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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:ディキンスン672,750,670,883,1609

(作品672番)/エミリー・ディキンスン

未来は今まで一度も語った事が無い
また唖のように
合図で示さない
彼の深遠な来たるべき言葉を

だがニュースの機が熟すと
それをあらわす
準備も回避も代替もできない
行為のうちに

未来にまったく無関心に
天賦の才能は運命として
役割を執行するのだ
未来に対する運命の電報を

(作品750番)/エミリー・ディキンスン

ひとの成長は自然の成長のように
内側で引力に引かれる
大気と太陽がそれを保証するが
それはただ一人で動き出す

各自が困難な理想を
自分で達成しなければならない
沈黙の生活と言う
孤独な勇気を通して

努力だけが条件
自己に耐え
逆境に耐える事
それに完全な信念だけが

傍観する事は
周りの人たちの役割
けれども自身の行為は
誰の支援も受けられない

(作品670番)/エミリー・ディキンスン

幽霊に憑かれるには部屋でなくても良い
家でなくても良い
頭の中には現実の場所よりも
はるかに多くの回廊がある

そとの幽霊に真夜中に出会う方が
遥かに安全だ
あのもっと冷たい客に
内側で向かい合うよりも

石に追われて
僧院を駆け抜ける方が遥かに安全だ
淋しい場所で武器も無く
自己と出会うよりは

隠れている背後の自己の方が
もっと驚かす
私たちの部屋に潜む暗殺者などは
少しも怖くない

からだはピストルを携えて
ドアを閉める
だがもっとすぐれた幽霊か
何かを見逃すのだ

(作品883番)/エミリー・ディキンスン

詩人はただランプをともし
みずからは消えてしまう
もし生きた光が
太陽のように自身で燃えるなら
時代はそれぞれレンズとなり
その円周を
広げていく

(作品1609番)/エミリー・ディキンスン

夕闇の幕をおろす日没は かえって露わにさせるもの―
紫水晶の威嚇や
神秘の堀によって
私たちの眼にするもののの美をより高めながら
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軽度の右気胸の記録

このたびの週末、地元の病院を訪れました。

定期の健康診断で「気胸の疑い有り」と指摘されたのが理由で、頂いた紹介状(レントゲン写真も添付)を持参して、病院を訪れたという訳であります。

「気胸」という診断名を聞くのは初めてで、「なんのこっちゃ」というのが、最初の正直な印象でした。その際、「自覚症状とかありましたか?」と確認されましたが、特に何も無かったので、「特に無し」と答えていました。

その後、やはりと言うべきか、連日の熱帯夜の中でボンヤリしているうちに、ジワジワと気になり出しました。それで、何人かの知人に「気胸って何?」と聞いてみましたが、良く分からないまま。

インターネットで調べてみて、どうやら「息苦しさや呼吸困難などの自覚症状を覚える」肺の異常らしいという事が分かりました。肺に穴が開いて、空気が漏れるのが原因らしい。そこで、何やら身に覚えがある事に急に気付いて、開いた口が塞がらない状態になったのでありました。

特に深刻な現象という訳では無いのですが、「時々、深呼吸がちょっとやりにくい」とか「忙しくて全力疾走してる時、空気が妙に足りない」とか、妙な感覚はあったのです(単に運動不足かと思っていた…汗)。

※更に言えば、数年前、急に呼吸困難になってバッタリと倒れた事はある※

地元の病院には、その時、呼吸器内科の専門の方がいらっしゃらなかったのですが、持参したレントゲン写真に明らかなサインが出ていたのでしょうか、一般外科の方で見て頂くという事になり。

「右側の肺がしぼんでる」という事で、割と大きなレントゲン写真(らしい)を撮影され…

再検査の結果は…本物の「気胸(右)」でした(青天の霹靂!)orz

ただし、幸いな事に、軽度の物だそうです(大きな方のレントゲン写真を見せられて、ちょっと説明して頂いたのですが、素人目にはさっぱり分からない…)。

  • 日常生活はOK(入院の必要は無い)
  • 息をこらえるのはダメ
  • 飛行機に乗るのはダメ

などなどの注意点を頂き、その日の診察は完了。

★《追記》★1週間後、再びレントゲン撮影をしてチェックとなりました。前回より、右肺が微妙に小さくなってるそうで、結構ショックでしたorz

幸い、肺機能は充分あって、血液中の酸素濃度も万全に近い数値(自覚症状も特に無し)という状態なので、引き続き経過観察となりました。この辺りを底として、肺には、早いうちに元に戻ってもらいたい物であります(割と不安…)

★《更に追記》★1週間後、再び経過観察となりました。

ほんの少しですが、肺のサイズが回復しかけてるそうで、ホッとしました。「まだ完全な状態じゃないので、引き続き大人しくしててね」と言われましたが、ともあれ、手術抜きで済む…と期待してみるのです。

これまでの経緯:1.発見時、2.気胸進行中の物、3.少し回復の物(聞き書き)

肺のCTスキャンを撮影して、診察終了。CTは初体験でしたが、見れば見るほど、面白い機械だなと思いました♪

★《更に追記の追記》★1週間後、再びレントゲンでチェック。

肺が元通りのサイズまで回復!ホッとしました。この後は、少しずつ間隔を延ばしてチェックしましょうという事でした(気胸は再発しやすいらしい)

CT画像を見せて頂いたところ、過去、肺の隙間が出来た場所にシッカリ空気が回っていて「ほほう…」と感心しきりでした。息を吸ってピッチリと膨らんだ左肺に比べると、右肺は、肋骨内部の空気圧のせいで、完全に膨れてない…という感じ。成る程「気胸」と言う名前が付く訳だと納得です。

「一応、一通り治った」と言う事で、一旦、此処で記録を終了です

詩歌鑑賞:ディキンスン1147,1450,1540,1605

(作品1147番)/エミリー・ディキンスン

百年を経た後は
誰もこの場所を知らない
そこに演じられた苦悶も
平和のように静か、

わがもの顔の雑草がひろがり
見知らぬ人々はさまよい来て
先にみまかった死者の
寂しい綴り文字を判読した。

夏野の風だけが
この道を思い出す――
記憶が落とした鍵を
「自然」の本能が拾い上げて。

(作品1450番)/エミリー・ディキンスン

道は月と星とで明るかった、
樹々は輝いて静かだった、
遠い光で、わたしはみとめた、
丘の上の一人の旅人――
魔術的な急斜面を
登って行くのを、地の上ながら、
彼のきらめいている究極は知られないが、
ただ彼は静かに光輝を確認していた。

(作品1540番)/エミリー・ディキンスン

悲しみのようにひそやかに
夏は過ぎ去った、
遂に、あまりにもひそやかで
裏切りとも思えないほどに、
もう夙(と)うに始まった黄昏のように
蒸留された静けさ、
またはみずから引きこもって
午後を過ごしている「自然」、
夕暮の訪れは早くなり、
朝の輝きはいつもと違う、
ねんごろで、しかも胸の痛むような優美さ、
立ち去ろうとする客人のように、
このようにして、翼も無く
船に乗る事も無く
私たちの夏は軽やかに逃れ去った、
美しきものの中に。

(作品1605番)/エミリー・ディキンスン

失われたひとりひとりもなお私たちと共にある―
新月は見えなくても空にとどまり
雲にとざされた夜
輝く月と同じに海の潮に呼び寄せられるもの