壊し、学校の教育設備にまで暴力の手が及んだ。

この騒動で最も悪い点は、その裏に、利己的な打算が匿されていたことである。自己を顕示し、自己の地位を上昇させんがための暴力競争であって、言わば科挙と同じ原理の上に立っていたのである。この点はフランスの五月騒動と全く性質が異なる。

紅衛兵の輸入が行なわれかけた日本では、さすがにそこまで文明主義が爛熟していなかった。しかし相当な打撃を蒙ったことは事実で、余燼は未だに燻っている。

日本はもともと素朴主義の民族であったが、明治以後、国力の進展と共にその変質が始まった。不幸なことに一番早く腐敗し出したのが軍部であった。殊に支那事変と称せられる中国との交戦以後、権力が軍部に集中すると、本来は素朴主義の中核たるべき本山の軍部が、国民の困苦を他処にして、一路堕落の淵へ落ち込んで行った。無名の師を起こしては、代る代る凡庸な将軍連が出征し、戦線を拡げて帰って来ては大きな勲章にありついた。これは中国で科挙と並行して行なわれた軍人の科挙、すなわち武挙の精神なのである。

これには満州事変の火元である石原莞爾がすっかり失望した。現役の師団長であった彼が京都大学在郷将軍団に招かれて来て講演し、上級の軍人精神がいかに堕落しているかを、無念の涙をおさえながら告発した。その師団長の車の傍に、東条方の憲兵が絶えず付き纏って監視していたのも異様な光景であった。

(コメント)ここの部分は、何だか昔の話ではなく、現在進行中の話のような気がして、ちょっと鳥肌が立ちました。派閥につきものの「暴力競争」、「武挙の精神」の部分を、「改革&グローバル」金融経済が牽引する過剰な投機競争に置き換えてみると、今の社会経済のヒートアップ状態が恐ろしいと思われました。

一方蒋介石の国民政府は、日本軍と交戦する度に強くなった。どうやら日本が放出した素朴主義を吸い取ったかに見えた。・・・(中略)・・・しかし、日本軍が敗退して、久しぶりに繁華な大都会を奪回すると、もういけない。今まで国難に際して引っこんでいた文明主義が一挙に表面まで吹き出してしまったのである。共産軍の侵攻にあたって、まことにあっけなく大陸の全領土を譲り渡さねばならなかった。

国民政府に代った中国共産党は、辺境の地に雌伏している間に、中国が忘却していた素朴主義を復活したかに見え、これこそ中国の文明主義社会に対する救世主かと思われた。ところがこの共産党も、前の国民政府と同様、海岸地域の文化先進地帯に足を踏み入れると、たちまちどこかがおかしくなってきた。党の首脳から何度か形を変えては、整風運動が発令された。四人組時代の紅衛兵騒動も本来の趣旨は、一種の整風運動であり、私に言わせれば素朴主義への復活を目的としたものの如くであった。ところがそれが文明主義の社会の中で動き出すと、収拾のつかぬ大混乱を世上に巻き起こすだけの結果となったのである。・・・(中略)

・・・敗戦直後の日本は総てのものを失った廃墟の上に立たされた。東亜におけるどの民族よりもみじめな状態におかれた。しかし困苦の中にも何とか立ち直ったのである。……国勢を盛り返すには働くより外はない。決して自民党政権を謳歌するのではなかったが、政権交代による時間のロスが惜しかったのである。・・・(中略)・・・日本の社会は戦時中の腐敗した首脳が敗戦によって一掃されると、本来の面目を取り戻した。素朴主義はまだ日本社会の底辺に温存されていたのである。

日本は、明治維新直後の近代化に続いて、戦後二度目の産業復興という奇蹟に近い放れ業を演じたことになる。しかしこの成功が急激に齎されただけに、その間に各種の矛盾を内蔵していることは避けられない。素朴主義は決して民族に先天的に具わっているものではない。歴史によって培われて成長したものである以上、また環境によって衰退する。素朴主義の発するエネルギーが、どこまで続くかが今後の問題である。

職業の区分の上から言えば、美術、音楽、文芸、学術などの分野は、最も文明主義の弊害に侵されやすい性質をもつ。これらの職種は本質的に個性的であるが故に、同時に個人主義的であり、孤立的であり、しかも一方、名声や営利と離れ難い。だから文明主義の害毒はしばしば社会の最も綺麗であるべき分野の、しかもその頂上から始まることが多い。更にその病弊は潜伏して拡大する傾向があって、世人の目に触れにくい。一、二の発覚した事例は、その幾十層倍もの事実を物語るものとして警戒するより外ないであろう。

(コメント)案外、真実を衝いている感じです。たとえば熱狂的な愛国心で名高い某隣国は、本来、純粋な人間の物語であり学問であるべき歴史ジャンルを、派閥の都合でメチャクチャに足蹴にしてしまっています。(と、思われます。)その結果、歪んでしまった知識が猛烈な毒素となって、国家組織そのものに悪影響を及ぼしているような・・・

・・・日本人が私の本から、素朴主義とはいかにうつろいやすく、はかないものであるかを知って、自戒してもらうのでなければ、私の本は全く期待外れに終わったことになる。【引用終】

(コメント)個人的には、すごく心に残った警句でした。愛国心にしても、熱狂的な愛国心と素朴な愛国心とは、割に異なるもののように思えます・・・社会が荒れ出したりすると大変むずかしくなる事ですが、「一、二の発覚しうる事例」には、出来る限り敏感でありたいなと思います。

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派閥の力学・考(前篇)

毎度のおっとりペースで、ずっと前に福田氏と麻生氏の一騎打ちとなった総裁選(自民党総裁選の投開票日2007.9.23)があったのを思い出した後、しばらくじーっと考えておりました。

福田氏も麻生氏も、派閥の都合で総裁に決まってゆく、という運命から自由では無いのだな・・・と思った出来事でした。一見「民主主義」という顔をしていても、実際の政治は異なるのだ・・・と感じたきっかけが、この出来事。

これはもしかしたら、縁起のレイヤーに関わってくるお話かも知れない・・・と思ったのですが・・・どうなのでしょうか、少しどきどきです。

縁起のレイヤーの変種(?)としての、「派閥」・・・派閥人脈というのは不思議です。「好き嫌い」や「相性」や「志」ではなく、純粋に利害関係のみで繋がる人間関係。不倶戴天の敵とさえ、固く手を結ぶ事を可能にする人脈・・・(もしかして、これも地政学要素だったりするのかな・・・と思っていますが、よく分かりません・汗)

財力と軍事力(または暴力)を背景とした心理的圧力(権威)による、人脈の囲い込み。タイミングと謀略と心理戦と雄弁が幅を利かし、敗れ去った者の怨念のみが増大する、不穏なシロモノ・・・

利害関係のみで成り立つレイヤー、であるが故に、宗教や思想すら、派閥を保証するための道具でしか無い、のかも知れません。イデオロギーは、派閥を固め、派閥内の権力を演出するための道具でしか無い・・・時には、強すぎる宗教心や愛国心をつなぎの道具としていたり・・・とか、と想像。

人脈にすがって、あわよくばライバルを足蹴にして・・・この世の最強の権威と権力を独占しようとする人、人、人。『ロード・オブ・ザ・リング』で描かれた、黄金の指輪の呪いさえ浮かび上がってきそうな光景です。

おそらく、複数の部族がその境界を接触し、覇権を争い始めたときから始まる、最も古いレイヤーかも知れない、と想像する部分もあります。文明の発祥と時期を同じくしているかも知れません。文明主義とはその実、派閥主義なのかも知れない・・・

古今東西の政治を裏から動かしてきたのが、この「派閥」というシステムで・・・この得体の知れないレイヤーは、派閥における最大利得を求めるために、戦争すら起こすものなのだ、と。戦争を起こして、その残骸から更に利得を求めようとしたり・・・

空虚になる。――色々な出来事に関わりすぎると、ますます自分の力が残り少なくなってゆく。だから、大政治家達は、全く空虚な人間になる事がある。それでいて彼らもかつては充実した豊かな人間であったかも知れないのだ。

・・・と、ニーチェは言います。派閥のある限り・・・勝ち組といえども、ひと群れの生ける屍、なのかも知れません。

光に向かって。――人間が光に向かって殺到するのは、もっとよく見るためにではなく、もっとよく輝くために、である。――その人の前に居れば自分も輝くような人を、世間の連中は好んで光と見なしたがるものである。

・・・実際の屍となり果てても、人は、黄金の指輪を決して捨てようとはしない・・・

(・・・暗すぎるかな・・・)^^;;;;

でも「人」はそれだけの存在では無くて、もっと複雑な生き物ですから、歴史を調べていて、思いがけないところでホッとしたり、面白かったりもするのであります。命をすり減らしてゆく派閥の重圧の中にあって、キラッとひらめくのが、素朴な友情であるように思いました。漢詩が「友情」を大切なテーマにしているのも、うなづけるところであります^^

カドゥケウス研究・4

《参考書籍=『異都発掘-新東京物語』荒俣宏・著、集英社、1997年》

コルヌコピアは、見れば見るほど、我々の想像力を激しく刺激する意匠である。何故、これが潜在意識を目覚めさせるのか。その答えを探る上で手がかりを与えてくれるのが、蛇と角のイメージなのである。

どうして、蛇が、牛や山羊の角と同一視されたかと言う問題でもある。

これら3つに共通する形象を抜き出すとすれば、それは曲線である。渦巻き、或いは立体的な螺旋ーーそれをどう呼んでも良いが、ここでは螺旋と命名しておきたい。蛇が巻いたとぐろと、美しいカーブを誇る角は、ともに螺旋の象徴なのである。

これは、あのホガースが著した決定的名著『美についての分析』(1753)によれば、曲線とか単純な図形などは全て美の根源的意味を形成すると言う。ホガースはこうしたコルヌコピア型のねじれ円錐(巻貝など)を、上方へ向かって伸びる運動を直観させる線、と分析した。すなわち成長、発展。これは生命が養育されると言う現象の基本的イメージと合致する。

なんといっても彼は、微笑の起源として、幼児が母乳を吸う口の形を思い至った「着想の人」であった。コルヌコピアの曲線自体に、豊穣の意味を嗅ぎ取ったとしても、何ら不思議は無いのだ。

この螺旋曲線を連想させる蛇は、また、邪悪の象徴でもある。しかしこの問題は、回転運動を行なうものの「両義性」から光を当てる事ができる。

螺旋や渦巻きを眺めていると、はじめは一方向に巻いていると見えた曲線が、ふとした視線の移動で、あっという間に逆回りに見えてしまう事がある。この現象を更に概念化すれば、善と悪の両義性へと行き着く。螺旋と言うものは、見方ひとつで、どちらへも動いていく存在なのである。

興味深いことに、アメリカ・インディアンの一部族ホピは、迷路を思わせる渦巻き=螺旋文様を、地母神の「しるし」としている。これは勿論ホピ族に限られない。ポリネシアでも、クノッソスでも、また東洋でも、渦巻き=螺旋は生命力の象徴なのである。

ここまで書いて、ふと思い出したのが、クレタにあったと言われるミノア王の宮殿、すなわちラビュリントス(迷路)である。神話によれば、その迷宮に住んだのは、半人半牛の怪物であった。怪物ミノタウロスがまさにタウロス(牛)である事は、豊穣と力と生命力の意味がそこに宿されている事情を暗示する。

渦巻きが牛の角に取り付いて、豊穣の角を作り出しているとすれば、…ミノタウロスと迷宮は、牛の角と渦巻き文様と言うホガース張りの「原形化」に照らせば、間違いなく「豊穣」を表現しているのである。

ともかくも、渦巻きの両義性が、こうして生と死、善と悪までの寓意を備えるに至る過程で、我々が今追求しているコルヌコピアの意匠は確実に生まれている。

前史時代の諸民族が残したこれら渦巻き文様は、更に、男と女の相補的協働によって実際に生命を誕生させる事実を、本能的に直観した人々の「口ごもられた知識」の表現であったろう。そして古代人は、これらどうと言う事の無い渦巻き文様を見る時、いつもそれが激しく回転しているように見えた筈だ。つまり、この図は生きていたのである!

渦巻きが可逆二重の意味を所有する原因は、もちろん他の要素にも求められる。ポイントは、目が2つある事である。元来、立体視を脳内で成立させるために横に並ぶ事となった両眼は、当初予定もしなかった新しい視覚体験を生んだ。渦巻き文様を見て、「目が回る」という現象である。…その体験は、確かに静止した図形であるのに、見た目には常に回転し続けているという、奇跡的な図形を世に送り出した。

それが、生命の図形、渦巻き=螺旋であった。コルヌコピアの美しく精妙な図形は、それら畳み込まれ続けた「ある原初的意味」の表徴に他ならなかった。


建築物に掘り込まれたコルヌコピアは、左右一対の交叉図になっている。

この偶数性は、渦巻き文様の本質にあった両義性や、生と死、善と悪といった世界の二極状態をも表現しているのであろう。けれども、連想させるのはそればかりではない。交叉したカドゥケウスーー果実を溢れさせた秋=豊穣の正統派コルヌコピアを見てもそうなのだが、不思議に人間の頭部を思い出させるのだ。

人間には一対の目がある。一対の耳がある。視神経は交叉して脳につながり、その内部で立体像が選択的に再合成される。選択的に、と書いたのは、我々の内部で成立した像が、必ずしも外景のそれとイコールでは無いからだ。

更に、耳の中にはコルヌコピアそっくりの三半規管が一対あって、これもまた脳で一本化され立体音を形成させる。この器官など、まさしく人体のコルヌコピアと呼ぶべきだろう。

これらの器官は脳と言う中央点で交叉し、外から取り入れた物を内部に寄せ集める。続いて、音像や画像が感覚となって人体に意識される段となる。

このプロセスを、再び図像の側へ返してみる。すると、コルヌコピアから溢れ出ているように見える果実、麦、花などは、視点が逆転して、外界に溢れる豊穣の穀物を内部へ吸い込んでいく過程と言う具合にも、意味づけされ得る。

更に、ホガースによる螺旋の解釈、すなわち外へと発展する力は、次のトマス・ゲインズボロによって、巻貝を住処とする軟体動物との連想から、「あれは外へ向かうのではなく、内へ引っ込んでいくのだ」という反対理解へと歪められていった事実がある。イギリスの18世紀美術は、こうして内面性を深めていったわけだ。

そうした事情を考えれば、コルヌコピアの意匠にもまた、果実や花を外へと出すのではなく、内に吸い込むデザインになっている例が発見できる、との直観が湧く。秋の豊穣の角と、春の喜びの角。それから惜しみなく与える角と、全てを吸い尽くそうとする角。


★アカンサス意匠=カリマコスという人物が石柱のデザインを考えている時、少女の墓にそなえられたバスケットの周りに伸びたアカンサスの葉が反転して美しい縁飾りになっていたのを見て発案した物と言われている。

★水を吐くライオン意匠=古代エジプトで太陽が獅子宮に入る8月、ナイルが増水するところから生まれた物と言われる。