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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

計都星に関する調査

◆出典◆『星の文化史事典』出雲晶子・編著(白水社2012)◆

計都(けいと)
インド神話に出てくる惑星神の一人で、彗星のこと、または日月蝕を起こす魔物である。密教の占星術に取り入れられ、九曜として羅睺(日蝕を起こす魔物の星)とともに、日月五惑星とともに惑星に加えられた。仏教の密教に取り入れられ、宿曜経の経典として日本に伝わった。インドではケイトゥと発音する。

計都(けいと)-コラム

計都は、辞典をひくと、インド神話の九惑星(ナヴァグラハ)の一つケートゥの密教における呼び名で、黄道(天球上の太陽の軌道)と白道(天球上の月の軌道)の二つの交点のうち降交点にある架空の惑星、または彗星のことであると書かれている。降交点と彗星ではかなり違うが、なぜこのようなことになったのだろうか。

六世紀インドの天文学者・占星術師のヴァラーハミヒラによるインド占星術書『ブリハット・サンヒター(大集成)』第十一章に「ケートゥの振る舞い」という項目がある。それによると、ケートゥは一種類の天体ではなく、天・中空・地に属する三種のケートゥがある。地上の動物や草木に火の色が見られるとそれが地のケートゥ、火のない方向に火の色が見られるのが中空のケートゥ、星宿にあるのが天のケートゥだという。ケートゥは1001種類あるという人もいれば、一つで形が変わるだけだという人もいる。

ケートゥは軌道計算などで出現を予測できないらしい。さまざまな形のケートゥが紹介され、1001種類のケートゥについて占いが述べられているが、ケートゥは基本的に尾をひくという。胴が短く、まっすぐで光沢があるケートゥが見えると豊作になる。それと正反対の形、特に二つか三つの冠(尾のことらしい)をもったケートゥは不吉である。丸く光線をもつケートゥは飢饉をもたらす。真珠の首飾りやジャスミンの花、オウムの色に似たケートゥもある。

金星の息子というケートゥは84種類、土星の息子は60種類、木星の息子は65種類、水星の息子は51種類、火星の息子は60種類。ラーフの息子というケートゥは33種類で太陽表面に見られる。西にあって冠(尾)の先端は南にあり北に動くにつれて長くなったケートゥ、北斗七星と北極星とアビジト宿に接触して引き返し空を半分進んで消えたケートゥ、同時に2個7日間見えたケートゥなど、彗星の見え方や動きを驚くほど忠実に描写している。インド天文学というと力学や暦が有名だが、観測もバッチリだったことがわかる。

ケートゥが星宿に現われた時の占いは物騒である。「バラニー宿にケートゥが現われるとキラータ国の王が死ぬ」とある。クリッティカー宿の場合はカリンガ国の王が、ムリガシラー宿の場合はウシーナラの王が、マガー宿の場合はアンガ国の王が、などと27宿いずれにケートゥがきた場合もどこかの王が死ぬという占いになっている。

インドのナヴァグラハ(九惑星)とは、日月五惑星とラーフ(密教の羅睺)とケートゥである。『ブリハット・サンヒター』では、ラーフは黄道と白道の交点にいて日月蝕を起こすとされる星で、巨大な竜の頭と尾を切断された姿としている。昇交点に頭が、降交点に尾があってその2つのラーフが日蝕、月蝕を起こすという。しかし同書は別に「月蝕においては、月は地球の影に入り、日蝕の時は太陽に入る」「ラーフは食の原因ではないと学問の真実が述べられた」とも記されている。

つまり、黄道白道の交点に浮かぶラーフという架空の星により日蝕、月蝕が起こされるわけではないということを、ヴァラーハミヒラらその時代のインド占星術師たちは知っていた。しかし科学的事実は事実として、それとは別に占星術の要素としてラーフを用いていたということは考えられる。

時代が後になるにつれ、次第にラーフは頭、つまり月軌道の交点のみになり、ケートゥは月の降交点(一部経典では月の軌道の遠地点)とする説が強くなっていった。ナヴァグラハでラーフと対になるものと考えられたからかも知れない。現在のインドや密教の占星術では、計都は月軌道の降交点ということで落ち着いている。さすがは魔星計都。「彗星」から「軌道の交点」という驚くべき変身をとげた。
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古代インドの星宿メモ

◆出典◆『星の文化史事典』出雲晶子・編著(白水社2012)◆

★ブリハット・サンヒター

意味は「大集成」で、5世紀インドの占星術師・天文学者のヴァラーハミヒラによる、さまざまな占いを集めた書。ヴァラーハミヒラの一族はペルシア系でペルシア語文献に精通していたと言われる。内容は天体から気候、動植物、建物などの様子を何の前兆とするか、黄道12宮が地上の何に関連しているかなどで、天体については、日月五惑星、ラーフ、彗星、アガスティヤ(カノープス)、七仙人(北斗七星)の影響、星宿と地方の関連、惑星間と地上の戦争の関係、月と惑星が接近したときの占い、年と月の支配惑星について、惑星同士のアスペクトについて、月と星宿の関係について(ローヒニー、スヴァーティ、ウッタラ・シェーダーに月が来た場合)、朝焼けと夕焼け、太陽と月の暈、虹、幻日の現象、黄道12宮と星宿の対応、惑星と12位の関係についてなどである。

★ナクシャトラ

古代インドの27または28の黄道上にある星座。星宿。星宿は月が毎日留まる星座で、暦のための定点として月が動いていく白道(ほぼ黄道と同じ)上に並んでいる。月が天球を一周するのにかかる時間は約27.3日なので理論上は28宿・27宿どちらでもよく、タイッティリーヤ・サンヒターでは27宿、アタルヴァ・ヴェーダでは28宿となっている。

名前はアシュヴィニー、バラニー、クリッティカー、ローヒニー、ムリガシラー、アールドラー、プナルヴァス、プシャー、アーシュレーシャ、マガー、プールヴァ・パールグニー、ウッタラ・パールグニー、ハスタ、チトラー、スヴァーティ、ヴィシャーカー、アヌラーダー、ジェーシュター、ムーラ、プールヴァ・シェーダー、ウッタラ・シェーダー、(アビジト)、シュラヴァナ、ダニシュター、シャタビシャジュ、プールヴァ・バードラパダー、ウッタラ・バードラパダー、レーヴァティー。

27宿と28宿の違いはアビジトがあるか否かである。もともとのナクシャトラは黄道上から多少離れているものもあったが、数百年後にギリシア風の西洋占星術がインドに伝わり、その影響を受けてインド星宿は黄道上の帯のような部分を均等に27等分したものを指すようになった。それが仏教の僧が中国に持ち帰って漢訳される際、中国独自の28宿と対応して訳されたので、中国に伝わったものは28宿になっている。

ナクシャトラ占星術は27宿がそのまま一ヶ月の日に一定の規則で対応し、それぞれの宿の吉凶で占うもの(実際に月がいる星宿ではない)。ナクシャトラ占星術の原点はアタルヴァ・ヴェーダの拾遺(パリシシュタ)であるとされる。

アムゼルくんのプラタナス

http://amselchen.exblog.jp/19226211/
アムゼルくんの世界「AF Nikkor 50/1.8Dの淡い光」より

この写真は、ツイッターを通じて、写真専門サイトに公開されていたのを見たのが最初でした。

何か大きな木だな…と思いつつ、上から下に向かってつらつらと鑑賞していました。光の具合が、非常に好みな雰囲気であったのです。

そのまま、写真を見て「プラタナスの木蔭で…」という状況フレーズを連想しつつ、下に向かって鑑賞していると、突然不思議な感覚がやって来ました。写真の下部スペース1/3くらいの領域で、いきなりスパッと雰囲気が変わったように、無形の闇に呑まれたような感覚が来ていたのです。

幽顕のあわい…

その感覚は一瞬だったのですが、自分自身がビックリしました。普通は、「プラタナスの木蔭で…」の後に、「自分が何を感じた」とか「町の様子が」とか、意味のある状況フレーズ(=写真鑑賞のためのフレーズ)をくっつけるのですが、その時は何も思い浮かばなかったのです。

「プラタナスの木蔭で…」――そして、無形&無底&未生の混沌。

改めて写真を見直してみて、「普通に意味のある光景」が写っていたのを確認しましたが、それでも、一瞬到来していた「無形&無底の領域」の感覚の方が強烈で、ずっとその残響を引きずっていました。

突然「プッ」という感じで到来した、その「或る領域」は、一体何だったのだろう…?

幾ら考えてみても、「それ」を言語化することが出来ませんでした。「プラタナスの木蔭で…闇&混沌…」という風に言語化してみても、何だかピッタリしない…まるで、「プラタナスの木蔭で…」のフレーズが、その「言語化できない領域」を引きずり出して、目にも明らかに吊り下げて見せた、ような感じなのです。

心を凝らしてみる限りでは、「言語化しなければならないという役割そのものも、全く理解していない」という風な、妙な無貌のモヤモヤが、「のてっ」と“在る”…

「その領域(?)」を「思考の指」のようなもので、チョンチョンと突付いてみて…

「これは、言語化できない“何か(モヤモヤ)”である」と感じました。

『アムゼルくんの世界』ブログに写真作品がアップされ、感想コメントを送らせて頂いた後も、続けて考えていました。そして、突然パッと閃きました。「木の根っこの部分に何かを感じる」という似たような状況を、何処かで聞いたことがある…

〝いましがた私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に深く突き刺さっていた。それが根であるということが、私にはもう思い出せなかった。言葉は消えうせ、言葉とともに事物の意味もその使用法、また事物の上に人間が記した弱い符号もみな消え去った。いくらか背を丸め、頭を低くたれ、たった一人で私は、その黒い節くれだった、生地そのままの塊と向かい合って動かなかった。その塊は私に恐怖を与えた。それから、私はあの啓示を得たのである。それが一瞬私の息の根を止めた。この三、四日以前には、<存在する>ということが何を意味するかを、絶対に予感してはいなかった〟

サルトルの『嘔吐』の一部分です。

どうも、「木の根っこの部分で、いきなり無形&無底の何かを感受する」という意味で、サルトル描く主人公と同じモノを感受したのでは無かろうか…

「モノ」。考えれば考えるほど、写真に映った木の根っこで自分が感受した異様な「モヤモヤの領域」は、まさしく「具象化(言語化)される前の」「物」であるような気がしてきました。

そして、ここでまた閃いたのは、『日本語の哲学へ』の一部分です:


@参照=読書ノート:『日本語の哲学へ』
http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/556/(当ブログ編集)

具体的な事物を「もの」と言うとき、それは決して具体的な事物を具体的にとらえた言い方ではない、と結論する。例えば、「木」と言うとき、それは厳密には、その木の具体相(紅葉している、風が吹くたび葉が散るといった様子)を全て切り捨てて抽象化して言っている。それが「木」という語の意味である。

まして、それが「もの」ともなれば、「木」ということも切り捨て、「人間が感知し認識しうる」すべての具体相を消し去って、はじめて可能となるとらえ方である。「物」は「具体語」であるどころか、すでにこれ自体、究極の「抽象語」と呼ばなければなるまい。…物を「物」としてなり立たせているのは、この〈具体相を消し去る〉はたらきなのである。

「物」という語の意味は漢字の意味から類推も可能である。「物」は「牛」と「勿」に分解できる。「牛」は最も身近な家畜であった。「勿」は「こまごまとした雑布でこしらえた旗。色も形も統一がなく、見えにくい」さまと説明される。

◇藤堂明保『漢字語源辞典』:
朱駿声が、牛の雑色→いろいろな形・さまざまな色→形質や事類、という派生の経過を説いているのは、ほぼ正しいと思う。特定の色や形を持たず、漠然とした形色を呈している所から、物は「もの」という大概念を意味するようになったのであろう。

…何で、自分は「モヤモヤの何か」をずっと感受していて、サルトルの主人公のように「嘔吐」しなかったのだろうという事も、また妙な話ではありますが…^^;

多分、日本語の思考で写真を鑑賞し、ついでその「モヤモヤ」を感受して、日本語で意味分節していたからでは無いか、と結論。日本語には既に「モノ」「コト」という抽象的な言葉があり、言葉と化す前の未生の状態で、既に意味分節している訳です。その根源的・無意識的な意味分節があったので、「嘔吐」というような激烈な気分までは行かなかったのでは無かろうか?と思ったのでありました。

日本語の「存在」に相当する「モノ」という言葉は、「もののあはれ」というように、「万物の根底に広がる巨大な虚無」の認識を想起する言葉でもありますが、インド=ヨーロッパ語族に由来する西洋諸語では、「存在」は「在/有」の認識を想起する言葉を使っているようです(※ギリシャ語の「ウーシア(存在)」≒「所有物・財産」または「実体」「本質」)。

…想像するだに、サルトル描くところの主人公が感じた「存在」は、よっぽど不気味な代物であったらしい…と、同情…

1枚の写真で、ここまで不思議な体験をするとは思わなかったです。感謝なのです…