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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

前シナとシナとその後・後篇

前篇から続く

秦帝国は…実は、ミトラ=ゾロアスター的な帝国だったのではないか。

何故ミトラ教&ゾロアスター教に注目しているのかというと、彼らが世界で一番最初に、「光の王(ミトラ=皇帝=アフラ・マズダの子)」、「大統一帝国」という、現代にまで繋がる天下統一支配システムを作り出した、恐るべき祭祀集団だからです(古代は祭政一致です。ここは重要だと思います)…^^;

で、このゾロアスター教。

光の神アフラ・マズダを最高神とする多神教で、古代イラン遊牧民の原始宗教から立ち上がってきたものだという事です。元々古代イラン遊牧民は、真っ暗な荒地の夜を煌々と照らす炎に、狼その他の脅威からの守護のパワーを感じていたようです。炎を大事にする習慣はここから来たもので、ゾロアスター教の成立に伴って、聖火儀式として完成され、「拝火教」という名称の元にもなりました。

…そして、アケメネス朝ペルシア帝国の時代において、ゾロアスター教は、それまではオリエント諸国でスタンダードだった人身御供の儀式を拒絶した…という話があります。この辺が、秦の始皇帝の「殉葬廃止(=奴婢の殉死の代わりに大量の兵馬俑を埋める)」につながっていても、全然おかしくない…

更にペルシアの祭儀では、聖火が点され、火と水と鎚が神聖なものとして扱われました。何故に鎚が神聖なのかはよく分かりませんが…雨をもたらす雷への崇拝があり、さらに冶金術が目覚ましい発達を遂げていた事実とも照らし合わせると、頑丈な鉄を生み出す鎚の力への崇拝が含まれていたのでは無いか…と想像しています(鉄は導電体でもある)。

…ついでながら、雷=鎚=鍛治にまつわる信仰体系は、ヒッタイト以降の製鉄技術を伝承し続けたインド=ヨーロッパ語族の間では普遍的に見られたものであり、インド神話でインドラ(帝釈天)信仰に、ギリシャ神話でゼウス信仰に、ゲルマン神話でトール信仰に変容した事が知られています…^^

ゾロアスター教では聖獣も定められており、「太陽の獣」=「たてがみを持つ獅子」、「月の獣」=「三日月形の角を持つ獣(=牛?)」となっていたようです。案外、この辺りで狛犬とか、インドの聖牛信仰や、もしかして『ナルニア国物語』の「獅子神(創造主)アスラン」ともつながっているかも知れない…と考えると、ちょっと楽しいです(笑)

そしてミトラ=ゾロアスター教…というか、アレクサンドロス大帝国のヘレニズム風ミトラ神話との「カオス的混合物」が出てくるわけですが、この辺りで、黄金の存在が顔を出してきます。ミトラが光の子であり、アポロが太陽神であり、さらにアフラ・マズダが光明神であり、ゾロアスター=金星(黄金の光)であり…

アレクサンドロス大帝国の時代と同時期の頃には、諸都市でおそらく、黄金の器具を使う「光の祭祀」が確立していたと思われます。聖火を点し、聖獣を描いた黄金の器具を使って、王の長命のための祭祀を行なった…

…話がずれてまいりました。筋を東アジアに戻しまして…;^^ゞ

何でまた焚書坑儒が行なわれたのか、という事を突き詰めると、「外国由来の教義=中華思想」を刷り込む必要があったから、というのが考えられるわけで、ここに、何らかの「ゾロアスター的都市文化からの外圧」を見たほうが自然である、としか言えないのです。例えば…「辺境の遊牧騎馬民族」の伝統であったスキタイ風の黄金文化(都市で発達したミトラ=ゾロアスター祭祀にとっては異端)を、蛮夷として弾圧する、とか…

戦後日本でも、GHQによる神道令や教科書塗り潰し、キリスト教布教、出版検閲があった訳で、占領勢力による「思想統制」という意味では、やってる事は古代も現代も変わらない…^^;;

秦の始皇帝が、「ゾロアスター教の布教」を裏に含みつつ、「焚書坑儒」による思想統制を行なったとすれば、秦は、完全に、西アジア=オリエント型の大帝国。「永遠の黄金=黄土=黄河=中華」…中華思想とは、秦に合わせて都合よく換骨奪胎され、翻訳・改造され果ててゆくゾロアスターの教義だった、と言えなくも無い…

…例えば。黄河は「金龍」と称えられ、黄土は「黄赤龍」と称えられた。ユーラシアでは、太陽を黄色で描きます(子供が絵を描くとき、太陽を黄色で塗る)。太陽=黄金の文化圏で、黄色と金色が同一視されるという色習慣がある…という事実を考慮すると、「黄土=黄赤龍」とは正しく、「灼熱の生命力に満ち溢れた、永遠の大地の龍王」であります…

焚書で焼かれた書物は、民間にあった医薬・卜筮・農事などの実用書以外の書物、と伝えられています。「以外の書物」というのが気になるところで、もしかしたら、本来のシナ各地に伝わる伝承や歴史書の焼却がメインの目的だったのではあるまいか…と、推理せざるを得ません。

…歴史と、思想と、文明文化は三位一体。

焚書という事象に、前シナ文明を彩った諸文化の焼失と衰退を読み取りたいと思います…

その後、項羽が宮殿に放火し、宮中の書物も、大部分が失われてしまいます。

その中で、辛うじて継承された書物から漢代の学問が始まるのです。秦に由来する「シナ文明」の時代…ないしは、いわゆる「ハン・チャイニーズ文明」の時代。それは既に、「前シナ文明、ないしは上古のローカル文化圏」が大部分失われてしまった後の、無色透明(または黄金の一色塗り)に近い、ゾロアスター的な天下一統…諸都市を結んだ世界であったに違いない…

残った書物は、例えば『春秋』。『春秋』をより具体的に説明していると思われた各種の書物が「伝」と呼ばれた。現存しているのは、『左氏伝』『公羊伝』『穀梁伝』。他にも多少残っていたそうですが、書物名とわずかな引用文章のみを残して、その後の歴史の中で散逸してしまったそうです。

前漢中期にこれらの諸資料を集めて、歴史書が編纂された。かの有名な『史記』である…

王莽の「新」をはさんでの中央政治の混乱は、それまでの王朝祭祀の世界にも混乱を来たし、うら若いシナ文明の学問の、カオス化・オカルト化を生みます…(ココ重要)。

個人的には、この漢代という時期に、道教や仙術が完成されてゆくと同時に、黄金(永遠の命)と水銀(変容触媒=仙薬)の思想的合体が行なわれたのではないかと思っています。シナ錬金術の構築。または、仙術の完成。そこに、中央アジア系の黄金祭祀集団の影を見ることは、そんなに的外れでも無いかも…

そして、後漢時代には、前漢の記録をまとめた歴史書『漢書』ができる…

俯瞰してみると、「焚書坑儒」と「項羽の暴挙」と「王莽のディープ・オカルト主義」が、その後の「中華の正統を主張する歴史・学問」に大きな影を落としている…という事が、よく読み取れるわけです…(勿論、別の見方もあると思います…^^;)…漢代の学問は改めて調べないと分かりませんが、どうも陰陽五行説とか、その辺のオカルトな匂いが濃厚にします。

かつては、青銅を最高の神の依代として尊重していた筈なのですが、現代は、黄金と翡翠に至上の価値を見出すらしい…(みやげ物店に並ぶ宝飾品は、殆どが黄金と翡翠)。…翡翠は元々、「玉」として、古代から珍重されていました(翡翠と言えば、何故か西太后のエピソードが…)。ただ、秦の始皇帝が特に黄金を好んだという伝承は見当たらず、仙薬としての水銀や丹への執着が浮かび上がってくる程度。

漢代は、黄金と水銀が半々。黄金への強烈な嗜好は、大規模な民族シャッフルがあった、隋の前の争乱時代…5世紀半ばから急に始まったものではあるまいか、という仮説が浮かんでまいります。

となると、その後の強烈な黄金信仰は、ユーラシア遊牧文化…特にトルコ=突厥などの黄金文化が、色濃く入り込んできたものなのではあるまいか。その頃の思想は…儒教(四書五経)、仏教、景教。或いは陰陽五行説、老荘思想、道教、仙術、陰陽道、呪禁道…

それほどはっきりとした理論を立てていないので、あまり自信がありませんが…;^^ゞ

>>仮説の根拠=[トゥルク、シナの歴史のもう一人の主役 V](ブログ『シナにつける薬』)

…やっぱり何だか散漫な内容になりました…;^^ゞ


FriendFeedコメントより転載

これからどれくらい考古学的資料がでてくるかにもよりますし、またシナの当局者がその資料をそのまま公開するかどうかの問題もありますが、周人が西からのヒッタイトあるいはペルシア系の民族であった可能性は大きいと思います。ご指摘のような宗教的側面も考察の対象です。シナ半大陸は西への扉が開けっ放しで西の先進文明、つまりはペルシア(あるいはその底流にあるシュメール)文明の影響をうけて独自の文明が開けたのはまちがいありません。陰陽二元論もシュメール=ペルシアの光と影の闘争哲学と似ています。ユーラシアという言葉はユーロとアジアをひっつけただけですが、それでもひとくくりにできる文明的基礎はあるようです。 - 丸山光三
《返信》コメントありがとうございます^^なかなか根拠となる資料が見つからなくて、「トンデモ説かな?」と思いつつ文章をこしらえていたので、似たような考察がある…というお話でホッとしました。向こうの歴史学会でも、「歴史の闇」的なタブーめいたものがあるみたいですね。実際の大陸の古代人は想像以上に行動力があったみたいですし、真偽は曖昧ではありますが、大陸レベルの思想文化(神々&神話)の交流は、ものすごく活発だったのではないかな…と思っています。
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タロット06恋人

タロット06恋人

カード・メッセージ=「調和」

主な意味=協力者、パートナー、共同作業、グループ、異なる要素の結合と調和、将来性、長い試練、外交、接触、進路決定、二者択一、人物を見抜く力、身体と精神のケア

異なる要素同士における遭遇・干渉・結合を暗示するカードです。一人の男と一人の女が出会い、相当の時間を経て恋人になり、そして手を携えて、更に時間をかけて新たな家庭を築いてゆくように、異なる要素同士の遭遇によって生まれてくる「何か」を期待させるカードなのです

異なる国、異なる文化が出会う場合も同じです。故に、このカードは、「外交プロセス」の意味も持ちます。その他、異なる要素が二つあって、そのうち一つを選択する…という意味もあります

いずれにしても、こうしたプロセスには長い時間と、複雑な駆け引きや手続きが含まれます。その数多の干渉の果ての結合、あるいは決定に至るまでの、複雑に絡み合ったプロセスを、絡まった綾模様として描画してみました

(見ようによっては、シリーズ中で一番華やかな絵になったかもという感じです)

時には、交渉が上手く行かず、暗礁に乗り上げたり決裂したりする事もあります…それが、このカードの逆位置の意味として現われてきます。飽きっぽくなる、短気になる、非協力的な態度、誘惑に迷う、不調和、アレルギー…

この「恋人」カードは、正位置と逆位置の差は、意外に大きくありません(描画する際に、その辺りの事情も考慮しました)

最終的にどのような関係になったとしても、「双方が存在する限り、将来という時間もまた、双方に存在するのだ」という事実は変わらないのです。それだけ、生命は異なるものの間の多様な関係、多様性の中の調和を重視しているという事かも知れません

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

伊勢参詣の記録・後篇

伊勢2日目は、分厚い雲の下でした…(しかも寒かった☆)^^;

団体バスに揺られて、志摩パールロードなる道路を通過し、真珠専門店にて真珠製作工程など見学。いろいろな色や形の真珠があって面白かったです。バロック真珠とか。

…殆どの真珠製品が数万から数十万というお値段で、圧倒されました…^^;;;

※頑張って、フォーマル用に国産真珠の首飾り(小)を購入しました。フォーマルとは言っても、そういう場面には殆ど縁が無い生活ですし、死ぬまでに何回身につけられるかは分かりませんが…、とりあえず一生のお付き合いという事で…^^

後で英虞湾を撮影した観光パンフレットを入手して見てみると、複雑な多島海という感じで、なんとも海賊向きのエリアだ…と感心。そういえば、鳥羽エリアは昔、本当に海賊の王国だったようです。伊勢海賊とか。この辺は興味を惹かれたので、もうちょっと歴史資料を探して、調べてみようと思います。

海産物土産店で、生きた伊勢海老や大きなアワビにビックリした後、内宮を参拝…ガイドさんの説明を一通り覚えた後、ここでもやはり制限時間に追われて、境内を走り回りました。

火除橋(工事中)

宇治橋は架け替えられたばかりという事もあって、白木がきれいでした。写真は、火除橋と呼ばれている部分の小さな橋ですが、工事中のもの。工事中の橋には、何故か惹かれるものを感じます。

五十鈴川と菊御紋の御殿

五十鈴川を拝み、折り返して順コースを行くと、紫地に白い菊の御紋の幕を張っている、御殿(?)のような建物に出会いました。御紋が御紋なので…、もしかしたら、皇族がお使いになる建物…でしょうか。参拝が終わって引き返す時に、もう一度「そーっ」と見てみたら、胸に赤いリボンをつけた大勢の年配の男性が集まって、何か待っているらしいところでした。これも大変、不思議に思いました…^^;

内宮のご本体までは、かなり距離があったように感じました。勢い余って、途中で逆コースを辿ってしまいましたが(汗)、何とかTV放送でおなじみの場所に辿り着きまして…なかなか感慨深いものがありました。歴代総理の伊勢参拝の報道シーンで、幾度となく見ておりましたので、ちょっとボーッとしまして…^^;

…内宮の写真を撮影するのを忘れてしまいました…^^;;;;;;;;

次の遷宮は平成25年だそうで、案内柱が塀の前に立っていました。今の日本はまさに亡国の危機にありますが、次の遷宮の時にも、「日本」が残っていたら良いなと思います(…頑張るしか無いですね)…^^;;

荒祭宮が、少し離れた分かりにくい場所にあったのは、意外と言うべきか…こちらの方は撮影のチャンスがあり、撮影にトライしましたが、またしても「何だかぼんやりした輪郭の画像」しか撮影できず、諦めました…(絶対に何か、訳の分からない妙なモノが関与している??…としか思えなかったです)…^^;;;

もうひとつ印象に残ったのは「滝祭宮」という小さなお宮です。拝殿に向かうと、左側に五十鈴川が流れているのが見えるのですが、それがナニゲに良さげな感じでした。

時間が無かった事もあって、全体的に(全速力で走り回ると言う)あわただしい参拝になりましたが、なかなか面白い探検でした。普通は、工事の人は、グレーやベージュのつなぎを着ていますが、伊勢神宮の敷地内では、工事の人も白装束というか…白いつなぎを着ている…というのが興味深く、面白かったです(何と、ヘルメットも白だったのでした。工事用コーンや工事用車両は、さすがに色々な色でしたが)…^^;;

当日は雨の天気予報が出ていて、雲も分厚くなって急に気温が下がっていましたが、伊勢神宮の神域探検の間は雨にたたられなかったので、何だかついていたような…(宇治橋を引き返す頃にパラパラ降り始めましたが、傘を差すほどの降りでは無かったです)

おかげ町の猫の彫刻

その次に「おかげ横丁」を色々歩き回り、赤福(=これはオハギですね=)を買って町並みを見学。「おかげ町」の中心部(?)の建物の梁に乗っていた猫の木造細工が面白かったので、パシャリ。誰がこの猫の彫刻を作ったのかは分かりませんでしたが、作った人は、かなりユーモアがあると思いました。

五十鈴川郵便局が、時代劇風で面白かったです。郵便ポストも、明治初期の頃の目安箱スタイルで、なかなか気分が出ておりました。さらに通りかかった酒屋の杉玉に感心して、パシャリ。

郵便局のポストと酒屋の杉玉

…で、結構ビックリした件:

スピリチュアル・カリスマおじさん(?)のE原氏(紋付袴ファッション)が、報道カメラを構えたTV局の方の数名と一緒に「おかげ横丁」に来て、何かをしゃべっているのを目撃しました。E原氏は、何やら両手を天に向けて、神がかり風の陶酔した感じ(?)でしゃべっていました。パワースポットの魔法とか、スピリチュアル予言とか…でしょうか…、思わず口をあんぐりしてしまいました(紋付袴の金髪おじさんが、いきなり道端で神がかりになるのだから、すごく変というか…正直、怖かったです)…^^;;;

おかげ町で昼食(=名古屋飯とかいう、お刺身を載せた炊き込みご飯でした。美味しかったです=)を済ませ、団体旅行バスに飛び乗って、今度は夫婦岩を訪問。バスに乗った後、雨が本降りという感じになったので、ちょっと心配しましたが…。夫婦岩に到着するころには小降りから降り止みになっていて、神域と海岸を走り回れたので、助かりました…*^^*

夫婦岩とシャコガイ

上は「夫婦岩」を撮影したもの。下は「シャコガイ」です。

シャコガイの写真で、貝の形をした看板に何が書かれてあるかと言うと:

オオシャコガイ(沖縄産) Tridacna gigas (dinne)
〝此の貝は世界最大種で最長1.5M 重量230kg
1萬年の年齢のものがある これは推定150年〟

1万年も生存する貝なんて、鶴1千年・亀1万年もビックリの長寿貝だと思いました。永遠の命を約束する物質とか、長寿薬(仙薬)が採れるのでは無いでしょうか…^^;

二見浦からの太平洋

そして最後に、二見浦からの太平洋を撮影して、〆としたのであります。砂浜に下りてみると、打ち上げられた貝殻がいっぱいでした。貝殻を踏みつつ砂浜を歩き、はるか彼方の水平線を眺めていると、何ともいえない不思議な気持ちになりまして…^^ゞ

潮騒を聞きつつ、帰宅の途についたのでありました…^^

(関東地方に帰ってくると、首都圏内でケーブルが切れて電車ストップとかいう騒ぎがあって、そんな変な事になっているとは露とも思わなくて、超ビックリしました・汗)