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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

岸辺篇2

岸辺篇1より続く

ここでは、『深森の帝國』の舞台に採用した日本中世と、更に奥舞台となる日本古代について、制作委員会の解釈含め、今の時点で思いつく事柄を、つれづれ物語りたいと思います…

制作委員会で注目している、日本中世…中世という時代は、現代に劣らぬ国内外クライシスに揺さぶられた修羅場でもありました。

骨肉相食む保元・平治の乱、それに続く源平動乱を通じて、従来の社会秩序が崩壊。宋滅亡~モンゴル襲来、鎌倉幕府の崩壊、朝廷の南北朝分裂とその権威の衰退、荘園の巨大利権化とそれに関わる寺社勢力&官僚の腐敗と抗争、それに伴う海賊&山賊&末法カルトの大量出現を見た時代。

環境的なものでは、気象変動・災害(地震・台風)の急増、疫病流行など。経済的なものでは、足利幕府、近江商人、堺商人、といったグローバル的な性格を持つ商人が力をつけ、新たな文化・政治活動の有力なパトロンとなった時代。

応仁の乱に発する戦国時代もまた、中世のカテゴリに入ると考えています。

  • 源平~南北朝・室町時代が中世前半(=中世の第一部)。
  • 戦国時代~関が原が中世後半(=中世の第二部)。

この中世が興味深いのは、長い間、水面下で蓄積が続いていた「心」が、中世になって一気に「身体言語/事象言語」を得て、「文化様式」として現出したこと…そこには、大きな次元の跳躍・・・「変身/変容」・・・が、あります。(例:枯山水、石庭、茶道、華道、てりむくり屋根などの創造。)

中世の動乱を境に、古代社会からプレ近代社会へ変容したと考えることができる・・・

そして、おそらく…この変容は、縄文から弥生に(原始社会から古代社会へ)移行するときも、起こったことに違いありません。しかも、この節目のほうが、中世・戦国時代の倍以上の時間がかかっているのです。

佐倉哲エッセイ集[「わ」の思想の源流]に時代区分の図解アリ

食糧生産社会――という、身分確定(正体・形質・宗教原理などの確定)の時間が殆ど与えられずに、「文明のあけぼの」の空気を現代に持ち込んでしまった日本、あっという間に古代から現代まで、突貫工事よろしく駆け抜けていった日本――年表を見てみると、つくづくそんな感じです。

日本の独自性の、誰の目にも明らかな根拠として、この比較年表の歩み――縄文時代の圧倒的存在――を、挙げたいと思います。先人の数千年――という、長い長い助走は、思想/価値観の雑居性&並行性の思考様式――日本文明の基盤となる「和調(日本調)」を打ち立てるものであり、この「和調」こそが、弥生時代の変容エネルギーの源であった、と思います。

制作委員会では、上の年表や今までのヒント、思索を元に、大雑把ですが、「日本文明」に関して、ささやかな仮説…物語を立てました。


日本流の破壊と再生…、多文化・多思想の受容と変容のスタート、それは弥生時代か、縄文のどこかにさかのぼるのか、正しいことは分からない。縄文草創期は、一万年以上前――氷河期に相当する。世界の夜明けを見た時代にさかのぼるほどの、気の遠くなるような古さ…

日本文明の立ち上がりは、おそらくは弥生時代――縄文から弥生への移行期に起きた変容は、縄文由来の強靭な地盤による支持なくしては不可能であった事は、まず確かである。

他族・他思想の流入がひときわ急増し、全国的に、また外国にも通用する一定のスタイルを新たに確立するにあたって――「日本文明」という未知の領域に向かって、様々な履歴を背負っていた数多の民が、それまでに確立した縄文交易ルートに乗って交差、融合していった時代でもある…また、中央集権化に向かわせるような気象変動(寒冷化)も、追い風になった。

その中で、縄文時代の数千年という時間に培われた「和調(日本調)」という思考基盤、それは、ことに新来の民にとっては、永遠とも思える時間を生き延びてきた不気味な深淵…見渡す限りの底なし沼のように、広がっていたのかも知れない。

遠藤周作『沈黙』/フェレイラ教父の言葉
「この国は沼地だ。…どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった。」
芥川龍之介『神神の微笑』(青空文庫)/老人の霊の言葉
「…我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」「たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。……御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘(ギリシャ)の神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」

縄文以来の数千年という長大な伝統と、ひっきりなしに流入する新来の思想との衝突…それは、未だ生まれざる日本文明の構築と、その全国普及(統一)をゴールとする、数多の動乱を伴ったスタートでもあった。生みの苦しみ…倭国大乱。戦国時代にも匹敵する血を流した動乱の時代である。

どんな民がどんな外来思想を運用するにしても、自らの存亡を恐れる限りにおいては、縄文以来、数多の災害を乗り越えてなお長大な命脈を誇る「和調」という基(もとい)の上に移植を望み、同時期に入ってきた他多くの思想/価値観といがみ合いながらも、並行運用――上手に折り合いをつけつつ――という必要性に迫られたのではなかったか。

何故か幸運にも、その過程で10年~20年間に大陸史1000年を超えるほどの怒涛の文明的変容を起こし、しかも全てがバラバラになって崩壊することなく再組織化・合理化に成功して、あっという間に世界の名だたる古代文明に追いついた。

弥生時代のどこかで日本文明が成立したと仮定すると、縄文時代に蓄積された「和調」という素地は、十分に高度な文明の雛形を用意しており、ひっきりなしに流入する数多の方程式、変動パラメータに対して、驚くべき構築力で応えた――と、考える事が出来る。

すなわち、多文化・多思想の受容と変容を同時に可能とする、「日本文明」という名の連立多元方程式を一気に組み上げたのである…(少なくとも、その方程式は、いわゆる『二重構造』をとっている筈である。)

中世前半/後半のように、古代においても弥生前半/後半と分かれていて、縄文以来の伝統を継ぐ「日本流並行運用」が上手く働き出し、大和朝廷が立ち上がったのが、弥生後半の終わり頃では無かっただろうか――ちょうど中世後半の終わり頃に、江戸幕府が立ち上がったように。

そして、この流血と混乱と変容に満ちた嵐のごとき弥生時代を全て呑み込み、「和調」の伝統の元に最も上手く事態をさばいたのが、現在に至る皇室の祖族、あるいは次々に皇室を立ち上げては権威を伝承した、数多の豪族達である――皇室は、弥生時代の、本来は1000年を要する変化をわずか10年、20年に圧縮した気の遠くなるような混乱を呑み込んだ末の結果であって、日本列島、縄文以来の時空の中では、まだまだ若過ぎる存在であると考えられる。

あの時代は、全てが混乱し、全てが謎のままで、本当は何が起こっていたのかは分からない――手元に残るのは数多の分岐を持つ神話、奇妙な混乱と整備のある正史書、謎めいた昔話、意味定まらぬ古語の群れ、水面下に隠された神々、偽書と判定された神話物語…

以上、制作委員会なりの日本文明の創世記を描き出してみました。

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岸辺篇1

「アルス・マグナ」

アルス ars:ラテン語。自然 natura ナトゥーラの対義語、基本的意味は「人為」。有名なフレーズ「"ars longa, vita brevis" アルスは長く、人生は短い」…意外に日本にも類似フレーズがある⇒「命には終りあり、能には果てあるべからず(風姿花伝)」


第一部 ヤツマタ・・・第一章 十六夜★閉幕

記念すべき第一部・第一章があがったところで、ちょっと乾杯。いきなりスタートした感じでしたので、この辺りで少し立ち止まって、そもそも、何故この物語を創作し始めたのか?きっかけは?について、『深森の帝國』制作委員会を代表して、美月まとめで、語りたいと思います…

元々、日本の中世時代について、美学とか、社会文化、神仏習合などの点で興味があった…というところから、発生しています。

特に能狂言とか、世阿弥…『風姿花伝』など…それから不思議な事に、人形劇にも興味を…近松門左衛門の「曽根崎心中」とかで使われる、あの人形です。ひところ、テレビで流れていた「三国志」人形劇の影響もあったかも知れません。

その不思議な人形の祖先が傀儡(クグツ)人形だということで、しばらく傀儡(クグツ)を調べ、さらに人形の歴史をさかのぼって神事に使われる人形をネットで色々拝見し、(からくり人形も、もちろん大好き^^)細男(セイノウ)と云うとても古くて奇妙な神事(海部・アマベの神事?)に辿りついて、そこでも「?」をいっぱい浮かべつつ、関連史料めぐりを。未だ消化できてませんが…

細男神事は、本物は見た事が無くて、未だに何か歴史的に論理的にいえるほど理解してるわけじゃないのですが、「細男(セイノウ)」というのが日本の種々の神秘的人形の始祖みたいな感じ――で受け取っています。(誤解は多々あるかも知れませんが、そのように感じました。)

そうしていて、学生時代のお話なのですが、ある日、能「葵上」を見たのです。若手の修行舞台だったのか、招聘か何かだったのかは、もう覚えてないのですが。急ごしらえっぽい能舞台がステージに作られており、その上で能が舞われてました。

人が、人ならざるものへ。そして、人ならざるものが、人へ。核(コア)と呼ぶべき実体が無く、「絶対」と呼ぶべき何かも、中心軸も無く…見立て――あるいは変身、というより「変容」――という概念が、現実世界に立ち現れた事。あれは、本当に――ぴったりの言い方が見つからないのですが――鳥肌が立ちました。

日本を構成する基礎と感じるのに、いつも説明に窮してしまう「なにものか」――それを読み解く強いキーワードは、「あの仮面性(または人形性)」「あの支軸(輪郭)無き変容性」ではないのか――と。

「仮面性(人形性)」に対し、すごく本質を突いていた文章を引用:

・・・すべて深いものは、仮面を愛する。
それどころかこの上なく深いものは、自分の映像や肖像を撮られる事を憎みさえする。もしかしたら、全く反対の姿に化ける事こそが、まず何よりも、おのれを羞恥して神がまとう適切この上ない変装なのではないだろうか。・・・
・・・すべての深い精神は仮面を必要とする。いやそればかりではない。すべての深い精神の周りには、絶えず仮面が生じてくる。というのも、彼の発する一語一語、彼の足取りの一歩一歩、彼の示す生活の兆候の一つ一つがみな、絶えず誤った、つまり浅薄皮相な解釈を蒙るからなのである。・・・
『善悪』40・ニーチェ著

日本は――あらゆる文明、あらゆる文化の行き果つる境界、弧状列島でもあります。という事は、限りなく深い境界/深淵なくして、種類雑多なものを受け入れていながら、正気で居られるはずが無い…と。

「日本人論」という数多の仮面に分厚く覆われ、いくつもの名前と顔を持っているが、その裏にあるものは「本当の顔(或いは固定的な姿)」を持たない深淵である…

これが、制作委員会の見る『日本』です。

中世と、能と、人形と…流れが混乱してますが…

言挙げもせずに沈黙し続ける仮面の奥を尋ね、自分なりの解釈で物語ってみたい、これが、『深森の帝國』創作に至るひとつの経緯…きっかけのひとつとなりました。制作委員会を立ち上げるまで結構、長い年数(厳密な数はヒミツ)が空いてます^^

今の時点で、まだまだ書き足りない事がありますので、特別にもうひとつ、断章を入れます(予想外の二部式)^^;

以上:岸辺篇2に続く

覚書:《物語》を結ぶもの

『シャルルマーニュ伝説』松岡正剛の千夜千冊http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0573.html

最近よく思うことなのだが、歴史学がやたらに発達し、どんな細部の伝承も歴史に照らすことが可能になったのはいいのだが、どうもそのぶん「物語の中で歴史を見る」という習慣が頓(とみ)になくなってきた。

なんだか母や叔父に聞かされてきた歴史語りが生きなくなってきて、いちいち「それは史実とちがっている」という異議申し立てに耳を傾けざるをえなくなっている。これがなんともつまらない。なにもかもが「物語で歴史に入っていく」のではなく「歴史の中に物語を解体する」というふうになりすぎた。

歴史学が正確な体系になっていくのはいい。しかしそれとは別に物語として語り伝えられていく伝習は残ったほうがいい。司馬遷やヘロドトスの語りは歴史学ではなく、歴史の物語なのである。

とくに“あやかり”は「肖る」と綴るのだが、これ、まさにフィギュールやプロフィールのことを象(かたど)ってゐる。

「風はやみ 峰のくす葉のともすれば あやかりやすき人の心か」(拾遺集)


ベイトソン著述『精神と自然』(思索の根本動機の部分)

生物世界と人間世界との統一感、世界をあまねく満たす美に包まれてみんな結ばれあっているのだという安らかな感情を、ほとんどの人間は失ってしまっている。われわれの経験する限られた世界の中の、個々の些細な出来事がどうであろうとも、より大きな全体がいつまでも美をたたえてそこにあるという信仰を失ってしまっている。

われわれは、キリスト教の核を失ってしまった。われわれは、ヒンドゥーの舞踏神シヴァを、些細なレベルでは創造であり破壊であっても、その全体はただ美でしかない、あの舞いを失ってしまった。われわれは、アプラクサスを、あのグノーシスの美しくも恐ろしい、昼と夜の神を失ってしまった。トーテミズム――人間と組織と動植物との間にパラレルな関係を見るあの感覚も失ってしまった。死に瀕した神さえ失ってしまった。

(世界のいたるところで生じている「統一感」の喪失)…政治化と商業化に晒され、矮小化されてしまっているエコロジーの思想に働いている根本的衝動を、人間の心の中に統一を求める衝動、われわれをその一部として包み込む全自然界を聖なるものとして見ようとする衝動である。…そして世界中にある種々様々な、まったくかけ離れて見える認識論は、最終的統合の姿を「美」と見ていることで共通している。

…美的統一感を失ったとき、われわれは認識論上の大きな誤りを犯した。この考えは私の思索の根本にある。昔の認識論にもいろいろ狂ったところがあったが、そのどれと比べても美的統一感の喪失の方が重大な誤りだと私は信じている。


アニミズム社会=「主客に明確な区別がない」といえる状態の前提には、知覚の問題が横たわっている。

(現代文明に生きる我々の場合、観念が明確な像を結ぶ事は、日常生活では滅多に無い。幻覚がリアリティを持って迫ってきた時には、それは病気と診断され、治療の対象になる…「幻想が向ふから迫ってくるときはもうにんげんの壊れるときだ(宮澤賢治)」。ただし、宮澤の詩は多義的である。「文明のもたらす幻想(=例えば原発の安全神話)」というような逆の意味にも取れる。それはさておき、混沌のパワーに満ちた幻覚は、この高度文明社会にとっては、社会に害を及ぼす異常事態である。実際、自動車の運転手が幻覚に捉われて死亡事故を起こすというような事態は、現代社会の中においては、絶対に起こしてはならないものである)

シュタイナー曰く…「幻視とは人間の健全な情緒の状態においても取り除いてはならないもの」(芸術と芸術認識)・・・「生命」は、「イメージ」と深いところで直接に繋がっている。「理念(概念)」と言われるモノも、幻視力(無限の創造力≒想像力であるモノ)と深く関わっていると考えられる。それは井筒氏の語る「イマージュ」そのものである。

「ゲーテの原植物」についてのエピソード

シラー「それは、君の観念であって経験ではない」

ゲーテ「それでは、僕は、観念を目で見ているわけだ」

スーフィにとって、不可視の霊的ガイドである「ヒドル」は、緑色をした霊人であった。ルーミーが、夢中になって、教団を捨て帰依した放浪僧、シャムスタブリーズは、後にルーミーにとっての「ヒドル」であったと教団では伝えられている。これはまた西洋の教会を飾るグリーンマンの表象とも、聖ゲオルグとも密接に関係している。更に遠く、ギリシャ神話の邪神・メドゥサとも関係していよう(メドゥサは元々は、原始の森の女神だったと考えられる。文明を守護する女神アテナと真っ向から対立する存在であった)。


シュタイナー(『芸術と芸術認識』より)

緑のイメージ=生きているものの死のイメージ(Totes Bild des Lebens)。「植物は、その緑色を植物自身から生み出しています。…植物のうちには、死んだ大地の成分が組み込まれています。しかし、この死んだ大地の成分は徹底的に活性化されています。植物のなかには鉄、炭素、なんらかの形の珪酸があり、また鉱物界においても見出すような、ありとあらゆる大地の成分があります。こうした一切のものが、植物の中で体験され、表裏一体に織り込まれています。私たちは、生がいかに死によって血路を開き、死によって一つのイメージ、すなわち植物という像を生み出すかを観照することによって、緑色を生の死んだイメージとして感じ取ります…自然の緑が心をそそって止まない理由は、まさに緑という色は、自分自身は生に対して何の主張もすることなしに、生の死んだイメージとして現出するということにあります。…緑色は、生の死んだイメージとして現れてきます。緑色のうちには生が潜んでいます。

多くの心霊治療師は、その土地以外ではその能力を発揮できないと言う。能力というものは、どこにいても発揮できるものだというのは、近代普遍主義の思考から来る誤解でもある。この類いの能力は、緑の仲介者(観念)――ゲニウス・ロキ(土地の精霊/植物の精霊)と関係する。

都市部で発展した人為的宗教の歴史において、古来、幻覚誘発剤を使うカルトは多かった。イエスの時代にも「ベニテングダケ」を使う教団は知られていた。現代文明における「マトリックス」的世界もまた、一種の幻覚を誘起する麻薬と言えよう。

…能動知性を、スピリチュアリズムにおける「霊性」とも、アニミズムにおける「精霊」とも論じるが、その本質は、心象幻覚の能力では無いだろうか。心霊治療師が生きている社会、「主客に明確な区別がない」といえるアニミズム的な状態においては、そうした「緑の仲介者」のイマージュが息づいている。人間が元々持っていた無限の物語化の能力、或いは、観念の具象化の能力。

「生命」が生み出す豊饒なイメージを抑圧する事により、「生命」は窒息し暴発しやすくなる。「暴発」を恐れ、「理性」による管理を強化すればするほど、精神は内奥へ向かって荒廃する。その荒廃の中で「理性的な高度文明社会」は完成する。

マスコミ経由の希薄な言語の氾濫を通じて「心象イマージュの世界」を封印し、理性を強化する事で近代国家を形成した国では、そうした観念の具象化に関わる能力が、ファシズム化への暴走に使われてしまうのでは無いだろうか。