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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

タロット00愚者

タロット00愚者

カード・メッセージ=「流離」

主な意味=流浪、道化師、新奇、型破り、死角や盲点を突く、一発勝負、跳躍、飛躍、通過点、思いがけない出来事、ハプニング、重要な決定、イメージチェンジ、荒療治

タロットカードの中では、最も謎めいたカードであります

定番の絵柄では、崖から今にも落ちそうな旅姿の道化師として描かれます。これも相当に解釈に迷う絵柄であります。当サイトにおいては、もはや人物の姿は無く、荷物を結わえた杖が大地(広漠な空間=砂漠)の上に立っているだけで、あとは無限に広がる時空…一面の星空というイメージで描画

「0(零)」という数字も相俟って、そこだけ、無限に向かってぽっかりと空いた穴である…という風に思えるカードであり、その印象を意識してみました

何処とも知れぬ彼方から来て、「今ここ」を通過点とし、そして別の何処とも知れぬ彼方に去っていった者。愚者はきっと《無限》を旅する旅人に違いないのです。既成概念や常識的な世界観に囚われる事なく、全く別の立脚点からの視野を提供する者であります

新奇で型破りな発想…しかしそれは、同時に、一発勝負を旨とする流動的な発想でもあります。死角を突く、一瞬の勝負。それは博打でもあります。博打があれ程に人気があるのは、その流動性と飛躍性、一発逆転という激変性の故であると申せましょう

一瞬の間の激変…それ故に、不安定なカードであります。逆位置においては、その不安定さが強調されます。気の変わりやすさ、自由の履き違え、混迷、翻弄、偏見、空想、欲望に負ける、所有欲…

いずれにしても、この「愚者」カードからは、融通無碍、多技多才、遊戯の達人…などなど、ありきたりの定義に当てはまらないような多彩な人物像が浮かび上がってまいります。しかし一方で、その奥にあるものは《無限》であり《虚無》である…と言えるものであります。その《無限》はループして、再び「魔術師」カードの《無限》として現われてくるのでありましょう

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

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挽歌の象徴・・・青旗

和歌研究ノートです

以下のノートは全て、辰巳和弘・著『埴輪と絵画の古代学』白水社1992より抜粋&要約。

▼沖つ国-うしはく君が-染屋形-黄染の屋形-神が門渡る/万葉集16-3888
おきつくに-うしはくきみが-そめやかた-きぞめのやかた-かみがとわたる

(意味)…沖つ国(冥界)を支配する事になった君(の霊魂)が、黄色に塗った屋形船に乗って、神となって冥界の門を渡ることよ(※注意=昔は天皇など貴人が死ぬ事を「カムアガリ」と言った)

▼青旗の-木旗の上を-通ふとは-目には見れども-直に逢はぬかも/万葉集2-148

…死者の魂の召来…幡あるいは賢木などの植物の風に吹かれる「動き」にカミを感じる心情を抜きにしては理解し難い歌である。一木、一草、単に「それ」自身は「もの」であるが、その「動き」に死者の霊魂を感じていた…増田精一『埴輪の古代史』新潮社1976

…青旗は、そのはためきに霊魂が無事に冥界へとなびいていく意味を込めて墳墓に立てられた。霊魂が行き着く冥界は、天空にあると見られていたことになる。

▼隠国(こもりく)の泊瀬の山

…「隠国」は、大和国中から見て入り込んだ谷あいの地形を意味すると共に、現世から離れた地、すなわち冥界を意味する言葉。その「隠国」を枕詞とする泊瀬の山は現在、長谷寺の背後にある初瀬山を指すのではなく、西流して大和盆地へと流れ入る初瀬川に臨む南北の山塊の総称であった。

この初瀬谷の南側の丘陵上には外鎌山(とがまやま)古墳群をはじめとする多数の群集墳が分布している。…まさに「泊瀬の山」は冥界の地として大和人に意識されていたのである。…辰巳和弘『埴輪と絵画の古代学』白水社1992

▼人魂のさ青なる君がただ一人あへりし雨夜は久し思ほゆ/万葉集16-3889

万葉人が認識していた青は、緑・青・紫などの色を言うようである。

…われわれのからだについている魂の一つは、魂魄二種のタマシイのうち、魄である。魄のツクリの鬼は精霊、ヘンの白はタマシイの色を表したものと私は見ている。詳しい考証は省略するが、しかし、白だといっても真っ白ではない。青白色だ。碧の字も白に従っているが、実物はあお色である。白は同時に白昼の白で、明るいことである。碧は明るい青色の玉のことだ。

魄と碧とは、ことによると同語だったかも知れない。孔子の音楽の師匠の萇弘(ちょうこう)の死体が碧玉すなわち璧になった伝説がある。人びとはこれを魄の姿と見たのだ。からだから離れて外に出る方のタマシイ、すなわち「魂」の青かったことも、「人魂のさ青なる君がただひとり」云々と歌われている。

勾玉の材料に璧(あお色の玉)を尊んだのは、その色が魂と同色であるからで、その同色性によって、魂を引き寄せ、その鉤でつなぎ止める。腕輪や首輪に黄色のビーズや石が好まれたのもこれで、水鬼をごまかすチマキは、新鮮なあお色でなければならなかった。…金関丈夫『考古と古代』法政大学出版局1982

…人魂や霊魂は青い色をしていると考えられていた。ゆえに霊魂が渡ってゆく旗も、「青旗」の通り青い色だと考えられていた。更に言えば、霊魂が渡りゆく冥界は、青い世界ととらえられていたようである。…辰巳和弘『埴輪と絵画の古代学』白水社1992

…宮古では、現在でも人間が死んだらミュウに行く、という考えが残っている。ミュウとは、青々とした色をたたえている海の彼方、または海の深いところで、竜宮のことを「オーミュウ」という。「オー」は「青」である。ここにおいて『青』の世界が到来する。それは海中にあると信じられる南島の明るい冥府である。

…沖縄本島とその属島には、『青(オウ)の島』と呼ばれる地先の小島があった。青の島と呼ばれるゆえんは、そこに死体を埋葬するからであった。青は死者の色である…南方から渡来した海人は、海岸の地先の島に死人を埋葬する習俗を保ちながら、西から東へと動いていった。その痕跡が『青』なのであった…谷川健一『常世論―日本人の魂のゆくえ』平凡社1938