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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作1

異世界ファンタジー1-1発端:冷たい秋雨降る中で

昼下がりにも関わらず、竜王都の空は暗く、冷たい秋雨がサーサーと降る。

王宮に与えられた一室の中、ロージーは速達に目を通し、そして茫然としていた。

――父が死んだ。長い間、王都を二分した権力闘争――その残党の暴動鎮圧で、殉職したのだ。

ロージーは込み上げてくる悲しみをこらえ、白い手を震わせた――

*****

竜王都は、竜人が中心となって治める王国の都である。ロージーもまた、一応、竜人だ。

ロージーは愛称で、正式にはローズマリーという。父の名は士爵グーリアス。特に家名を持たない平民出身の兵士だったが、長く続く竜王都の混乱がもたらした地方紛争に関して、ささやかな武功を立て、叙爵されて王都勤務の中堅武官として取り立てられたという経歴を持っていた。

竜人社会でも、地位相応の格差がある。特に顕著なのが、竜体に変化した時の体格や力量だ。

地位が高くなればなるほど竜体の体格は大きくなり、その力量――各種の攻撃力や防御力など――も増大する。貴族クラスの戦闘力は極めて高い。一般的に有名なのは貴族クラスの竜だ。しかし、平民クラスの竜体はせいぜい「羽の生えた大トカゲ」という程度の、何とも微妙な存在感である。

日常生活の中では人体の方が便利で、竜体に変身する事は滅多にない。しかし、危機が迫った時は、より頑丈でパワーのある竜体に変身して対応する。竜体はいわば戦闘モードなのだ。

家柄や血統が大いに関係はしてくるが、きちんと修練を積めば、努力に応じて竜体の能力は高くなる。ロージーの父グーリアスもまた、努力によって平民から士爵に繰り上がった竜人だった。

一方、ロージーの母は、ロージーを出産した時に、負担に耐えられず死亡している。ロージーは母の顔を知らない。父は母を愛してはいたのだろうが、口下手な性格ゆえか、滅多に口には出さなかった。

祖母が説明するには、ロージーの母親リリフィーヌ(愛称:リリー)は、白に近い白緑の髪、エメラルド色の目をしていたと言う。リリーは、何やら訳があって、竜王国の他の地域から辺境へと流れて来た女性であった。その当時、暗く思いつめた顔をしていたリリーを、グーリアスは見初めたのである。程なくして、リリーもグーリアスを意識するようになり、二人は結婚したのだ。

――グーリアスはリリーの《運命の人》。リリーはグーリアスの《宿命の人》。

それが、祖母の口癖なのであった。

*****

王宮の窓の外では、冷たい秋雨が降り続けている。

ロージーは回想へと流れて行く心を必死に落ち着け、再び速達の書面に目を通した。

父親の死を告げているその書面には、その内容が厳密に正確である事を保証する「宿命図」が添付されていた。

「宿命図」とは、その人を構成する各種エネルギー分布を記述した図である。見た目は、まさしくホロスコープそのものだ。個人個人によって微妙に異なるため、戸籍データや身分証明用の紋章(エンブレム)として用いられる。

もちろん、今回のように、死亡証明書にも使われる。父グーリアスの《宿命図》が提示する生命線は、その日時をもって、急に切断されていた。占術師の手で記された添付文書には、《死兆星》の相、と解説されていた。この世に生きる者にとっては全く予期せぬ運命の星でもある《死兆星》が、生命線の終結をもたらしていたのである。

――上手に対応しなくては。

ロージーは、秋雨が降り続く窓の外をボンヤリと眺めながら、色々な決断を下していた。

*****

ロージーには、婚約者がいる。これが少女の夢でもあるシンデレラ物語そのもので、ロージーはいまだに戸惑いを感じていた。

部屋の鏡の前で髪形や服装をチェックした後、ロージーは王宮から貸し出された馬車で、貴族クラスの居住地に向かった。目指す邸宅は比較的に広大な庭園に囲まれており、遠目にも周囲の光景から際立って見える。その邸宅が、婚約者の実家であった。

王都でも高い官位を持つ貴族クラスの竜人(ギルフィル卿)の嫡男が、ロージーの婚約者――ジル〔仮名〕である。

――いつもながら、祖母が住んでいる民間の養老アパートとは、えらい違いだわ。

貴族クラスに相応しい大きな邸宅の豪華な門の前で、大柄な門番に連絡をすると、やがて執事が訳知り顔で出て来て、ロージーを邸内に招き入れた。いつも折り目正しい完璧な執事だ。婚約者とはいえ平民の娘に対し、恭しい態度。婚約者に決まって以来、定期的に婚約者の実家を訪問して少しずつ慣れて来てはいたものの、やはり心中、落ち着かないものがある。

「このたびは、ご愁傷さまでございます」
「お心遣い痛み入ります」

ロージー父の急死については、婚約者の実家の方にも、当然ながら報告が入っていたようである。

当主ギルフィル卿も、その嫡男――ロージーの婚約者本人ジル〔仮名〕――も、王都で忙殺されていて留守だ。年経てなお美しく上品な令夫人が、悲痛な表情でロージーを出迎えてくれた。先祖に王族が居たのであろう、金色の筋が混ざる翠髪をした貴婦人である。目は引き込まれそうな青だ。

「ローズマリー、このたびは本当にお気の毒でしたね」

ロージーは美しい令夫人に敬意をこめて淑女の礼を取ると、勧めに応えて、応接間のソファに腰を下ろした。

父の生前の希望に沿って母と同じ墓に父の遺骨を納めること、その一連の手続きのため王宮にて半月程度の忌引休暇を申請したこと、もちろん王宮で任されている様々な業務については上司や師匠の了解付きで引継ぎをしてあること、そして家族葬という形になるため、ギルフィル卿側からの出席や弔慰金を一切辞退すること――

ロージーがそういった細々を説明すると、令夫人は首を振り振り、苦労しながらも納得してくれた。

無理もない。ロージーは今でこそ士爵の娘だが、元々は、父親・母親ともに、平民出身だ。ロージーの唯一の血縁は、王都に住まう祖母だが、目下、体調を悪くして、民間の養老アパートで静養中である。ギルフィル卿が援助を申し出てくれたものの、根っからの平民の祖母は、高位の竜人に備わる威圧感に圧倒されっぱなしで、ついに落ち着くことができなかったのだ。

そもそも、竜体に変身した時の体格差が、貴族クラスと平民クラスとで天と地ほど違う。竜人は、体格差や力量差のレベルが如実に現れる種族なのだ。小物が大物をひどく恐れるのは、自然なことである。

「気を付けて行ってらっしゃいね。何かあったらすぐに連絡して――」

ロージーが侯爵家を退出する際、令夫人はそう言ってロージーを温かく抱きしめ、送り出してくれたのであった。

秋雨の降り続く夕方、邸宅から出された馬車が、ロージーを乗せて、地方乗り継ぎの乗合馬車の駅へと向かう。その馬車の影を、令夫人は執事と共に、通りに面した窓から見送っていた。

「いつも感心させられる程しっかりしたお嬢さんだわ。それに引き換え、あのジル〔仮名〕と来たら…」
「このご時世、致し方なき事もございましょう。王都を二分した権力闘争の残り火は、なお燃えておりますからして」

ギルフィル卿は王都の重臣の一人として、他の有力貴族と共に王都混乱の後始末に奔走していた。当人は多忙を極めており、その息子もまた優秀な若手官僚として、それ以上の多忙に見舞われていたのであった。

婚約者同士であるジル〔仮名〕とロージーは、ここ15年もの間、まともに顔を合わせる機会が無かった。それこそ、婚約を交わして以来、ただの一度も(!)顔を合わせていないのである。

令夫人は、この余りの巡り合わせの悪さを嘆いていた。竜人は、「唯一のその人」に出会った瞬間に、《宿命の人》を感じる。《宿命図》に予兆される、唯一の相手。一生に出会えるかどうかも分からない、稀有な存在。

ジル〔仮名〕はロージーと初めて出会った瞬間、《宿命の人》を感じたと言う。そして実際に、ロージーの《宿命図》を取り寄せてみれば、あら不思議、奇跡的なほどの相性の良さが暗示されていたのだ。

王宮から派遣されてきた占術師は、ロージーのポテンシャルを保証した。貴族社会に、きちんと適応できるだろう、と。身分差や竜体に伴う能力の問題は、確かにあった。しかしロージーは、生まれ持った身体こそ不安定ではあったものの、師匠を得た後はひたすらに努力を重ね、未来の令夫人としての公務も、時折つっかえながらも何とかこなせるレベルまで到達したのだ。

(ジル〔仮名〕の《宿命図》は狭量で気難しいタイプだと評価されていたし、《宿命の人》が見つかったこと自体、奇跡だったのよね)

少しの間、思い出に浸った令夫人は、力強く拳を握り締めると、「早くこの仮婚約を本当の婚約にして、怒涛の結婚に持ち込むわ!」と、気合を入れたのであった。

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岸辺篇2

岸辺篇1より続く

ここでは、『深森の帝國』の舞台に採用した日本中世と、更に奥舞台となる日本古代について、制作委員会の解釈含め、今の時点で思いつく事柄を、つれづれ物語りたいと思います…

制作委員会で注目している、日本中世…中世という時代は、現代に劣らぬ国内外クライシスに揺さぶられた修羅場でもありました。

骨肉相食む保元・平治の乱、それに続く源平動乱を通じて、従来の社会秩序が崩壊。宋滅亡~モンゴル襲来、鎌倉幕府の崩壊、朝廷の南北朝分裂とその権威の衰退、荘園の巨大利権化とそれに関わる寺社勢力&官僚の腐敗と抗争、それに伴う海賊&山賊&末法カルトの大量出現を見た時代。

環境的なものでは、気象変動・災害(地震・台風)の急増、疫病流行など。経済的なものでは、足利幕府、近江商人、堺商人、といったグローバル的な性格を持つ商人が力をつけ、新たな文化・政治活動の有力なパトロンとなった時代。

応仁の乱に発する戦国時代もまた、中世のカテゴリに入ると考えています。

  • 源平~南北朝・室町時代が中世前半(=中世の第一部)。
  • 戦国時代~関が原が中世後半(=中世の第二部)。

この中世が興味深いのは、長い間、水面下で蓄積が続いていた「心」が、中世になって一気に「身体言語/事象言語」を得て、「文化様式」として現出したこと…そこには、大きな次元の跳躍・・・「変身/変容」・・・が、あります。(例:枯山水、石庭、茶道、華道、てりむくり屋根などの創造。)

中世の動乱を境に、古代社会からプレ近代社会へ変容したと考えることができる・・・

そして、おそらく…この変容は、縄文から弥生に(原始社会から古代社会へ)移行するときも、起こったことに違いありません。しかも、この節目のほうが、中世・戦国時代の倍以上の時間がかかっているのです。

佐倉哲エッセイ集[「わ」の思想の源流]に時代区分の図解アリ

食糧生産社会――という、身分確定(正体・形質・宗教原理などの確定)の時間が殆ど与えられずに、「文明のあけぼの」の空気を現代に持ち込んでしまった日本、あっという間に古代から現代まで、突貫工事よろしく駆け抜けていった日本――年表を見てみると、つくづくそんな感じです。

日本の独自性の、誰の目にも明らかな根拠として、この比較年表の歩み――縄文時代の圧倒的存在――を、挙げたいと思います。先人の数千年――という、長い長い助走は、思想/価値観の雑居性&並行性の思考様式――日本文明の基盤となる「和調(日本調)」を打ち立てるものであり、この「和調」こそが、弥生時代の変容エネルギーの源であった、と思います。

制作委員会では、上の年表や今までのヒント、思索を元に、大雑把ですが、「日本文明」に関して、ささやかな仮説…物語を立てました。


日本流の破壊と再生…、多文化・多思想の受容と変容のスタート、それは弥生時代か、縄文のどこかにさかのぼるのか、正しいことは分からない。縄文草創期は、一万年以上前――氷河期に相当する。世界の夜明けを見た時代にさかのぼるほどの、気の遠くなるような古さ…

日本文明の立ち上がりは、おそらくは弥生時代――縄文から弥生への移行期に起きた変容は、縄文由来の強靭な地盤による支持なくしては不可能であった事は、まず確かである。

他族・他思想の流入がひときわ急増し、全国的に、また外国にも通用する一定のスタイルを新たに確立するにあたって――「日本文明」という未知の領域に向かって、様々な履歴を背負っていた数多の民が、それまでに確立した縄文交易ルートに乗って交差、融合していった時代でもある…また、中央集権化に向かわせるような気象変動(寒冷化)も、追い風になった。

その中で、縄文時代の数千年という時間に培われた「和調(日本調)」という思考基盤、それは、ことに新来の民にとっては、永遠とも思える時間を生き延びてきた不気味な深淵…見渡す限りの底なし沼のように、広がっていたのかも知れない。

遠藤周作『沈黙』/フェレイラ教父の言葉
「この国は沼地だ。…どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった。」
芥川龍之介『神神の微笑』(青空文庫)/老人の霊の言葉
「…我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」「たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。……御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘(ギリシャ)の神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」

縄文以来の数千年という長大な伝統と、ひっきりなしに流入する新来の思想との衝突…それは、未だ生まれざる日本文明の構築と、その全国普及(統一)をゴールとする、数多の動乱を伴ったスタートでもあった。生みの苦しみ…倭国大乱。戦国時代にも匹敵する血を流した動乱の時代である。

どんな民がどんな外来思想を運用するにしても、自らの存亡を恐れる限りにおいては、縄文以来、数多の災害を乗り越えてなお長大な命脈を誇る「和調」という基(もとい)の上に移植を望み、同時期に入ってきた他多くの思想/価値観といがみ合いながらも、並行運用――上手に折り合いをつけつつ――という必要性に迫られたのではなかったか。

何故か幸運にも、その過程で10年~20年間に大陸史1000年を超えるほどの怒涛の文明的変容を起こし、しかも全てがバラバラになって崩壊することなく再組織化・合理化に成功して、あっという間に世界の名だたる古代文明に追いついた。

弥生時代のどこかで日本文明が成立したと仮定すると、縄文時代に蓄積された「和調」という素地は、十分に高度な文明の雛形を用意しており、ひっきりなしに流入する数多の方程式、変動パラメータに対して、驚くべき構築力で応えた――と、考える事が出来る。

すなわち、多文化・多思想の受容と変容を同時に可能とする、「日本文明」という名の連立多元方程式を一気に組み上げたのである…(少なくとも、その方程式は、いわゆる『二重構造』をとっている筈である。)

中世前半/後半のように、古代においても弥生前半/後半と分かれていて、縄文以来の伝統を継ぐ「日本流並行運用」が上手く働き出し、大和朝廷が立ち上がったのが、弥生後半の終わり頃では無かっただろうか――ちょうど中世後半の終わり頃に、江戸幕府が立ち上がったように。

そして、この流血と混乱と変容に満ちた嵐のごとき弥生時代を全て呑み込み、「和調」の伝統の元に最も上手く事態をさばいたのが、現在に至る皇室の祖族、あるいは次々に皇室を立ち上げては権威を伝承した、数多の豪族達である――皇室は、弥生時代の、本来は1000年を要する変化をわずか10年、20年に圧縮した気の遠くなるような混乱を呑み込んだ末の結果であって、日本列島、縄文以来の時空の中では、まだまだ若過ぎる存在であると考えられる。

あの時代は、全てが混乱し、全てが謎のままで、本当は何が起こっていたのかは分からない――手元に残るのは数多の分岐を持つ神話、奇妙な混乱と整備のある正史書、謎めいた昔話、意味定まらぬ古語の群れ、水面下に隠された神々、偽書と判定された神話物語…

以上、制作委員会なりの日本文明の創世記を描き出してみました。

岸辺篇1

「アルス・マグナ」

アルス ars:ラテン語。自然 natura ナトゥーラの対義語、基本的意味は「人為」。有名なフレーズ「"ars longa, vita brevis" アルスは長く、人生は短い」…意外に日本にも類似フレーズがある⇒「命には終りあり、能には果てあるべからず(風姿花伝)」


第一部 ヤツマタ・・・第一章 十六夜★閉幕

記念すべき第一部・第一章があがったところで、ちょっと乾杯。いきなりスタートした感じでしたので、この辺りで少し立ち止まって、そもそも、何故この物語を創作し始めたのか?きっかけは?について、『深森の帝國』制作委員会を代表して、美月まとめで、語りたいと思います…

元々、日本の中世時代について、美学とか、社会文化、神仏習合などの点で興味があった…というところから、発生しています。

特に能狂言とか、世阿弥…『風姿花伝』など…それから不思議な事に、人形劇にも興味を…近松門左衛門の「曽根崎心中」とかで使われる、あの人形です。ひところ、テレビで流れていた「三国志」人形劇の影響もあったかも知れません。

その不思議な人形の祖先が傀儡(クグツ)人形だということで、しばらく傀儡(クグツ)を調べ、さらに人形の歴史をさかのぼって神事に使われる人形をネットで色々拝見し、(からくり人形も、もちろん大好き^^)細男(セイノウ)と云うとても古くて奇妙な神事(海部・アマベの神事?)に辿りついて、そこでも「?」をいっぱい浮かべつつ、関連史料めぐりを。未だ消化できてませんが…

細男神事は、本物は見た事が無くて、未だに何か歴史的に論理的にいえるほど理解してるわけじゃないのですが、「細男(セイノウ)」というのが日本の種々の神秘的人形の始祖みたいな感じ――で受け取っています。(誤解は多々あるかも知れませんが、そのように感じました。)

そうしていて、学生時代のお話なのですが、ある日、能「葵上」を見たのです。若手の修行舞台だったのか、招聘か何かだったのかは、もう覚えてないのですが。急ごしらえっぽい能舞台がステージに作られており、その上で能が舞われてました。

人が、人ならざるものへ。そして、人ならざるものが、人へ。核(コア)と呼ぶべき実体が無く、「絶対」と呼ぶべき何かも、中心軸も無く…見立て――あるいは変身、というより「変容」――という概念が、現実世界に立ち現れた事。あれは、本当に――ぴったりの言い方が見つからないのですが――鳥肌が立ちました。

日本を構成する基礎と感じるのに、いつも説明に窮してしまう「なにものか」――それを読み解く強いキーワードは、「あの仮面性(または人形性)」「あの支軸(輪郭)無き変容性」ではないのか――と。

「仮面性(人形性)」に対し、すごく本質を突いていた文章を引用:

・・・すべて深いものは、仮面を愛する。
それどころかこの上なく深いものは、自分の映像や肖像を撮られる事を憎みさえする。もしかしたら、全く反対の姿に化ける事こそが、まず何よりも、おのれを羞恥して神がまとう適切この上ない変装なのではないだろうか。・・・
・・・すべての深い精神は仮面を必要とする。いやそればかりではない。すべての深い精神の周りには、絶えず仮面が生じてくる。というのも、彼の発する一語一語、彼の足取りの一歩一歩、彼の示す生活の兆候の一つ一つがみな、絶えず誤った、つまり浅薄皮相な解釈を蒙るからなのである。・・・
『善悪』40・ニーチェ著

日本は――あらゆる文明、あらゆる文化の行き果つる境界、弧状列島でもあります。という事は、限りなく深い境界/深淵なくして、種類雑多なものを受け入れていながら、正気で居られるはずが無い…と。

「日本人論」という数多の仮面に分厚く覆われ、いくつもの名前と顔を持っているが、その裏にあるものは「本当の顔(或いは固定的な姿)」を持たない深淵である…

これが、制作委員会の見る『日本』です。

中世と、能と、人形と…流れが混乱してますが…

言挙げもせずに沈黙し続ける仮面の奥を尋ね、自分なりの解釈で物語ってみたい、これが、『深森の帝國』創作に至るひとつの経緯…きっかけのひとつとなりました。制作委員会を立ち上げるまで結構、長い年数(厳密な数はヒミツ)が空いてます^^

今の時点で、まだまだ書き足りない事がありますので、特別にもうひとつ、断章を入れます(予想外の二部式)^^;

以上:岸辺篇2に続く