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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

花ノ写真:震災後1週と1ヶ月

個人的な写真記録でありますが…;^^ゞ

3.11の出来事から1週間後に撮影したケータイ写真と、1ヶ月後に撮影したケータイ写真がデータフォルダに残っていたので、心理的印象の記録も含めて。

白木蓮

1週間後のケータイ写真は、公園にある白い木蓮の花でした。

何でこんなフォルムを選んで撮影したのかは、分からないのですが…

考えてみると、常緑樹は結構あって、そっちの方を撮影しても良かったような。あの日は雲ひとつ無い晴天で、東北の出来事が一瞬だけ、幻のように思えた日だったように思います。

前日のTVニュースでは、福島原発が次々に爆発したとか、火事が起きたとか…というような内容が報道されていました。こちらでは電力不足=情報不足だったため、何が何だか…でしたが、多分、情報が回っていた西日本では、大騒ぎだったんだろうなあと想像しております。

…何だか変でしたが、原発が次々に爆発したと聞いても、そんなにショックを感じなかったのです。多分、虚脱状態だったか、或いは、感覚が麻痺していたのだと思います。

いろいろ考えてみると、不安や恐怖などの感覚が麻痺していたお蔭で、割と「夢うつつ≒冷静」のような感じで、事故の推移を眺めて居られたような気がします。どうも、1週間を超えて感覚が麻痺していたらしいです…

計画停電があって、この日は、真昼の時間帯がずっと停電していました。お掃除を済ませた後はやれる事が無かったですし、日陰になって暗い部屋の中にいるとドンドンおかしくなりそうだったので、気分転換に外出していた…という風に記憶しております。

気持ちが落ち着かずに一緒に外出に付き合ってきた知人も、「あれが、単なる悪夢だったら良かった…」と、何だか虚ろ…といったような放心状態で、コメントしておりました。

…何とも暗いですが(汗)、そういう状況でありました…;^^ゞ

桜花

1ヵ月後のケータイ写真は、桜の花です。ちょうど満開でした。

こちらは、お勤め先に行くときに、撮影したものです。バス待ちの間にゲット。ふと上を見上げて、「春だなあ」と思って、撮影したのでありました。

逆光めいた位置ですが、桜の花びらが朝の光に透けているのが、何とも印象的だったので…さすがに、バラ科の花ですね…^^

最近は、知人もギクシャクながら、日常感覚を取り戻しているようです。でも、喪失感や虚脱感が深まるのは、これからかなあ…と、ボーッと、思ってみたりするのであります。

この1ヶ月の間の和歌制作。何となく、四首です。

  • 夢見から覚めない悪夢ぞ現実(うつつ)なれ人は言へりし真昼の底に…乱調。
  • まばゆくも虚ろに広き青空に君無き春の始まれるかな…ちょっとした事情。
  • 夢見つつ夜ごと記憶を折り返し断層深き海を思へり…この1ヶ月、何となく寝不足だったり。
  • 復興の掛け声高くなりぬれど虚ろな淵のますます深し…まだちょっと、そういう気分。

人曰く。〝9.11の出来事には、敵が居た。しかし、3.11の出来事の後に残ったのは深淵だった〟

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「判断力」考・試論

判断力は「問われるもの」であり、自分の判断が正しかったかどうかは、周囲の影響や反応が返って来てから…で無いと分からない。つまり「歴史の検証」というフィードバックが必要な上に、タイムラグがある。

それなりのフィードバックを得るには、それなりの思考を投げかける必要がある。抽象的思考の能力が問題になると思われる。

★思考を発信する側=新たな判断が出来る程度に、抽象的思考が発達しているかどうか。

★思考を受信する側=発信されたサインを理解できる程度に、抽象的思考が出来るかどうか。

「見たまましか受け取れない」とか、事実であるかどうかに関係無く没頭できる「物語」だけを求めているようでは、洗脳されているのと変わらない。他人の考えに「へえ」と言うだけの状態では、戦略的な判断は無意味になる(=「空気読めない」というのは、この状態のことかと…)。

更に、調査データが読めないのは、非常に良くない。「事例」というのは生データを解析して初めて浮かび上がってくるものであって、具体的で分かりやすい事例を提示してもらいたがっている状態では、ケース・バイ・ケースに流されてしまう状態になり、生データを使って次の戦略(新たな物語)を立ち上げる事すら不可能。

戦略は最初からオープン系のシナリオを辿る(最初から参加メンバーを限っていれば、クローズ系のシナリオはありうる)。誰がステージに上がってくるのか、誰がどんなポジションにあるのかは未知数の状態のまま、シナリオが進む。人の運命は拘束できるものでは無いし、未来もまた拘束されていない。

逆に言えば、マスコミは、「報道しない権利」を使って(=情報の制限)、より操りやすいクローズ系のシナリオを「運命」に強制しているといえる。

ただ、こうしたマスコミの手法にも、メリットはある。次の反応が予想しやすい分、社会の安定化には便利な手法。余計なパニックを抑えるときは有効。ただし、情報制限もある限度を超えると、逆に情報を隠蔽していることで社会の発展を遅らせる原因になる。

本当に難しいのは、未知の事象と向かい合うときの姿勢。判断力よりも前に認識力が問われる。基本的には、未知のものに対する素直な感受性や好奇心があるかどうかが重要。

自分自身のポジションやヴィジョンを明確にしていることが重要(「自分は何をやりたいのか」というのを明確に)。日本国家の戦略を組み立てるのなら、最初に「日本をどのような国にしたいのか」をある程度決めていないと、デザインが曖昧になり、どんな判断も絵に描いた餅に終わる。

※あくまでも、「ある程度」である。将来の変化は予想できない。根底から変容しなければならない時は、必ずある。不変部分と可変部分を見極めること(不易流行)。

※原発問題が大問題なのは、日本国家のデザインに関わる要素だから。官僚にも、国家の安定的運営に責任を持つ立場ならではの理由があると思われる。

※理想的には「こんな事もあろうかと☆by『宇宙戦艦ヤマト』」というのがベストかも知れないが、そこまでの幸運は、期待しないほうが無難。所詮、人類の殆どは「普通の人間」である。

大体において、人間は完成された生き物では無いし、論理的な生き物でも無い。正義の思想を持っているからといって、その人が正しい行動をするとは限らない。

与件により道を踏み外したり、迷ったりするのが普通。よしんば熟考して判断した末に正しい行動が出来たとしても、その結果が将来に良い影響をもたらすものかどうかは、歴史の検証を経ないと評価できない。「今」という時点でパブリック的に判断できるのは、効率的・倫理的観点から見た局面のみ。

判断力を決める要素は、デザイン能力(時空構想力&編集力)、美的センス、感受性、異質なものへの想像力。判断力は結局、総合的な能力。「理想的には中庸が最も良い」という理由は、以上による。

《八百万の神々》論

…或る人物が言う事には、日本は、大地の力がとても強いのだと言う。そして、古代から現代に至る、様々な《意識》―《時空》が、濃密に混ざり合っていると言う。「産土」、「地霊」、…言い方は色々あるが、一まとめで言えば「八百万の神々」である。

そして、八百万の神々が宿る日本列島の大地は、とても強い霊威を秘めている…

今、突きつけられているのは、「先人を超越する」という重いテーマであろう。

2011年から2012年に及ぶ《災禍の時空》が、日本人の変容を促す…

何を見て、何を学び、何を考えなければならないのか…何を変えなければならないのか。

…想像力は創造力でもある…

その模索の積み重ねが、2012年の結果となって表れる。だが、その結果が明らかに目に見えるようになるのは、更に数年の時を経た後の時代の事になるだろう。変容に伴う《破壊》と《創造》は、一朝一夕に出来るような仕事では無い。

その間、日本列島の大地は、まるで嵐の中の小船のように揺さぶられる筈である。地震も、流言蜚語も、放射能も、国家も、経済も…およそあらゆる《禍ツ霊(マガツヒ)》が沸き立っては崩れ、不安と災厄を撒き散らしながら震え続けるのであろう。まるで、古代神話の《常夜闇(トコヨノヤミ)》の時代のように…

…《常夜闇(トコヨノヤミ)》の到来は、深く眠り続けていた神々を叩き起こすものなのだ…

神々は物語をものがたり、人々はその物語を、我が身の生と死をもって生きる。人々が神々の物語を表現する時、人は神である。

神に祈っても、神は何もしない。神は人を救わない。

ただ神を感受した人の心に宿り、現世の人の命を通じて、無限の変容の物語をものがたる。

生と死の間を渡りゆき、変容を遂げてゆく四季折々の大自然…人も社会も、宇宙も、また変容する。神々の力とは、おのづから成長し変容し続ける大自然の、《無限》の力に他ならない。

…目の前の現実に真摯に対応する。その時、八百万の神々の力が発動するのである…