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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

資料:弘法大師の道

◆弘法大師は山を駆けた?「トレイルランニング」と異色コラボも…吉野山→高野山、空海の「青春」たどる新たな巡礼道(萌える日本史講座/2013.12.30/産経ニュース)

弘法大師空海(774-835年)が若き日、吉野山(奈良県吉野町)から歩き高野山(和歌山県高野町)を見つけたというルートを再生する「弘法大師の道」プロジェクトが進み、来年5月に新たな巡礼道として開闢(かいびゃく)(開山)される。平成27年の高野山開創1200年を前に世界遺産の2大霊場が結ばれることになる。関係者は日程の記録などから「空海は山を歩くというより走ったのでは」と推測し、トレイルランニングの大会も計画中だ。後に高野山を聖地として開く空海の青春をたどる巡礼、そして空海とトレイルランニングという異色のコラボは定着するか。(岩口利一)

@「南へ1日、西へ2日」

プロジェクトのきっかけとなったのは、平安時代の漢詩文集「性霊(しょうりょう)集」にある「空海は少年の日、吉野山から1日南行し、さらに西に2日歩いて高野山に至った」という内容の記述。

これに基づき5年ほど前に、高野山・金剛峯(こんごうぶ)寺執行だった村上保壽(ほうじゅ)・高野山大名誉教授と、吉野山・金峯山(きんぷせん)寺執行長だった田中利典・金峯山修験本宗宗務総長が吉野山と高野山を結ぶルートを再生する活動を開始。平成22年には両寺と奈良、和歌山両県などで実行委員会を結成し、研究者を交えて、ルートの選定や踏査を繰り返してきた。

この結果、ルートは、吉野山から大峯山方面に南下し、途中から西進。奈良県天川村の北側稜線を進み、天辻峠を経て和歌山県に入り、高野山に至る約60キロと決定した。その後、倒木の除去などを行って、道標も付けるなど、巡礼道として歩けるよう整備。来年5月に実行委のメンバーらが吉野山から高野山まで歩くことになった。

@空海の夢の足跡

空海の著作「三教指帰(さんごうしいき)」や遺談をもとにした「御遺告(ごゆいごう)」によると、空海は15歳のとき、故郷の讃岐(香川県)から都へ上り、18歳で大学に入った。当時、都は平城京(奈良市)から長岡京(京都府長岡京市、向日市など)に遷り、大学がいずれにあったかは不明だが、空海は大寺院の多い平城京やその周辺で修行したと推測されている。

空海は大学で儒教や仏教、歴史などを学んだが、なぜか大学を中退して仏の道を志し、各地の山々で修行。吉野山付近から歩き、高野山に至ったのもこのころと考えられ、田中・宗務総長は「空海に奈良というイメージはないが、若いころは奈良で学んで吉野山でも修行し、高野山に至った」と「奈良の空海」を強調。空海の青春の道を知ってほしいという。

空海はその後、30代初めに遣唐使船で中国・唐へ留学。密教を学び、帰国後は京都・高雄山寺(神護寺)に入った。40代前半に天皇から高野山を賜(たまわ)り、伽藍(がらん)の整備に着手。真言密教の聖地とする壮大な夢を実現した。

空海が少年時代に吉野から歩いて見つけた高野の地。空海はこの山を一大聖地にすることを当時から思い描いていたのだろうか。村上・高野山大名誉教授は「中国の寺の様子などを見て山を聖地にしようと思い、高野山を思い出されたのでは」と推測する。

@空海の足は異常な速さ

「南へ1日、西へ2日」。約60キロというこのルートを3日で踏破するには1日約20キロを歩かねばならない。しかも時期によって山の環境は大きく変わる。村上・高野山大名誉教授は「山にはクマやオオカミがいたと想定され、こうした動物が冬眠する時期、しかも雪が積もる前の秋から冬にかけて山に入ったのでは」と説明。日が落ちるのが早い時期のために、空海はかなり速く歩いたと考えられるという。

こうした“空海のスピード”の推測にちなみプロジェクトの関係者らは、「弘法大師の道」でトレイルランニングの大会を開くことを計画。11月にはルートの一部で、「トレイルランニングアカデミー」を開催し、トレイルランナーの鏑木(かぶらき)毅(つよし)さん、横山峰弘さんと、参加者約20人が秋が深まる山道を駆け抜けた。

「多感な年頃に歩いた空海はどんな思いだったのか、想像力がかき立てられる。アップダウンが激しいこのルートを進んだのはよほど強い思いがあったからこそでしょう」と鏑木さん。

一方、奈良県南部東部振興課の福野博昭・課長補佐も「この道を走り、弘法大師が悩み、苦労しながら高野山へ至ったことを知ってもらいたい」とPR。高野山開創1200年の27年に本格的な大会、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(高野山、吉野・大峯、熊野三山)が登録10周年となる26年にプレ大会を開催することを目指しているという。

吉野山-高野山によみがえる「弘法大師の道」。そこを進む巡礼者やランナーの胸には力に満ちた「お大師さん」の姿があることだろう。


◆「弘法の道」の観光活用を,吉野山-高野山の55キロ(2014.06.23/共同通信)

真言宗の開祖、空海(弘法大師)が青年時代に奈良・吉野山から和歌山・高野山まで歩いたとされる約55キロのルートがほぼ特定され、このほど「弘法大師の道」と名付けられた。5月末に僧侶らが3日間かけて大半を踏破。ルートを駆け抜けるトレイルランニングの大会が予定されるなど、沿道の自治体は観光資源としての活用に期待する。

特定した奈良県などの実行委員会によると、ルートの一部は吉野の金峯山寺と南の熊野を結ぶ修験の道、大峰奥駈道と重複。残りは大天井ケ岳から高野山・金剛峯寺に向けて西に折れる尾根道で、実行委員長の村上保寿高野山大名誉教授らが実地調査を繰り返した。


◆吉野山から高野山へ「弘法大師の道」トレイルランに170人、和歌山(2014.06.30/産経ニュース)

「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録10周年を記念して、吉野山・金峯山寺(奈良県吉野町)から高野山・金剛峯寺(高野町)に至る約56キロの「弘法大師の道」を走るトレイルラン「Kobo Trail 2014」が29日行われ、約170人の一般ランナーが険しい山道を駆け抜けた。

トレイルランは舗装されていない山道を小型のリュックやベストに食料や水を携帯して走る競技。弘法大師・空海(774-835年)が若き日、吉野山から歩き高野山に至ったと伝わる道が5月末、「弘法大師の道」として再生されたことに合わせ、披露イベントとして両寺や奈良県、関係自治体でつくる実行委が主催した。

コースは金峯山寺をスタートする55.7キロと奈良県天川村洞川からの42.4キロの2コース。舗装路はともに3割程度。金峯山寺を出発するコースは、標高360メートルのスタート地点から同1439メートルの大天井ケ岳まで約13キロを登ったあと、尾根伝いにアップダウンを繰り返しながら金剛峯寺に至る険しい道。実行委によると、長く人が通らず道なき道となっている部分もあるという。

早朝6時に金峯山寺をスタートし、7時間34分03秒のタイムで1位でゴールした大阪府羽曳野市の市職員、青柳彰吾さん(33)は「厳しいコースだったが、吉野から高野山という普通の山を走るのではない特別な感慨があった。走り切って達成感があります」と笑顔で話した。

◆動画「空海が歩いた山道をたどる 吉野山から高野山まで55キロ」(2014.08.12/KyodoNews)

www.youtube.com/watch?v=HBCIZykAICA

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制作プロットのメモ「不知火」

第四部トキサヤ@第一章「不知火」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■10/04■

カモさん、ハイタカ、リョウ、ハイネ、早馬で移動。

早朝から昼下がりにかけて、薩摩街道を南下。大宰府・発~松崎~府中~筑紫平野。

道中、ふと朝隈山の鬼について再検討。リョウ、顔見知りの胡乱な高位貴族を思い出す。鏡父子とは遠い血縁だが歴史上の先祖が同じ。聖麻の財務部門の重役を務めている鏡・中光という人物。

日暮れの近い夕方、松風の関で、襲撃あり。一戦交える。襲撃者の正体は胡蝶御前の手下。玉手箱の争奪戦ステージから、「神の杖(ウアス杖)」の争奪戦ステージへと変わっている。襲撃者は光連衆のふりをしていたが、ハイタカが着物を剥ぐと、特徴のあるヒョウ柄の刺青が無い。代わりに、「神の杖」を模した刺青がある。※この時は意味の分からない謎の形というイメージ。

襲撃者たちは「もはやこれまで」と、呪術的な自決。「シャクラ/サクラ」という謎の呪文。

カモさん一行、襲撃者たちを呪術的に封印しつつ死体を弔う。空気が妙な気配。

夜、山鹿宿に到着。少し休憩。ヤツマタ仲間の老人がやって来て、温泉に招待する。温泉に入りながら報告会議。不知火の怪異が続いている。

■10/05■

早朝、山鹿宿を発。熊本~日向往還の道へ。阿蘇山の横を通る。阿蘇五岳。

深夜、高千穂に着。五ケ瀬の集落。ヨドミ宅へ移動。リョウ、鏡の姿を確認し、緊張が取れて失神(疲れすぎて、不覚を取った形)。

■10/06■

カモさん、ヨドミと秘密の話し合い。鏡、リョウの対応。リョウ、松風の関で遭遇した怪異な襲撃について鏡に説明。ついでにヤツマタ仲間の話も追加。鏡、自身の高飛びの時の異様な見聞と合わせて、しばし思案に沈む。

体力回復と温存のため、1日かけて高千穂の里に滞在。

■10/07■

高千穂を出発。ヨドミも同行。カモさん、ハイタカ、リョウ、ネコマタのハイネに、鏡、イオ、タスキ合流する形。

情報交換。ヨドミは猫仙人と会合した事があると明かす。大和国・三枝祭。タタライスズの神縁によりてという要素を含む。神仏習合は「治癒」の点でつながっている。神話の治癒=中興という考え方?

■10/08■

カモさん一行、日向往還を伝い、熊本に到着。山鹿宿のヤツマタの話を確かめるため、一応、島原湾へと移動してみる。ヨドミ「黒之瀬戸」という直感が閃く。

小規模な地震あり。次に山鹿宿のヤツマタが舟を仕立ててやって来る。光連衆かどうかは分からないが得体の知れぬ外国集団が瀬戸へ集結しているので監視しなければならない。

カモさん一行、合流して黒之瀬戸へ向かう。潮汐が弱く、瀬戸の真ん中の作業に好都合。奇怪な集団、海中から怪しげな杖を引き上げる。

奇怪な杖が引き上げられると共に怪異な潮流。工作員たち、カモさん一行に気付き、真相をごまかすため襲撃。カモさん一行、防戦。

胡蝶御前の妖術が発動する。胡蝶御前の幻影が現れ、ヨドミと激論の応酬。ヨドミ、巫女としての能力を持って、神の杖の発動を抑え込む。

海が荒れ、工作員ごと神の杖を飲み込む。胡蝶御前、工作員を見捨てて、幻影が消える。

事が済んだ後、海面は静穏化。ヨドミ、胡蝶御前の性別に言及。

鏡、黒之瀬戸の怪異について思案に沈む。

プチ雑記:滋養強壮剤とスマホ

ここのところ身体不調が続いていて、週末が近づいてきたところで急な頭痛と発熱があり、流石に最近のストレスは響くものがあったか…と思い返すところでありました(世間の時事の動きも、めまぐるしいという感じです/シンクロニシティというよりは、自分が、身体の都合上、そのように感じているだけかも知れません・苦笑)

些少な私事でありますが、滋養強壮剤が何となく興味深かったので日記をば…

ようやく頭痛&発熱(&その他の不調)が緩和してきた頃、知人の勧めで滋養強壮剤なるもの(試供品)を初・服用してみました。薬局に並んでいるような茶色の瓶タイプのものです

試供品だけに、流石に最初は「何か変なモノが入っているのではないか」と警戒しておりました。「さあ飲んで!」と言わんばかりの瓶のデザインには、色々と考えさせられるものがありました(笑)

※ちょっとだけですが、アメリカ音楽の方で有名なグレン・ミラー楽団のジャズナンバーに「茶色の小瓶」という曲があり、それを連想しました

飲んでみた感想としては…、「少し苦いけど、意外にソフトな味わいかも」という感じです。養命酒を水で割った感じとか、アルコール抜きの淡白な梅酒という感じ(※冷え性対策で養命酒を飲んだ事があるのです。流石に原液だと強烈だったので、3倍か4倍くらいの水で割って飲んでいたのでした)

そして一晩寝てみて、「効果はちゃんとある」という事実にオドロキ。「朝から疲れている」という感じは、あらかた抜けており、週末の追い込みの業務も何とか完了。が、しかしそれでも、「不自然にカツを入れられている」という感じがあり、頭が(逆方向の意味で)クラクラしておりました(ニガワライ)

本来は、充分に時間をかけて休息&回復するのが理想的ではあるだろうと思います。現代社会は、年中無休サービスを実現するために、個々の時間が小刻みになっているという状態であり、なかなかムツカシイものがありそうです

チャップリン映画『モダン・タイムス』は、古い時代の作品ではありますが、現代社会の姿を見事に予兆しており、21世紀の社会にも通用する部分が大いにあると思いました


日常の中で印象に残った事を、4コマ風にまとめてみました

にわかには信じがたい熟練のバランス芸(?!)で、「何故、スマホが落下しないのだろう?」と、ホントに開いた口が塞がりませんでした・笑