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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2007.12.22 ホームページ公開

2007年12月22日ホームページ公開です

☆《http://mimoronoteikoku.tudura.com/》☆

(ブログのプロフィールページのリンクからも、別窓で飛べます)

あちこち楽しんでいただければ幸いです。(鈴鹿峠の章は、まだ字幕テキストの手入れ中ですが、ブログとの同期を取ることも含め、最新ページまで入っています。以後は制作中)

テスト公開中の転送状態チェックにより、ブロードバンド以外の環境では特にコミックページのダウンロードに時間がかかる事が分かっています。画像の更なる軽量化の方法が見つかり次第、少しでも軽くしておく予定です。

ついでに気が向きましたら、感想など当ブログにお寄せいただければ幸いです。

年末年始は各種事情により、ブログ更新を休んでおります・・・どうぞよいお年を、そして2008年も、どうぞよろしくお願い致します。

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異世界ファンタジー試作3

異世界ファンタジー1-3邂逅:雪白の連嶺と谷間の紅葉

ロージー母の眠る共同墓地は、長く変わらぬ静謐な谷間の中にあった。竜王国の北部辺境にあって、冬の到来が早いのであろう、谷底から見える高い山々は、深い雪に覆われていた。その奥には、万年雪を頂く永遠の山脈が雄大に広がっている。

冷涼な空気の中、黒い喪服をまとったロージーは、年老いた墓守の一人と共に父親の遺骨を納める作業を黙々と続けていた。やがて最後の土がかぶせられると、墓守は物慣れた様子で葬送の詞を呟いた。ロージーは白菊で編まれた葬送の花冠を墓に捧げ、静かに手を合わせた。

「グーリアス殿は毎年、リリフィーヌ殿の命日に、此処に来ておったよ」

年老いた墓守の思い出話は、ロージーを改めて驚かせる物だった。墓守は「これを預かっていた」と言い、事務所の裏にある遺品倉庫から、簡素な文箱を取り出してきた。中には、「父より」と書かれた封筒のみ。じっくり観察した訳では無いが、妙に新しくない感じのある手紙である。何年か前に書かれた物かと思われた。

(これはこれで、父さんらしいかも…)

今はまだ、心がざわついている。諸々が落ち着いてから、ゆっくり開封しようと、ロージーは心に留めた。墓守の事務所を退出した後、空を見上げる。日暮れまでには、まだ時間があった。ロージーの足は、共同墓地から離れた雑木林へと向かって行った。

遅い昼下がりの中、紅葉の盛りにある雑木林は、赤に金に、キラキラときらめいている。王都に先駆けて、早くも紅葉のピークが過ぎ去ろうとしている。谷を流れる小川はあちこちで幾筋もの小さなせせらぎを作り、落ち葉が華やかに彩り、秋ならではの散策の楽しみを保証していた。

久しぶりにノホホンと歩いていると、次第に思い出されるのは、ジル〔仮名〕という名前の持ち主の事だ。私の運命を激変させた人。見ず知らずの婚約者。

最初の交流の時以来、ジル〔仮名〕とは、一度もまともに再会する機会は無かった。間もなくして王都の権力闘争が激化したためである。ギルフィル卿とは、先方の邸宅で内々に成人を祝って頂いた時に、一度だけ慌ただしく顔を合わせた。黒髪のダンディな方だ、息子に当たるジル〔仮名〕も好青年だろうとは思うが、黒髪だったという他は、どんな顔をしていたかは全く思い出せない。

しかし、激務の合間を縫って折々に贈られる品や手紙には、心遣いが溢れていた。《宿命の人》というのを差し置いても、気が合う人だと思う。初対面の時、まだ幼かったロージーにとっては、《宿命の人》とは言っても、特に目立つ好意や親近感に毛が生えたという程度の認識しか無かった――その淡い認識のまま、成人を迎え、そしてこの年になるまで来てしまった。

――母は、父にとっての《宿命の人》だったという。

竜人の男にとって《宿命の人》とは、どんな存在だろう。竜人の女にとっては――?

(もう一度、ジル〔仮名〕様と顔を合わせてみれば、分かるのかしら?)

うつむいたまま林間をそぞろ歩きしていたロージーは、改めて、父の手紙が入った文箱を、胸の前でギュッと抱きしめた。婚約指輪に指が触れる。成人した際に、成人祝いを兼ねて作り直した物だ。正式な婚約指輪では無いそれは、身元証明用のエンブレムも彫り込まれていない、ごくごくシンプルなデザインである。

ロージーは無意識のうちに、指輪をくるくると回した。

――父は、母にとっての《運命の人》だったという。

祖母がニコニコしながら繰り返し語った、平民の男と平民の女の、ささやかな恋愛物語だ。

ロージーはボンヤリと考え続けていた。

王都の混乱が収束しない限りは、婚約者とすれ違い続けるだろう。縁が無い私が、いつまでも婚約者気取りでジル〔仮名〕様を束縛し続けているのも申し訳ない気がする。何といっても、私は平民だけど、ジル〔仮名〕様は竜王国の将来を背負って立つ高位の貴族の一人なのだ。これまでの勉強の甲斐あって、貴族社会の事情は分かる。

(婚約破棄も、にっちもさっちも行かなくなった問題の、解決手段の一つだと言われている)

そしてそれは勿論、最終的な手段だ。今はまだ、そういう決定的な局面ではないが、将来どうなるか分からないのだから、今のうちから可能性を考えて置いた方が良いだろう。のっぴきならない、強い理由を探しておくとか――

ロージーは思案に集中する余り、足元や周辺への注意がおろそかになっていた。不意に木立から現れた人影にギョッとしたものの、その動きを避けきれずぶつかり、突き飛ばされ、その拍子にロージーは足を踏み外していた。

「きゃあ!」

片足が木の根に引っ掛かる。地面の支えを失った片足はそのまま空を蹴り、ロージーは転倒しかけ――

――次の瞬間、ロージーは力強い腕に身体を支えられていた。

ロージーは目をパチクリさせた。随分、背の高い人だ。目の前にあるのは、地味ながら上質な仕立てのコート。留め具の外れている隙間からは、カッチリとした、どう見ても宮仕え用の衣服。間違いなくこの辺りの平民の衣服ではない。

ロージーが頭をヒョイと上に向けると、見下ろして来ていたその人と目が合った。

「申し訳ありません、気が付かなくて…大丈夫でしたか、令嬢どの」
「え、あ、ハイ、こちらこそ」

ロージーは息を呑んだ。心配そうにこちらを覗き込んで来る男性の目は、深い青だ。息詰まるような威圧感こそ薄いが、明らかに貴族クラスの竜人。切れ長の目やきつく寄せられた眉が、威厳を感じさせた。しかし、心持ち長い黒髪が少年っぽさを感じさせ、地位や年齢相応の厳しい雰囲気を和らげている。

ロージーはそそくさと足元を整え、対象範囲の広い簡易版の淑女の礼を取って、丁重にお礼を述べた。見知らぬ男は驚いたように目を見開いていたが、すぐに綺麗な微笑みを見せ、「どういたしまして」と腰をかがめて応じた。

(笑うと随分、印象が変わる人だわ)

ロージーは、心臓がドキリと跳ねたのを自覚した。しばらくの間、見知らぬ男から目を外せない状態だったが、ようやく、不躾にジロジロ見ている形になっていた事に気付き、慌ててあらぬ方へ目をやった。

「令嬢どの、此処へは葬儀か何かで来たのですか?」

頭の上から、男の低い声が降って来た。声も素敵だなんて反則だわとロージーは思いながらも「ハイ」と答える。ロージーはコートを着ていたが、その下は明らかに喪服だ。それをこの男は見て取っていたのだ。

ロージーは慎重に見知らぬ男を振り返り、「あなたも、葬儀か何かで?喪服ではありませんよね?」と問い返した。男は無言でロージーを眺め続けていた――特に、艶やかな白緑の髪を眺めていたようだ――が、やれやれと言ったようにため息をついた。

「ええ、まあ、急いで知人に会いに行ったところだったのですが、一足違いでした。献花だけはしましたが…」

ずいぶん忙しい人ではあるらしい。多忙の合間を縫って、やって来たのだという事が窺えた。男の黒髪は乱れがちになっていた。高位の竜人ならではのチートスペック、つまり竜体で空を飛んで駆けつけて来たという事なのだろう。誠実な人らしい。

「お心は伝わっていると思いますわ」

ロージーが軽く微笑みながらそう言うと、見知らぬ男は流し目をくれた。思わぬ色気に、ロージーは再びドキッとし、抱えていた文箱をギュッと抱きしめた。男はロージーの反応を知ってか知らずか、乱れていた髪をかき上げ、軽く整えている。

――その男の指にキラッと光ったのは、指輪。

(結婚指輪だったら特殊加工を施した宝石を付けるから、これは婚約指輪の方かしら)

素敵な相手がもう居るんだわ、とロージーは納得していた。きちんと良識を守って、節度のある態度を取らなければ…と気を引き締める。逆に言えば、気を引き締めなければならない程、ロージーは彼の雰囲気や佇まいに強く惹かれていたのだ。しかし思い通りにならないのはやはり無意識で、ロージーは同時に、無意識のうちに、自分の指輪をくるくる回していた。

男の方は、ロージーから視線を外し、北部辺境を成す雪白の連嶺を眺めている。どのくらいそうしていただろうか、男が立ち去る気配が無い事に、ロージーは疑問を覚え始めていた。不躾にならないように気を付けながらも、チラチラと男を眺める。

やがて男が、やっと口を開いた。

「此処は美しいところですね。令嬢どのは、この辺りの出身ですか?」
「ええ」
「成る程」

男はフッと微笑んだ。不意にやられると心臓に悪い――ロージーはドギマギするばかりだった。

「令嬢どののお名前を尋ねても?」
「ロージーとお呼びください」

後から考えてみても、この時のロージーは、明らかに舞い上がっていた。冷静じゃなかったのだ。低く朗々として甘い男の声は、ロージーをすっかり魅惑していた。この声で、ロージーと呼んで欲しい。平民クラスの感覚で愛称を答えてしまってから、ロージーはハッとしたが、もう遅い。貴族クラスは、何故かその辺は神経質なのだ。余程の関係じゃないと、愛称を呼ばせない。

(でも知らない人だし、ローズマリーもロージーも同じなんだから、まあ、いいか――私は平民クラスだし)

ロージーは無意識のうちに目を伏せ、再び指輪をくるくる回していた。無意識の癖になってしまっている。

「あの…あなたのお名前は?」

男の返答は無かった。うつむいていたロージーは、不思議そうに顔を上げた。男はロージーの手をじっと見ていた――即ち、ロージーの指にはまっていた婚約指輪を。

――気まずい雰囲気が流れた。婚約者としての立場を不意に思い出し、ロージーは動転の余り、そそくさとあらぬ方を向いた。

「済みません、――大事な人を亡くしたばかりで…」

緊張の余り、筋が通っていない内容になっているようだ。あああ。どういう言葉を続ければ良いのだろうか。取り繕えば取り繕うほどボロが出て来ているような気がする。ロージーは、穴があったら入りたい気持ちで一杯になった。

男は「私の方が失礼をしました」と言って苦笑した。そして、ロージーの手を、壊れ物を扱うかのように大事そうに取った。

「――ロージー嬢の"大事な人"に敬意を表し、名乗らずに済ませましょう」

男はそう言って、ロージーの手に軽く口づけしたのであった。

異世界ファンタジー試作2

異世界ファンタジー1-2北部辺境へ/回想:ボーイ・ミーツ・ガール

ロージー母が眠る北部辺境の共同墓地へは、高速の転移魔法陣を使っても4日ほど掛かる。往復で8日間。忌引休暇は15日あるから、一連の手続きに日数が掛かったとしても、7日間もあれば余裕をもって済ませられるはずだ。

王都を出たロージーは、単調なペースで大陸公路を移動し続けていた。1日に、1台から2台ほど馬車を乗り継ぐのもセットだ。圧倒的な力量を持つ貴族クラスの竜人にしてみれば、これくらいの距離は、竜体であれば半日も掛からずに飛んで移動するだろうけど。

(私ったら、父さんと一緒に、ずいぶん田舎から上京してきていたのね)

久しぶりに平民クラスの竜人の中に居る。貴族クラスの竜人とは全く違う、のほほんとした雰囲気や猥雑な雰囲気に、思わず緊張がゆるんだ。シンプルなアップにまとめた自分の髪に、そっと手をやる。幼い頃は病的なまでに真っ白だった髪は、今は母親リリーの色を受け継いだ、艶やかな白緑色になっていた。成長や鍛錬で、竜体の力量がアップした証拠でもある。多少ではあるが、身体も丈夫になった。

祖母は、ロージーの努力が実り始めていったのを、とても喜んでくれた。父は、やはり武骨で口下手な性格のせいか、余り大したことは言っては来なかったが、多分、祖母と同じ気持ちだったと思う。貴族クラスには到底及ばないが、平民社会の中で――そして貴族社会の中でも――ビクビクせずに行動できるようになっただけでも、大きく違う。チャンスをくれた婚約者ジルと、その両親であるギルフィル卿とその令夫人には、感謝してもしきれない。

ロージーは幼体の半ばになるまで、父親や祖母と共に、北部辺境の田舎で静かに暮らしていた。平民クラスの中でも生命力の弱い個体に対する風当たりはあり、あからさまな物では無いが、弾かれる傾向にあった。父親の叙爵と昇進に伴い、家族揃って王都へと生活の場を移したが、身体的に不利な条件があいまって、最初はビクビクし通しだったのだ。

――あれは、上京して間もなく開催された王都の園遊会の時だったわ。あとで知ったけど、夏季社交シーズンの目玉だったとか。

ロージーは、人生が激変した「その日」を、感慨深く思い返した。

*****

父グーリアスは早速の王都での業務を抱えていたが、あいにく祖母は外出中で、勤務中にロージーを預けられる適切な託児所を見つけることができず、困惑した末、思い切った解決手段をとった。

――おいで、父さんと一緒に仕事をしよう。綺麗なドレス、おやつ付きだ。

父親の仕事は、園遊会の警備だ。持ち場は当然と言うべきか、幸いなことに、庭園の端っこ。そして、手元には士爵クラスの招待状があった。園遊会への出席を決めていたにも関わらず、急に欠席することになった同僚が持っていた物だ。

その同僚は、お見合いパーティーを兼ねた園遊会の直前に、《宿命の人》と電撃的出会いを果たし、園遊会への出席が必要なくなったのだ。当日は、カップルを組んで王都デートをすると張り切っていたそうだ。

父親はロージーに一張羅のドレスを着せて、招待客の一人として入場。そしてロージーを所定の場所で待たせて置き、今度は警備兵として、何食わぬ顔で前任者と交代する。ロージーは父親の目の届くところで、その日の食事とおやつを楽しんだ。

さて園遊会はお見合いパーティとしての側面もある。そして竜人が嫉妬深い性質であることは有名である。恋のさや当ては、避けて通れないトラブルであった――警備兵が配置されているのは侵入者対応のためだが、その実、第一の理由は、恋のさや当ての飛び火を防ぐためなのだ。

当然のごとく、トラブルが発生した。上位貴族クラスの会場で、一人の美少女――どこかの貴族の令嬢を巡って、二人の少年が対峙した。きっかけは良くあるささいな事で、次いで、紳士らしい態度か否かで意見の相違があり、それが竜人ならではの気性の荒さを伴って、エスカレートして行った。

「此処では迷惑が掛かる。端っこに移れ」
「了解」

――などといったやり取りの後に、二人の少年――金髪と黒髪――の間で、体術を使った激しい決闘が始まった。

運の悪いことに、その「端っこ」は、おやつに満足した幼いロージーが、昼寝を決め込んだ場所だ。言い訳しにくい手段でロージーを連れていた父親は警備場所から動くことができず、うまい具合に繁みの下に隠れた格好になったロージーに、何も被害が及ばないよう、ハラハラして見守るしか無かった。

二人の少年の決闘は、ロージーの居る繁みの真ん前で行われていたのだ!

戦闘力に優れた貴族クラス同士の争いには、将官クラスのチームを組んで対応するしかない。しかし、父グーリアスは持ち場を離れて上司の元に駆け込むことが出来なかった。それは娘から目を離すことでもあったから。と言う訳で、いつ隙をついて幼いロージーを救出できるか、タイミングを窺う羽目になったのだ。

幾ら熟睡していても、地面が激しく震えていたら流石に目が覚める。ロージーが目を覚ましたことで事態は悪化した。

ロージーが繁みの下から頭を出したところへ、黒髪の少年の猛烈な足払いが襲い掛かる。

黒髪の少年は直前に幼い少女の存在に気付いてギョッとし、指先3本ほどの差で足を踏みかえた。ロージーの頭部を避けた拍子に、姿勢を崩す。そこへ、対決相手の金髪少年の必殺のパンチが飛び、次いでキックが飛ぶ。その方向が悪かった。金髪少年のキックの方は、もし当たれば、竜体であってもなお脆いロージーの頭部を、粉々にしてしまう。

絶体絶命――だが、黒髪少年はあえて前方に飛び出してパンチの直撃を受け、顔をしかめながらも、信じられない反応速度で身体を沈め、ロージーの前で腕を組んで、キックの直撃を受けた。衝撃で、黒髪少年の口が切れた。

手前の黒髪の青年の手が土を突き、勝負は決まった――向こうの金髪少年の勝利だ。

ロージーは、目の前で起きた猛烈な動きにショックを受けて、絶句し、固まっている。ロージーの小さな身体は、手前の黒髪少年の背中に完全に隠れる形になったため、対決相手だった金髪少年はロージーの存在に最後まで気付かず、踵を返して上位貴族クラスの会場へ戻って行った。やがて、会場を仕切る植え込みの向こう側で、金髪少年と美しい貴族令嬢との会話が始まった。

やがて、静寂。そして、おもむろに繁みの方を振り返った黒髪の少年と、繁みの下から顔を出したロージーの、視線が合った。

結論から言えば、黒髪の少年はその瞬間、ロージーを《宿命の人》として見初めたらしい――という事になる。

黒髪の青年は、幼い少女の、ハッとするほど白い髪に手を伸ばした。ラベンダー色の目を持つ少女は瞬間的に、貴族クラスの竜人がまとう威圧感に反応し、ビクッとして後ずさる。そこへ、一人のいかつい顔をした警備兵が、慌てた様子で飛び出してきて、必死の形相で少女を抱きしめた。

黒髪の少年――衣服からして明らかに貴族クラスの子息――は、不意に目を険しくした。

「そなた…名乗れ」
「この子の父親、士爵グーリアスです。娘を救って頂き、深く感謝申し上げます」
「――父親?」

黒髪の少年は、信じられないといった様子で、グーリアスとロージーを見比べていた。警備兵が家族を連れ込むとは、などと怪しんでいるのは明らかだ。やがて少年の視線が移動し、ロージーの口元を見つめる。さっきまで険しかった気配が緩んだ。

ロージーは、あらかじめ「大声を出して目立つな」という言いつけを心得ており、目に涙を一杯ため、身体を震わせながらも、口を食いしばっていた。ロージーは気付かなかったが、口の端にはケーキの欠片がついていたのである。

グーリアスは「如何ような罰でも」と言い、ロージーを抱きしめながら、神妙にひざまづく。

黒髪の少年は、口を切っていた時の血をぬぐって立ち上がると、グーリアスにも「立て」と命令した。流石に貴族クラスだけあって、命令することに慣れている。グーリアスはロージーを抱えたまま、おずおずと立ち上がったが、戸惑ったように立ち尽くす。ロージーは緊張で震えながらも父親にぴったり抱きつき、梃子でも動かぬ様子。少年はしばらくその様子を眺めていたが、次の瞬間には苦笑を漏らしていた。

「お嬢さんを紹介してくれ――それで、不問だ」
「…我が一女、ローズマリーです…」

グーリアスは渋々と困惑が入り交ざった様子で、受け答えした。竜人の男同士、感ずるところがあったのだ。

園遊会は無事に終わり、そして、その数日後。

グーリアスとロージーは、王都で名の知られている貴族ギルフィル卿から、私的なお茶会のお招きを受けた。それだけでも「何処で縁があったのか」と信じられないのに、その日のうちに占術師による《宿命図》判定を受け、太鼓判を押された上で仮婚約まで話が進み、略式ながら婚約指輪を交わしたのであった。

貴族クラスに囲まれたロージーが、緊張とパニックで思わず竜体に変身して物陰に身を隠すという一幕もあったが、ギルフィル卿も奥方も、ご機嫌な様子で、跡継ぎたる息子の《宿命の人》だからと、鷹揚に笑って済ませてくれた。

――その黒髪の少年こそが、ジル〔仮名〕――ギルフィル卿の嫡男だったのである。

(了解無く竜体に変身するのは威嚇行動でもあり、礼儀上、非常に失礼な事とされている。しかしロージーがほんの子供であるという事が、大目に見られる理由の一つになった。平民クラスの子供の竜体サイズは人の姿の時と大体同じ大きさであるが、竜体に変身した時のサイズは、猫の大きさ程しか無かったのである。ロージーは気付かなかったが、脆く真っ白な鱗は、同情と哀れみを誘った)