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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書メモ『夜の魂―天文学逍遥』

『夜の魂―天文学逍遥』チェット・レイモ・著、山下和夫・訳
The Soul of The Night - An Astronomical Pilgrimage
工作舎1988

序文

現代天文学は、人類が宇宙について問うてきたいくつかの質問に、慎重な答えを返している。宇宙とは何か。それはどこからやってきて、どのように終わるのか。また何でできているのか。そして創造の表層で永遠の炎のように踊っているこの生命と呼ばれるものは、いったい何なのか。

新しい天文学による答えは、人間的スケールでは計りえない時空の広がりをわたしたちに提供する。

宇宙には数えきれない星があり、それぞれが(たぶん)数々の見えない地球、つまり別の生命を誕生させた別の地球を暖めているのだ。またそこには数々の銀河があって、数千億もの星がガス状星雲の中から誕生しては、壮絶な死に様を見せている。

宇宙には、群れをなして並ぶ銀河、光年どころか10億光年単位の光の帯がある。まるで窓明りに踊る塵のようだ。それらは果てしなく続く世界また世界であって、結局遡れば、純粋な創造の目も眩む閃光の中で、現存する一切が現れ出た、あの特別な一瞬にまで行き着くのである。

新しい天文学の展望に驚くのは簡単である。

多くの人は、居心地の良い無知の雲の中に籠る方を良しとするだろう。

しかし自分達が誰かを本気で知りたいなら、感覚と理性が告げていることを謙虚に受け止める勇気が必要である。たとえ精神的眩暈を感じるおそれがあっても、銀河の世界や光年の広がりに入っていかなければならないし、いずれ知るべきことを知っておく必要がある。

ただし知ることは、博物学者のジョン・バロウズがいみじくも述べたように、物事の半分を占めているにすぎない。残りの半分は愛することの領分である。以下のページに繰り広げるのは知ることと愛することの練習なのだ。

それは人間の意味を求めて、夜空の闇と沈黙へ向かう個人的な巡礼である。

あるいは、はかない啓示と恩寵の知らせ、われわれよりも大きな何かとの束の間の出逢いによって報われる探求である。

われわれより大きな何か、それははるか遠くの天体を喜んで見つめるよう誘う力や美や大いなるものである。そしてたまたま運が良ければ、その探求はある特別な超越的な瞬間によって報われるのだ。

すなわち、夜に住む大いなるものが、(詩人のジェラード・マンリー・ホプキンズの言葉を借りれば)「震える銀箔の輝きのような」閃光を放つ、あの瞬間によって。

この巡礼は星や銀河の領域へ、宇宙の果てへ、時空の境界へ向けて、わたしたち各自が単独で赴かなければならない。その果てに精神と心は、究極の神秘、知ある無知に遭遇するのである。まさにそれは夜の魂を求める巡礼である。

*****

-1-沈黙 THE SILENCE

「沈黙は、そこから言語が湧き出す泉である。言語が活気を取り戻すには、たえず沈黙に立ち返らなければならない。沈黙との関係でのみ音声は意味を持つのだ」ーマックス・ピカート『沈黙の世界』…

この沈黙のためにこそ、星や、銀河の重々しく、聴くことのできない回転へ、そして真空中の神の大いなる鐘の高鳴りに向かうのだ。星々の沈黙は創造と再創造の沈黙である。

…答えは間隔の中に秘められている。その間隔は幅が狭いが、限りなく深い。そしてこの深みの中に、夜の魂が隠されていたのだ。

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-2-暗い時間に IN A DARK TIME

「何故なら、美は恐怖の始まり以外の何物でもないのだから」と詩人のライナー・マリア・リルケは嘆いている。

そして今宵、またしてもわたしは、堅い黒松と名も無い星々の子供時代の夢にとらわれて、闇夜に目が覚めたのである。

孤独な時間、絶望の時間、狼の時間であった。幽霊が影の中に宿っていた。肉体の幽霊、精神の幽霊。

衝動に駆られてわたしは起き上がり、灯の消えた部屋を抜けて、玄関先の前庭に向かった。そこで深更の秋空に、こそこそと横切ろうとしている冬の星座、オリオンの姿を捉えた。

…夜こそ、無限に対して開かれた窓である。…暗い時間になると眼は見始める。これこそパラドックスである。黒は白となり、闇は美の母となり、光の消滅は啓示となるのだ。

「男がひとり、自分の正体を見究めに、遠くまで出かける」…「わたしは深まる翳の中で、自分の影にめぐり逢う」「昼は燃えている。万物照応の揺るぎない流れ。鳥でいっぱいの夜。荒寥たる月。そして真っ昼間に、真夜中がまたやってくる」―詩人シオドア・レトキ

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-3-ほのかな光 FAINT LIGHT

「脊椎とその疼きを崇めよう」「あの背中に感じるかすかな身震いこそ、まちがいなく人類が純粋芸術と科学を発展させる際に到達した、最高の感情形態である」「われわれは頭部という先端で神々しい炎を燃やす脊椎動物である」―ウラジミール・ナボコフ(ロシア小説家1899-1977)

「知ることはすべてではなく、半分にすぎない。残りの半分は愛することだ」…「夜の贈物は触知しがたい」「夜は果実と花、パンと肉とともにやって来てはくれない。それは星や星屑、神秘とニルヴァーナとともにやってくるのだ」。

ときおり夜のほのかな光が、己の姿をバロウズに見せることもあった。

そして天が開かれる。彼の想念はその深淵に、「輝く閃光のごとく」向かって行った。ところがヴェールがまたしても引かれてしまう。ちょうど深夜のほのかな、束の間の啓示を捉えようというそのときに。

「啓示を剥き出しの大きさのまま捉えることは、わたしたちの手には負えないのだ」―ジョン・バロウズ

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-4-夜の生物 NIGHT CREATURES

煤けた夜、黒貂をまとった夜、その中に亡霊どもが忍び寄る。夢魔(インクブス)と女夢魔(スクブス)も不吉な目的を持ってやってくる。狼男が変身し、吸血鬼が獲物をとらえて血を吸う。帆船の帆柱が、セント・エルモの火に打たれ、蜃気楼(ファタ・モルガーナ)が手招きする。

詩人も夜になると現れる――「これは精神の光であり、冷たく、さ迷う。精神の木々は漆黒に染まっている」。

そして天文学者だ。太陽が沈むとき、影か穴熊のように、天文学者は水を得た魚となって起き上がる。

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-9-渦巻く平原のはるか下で FAR DOWN A BILLOWING PLAIN

わたしは遠い光を見下ろす
そして木の暗い側面を見つめる
渦巻く平原のはるか下まで
そしていま一度見直してみると
それは夜の上に消えていた―詩人シオドア・レトキ

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-13-色彩の甘言 THE BLANDISHMENTS OF COLOR

夜空を観察する技術は、50%が視覚の問題で、50%が想像力の問題である。この言葉の真理を星の色ほど証明してくれるものはない。

色の甘言に関する省察を、モビー・ディックの白さに関するメルヴィルの一章を再読せずに終わるわけにはいかない。

イシュメイルは、白い色がいかに善と真とを表しているかをわたしたちに列挙する。彼は雪白の軍馬や裁判官の白貂、大きな白い玉座を前にした白衣の24人の長老、白い牡牛に身をやつしたユーピテルなどを数え上げる。

ところがモビー・ディックに向かうとき、彼はこうしたすべてを忘れてしまう。

他の何にもまして彼の心胆を寒からしめるのは鯨の白さである。

白い色には「優しく貴く崇高なものすべて」の連想がつきまとうにも関わらず、白の観念の奥深くには、つかみどころのない何かが潜んでいる。

それは「血を凍り付かせる紅色よりも魂を戦慄させる」。それ自体で恐ろしい物と結び付くとき、白さは恐怖の頂点にまで昇りつめる、とイシュメイルは結論する。

…夜は、エイハブの鯨のように、その無限性を白さで覆い隠したのである。「光の大原理が、夜空のすべての物を、星も星雲も己れの空白の色合いに染め上げてしまう」

銀河の果てや時間の始まりへ向かう巡礼者は、昼の安易な色彩を慎しみ、夜の白黒の大海へと船出しなければならない。そしてこうした広大な空間の中で、…クロッカスや葡萄や麦藁色の星を見い出さなければならない。その冒険旅行は、あなたやわたしの我慢の限界を越えた勇気を必要とするかもしれない。

それにエイハブのように、追跡しているうちに求めていた獲物にぶち当たって、星の深淵に引きずり込まれる可能性もなきにしもあらずである。

「こうしたすべての物について、白子(アルビーノ)の鯨こそはその象徴である。とすれば君は、この激しい狩に驚くだろうか」。

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-14-プレアデスの後続者 FOLLOWER OF THE PLEIADES

星に、見える要素以上の見えない実体を与えるのは、わたしたち自身である。見つめる作業と名づける作業を通じて。星を左右するのは我らである。われらの愛の飛翔も潜行も含めた、われらの全存在が、この仕事に向かわせる。―リルケ

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-15-夜の形 THE SHAPE OF NIGHT

夜は形を持っており、それは円錐型である。

シェリーの『解き放たれたプロメテウス』の中で、地球は次のように語る。「私は天を指差す夜のピラミッドの下で自転する/歓喜を夢見ながら」…

地球は夜を魔法使いの帽子のように被っている。この魔法使いの帽子は長く細く、太陽を起点として遠くの空間を指差す。その帽子の縁の直径は8000マイルである。帽子の縁は地球の眉の上にぴったりフィットしている。それは地球から86万マイル先の向点まで延びている。

影のつくる魔法使いの帽子は、縁の直径より100倍もの高さを持っている。それは地球から月の軌道までの3倍の距離にまで達する。そして月が、その軌道運動において、たまたまこの闇の帽子の中を通過するようなことがあれば、月蝕が起こる。

次に月蝕を見たとき、わたしが思い出したのはシェリーであって天文学の本ではなかった。

地球のピラミッド状の影が月の正面を横切り、円錐型の夜を描いた。夜はそれ以来、前と同じではなくなった。

今や夜は形を持ったのだ。それは知ることと見ることとのちがいである。

…シェリーを読んだ後、わたしは月の蝕を見つめた。月は地球の赤い影の中に滑り込んで来た。一瞬、月は仏の丸い赤ら顔を見せ、夜のピラミッドの中に泰然自若としていた。ところが一瞬の後、それは単なる月にすぎなかった。

地球は夜の円錐の下で自転している。地球は太陽のまわりを巡っている、そしてその赤ら顔の影の帽子が、そのお供をして、いつまでも無限を指差している。

夜が円錐型なのは、地球が丸く、太陽よりも小さいからに他ならない。地球が球体であるという驚くべき発見にギリシャ人を導いたのは、もしかしたら月に映った地球の影の曲線であったかもしれない。

すべての惑星が夜の帽子を被っている。恒星のそばにあるすべての物体が、ピラミッド型の影を投げかける。

もしも地球軌道上を遊泳している宇宙飛行士が、太陽に向かって足を踏み出せば、その闇の魔法使いの帽子は100フィートの長さに達するだろう。

月の影の帽子の長さは、ふしぎな偶然によって、地球から月への平均距離にほぼ一致する。もし月が遠地点のそばにあって、地球と太陽の間を通過するようなときには、その影の頂点は、地球の表面よりわずかに短い所に落ちる。この場合太陽は明るい光のリングとなって見えている。 これがいわゆる金環食である。

逆に月が遠地点の近傍にない場合には、その影は地球まで届き、このとき月が地球と太陽の間を通過すれば、その影の切っ先は、外科医のメスのように地球の中に突き刺さる。幸運にもこのメスの切り口の範囲内に暮らしている人は、自然のもっとも壮観な特殊効果のひとつ、皆既日蝕を経験することができる。

皆既日食の観察者は、星間における思いがけない借り物ものの闇の数刻、月の夜の先端に立っていることになる。

たまに月が地球からちょうど良い距離にあるときには、その影が地球の表面を羽毛の先のように優しくかすめる。この場合日蝕は金環蝕と皆既蝕のまさに境界線上にある。

1984年5月30日の日蝕は、ちょうどそんな蝕となった。月の影は、地表すれすれまで届いていたので、ほとんどその向点まで人が跳び上がれそうなほどだった。

恒星のそばにあるすべての物体が夜の円錐をかぶっている。あらゆる恒星のそばには、茨の冠のように空間に向かって差し込む、円錐型の影の環が存在する。

太陽の夜の家族は、九つの惑星と、数十の衛星と、一段の小惑星の影を含んでいる。太陽系の空間のあらゆる塵の粒子が、それぞれ自分の小っぽけな闇のピラミッドを投げかける。太陽は、ちょうど海胆(うに)が黒いとげを突き立てているように、さまざまな夜を逆立てている。

地球の夜の円錐は、深い空間と深い時間という贈物をもたらす救い主である。惑星の昼の側では、大気が日光を一面の曇った青い表層に撒き散らす。

その青い表層をウィリアム・ブレイクは、地球の「青い世俗的な殻」と呼び、また「われわれを永遠から絵立てている物質の堅い被膜」と呼んだ。けれどもわたしたちは、地球の回転とともに夜の暗い円錐へと向き直るとき、宇宙を垣間見るのだ。

夜のピラミッドは、地球の青い鎧に開いた細い裂け目である。ブレイクは言う、「もし知覚の扉が掃き清められたら、すべてがありのままに、つまり無限に、人間に映ることだろう。なぜなら、人間は己れのうちに閉じこもって、とうとう自分の洞窟の細い裂け目を通してしか万物を見ていない有様なのだから」。

青い大気はわたしたちを閉じ込める。夜の割れ目を通じてのみ、わたしたちは無限を垣間見る。

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-19-ゆったりとした暗さ HOW SLOWLY DARK

わたしは背に低い火のそばに座る
炎の筋を数えながら、そして
光が壁面上で変化する様を見つめる。わたしは静寂が静寂であることを命じる
わたしは夕暮れどきの空気の中に
闇がなんとゆったり、わたしたちの行動の上に影を落とすかを見入っている

―詩人シオドア・レトキ

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青銅華炎の章・上古8

詩的考察:【21世紀中国の考古学事情…夏殷周三代断代工程】

何故、黄河流域の一帯に、いち早く「國」が成立したのでしょうか。

これは現代考古学の謎の一つであると言われています。その回答を得る為には、「國」が生まれる以前の農耕社会について、その発生から展開、あるいは変遷について眺めてゆく事が必要であり、そして黄河流域の諸族が到達した「國」のありようを、学問的に考えてゆく事が必要であると申せましょう。

一方で、中国大陸は極めて広大であり、多様な地理環境が存在する事が知られています。従来は、黄河流域を中心に一元的な文化・文明の発生を論ずるというやり方が一般的なものでありました。

しかし、1980年代半ばからの中国考古学の進展は著しいものであり、特にここ20年の間には、中国の多様な地理環境に基づいて、多元的社会の展開を重視する…というやり方への転換が見られるようになった、という事です。

長江文明への注目は、このような中国考古学の進展によっています。今日の中国の地域社会や地域風土を考える際に、決して無視できないのが、先史時代から続く周辺情勢の動向である事は、明らかであります。

目まぐるしく王朝交代を繰り返し、政略暗闘の歴史を刻み続けてきた中原史にあって、周辺地域の情勢の影響もまた、厳然として存在してきました。周辺地域の情勢変化は、歴史記述にはなかなか表現されてこないものではありますが、現代考古学、そして現代社会は、こうした要素を無視して論ずる事は、もはや不可能な筈です。

さて、現代の中国考古学は、今や情報過多の世界に足を踏み入れつつあります。特にここ10年の変化は、現代中国における目覚ましい経済成長に呼応しているものである…と、言われています。

21世紀の中国考古学の傾向は、現代中国の発展と、無縁ではありません。

現代中国では、国家的プロジェクトとして、『夏殷周三代断代工程』が動いているそうです。夏・殷・周を科学的に研究し、特に夏王朝の存在を科学的に証明し、殷・周の歴史年代を証明する、という事に重点が置かれているものだそうです。この工程は「中国」なるものの国家威信をかけたものであり、かつ「中国」のアイデンティティを確立する試みでもある…のでしょうか?

現在、先史時代の社会発展については、地域の独自性を追跡するものになっています。一方では、歴史時代に入ると、夏・殷・周といった古代国家が、黄河中流域を中心として一元的な歴史的展開を果たした…という印象のある歴史観、いわば「中国史観」が強調され始めます。

そこには、当然、大きな問題がある事が指摘されます。

殷・周社会の発展とは、まさに中原を中心とする「中華」概念が成立してゆく過程でありますが、問題とは、果たしてこうした単純な中国史観で、多元的発展(先史時代)から一元的発展(歴史時代)への転回を論ずる事を、真に学問的と言えるかどうか?であります。

他の問題もあります。「中国史観」なるものは、「中国」という名の呪術的イデオロギーを、暗に含んでいるものでは無いと言えるのでしょうか?そして、それは、「歴史学」というよりは、「歴史」を絶対価値とする宗教カルト…、いわば〝中国史的一神教〟に変化してゆく危うさを孕んでいないと言えるのでしょうか?

多元的歴史から一元的歴史へ向かう、という転回。混沌の中の華夏大陸…

数多の諸族がその生を営々と刻み続けてきた華夏の大地の歴史とは、果たして、「中国」という概念で統べられる存在として、「中国史観」の論理の元に描いてゆけるものなのでしょうか。

夏殷周三代断代工程の最終的な形を、息を詰めて見守るものであります。

研究:台湾文学の誕生

出典:『台湾文学この百年』藤井省三・著、東方書店1998年

序「台湾文学とは何か」より抜粋(引用者注:「ビンナン語」は、原著では漢字表記。パソコンで漢字表記が不可だったため、カタカナで引用。数字は、年代や番号などに限って読みやすさ向上のためアラビア数字に変換)

・・・日清戦争後に台湾が日本の植民地となったとき、台湾の先住民はそれぞれの部族語を話し、明清2王朝の時代に大陸から移民してきた漢族は大別してビンナン語と客家語を話していた。しかもビンナン語も客家語もさらに下位の方言に枝分かれしていた。台湾ではいわば地域や血縁により各人が自分の方言を話して暮らしていたのである。

19世紀末の台湾人の識字率は10%程度と推定され、口語文はいまだ存在せず、古典中国語が読み書きされていた。

B.アンダーソンの『想像の共同体(白石隆・白石さや訳、リブロポート)』やイ・ヨンスクの『「国語」という思想(岩波書店)』を読むと、19世紀末台湾の言語状況も、「国語」制定以前の明治初期の日本、あるいは標準語制定以前の18世紀から19世紀半ばのヨーロッパ諸国とそれほど異ならぬ状況であったことが推測できよう。

ただし大きく異なるのは台湾の俗語がその後「国語」化されなかった点である。

台湾に近代国家の国語制度を持ち込んだのは、1895年から50年間にわたり宗主国であった日本である。台湾島民は全国規模の言語的同化を通じて日本人化されたが、それと同時に全島共通の「国語」は諸方言と血縁・地縁で構成されていた各種の小型共同体を越えた、台湾大(サイズ)の共同体意識を形成したのである。

それは台湾ナショナリズム(=台湾意識〝Taiwanism〟)の萌芽であったと言えよう。[引用者注・・・〝Taiwanism〟は現代台湾の女性作家・李昂(リーアン)の言葉]

1945年の日本敗戦後、台湾は大陸の国民党政権に接収され、日本語に代わって北京語が新たに「国語」として君臨した。少数民族の先住民を除けば、台湾島民の95%は大陸人と同系の漢族ではあるが、日本植民地下の50年間の歴史的体験により彼らは大陸人に対し違和感を覚えざるを得なかった。

台湾における「国語」の普及率や小学校の就学率は、大陸のそれと比べて倍以上であり、大陸が前近代的要素を色濃く残した農業社会であったのに対し、台湾はすでに工業生産が過半を占める工業化社会であった。こうした文化的社会的違和感に国民党の暴政・失政が加わり、1947年の2.28事件という全島的な反国民党蜂起が勃発している。

このように台湾における「国語」とは、いずれも外来政権が持ち込んできた言語であり、島民の圧倒的多数は2代の「国語」制度の下で話し言葉と書き言葉が異なるという言文不一致の状況に置かれてきたのである。

・・・(中略・いずれの時代も「言文不一致」であることに変わりはない)・・・

現在の台湾では台湾人の不屈の闘いによりすでに民主化は達成されている。1996年3月全島民の直接投票による新総統選出は、その総仕上げであったといえよう。

・・・(中略・戦後台湾のGNP、経済発展への言及)・・・

政治の民主化と経済の先進国入りとがほぼ達成された台湾では、近年〝台湾意識〟と称されるナショナリズムが勃興している。戦後国民党政権が強要した「国語」=北京語に対し、多くの文化人は公的な場においても台湾方言であるビンナン語の使用を要求している。

しかしビンナン語のほかに少数言語として客家語と北京語が常用されており、3種の言語間の差はいわば英独仏間の差にも等しい。ほかに30万の先住民がそれぞれの部族語を常用することも忘れてはなるまい。

このような多言語を擁しつつ国民国家たらんとするとき、はたして第3の国語はどうあるべきかという熱い議論が台湾では数年来行われている。台湾文学に触れるとき、人は否応なく近代国家における「国語」の起源を問い直さざるを得ないのである。それはまた、文学の起源、「文学とは何か」を問うことでもあるのだ。

先ほど紹介したアンダーソンの著書は、ナショナリズムと出版資本主義との関係および出版語と特定の方言との結合を指摘しており、イ・ヨンスクの著書はこれをさらに一歩進めて「国語」とナショナリズムとの関係性を解き明かしている。

・・・(中略・明治日本~植民地帝国への発展を支えた日本語ナショナリズム)・・・

(イ・ヨンスクはアンダーソンの論を受けて次のように述べる)

ひとつの言語共同体の成員は、たがいに出会ったことも、話をかわしたことがなくても、みんなが同じ「ひとつの」言語を話しているという信念をもっている。
経験でいちいち確認できない言語の共有の意識そのものは、政治共同体と同様に、まぎれもなく歴史の産物である。
そして、「ネーション」という政治共同体と「ひとつの言語」を話す言語共同体という、ふたつの想像とが重なり結びついたとき、そこには創造的受胎によって生まれた「国語(national language)」という御子がくっきりと姿を現すのである。
・・・『「国語」という思想(岩波書店)』

・・・(中略・出版資本主義と文学の結合、出版語の固定化が国語固定化に連結)・・・

台湾の現状では、出版語の「形態を支配」しているのは台北の北京語である。ビンナン語を第3の言語とする場合、ビンナン語圏のいずれの「特定の方言」が「出版語の最終形態を支配」するのであろうか。高度に発達した現代台湾の各種メディアは、はたして北京語に替えてビンナン語を選択するであろうか。かりにそうなった場合、新しい国語制度下では先住民諸語と客家語、そして北京語はいかに遇されるのであろうか。

このような台湾の「国語」問題は、台湾の独自な周縁性によってもたらされている。近代文学研究の視点から述べれば、この独自な周縁性とは台湾が日本語と北京語という近代東アジアにおける2大「国語」圏のはざまに位置してきたことに原因するといえよう。もっともこの周縁性こそがきわめて短期間に台湾に「国語」と文学の制度とを可能にさせたのである。

西欧諸国では2世紀を、日本では半世紀を、そして中国では30年ほどを費やして成熟の域に達した文学の制度は、台湾においては戦前の日本語文学、戦後の北京語文学と2度にわたり、いずれも20年ほどの短期間で成熟期を迎えているのである。そしてこの周縁性は台湾の文学者たちを日本へ、中国へそして世界へと越境させていった原動力でもあった。

2つの「国語」を持ち今もなお第3の「国語」を模索する台湾文学は、近代および文学の活力あふれる実験室なのである。国際化が叫ばれ、越境の方法が問われる日本において、台湾文学は、日本近代文学の鏡であり、また1つの可能性を指し示すものであるともいえよう。

台湾は曲折に富む近代を体験し、その体験をバネとして豊かな文学を紡ぎだしてきた。20世紀100年という時空において、台湾文学は台湾人の情念と論理を時に日本語で時に北京語で語ることにより成熟してきたといえよう。・・・


(コメント)

「台湾文学とは何か」という問いに関して、著者・藤井氏はこのように考える…という内容が記されています。以下のような内容になります:

・・・(戦前・戦後時代を通して)日本語にせよ北京語にせよ、あるテクストが台湾大(サイズ)の共同体意識、あるいは台湾ナショナリズムという価値判断との関わりを有するとき、それは台湾文学と呼び得る・・・

今の時点での「台湾文学」の創造のイメージングは、このあたりに留まるのが精一杯であるように思われました。

ここ1世紀の間に急速に成長した台湾文学が、将来の台湾にとっての文化遺産…古典文学になってゆくのだろうと想像しています。(「台湾語」は「台湾文学」と共に、これから壮大な変容の歴史を刻んでゆくのだと思われました。どんな歴史になるのかは杳として知れませんが…)

『台湾文学この百年』の中に、[台湾人/大陸人]の今後の関係について示唆的なテクストがあったので、適当に要約してみます:

【以下、要約】【台湾人と中国人との間に横たわる溝…知的成熟と民主化】

現代中国小説の作品のひとつ、『月を食う犬(原題『天狗』)』の内容からうかがえる現代中国人(=大陸人)の台湾人観:

中国大陸に進出した台湾マネーの暴虐=台湾人社長の不道徳な振る舞いとして象徴。悪い意味での「エコノミック・アニマル」、かつ不道徳&有害&拝金主義。

『月を食う犬』に描かれた「不道徳な台湾人社長」は、「国民党軍中将の息子」と設定されており、どうも外省人らしい…??

中国大陸の小説が判で押したように「台湾人=不道徳なエコノミック・アニマル」を描くのは、大陸側では、台湾の政治的成熟の歴史に対する理解が欠けているからであろう、という事が考えられる。

中国大陸側の、台湾に対する無理解と嫉妬は大きいものであり、それゆえに大陸に住む大多数の中国人は、共産党の対台湾軍事干渉に暗黙の支持を与えている…という可能性が考えられる。中国人と台湾人の間に対話が成立するためには、中国人側のいっそうの民主化と知的成熟が望まれる。

中国共産党支配下において、知的成熟の原動力となる「言論の自由」はいまだ保証されておらず、民衆もまた時には、金の前に自尊心さえも犠牲にする。中国人と台湾人との間に「対話」が成り立つのは、まだずっと遠い先のことであろう。

この辺りは個人的には、著者の藤井氏とは異なる考えを抱きました。個人的には、「中国人が中国人であり続ける限り、永遠に台湾人との間に対話は成り立たない」という風に思っています。何といいますか、『月を食う犬』の内容は知らないのですが、このあらすじを見て、大陸人を縛り付けている、何らかの古代的・宗教的なまでの執念が想像されました。

【参考】1995年代のエピソード・・・『台湾文学この百年』より:

アメリカ新移住組(=天安門事件以後の移住グループ?)を構成する比較的貧しい中国人の間では、豊かな台湾人に対する反感が強い、と中国人留学生は語る(台湾人は、人によっては、貧しい中国人移民を搾取し蔑視する傾向があるという)。

「共産党の専制的支配を嫌ってアメリカに逃げてきた私たちが、大陸との統一を拒む台湾人に反対するのは矛盾しているのですが、中国人は感情的にこじれていましてね…」と、渡米中国人は苦笑する。