忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

私製詩歌「道」

《道――宇宙の寂静の底に》

凍れる雲の海を わずかにかぎり
冬空の中の月 透き通る
影法師 ――
影法師 ――
蓑をまとい 杖をつきゆく
深傘の 幽(ゆら)めく黒影

月に影なす かの姿
人にあれるや あらざるや
道さすらいゆく 異形のものよ ――

月は冷たく 冴えかえり
新たなる骸を 白々と照らす
寂静の白さである ……

………………

………………

月よ!

木垂(こだ)るまでに繁れる 常緑(ときじく)の堅葉(かきは)に
時を読みかける 月の光よ!

堅葉(かきは)は 黒き鏡のごとし
真白の斑(むら)を 乱反射する
錯覚の 酷さ虚しさ
もはや 月は見えぬ ……

はだれ雪 寒しこの夜に降ると見るまでに ――

さらに固く 蓑をまとい
異形の身を恥じて 傘の影に深く秘め
冷えてゆく道野辺に 杖をつきなおし ――

我が傘は 我が山根
我が杖は 我が墓標(しるべ)

道に出でて 行きて帰らず
道に入りて 生きて還らじ

寂静の中の 雪ふりしきる
我が身さえも 時闌(た)けて
風の葬(はふり)に 解けゆくか ……

道野辺の 遠き彼方に 夢は逆夢

PR

詩歌鑑賞:伊藤静雄「疾風」

「疾風」/伊藤静雄

わが脚はなぜか躊躇ふ
疾風よいづこに落ちしぞ
われかの暗き生活(たつき)の巷を過ぎて
心たじろがざりし
そは地を襲ひ砂を飛ばせしが
また抗し難くわれを駆りぬ
疾風よいづこに落ちしや
何故に恐ろしき静寂の中にわれを見捨つるや
わが髪に氷れる雪は
またわが山野の道を埋み果てつ
のぞまざる月さへ
いまは虚空の中(うち)に浮かびぬ

※この詩の初出は『新潮』昭和十一年三月号

詩歌鑑賞:宮澤賢治「第四梯形」

宮澤賢治「第四梯形」

   青い抱擁衝動や
   明るい雨の中のみたされない唇が
   きれいにそらに溶けてゆく
   日本の九月の気圏です
そらは霜の織物をつくり
萓(かや)の穂の満潮(まんてふ)
     (三角山(さんかくやま)はひかりにかすれ)
あやしいそらのバリカンは
白い雲からおりて来て
早くも七つ森第一梯形(ていけい)の
松と雑木(ざふぎ)を刈(か)りおとし
野原がうめばちさうや山羊の乳や
   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
   汽車の進行ははやくなり
   ぬれた赤い崖や何かといつしよに
七つ森第二梯形の
新鮮な地被(ちひ)が刈り払はれ
手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
まひるの夢をくすぼらし
ラテライトのひどい崖から
梯形第三のすさまじい羊歯や
こならやさるとりいばらが滑り
   (おお第一の紺青の寂寥)
縮れて雲はぎらぎら光り
とんぼは萓の花のやうに飛んでゐる
   (萓の穂は満潮
    萓の穂は満潮)
一本さびしく赤く燃える栗の木から
七つ森の第四伯林青(べるりんせい)スロープは
やまなしの匂の雲に起伏し
すこし日射しのくらむひまに
そらのバリカンがそれを刈る
    (腐植土のみちと天の石墨)
夜風太郎の配下と子孫とは
大きな帽子を風にうねらせ
落葉松のせわしい足なみを
しきりに馬を急がせるうちに
早くも第六梯形の暗いリパライトは
ハツクニーのやうに刈られてしまひ
ななめに琥珀の陽(ひ)も射して
  《たうたうぼくは一つ勘定をまちがへた
   第四か第五かをうまくそらからごまかされた》
どうして決して、そんなことはない
いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
明暗交錯のむかふにひそむものは
まさしく第七梯形の
雲に浮んだその最後のものだ
緑青を吐く松のむさくるしさと
ちぢれて悼む 雲の羊毛
    (三角(さんかく)やまはひかりにかすれ)