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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ラノベ的少女キャラ(色彩絵&白黒絵)

ゴシック・ロリータ風ドレスをまとう少女

SF風少女、1点目:少女時代のなんちゃってメーテルをイメージ

SF風少女、2点目:ミステリアス、かつ印象的な目元をイメージ

ラノベに登場するヒロインは大抵、いわゆる「萌え絵」なるパターンで描かれるようです。この「萌え絵」というのが余り良く分からず、長い間、つらつらと思案していました(笑)

ひるがって、ストーリー構成という観点からヒロイン・キャラを分析してみると、総じて「異世界の根源的な秘密」との関係を有する要素でもあるのが、興味深いと思われます。いつの時代でもそうですが、「ミステリアス」というのは、人類の好奇心を盛り上げる要素であるようです

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古代科学漂流の章・中世7

区切りの都合で短いですが、何とか形になったので、【前篇】に続けてみました

【ゴート語の聖書・後篇】

332年、コンスタンティヌス大帝は、幾度も事を構えたゴート族と協定を結びました。

その際のゴート側の外交使節団の通訳として登場し、次第に面倒な外交交渉のメイン担当を任されるようになったのが、弱冠21才のウルフィラだったそうです(…非常に根性のある方だったのですね…^^;)

彼はその後、ローマ側の総主教に語学その他の才能を見出され、ローマ帝国でもトップレベルにあった学問の府、シリア領・アンティオキア教会併設のアカデミアで本格的に聖書を学び、ラテン語、ヘブル語、アラム語を習得したという事です。当時の聖書は音読、しかも詠唱するものでしたが、ウルフィラの詠唱は上手だったそうです。

※ちなみに、ウルフィラはアリウス派キリスト教に属していました。折りしも帝都コンスタンティノープルでは、アタナシウス派とアリウス派の三位一体論争に火が付き始めているところでした。時代がもう少し後にずれていたら、聖書のゴート語への翻訳作業がどうなっていたのか…、ちょっと想像がつきません…^^;

さて、司教の叙階を得たウルフィラは、ダキア領の伝道に努め、徒手空拳で数々の宗教弾圧を乗り越え、ドナウ川の南岸、現在のブルガリア国内にあるミノル=ゴート村という場所にキリスト教徒のゴート人と共に入植し、聖書翻訳を開始したと伝えられています。時に西暦348年頃、ウルフィラ37才であったそうです。

ゴート語聖書への翻訳の際の借入語は、例えば「天使」=「アンギルス」、「悪魔」=「ディアバウルス」などです。いずれもゲルマン語には無かった言葉で、ギリシャ語の音を借用したものだそうです。後世は各々「エンジェル」、「デヴィル」、と変わっています。

ウルフィラが最も苦心したのが、「神」という言葉を母国語に翻訳する作業だったと言われています。ギリシャ語の「ホ-テオス」に当たるゴート語は無かったわけです。日本語での「デウス」が根付かなかったように、このままでは「テオス」がゴート人ひいてはゲルマン人に根付かない、という事は明らかであったろうと思われます。

最終的に、ゴート語の「神」は、「Guþ(グス)」という言葉で表される事になりました。

・・・はじめにグス、天地を造りたまえり。・・・

これが「God(英語)」、「Gott(ドイツ語)」、「Gut(北欧語)」の語源となったと言われています。その影響の大きさは、察するに余りあります。

この「グス」という語は古代ゴート語の「相談者/対話者」という意味を受け継いでおり、個人個人の精神内部での言葉の格闘を要求するものであったのではないか?という指摘があります。「グス」を受け継いだ英語圏、ドイツ語圏の人々は、他人との対話を基軸とした民族性を培っていったという事です。

ギリシャ語の「テオス」がそのままラテン語の「デウス」となったラテン語圏では、「神」は、そのまま天空に光り輝くものとして捉える民族性を育てていったのだと申せましょうか(例:フランスでは「Dieu」と言う)。

ごく大雑把にラテン精神、ゲルマン精神、言い換えればカトリックとプロテスタントの違いは、受け継いだ言葉の違いによるものが大きいのかも知れない…というのも、納得できるものであります。

ゴート語の聖書が、西欧の「心」を作った。その巨大な遺産に、圧倒されるものであります。

☆おまけの知識=《ゴート語の「愛」》

キリスト教神学では、「愛」は「アガペー」と「エロス」で区別し、対比させて考えるという事です。

ウルフィラは、この「愛」を、ゴート語で「frijaþwa(フリヤスワ・愛)」、「frijon(フリヨン・愛する)」と翻訳しているという事です。この「fr-(フル)」系統の単語は、そのままインド=ヨーロッパ祖語を復元できるほどの古い言葉で、当時から既に、大変古風な匂いのする単語であったろうと言われています。

今では、「fr-(フル)」系統の単語で「free(英語)」、「frei(ドイツ語)」という言葉が使われていますが、どちらも、古代ゲルマン語時代では「愛する」と「自由な」の両方の意味を担っていた言葉だそうです。現代ドイツ語にも、「freien(求婚する)」という言葉に意味の名残があるそうです。

ついでながら、ゴート語で「自由な/愛する相手」を「frijonds(フリヨンズ)」と言います。

これが現代の「友人」を意味する「friend(英語)」、「Freund(ドイツ語)」の語源だそうです。

道で見た変なもの

お正月早々、不気味でオカルトな写真です…^^;

何度見直してみても、虫にさほど詳しくない自分には、謎の生き物なのです。近所の道端で見かけたものなので、割に有名かつ日常的な生き物であるとは思うのですが、大きさがすごかったのです。

…ええと、体長およそ20センチ程でしょうか…

(印象では「そのくらいの大物」って感じなのです。多分、「変なものに遭遇した」という恐怖の記憶が大部分なので、大きさは割り引いて考えたほうが正確かも・汗)

『風の谷のナウシカ』みたいに勇気を振り絞って、この高速移動する「お化け虫」に急接近して写真記録した自分に、やんやの拍手(※とっさのケータイ写真なので画質は悪いです)☆orz

この「お化け虫」は、幸い、素晴らしいスピードで(多分、本来の住処である)藪の中に消えてゆきました。うーん。いったい何故、人里に現れたのであろうか…などと、アレコレと面妖な内容(主にファンタジー系)を連想してしまいました。

…そのうち、制作中の《物語》に、この「お化け虫」キャラを使うかも知れません。

(実は既にスペクタクル・シーンが浮かんだのですけれども☆笑)

…それはともあれ、この「お化け虫」の名前が分からない…^^;;;

年末年始という妙な時期に、「とっても変なもの」を見たわけですから、2010年は、何か不思議で面白そうなことがあると良いなあ、という風に考えております。

《補遺の与太話を少し》

いわゆるオカルト雑誌『ムー』的なものは結構好き…というか、かなり趣味です(科学関連の正式な理論と研究は、とっても真面目にやっていたのですが…「サイエンス」に魅了されたという、そもそもの原因が、『ムー』的なものなのです…);^^ゞ

…現実と妄想の境界線が広がっている、あの「怪しさ」や「胡散臭さ」、「夢いっぱいの不思議」といったカオスが、やっぱり良いのです。ああいう世界は、健全な意味で未知への好奇心とか想像力をかきたてられます。子供が居たら、一番に読ませたい雑誌が、『ムー』ですね(笑)^^

たとえば、ネッシーなどの未確認生物の調査、宇宙人捕獲作戦やツチノコ捜索などといったものは、如何にもムニャムニャな科学者ハカセが「論理的なのに胡乱な解説」をするのが、やっぱり「ウリ」なのでは無いかと…(ちなみに、美月は、「ツチノコは絶対居る…」と信じているほうです。宇宙人捕獲はさすがに微妙ですが…)。

※蛇足ですが、2012年アセンション説というのも、そういう風に、過剰に不安になったり無視したりせずに、現実と妄想との境界線を「ムー的に真剣に考究して楽しむ」というスタンスでよろしいのではないかと思います。実際、アセンション説というのは、学問的にも興味深いテーマだったりするのですね…^^;

この「お化け虫」を追いかけていったのも、元はと言えば、「恐怖」のほかに「好奇心」もあったからだ…と、今にしてシミジミしております。

「お化け虫」そのものは、やっぱり怖いですけれども…捕獲網を持っていたら、無謀にも捕まえていたかも知れません…^^;