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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「宮島厳島」

第三部マレヒト@第四章「宮島厳島」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/11■

鬼ノ城を出発。船団に同乗、瀬戸内海を渡る。鞆の浦に到着。

天候悪化のため鞆の浦で一日、停泊。鞆の浦は風待ち・潮待ちの港で、今のようにエンジン航行ではなく天然推力の航海では重要な位置にあった。瀬戸内海の全体の潮流が出逢う結節点でもある。

万葉集7-1182:海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ

万葉集7-1183:ま幸くてまたかへり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を

■09/12■

鞆の浦を出発。尾道に到着。九鬼の手先の行商人が居て情報を交換。石見国で銀が出たので、周辺の業者たちが活発化している。

類仁王は御影王と少し話をする。人生観の変化や、今後の行動など。鬼ノ城で散々、人間の死を目撃した類仁王は、世の中をはかなむ気持ちになっていて、四国巡礼を強く希望。類仁王は尾道で下船し、別の船(巡礼者向けの船)で四国・今治港へ向かう。

今治港と南光坊(55番札所)が近い。類仁王、今治港で上陸し、四国巡礼へ出発。

(南光坊:愛媛県今治市別宮町にある真言宗御室派の寺院。四国八十八箇所第55番札所、本尊は大通智勝如来、ご詠歌=このところ三島に夢のさめぬれば別宮とても同じ垂迹)

尾道を出て、多島海を渡る。

船団、宮島へ向かう。カモさんの神出鬼没がすごいので、村上たちが前もってカモさんを拘束。厳島神社でいったん報告会。十三夜月の観月宴(社交パーティー&情報交換)も兼ねて。

■09/13■

カモさん一行、厳島神社にて十三夜月の観月宴に参列。

鏡も一張羅を着て、カモさんの従者として参列。

観月宴のひっそりした席のほうで、カモさんと厳島神社の神職をつとめる老賢者との会談。

瀬都の勾玉の件および、瀬都の過去、名前の由来など。神話編集の話題にも及ぶ。

神話の中での「神鏡」の役割などのディープなオカルト話が進行し、鏡は興味深く耳を傾ける。

(科白メモ)星の添え星。別の口伝曰く鏡の呪術、されば、しられざる星のかくてありなむ。その要の境に出づ。剣は分かち、玉は連ね響く。これ三種の神器の伝なり。

■09/14■

厳島を出発。四国へ渡る。カモさん一行は、海軍その他の面々とは別行動になる。

伊予の国・松山港へ向かう。

道後温泉へ宿泊。鬼ノ城の戦いの後なので、カモさんもすごく疲れている。湯治とまではいかないが休憩。

夜、入浴。鏡父子、少し話をする「これから、どうするか?」。鏡は、伊勢で斎宮から受けた助言のとおり、九州へ行ってみるつもり。「ヨドミに逢う」。鏡父、少し考えて、賛同を示す。

■09/15■

早朝、鏡父とカモさん、話。鏡父、息子の決断を尊重。親としては、一緒について行って後ろから見届けたいと話す。雨竜島を経由して高千穂へ。情勢が乱れて見通しも不透明になって来ているが、カモさん、可能な範囲で協力すると了承。

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2010.10.17ホームページ更新

新しい詩歌作品を更新しました。

カムナビ―いと深きものに寄す:直通アドレス
http://mimoronoteikoku.tudura.com/garden/waka/57sinobi_03kamnabi.html

今回添付したイメージは、ささやかながら個人撮影のケータイ写真です。

むしろ曖昧な光景の方が、全体のイメージが膨らむかも…と思いました。


ついでながら、近況報告=10.16-17箱根旅行の際の、新しい写真をば。

小田原の海

1枚目は、昼食のために途中下車した小田原漁港の近くの海です。遠くに見えるのは(多分)漁船か、釣り船。久しぶりに「これこそ太平洋」と言うか、水平線の他には何にも無い茫漠とした風景を堪能しまして、仙人のような気持ちになりました(笑)

波の音などの水系統の音は、やはり心惹かれるものがあります。これが、地球の生物が最初に覚えた「音楽」なのだなあ…と、微妙に地学的&生物学的な、壮大な想像をしてみました。

秋山の中の川

2枚目は、富士山のふもとの山の中です。名前は分からないのですが、綺麗な渓谷を流れていた川で、川床の小石がはっきり見えるほどの清流でした。手を入れると冷たくて、良い気持ちでした。

川が削り出した岩とか川床とかが真っ白な岩なので、水の色が綺麗に出るのですね。お天気も良かったので、透明で明るい、深い翡翠の水色を堪能しまして。

やっぱり秋だなあと思ったのは、紅葉が始まっていたことと、ススキがわさわさ生えていたことでした…*^^*

そして、のんびりと旅行している間に世間では大変な騒動(?)だったようで、帰ってきてから、ものすごく驚かされました(中国の各都市で反日デモ?とか…、何が何だか…です・汗)

詩歌鑑賞:佐藤春夫「望郷五月歌」

『望郷五月歌』佐藤春夫

塵(ちり)まみれなる街路樹に
哀れなる五月(さつき)来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
恋ひしきや何ぞわが古里
あさもよし紀の国の
牟婁(むろ)の海山(うみやま)
夏みかんたわわに実(みの)り
橘の花さくなべに
とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそかのよき花を
朝霧か若かりし日の
わが夢ぞ
そこに狭霧(さぎ)らふ
朝雲か望郷の
わが心こそ
そこにいさよへ
空青し山青し海青し
日はかがやかに
南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ
心も軽くうれしきに
海(わだ)の原見はるかさんとて
のぼり行く山辺の道は
杉檜樟(くす)の芽吹きの
花よりもいみじく匂ひ
かぐはしき木の香(か)薫じて
のぼり行く路(みち)いくまがり
しづかにも昇る煙の
見まがふや香炉の煙
山賤(やまがつ)が吸ひのこしたる
鄙(ひな)ぶりの山の煙草の
椿の葉焦げて落ちたり
古(いにしへ)の帝王たちも通はせし
尾(を)の上(へ)の道は果てを無(な)み
ただつれづれに
通ふべききはにあらねば
目を上げてただに望みて
いそのかみふるき昔をしのびつつ
そぞろにも山を下りぬ
歌まくら塵の世をはなれ小島(をじま)に
立ち騒ぐ波もや見むと
辿り行く荒磯(ありそ)石原(いしはら)
丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり
若者の憩へるあらば
海の幸(さち)鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり
且つは問へ
浦の浜木綿(はまゆう)幾重(いくへ)なすあたり何処(いづく)と
いざさらば
心ゆく今日のかたみに
荒海の八重の潮路を運ばれて
流れよる千種(ちぐさ)百種(ももぐさ)
貝がらの数を集めて歌にそへ
贈らばや都の子等に