黒いお金「阿片」・7終
最終回です。この辺で、スピリチュアルな感じのまとめを:
・・・阿片戦争に始まる〈阿片経済〉と世界大戦の時代をずっと眺めてきまして、やっぱり「神さまみたいな存在」はいらっしゃるかも知れないなと思いました。何故か日本をエコヒイキされてる神さまっぽいです。
占い的に見ると、イギリスの産業革命以来、西洋列強による植民地経済が悲惨の度合いを増してきて、地球全体でのバランスが著しく崩れていたのがよく分かるのです(明や清の支配も結構ひどかったみたいです)。恐れ多くも神さま的視点で見ると、植民地経済は何としても終わらせなければならなかった筈で、何度か、運命的に「不自然なちょっかい」が出されたらしいのですね。そのひとつが、たまたま日本であった。
イギリスが阿片戦争をスタートして以来、植民地経済の環境が苛烈の度合いを増してきた訳で、神さまは、日本のお尻を思いっきり叩きまくった…らしいです。安政東海地震・南海地震。明治維新。
※個人的に、阿片押し売りのメーソン宇宙人=ウィリアム・ジャーディンにはちょっとムカつきます。理由は分かりませんが…あの世に帰って彼を捕まえたら、666×666×666×666×666×666回ぐらい、連続で丁寧にぶん殴ってみよう…と計画しております…☆
ともあれ、何故、日本がいきなり近代国家に変身できたのか、そして、ABCD包囲網が敷かれるまで十分な戦闘力が続いたのは何故なのか…というのは、占い的に見ても謎なのですね。その後も、ほぼ全世界を相手に回して、何年も戦えたわけですし。
日本は、最も濃い「光の相」と「闇の相」を両方とも背負うことになりましたが、結果的に、その重圧に耐え、植民地支配システムを終わらせ、最初は合法であった〈阿片経済〉を、徹底して非合法の存在に変えた訳です。日本が採った方法が世界にとってベストな方法だったかどうかは、今だに分かりませんが、当時の西洋列強はそろって帝国主義&世界征服植民地化事業に狂っていたのであり、ソビエト・カルトも同時に広まっており、当時の条件で、短期間で効率よく世界を変えるには、こういう「どす黒い方法」しか無かったのでは…と思われる節もあります。
戦後に関しては、こんなお話があります:
戦争末期、空から爆弾がいっぱい降ってきましたが、その頃、多くの女性の生理が止まったり、不妊症が増えていたそうです。それが、玉音放送のあった日から次々に回復したそうです(女性の身体は正直なのです…^^;)。そういう意味では、戦後ベビーブーム世代(団塊世代:1947-1949)は、戦後の祝福=神さまのご褒美としての意味もある訳です。ついでに言えば高度経済成長も、神さまのご褒美として授かったものだったのではなかろうか…と思っております。
戦中カルト教育の反動で、一部アカに狂った人が出たのは、いやはや何とも…大学まで進んだ団塊の不幸な一部が、東大紛争(1968-1969)で暴れまわった「世を滅ぼす赤い龍」の下僕で…高卒・中卒の団塊は、真面目で素朴な方も多いのですけれども…今更どうにもなりませんし、どうでも良いことではありそうですが…現首相の年齢を調べると、超・深刻ですね…^^;;;
いずれにせよ1950年以降の出生は占い的に言えば、「別の日本」を作る任務がある訳です^^
・・・この辺で前置き、おしまいです^^
今回は、まったく知らない事柄ばかりでしたので、文献の引用に留めます…^^;
★1960-1970年代のビルマにおけるマオイズムとCIAの麻薬戦争
>>かつてビルマ共産党はビルマ南部を活動の拠点にしていた。それがはるばるワ州の山奥まで引っ越してきたのは中国のおかげだ。中国がビルマ共産党を支援することを決めたのは1967年、文化大革命が猛威をふるっていた時期である。すでに中ソの蜜月時代は終わりを告げ、中国はソ連と親交を深めるビルマを敵視し、中国式社会主義、つまりマオイズムを輸出するため、ラングーン政府に反抗をつづけるビルマ共産党に目をつけた。
当時、人民解放軍情報部のトップだった康生(1898-1975)の肝いりで、すでに1950年代の初めから中国に亡命し、マオイズムに染まりきっていたビルマ共産党の幹部を、当時ビルマ中部で活動していた共産党軍本体ともども、ビルマ政府の権威が届いていないワ州周辺を含む中ビ国境地帯に送り込んだ。地元の土侯や国民党の残党らはこれに抵抗したが、中国の圧倒的な物量戦の前にはなす術が無く、2、3年で駆逐された。中国は、武器や弾薬、食糧などの物資だけでなく、革命の理想に燃える紅衛兵の若者を何千という単位で投入した。…現在もワ軍/党に中国人幹部が驚くほど多く、ともすれば中国人に牛耳られているように見えるのはそのためである。
…1970年、ビルマ政府はソ連寄りの外交を方向転換し、中国と親しい関係を結ぶようになった。以後、中国は公式にはビルマ共産党の直接支援を取りやめるが、そこは国際政治の妙で、戦略物資は流入し続けたと言われる。また、資金繰りに苦しくなったビルマ共産党は、支配下のワ州、コーカン州、ムンヤン地区で、侵入直後に禁止したはずのケシ栽培(※)を復活させ、アヘン・ビジネスで荒稼ぎを始めた。
(※)実際には、共産党侵入直後の方がケシ栽培が増えたという証言がある。それまでは国民党の残党がうろついていただけだったが、1968年にビルマ共産党が侵入してきた後、中国との往来が盛んになり、「毛沢東語録」などを暗記させられたことから、それまでは中国語が聞かれなかった僻地にも、急速に中国語(雲南方言)が浸透することになったという。
近隣のインドシナは常にどこかが戦争状態にあり、金さえあれば武器の調達は容易だったはずだ。…by『ビルマ・アヘン王国潜入記』(草思社1998)高野秀行・著65-66p
>>ラオスは1954年に旧宗主国フランスが撤退してから1975年に共産化するまで、「ラオス国軍は、アメリカ国軍を除いて、世界で唯一、全予算をアメリカ合衆国に頼っている軍隊だ」と揶揄されたほどアメリカとの結びつきが強かった。当時は、そのラオス国軍の総司令官自身がヘロインの精製所や密輸ルートをコントロールしていたと言われ、同国のドラッグ・ビジネスの最盛期でもあった。そのお先棒を担いでいたのがCIAだ。
アメリカの著名な政治学者A・マッコイなどの研究によって、CIAは当時、タイ・ビルマ国境付近の少数民族にケシ栽培を奨励し、彼らからアヘンを安値で買い入れては(メソアメリカ&南米で)ヘロインに変え、それを軍資金にして同じ少数民族の男たちを反共産ゲリラの兵士として死地に赴かせ、莫大な数の犠牲者と難民を出したことが明らかになっている…by『ビルマ・アヘン王国潜入記』(草思社1998)高野秀行・著22p
★ベトナム戦争(1965-1975)におけるマオイズムとCIAの麻薬戦争
(1965.2.7の北爆を開戦として、1975.4.30のサイゴン陥落を終戦とする事が多い)
ベトナム戦争において、北ベトナムを応援する中国共産党は、米軍の慰安所に大量のヘロインを流した。これは一大阿片生産地となった「ゴールデン・トライアングル」と「援蒋ルート」を利用したものだった。また、このルートに食い込んで膨張した新手の阿片業者が、現在にまで続く問題になっていると推測される。
現在分かっている事は、このベトナム戦争下で展開した阿片ビジネス(ヘロインの輸送)に対して、周恩来が黙認、あるいは指導・援助していた事である。その結果、ベトナム帰りの兵士による阿片中毒が、アメリカ国内に蔓延したのだった。
>>マッコイによれば、50年代初期、CIAがビルマ側に逃げ込んだ国民党軍の支援に乗り出し、ここで栽培された阿片がラバの背でタイのチェンマイに運ばれ、CIA提供のヘリや飛行機でバンコクに送られるのを黙認したのがことのはじまりだった。
第一次インドシナ戦争でフランス情報部がラオスの少数民族に栽培を強制し、サイゴンの警察軍に販売権を与え、反ベトミン勢力育成の資金にした経緯は、日中戦争中、日本軍が内蒙古で栽培させた阿片で占領地行政の経費を賄ったのに似ている。が、フランス情報部とちがって、CIAはタイやラオスで、そして米国がゴ・ジン・ジェム政権をつくり介入したときも、その秘密活動資金を得るために麻薬取引に手を出したりはしていないという。
CIAが演じた役割は、副大統領のグエン・カオ・キがかれの空軍輸送機でラオスからサイゴンに運び込み、それが、かれの権力の源泉になり、分け前をめぐって政権内に暗闘がたえず、さらに69年末、香港から送り込まれた職人の手で、「黄金の三角地帯」でヘロイン製造がはじまり、これがベトナムの米軍兵士に売られ、70年代のはじめ、在ベトナムGIの15~20%、2万5000~3万7000人がヘロイン常用者になったという軍医の報告を知りながら、CIAも南ベトナムの米大使館も、何の手も打とうとしなかったことだという。
かれらは阻止すれば政府の崩壊につながることを知っていたからだ。ベトナムから手を引く事、これ以外に米国に流れ込むヘロインを防ぐ手立てはないというのが結論だった…by『オールド上海 阿片事情』山田豪一・著
★カンボジア内戦でも、ポルポト政権は排除できたが、地雷&麻薬禍の排除に苦労している。
《以上》
現在は、「援蒋ルート」の跡地に石油パイプライン(2012完成)が引かれようとしている。
(msn産経)[中国、ミャンマー経由の石油パイプラインを9月着工-中東依存の日本に影響も]
>>【北京=野口東秀2009.6.18】ミャンマーから中国に通じる石油と天然ガスのパイプラインが、9月から全面着工されることが17日までに明らかになった。これにより、中国は中東やアフリカで産出される原油を不安定要因の多いマラッカ海峡や南シナ海を通さずに国内に運ぶことが可能となる。世界第2位の原油輸入国である中国にとって原油供給を安定させる動脈のひとつになるとみられ、中国が中東産原油への依存を強めるきっかけになる可能性もある。原油輸入の大半を中東に依存している日本にも影響を与えそうだ。
中国とミャンマーは今年3月、石油や天然ガスのパイプライン建設に関する合意文書に調印した。第一財経日報などによると、中国大手石油会社、中国石油天然ガス(ペトロチャイナ)関係者が15日、約20億ドルをかけたプロジェクトが9月に全面着工されることを明らかにした。
パイプラインはミャンマー西部の港湾都市シットウェーから中部マンダレーを経由して中国雲南省に入り、大理を通って昆明に達する。全長は約1100キロに及び、年間2000万トン、1日約40万バレルの石油輸送を見込む。天然ガスのパイプラインは2012年にも完成する見通し。最終的に広西省南寧まで延長され、年間120億立方メートルの輸送を予定している。
2003年に石油消費量で世界第2位となった中国は、08年5月に原油輸入量でも日本を抜いて世界第2位に躍り出た。国内で消費する石油の約6割を輸入に頼っており、07年の輸入元上位5カ国はサウジアラビア、アンゴラ、イラン、ロシア、オマーン。中東産が45%、アフリカ産が33%を占めている。
現在、中東やアフリカから中国に運ばれる原油のほとんどはマラッカ海峡を通過している。同海峡は通過する船舶が多く、海賊事件も多発しているほか、周辺国のインドネシアでは過去に華人排斥運動が頻発するなど不安定要因がつきまとう。南シナ海も南沙諸島の領有権問題などを抱えている。
エネルギーの安定供給を求める中国政府は、マラッカ海峡ルートへの依存からの脱却を模索していた。そこに外貨を稼ぎたいミャンマーとの思惑が一致し、パイプラインの建設となった形だ。石油消費量が増加の一途をたどる中国にとって、マラッカ海峡を回避することで原油の輸送コストを圧縮する効果もある。
パイプラインの建設をきっかけに中国が中東産原油の調達量を増やせば、08年で原油輸入の86.9%を中東に依存している日本の原油調達に影響が及ぶ恐れがあるほか、世界的な原油価格の上昇につながる懸念もある。
(現在の阿片問題―考察の参考)
- 「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」=東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスのメコン川に接する山岳地帯を有する三国にわたる大三角地帯。ベトナム戦争~ビルマ=ミャンマー政情不安の頃(1950-1990年代)は、世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯であった。現在では経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にある。
- 「黄金の三日月地帯(ゴールデン・クレセント)」=中央アジア、アフガニスタンのニームルーズ州、パキスタンのバローチスターン州、イランの国境が交錯する地帯で、アフガニスタン東部のジャララバードから南部のカンダハルを経て南西部のザランジ南方へと続く三日月形の国境地帯。世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯。
- ビルマのシナ化と地政学的影響/シナにつける薬-2007.10.7
- 阿修羅掲示板:イスラエルの、我が祖国・中国/オルタナティブ通信-2007.11.27掲載-2007.12.2投稿(陰謀論を含む)
- NHKスペシャル「日本軍と阿片」の音楽/たたかう音楽時評-2008.8.19
《おしまい》重いテーマでしたが、お付き合い戴きまして感謝しておりますm(_ _)m