忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ツイッターメモ,神託についてのプチ民俗学

『神託』

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372272809230045186

この神託所は希臘最古といわれ、3つの異なる文化層が確認され、「初めに樫の神木の崇拝があり、次いで大地の女神ゲーの崇拝、そして最後に紀元前13世紀になって、樫の神木の崇拝とゼウス信仰が結びついた」(ファンデンベルク『神託』)という

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372276268780036097

「巫女や祭司たちが、樫の木のざわめきから神の声を聴きとるというのも異様だが、最も特異な仕掛けは……ドドナの銅鑼の音だろう。
……ドドナでは、2500年も前に、人造の声が作られていたのだ」(ファンデンベルク『神託』)。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372303148186890243

「紀元前5世紀の終わりごろまで、ゼウスの樫の神託所は一度も石垣で囲まれたことがない。それぞれひとつずつ青銅の鉢を吊り下げた三脚の台架が、びっしりと連なって垣のようになっていた。
……訪問者はこの入り口を通り抜けて樫の神木の神域に入るとき、

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372303727219023872

どうしても左右の鉢に触れることになる。すると、銅鑼を打ったような音が生じて、それがずらりと並んだ鉢の全部に共鳴する。そして、どの鉢もそれぞれ大きさが違うので、さまざまな音響を発することになる」(ファンデンベルク『神託』)

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372306094668705794

ここで思い出されるのがわが国の銅鐸である。「音を出して「聞く」目的から地面か祭殿の床に置かれて「見せる」目的へと変化した」とするのが妥当であろう。
そして吊すことから連想されるのは、またしても天岩戸の根こそぎの榊に吊された青銅の「鏡」のことである。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372635153462292484

「天上の山からよく茂った常緑樹を根こそぎにしてきて、その上の枝には……曲玉の飾りを、中の枝には……鏡を掛け、下の枝には白と青の布の四手を垂らした」。
「この鏡はまさしくアマテラスを表象しながら、樹に掛かっていた」(吉田敦彦『太陽の神話と祭り』)。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372637611764813825

鏡は、本来、青銅でつくられたものである。用途はもちろん磨きあげられた表面にあるが、しかし意味はその裏に彫られた彫り物にある。
図は唐代の銅鏡の裏面。
そこには「宇宙」が表象されているのである。「円」には初めも終わりもない(と、昔の占星術師なら強調する)

https://twitter.com/Prokoptas/status/1372638505747111937

この「吊された鏡」から、吉田敦彦は「吊された太陽の娘」=ヘレーネーを連想するのに何の妨げもないとするのである。
あのトロイ戦争の原因をなしたへレネーが、最期は鈴懸の樹に縊れて(あるいは吊されて)死んだことは、日本人にはあまり知られていない。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1373034065754947589

エジプトの太陽は2本のシカモアイチジクの樹の間から昇り、シカモアイチジクの樹の間に沈むという。シカモアイチジクは「生命の樹」である。
対して中国の太陽は扶桑樹から昇る。が、当初、太陽は十個あって人間を苦しめたので、羿が9個まで射落として現在に至るという。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1373037740963426308

扶桑(樹)が現実の何に当たるかは明らかでない。仏桑花(ぶっそうげ)というの説もあるが、「生命の樹」(でなければ「世界樹」)でなければおかしいから、当たらない。
桑は希臘語でμορέα (Morus nigra)。バビュローンを舞台にピューラモスとティスベーの悲恋伝承がある。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1373040749617377281

その伝承では、桑の実は2人の血で赤くなったのだというのだが、実際は(「クロミグワ」の名があるとおり)黒くもある。実際の血潮が(特に静脈血が)どれほど黒いか、希臘の歌人はよく知っていた。
それを、「ギリシア人の色の表現はしばしば読者を当惑させる」などと……。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1373042417444646912

「吊された」といえばタロットXII「吊された男(女ではない!)」。ヴィーヴル版(右図)は北方ヨーロッパ起源とカテゴライズされ、「意図的な上下反転操作」の可能性があるという(井上教子『タロットの歴史』)。
なぜ正立しているのか、その理路がなかなか見出せないが……。

PR

異世界ファンタジー絵:ケモ耳少女、ケモミミ少女

出典作品:『宿命の人 運命の人―瑠璃花敷波―』(後に「狼少女と青き盾」に改題)

キャラクター:水のルーリエ(通称「ルーリー」)/水のサフィール、同一人物

ラフ絵/2018.07.01制作

レイヤー20枚ほど、デジタル彩色絵(手動)その1/2020.01.04~2020.01.11完成

レイヤー30枚ほど、デジタル彩色絵(手動)その2/2020.01.04~2020.01.11完成

比較/参考

全自動彩色バージョンの場合/2020.01.04試行

詩歌鑑賞:ディキンスン258,764,1078

(作品258番)/エミリー・ディキンスン

冬の午後には
ななめの陽差しがある
聖堂の重い調べのように
人の心に塞がる

それは天上の痛みを負わせる
しかしだれもその傷を見つける事はできない
ただ深い意味の世界で
見えない変化がある

だれもまたそれを変える事はできない
それは絶望の相
空からわたしたちに加えられた
至高の苦悩

その訪れるとき風景は耳をそばだて
影も息を殺す
またその去るときは死者の顔に浮かぶ
あのよそよそしさに似ている

(作品764番)/エミリー・ディキンスン

予感は芝生の上の長い影
太陽が沈むしるし、
驚いている芝草への通知
暗闇が経過しようとしていることへの

(作品1078番)/エミリー・ディキンスン

死んだ朝の
家のざわめきは
地上で行なわれる
最も厳粛な仕事

心を掃き清め
永遠まで
二度と使う用の無い
愛を片付ける