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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書ノート『文明と文化の思想』

読書ノート:『文明と文化の思想』松宮秀治・著(白水社2014)

「文明」「文化」という二つの概念は、人類社会を捉えるための思想において、パラダイムシフトを起こした。伝統社会の価値体系を見直すと共に、近代以降の社会の価値体系を創出するという画期的な概念であった。

その画期性は、「人類こそが世界の支配者であり、主導者、管理者であるべきだ」という考えを明らかにした事による。今でこそこの考えは普遍的な内容として捉えられているが、西欧近代の黎明期において、この「文明」「文化」という概念は、革命的なものであった。

「文明」は、進歩の概念と結合し、人間が生み出す技術的・科学的成果というベクトルを含み、人間社会の物質的豊かさを促進する価値の総称として理解されるようになった。それは、伝統社会の宗教的な価値観念体系に取って代わるものとなったのである。

それに対して「文化」は、進歩の概念と結合しながらも、人間の精神的・内面的な成果のベクトルをより強く含む。「文化」は、人間の道徳的向上、人間性(ヒューマニティ)の増進、情緒的豊かさ、知的向上、教養の拡大を目指す人間的諸活動の成果全体を意味するようになった。

「文明」と「文化」は極めて曖昧な概念であり、それはむしろ互換可能性を持つ言葉として、 相互補完的に言及されてきた物であった。しかし、その「文明」「文化」概念は、西欧近代がそのプログラムを始動させるための革命的な概念であったのであり、現代につながる、西欧近代を支える諸価値の観念体系を創出したのである。

《「歴史」とは何か》

民族宗教に彩られた伝統的な社会にあっては、「歴史」は、神の摂理、つまり神が被造物をその救済の目標に導こうとする計画の実現過程であった。仏教で言えば、仏教的な宇宙原理の進行であり、中国思想で言えば、天命思想の反映による宿命的な人類の運命であった。

しかし、「文明」「文化」という概念は、次のように語る。「歴史」とは、人間による主体的な働きかけの結果としての、世界の推移プロセスなのである。この理解の仕方において、伝統的宗教(キリスト教)社会が構築する「普遍史」に対して、「世界史」とは、人類の歴史認識の革命であった。

つまり、人類の現状は、神や超越者の意思や関与の結果ではなく、人間自身の意思の産物なのだ。近代的な意味で言及される「歴史」は、人間自身の進歩への意志と自己完成への意志の結果、人間自らが達成させてきた業績そのものであるとする考え方から導かれる概念なのである。

西欧の啓蒙思想は、まさに以上の内容を推し進めてきた物であった。ホルクハイマーとアドルノによる『啓蒙の弁証法』は、「啓蒙のプログラムは、世界を呪術から解放する事であった。神話を解体し、知識によって空想の権威を失墜させる事こそ、啓蒙の意図した事であった」と語る。そして、この「人間の思考の脱魔術化」を意図する啓蒙プログラムの要こそが、「文明」「文化」という両概念であった。

ホルクハイマーとアドルノは、「神話は啓蒙へと移行し、神話は単なる客体となる」というテーゼを提出した。このテーゼは、「世界と歴史と自然は、文明と文化の概念枠内の存在である」という認識をもたらした。かつて、神や超越者の存在を以って説明されて来た、世界と歴史と自然の神話的解釈が、「科学」という合目的な意図の下に再編成される事になったのである。

《近代神話/絶対的公準(ポストラート)》

西欧の「近代」以降にあっては、「文明」「文化」が伝統社会の神や超越者に代わる新しい神々を創造する概念装置となり、「科学」「技術」「芸術」という神聖価値の観念体系を構築する基礎となる。

啓蒙と神話の関係は、結果として、二律背反的な物となった。神話的解釈を排除しておきながら、自らが新たな神話の製作者になるという逆説性・矛盾性を抱え込むようになったのである。

ホルクハイマーとアドルノによる『啓蒙の弁証法』は、この辺りの事情を、以下のように巧みに喝破して見せる:

様々の神話が既に啓蒙を行なうように、啓蒙の一歩一歩は、ますます深く神話論と絡まり合う。啓蒙は神話を破壊するために、あらゆる素材を神話から受け取る。そして神話を裁く者でありながら、神話の勢力圏内に落ち込んで行く。

「近代」の神話は、「科学」「技術」「芸術」「民主主義」といった新しい神々を作り出し、またそれは、近代の啓蒙の哲学が考え出した理性、悟性、感性という人間認識能力の3つの方向での機能に基づく物とされた。

近代以前の宗教的神話は、その教義体系を成立させるために、「信仰=絶対的公準(ポストラート)」を要請した。同じ強制が、近代以後の「近代神話」でも発生したと言う事が出来る。

近代の神聖価値は、以下のように体系化され、近代の神学を創出し、近代神話への「信仰」を不可避な物として行く。

  • 「民主主義」の教義・実践⇒議会制度と三権分立と司法の独立
  • 「科学」の教義・実践⇒真理の探究と学問の自立性の要求/高等教育機関・研究機関の制度化
  • 「芸術」の教義・実践⇒ミュージアムの神殿化、美の自立的価値
  • 「技術」の教義・実践⇒社会進歩と人間の幸福の増大

しかし、こうした近代神話も、自らの教義を展開・発展させる中で、やはり、伝統的宗教社会と同様に、自らのうちに内部矛盾、即ち「異貌」を生じて行くのである。

  • 「民主主義」⇒ファシズム化、或いは衆愚政治化への危機
  • 「科学」⇒超越的絶対者の領域に踏み入る=遺伝子改変、クローン操作など
  • 「芸術」⇒独断的自己満足
  • 「技術」⇒公害・環境破壊・地球汚染

「文明」「文化」の概念分化とその対立、更にはその対立のイデオロギー化は、つきつめて考えれば、「近代」の価値は何処にあるかという事、言い換えれば「進歩」の尺度は何処に求められるべきかという問題に帰着する。

  • 科学技術の進歩による物質的な生活による富裕の増大
  • 社会諸制度の整備による自由と平等の浸透による精神的安定
  • 社会変革や政治・経済の構造や仕組みを絶えざる改善、改良、変革の意識の持続によって社会的不平等、社会悪を漸進的に或いは飛躍的に変化させる革新的進歩
  • 「近代」の中にも根強く生きながらえている伝統や、人間の生物的条件の中に残存し続ける変化に対する恐れと不安という保守主義的要求との妥協と調和への欲求

《聖俗革命/西欧近代の歴史意識の転換の結果としての「世界史」》

西欧近代がキリスト教的な超俗的な主教価値によって作り上げられてきた価値体系を崩壊させ、新たに人間の欲望を肯定する世俗価値体系を作り上げるためには、ギリシアが必要であった。

西欧近代は、産業革命やフランス革命と言った現実的な革命の他に、西欧近代人の中に集合的に推進された「聖俗革命」という、世俗価値の勝利が必要であったと言う事である。

村上陽一郎『近代科学と聖俗革命』より:

聖俗革命という概念によって截り出される一つの局面は、まさに此処(アイザィア・バーリンの著作の中)に言われている「全知の存在者の心の中に」ある真理、という考え方から、「人間の心の中に」ある真理という考え方への転換であり、「信仰」から「理性」へ、「教会」から「実験室」への転換であるからである。私はこうした動きの中に、真理の聖俗革命、真理の世俗化、知識の世俗化を見たいのである。

言い換えれば、「科学的真理」が、真、善、美の聖俗両界の究極的価値の独占者たる「全知全能の神」の手から人間の手に渡される事を意味する物である。即ち、「世俗神学」の教義の確立である。

  • 真(科学的真理):神の手から「科学者」という専門家の手に移行
  • 美(芸術的価値):神の手から「芸術家」という美の創造者の手に移行
  • 善(道徳的価値):神の手から「裁判官」という専門の司法職の手に移行

これはまた、科学信仰、芸術信仰、国家信仰というように、近代的・多神教的に、専門的に分化された形で社会の中に現れて来る。これらの個別的な現象の理論体系化の根拠を、ギリシアに由来する哲学が、伝統的神学に代わって提示したのである。

  • 政治哲学=人間の欲望肯定の理論を通じて市民社会の確立を説く
  • 歴史哲学=「進歩」の理念を通じて国民国家の成立の必然性を説き、国家を人間の道徳的・倫理的規範の創造者とする
  • 科学哲学=仮説と実験による真理探究の方法を開拓を説く
  • 芸術哲学=美的教養こそが人間のもっとも内面的な価値と創造精神を育成しうるという芸術の神聖価値論を説く

このギリシア哲学への過剰な依存は、西欧が認識する「世界史」にも影響を及ぼしている。西欧近代は、以下のように、ギリシアを自己の歴史圏内に取り込む事で(歴史的源泉の逆投影とも言う)、「世界史」を完全に自己の独占物とする事に成功したのであった。

ギリシア芸術の卓見性の発見に平行して、西欧人の歴史意識は転換していた。カール大帝・神聖ローマ帝国の起源をローマ帝国に求めるという、ローマ帝国理念を元にした「イデオロギー化されたローマ帝国」という物があり、その継承者としての西欧史を意識していたが、それが更にギリシアを飲み込んだのである。

転換した西欧人の歴史意識は、以上のように、ギリシアを「古典古代」として飲み込む事によって、東洋世界と断絶した西欧世界を構想して行ったのである。

このような歴史意識の転換は、西欧近代が進歩の観念を中核とした「世界史」を構築するために必要とした、観念装置であった。

そして、「世界史」は、非西欧世界を「停滞社会」として描き出すようになったのである。いわく、東方世界とは、変化を受け付けない世界であり、歴史的発展が無く非歴史的社会である。非西欧世界は、「世界史」の圏外の存在として、歴史学的な対象から外され、民俗学・社会学・文化人類学の対象とされるようになった。

《旋回と逆旋回の結果/グローバリゼーション》

西欧近代とは啓蒙主義とロマン主義、合理主義と反合理主義、進歩主義と保守主義が一見それぞれに独立した要請をもって相互対立、相互敵対しているようだが、実のところは、それぞれが相互補完的に作用する事で、一つのまとまりを成している時代の事である。

「文明」と「文化」の両概念は、一方が他方の上位概念となろうとする要求を内在させる物であったが、西欧近代がその方向を回避して来たのは、両概念の蜜月的一体化の状態こそが、西欧近代の栄光と優越を保証して来たからである。西欧近代はミュージアム制度で「文化」を、博覧会制度で「文明」を視覚化し、西欧近代の優越性を可視的な物として来た。

しかし、この可視化された「文明」と「文化」が、逆説的にそれぞれの概念の相対化を招き、西欧近代の諸価値の優越性と相対化をも招く事になった。

※マルクス主義は進歩主義の究極であるが、これは保守主義の価値を無化する価値体系を構築した。「文明」価値の優位性と独立性を強調した。

帝国主義的な利害関係の中で、フランスやイギリスのような先進的国民国家がドイツのような後進的民族国家の「文化」に対する「文明」の優位性をイデオロギー化した。また、人類学や民俗学は「文化」概念の相対化を促進した。このようにして「文明」「文化」の分離と敵対化がもたらされたが、これが、結果的に「近代の終焉」という西欧近代の弱体化と相対化につながったのである。

米ソ冷戦の後、社会主義陣営の没落は「文明」を死語化した。社会主義陣営が「進歩」から「保守」へ急旋回すると共に、「文化」を擁護していた自由主義陣営は「保守」から「進歩」へと逆旋回した。

自由主義陣営のこの逆旋回は、「文明」に代わる概念として「グローバリゼーション」という指導原理を生み出している。金融資本の世界化、貿易の国家間障壁の排除・撤廃・軽減、通信や情報伝達の一元化などである。

「グローバリゼーション」概念の強大化と共に、「文化」は、"文化財"や"世界遺産"を取り巻く、ささやかな価値概念まで後退した。

かつての「文化」を存立基盤にしていた学問、即ち文化社会諸学は、全く新しい価値・理念の指標を成しうる理論構築に成功しない限り、大学と言う閉鎖空間の中でのみの物となるか、或いは「御用学問/反・御用学問」として、国家行政と共に運命を共にするのみの物となるであろう。

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