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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

抜粋覚書:萩原朔太郎「詩の原理」より

萩原朔太郎「詩の原理」より「結論」の部分を抜粋覚書


島国日本か? 世界日本か?

西洋の近代思潮が叫ぶデモクラシイは、明らかに貴族主義の相対である。即ち貴族主義と民衆主義とは、同じ一つの線の上で、互に敵視しながら向き合っている。しかもデモクラシイが求めるものは、貴族主義に代わっての政権であり、民衆自身の手に権力を得ようとする叙事詩的エピカルな精神の高調である。そしてあの自由平等の高い叫びは、それ自ら権力への戦闘意識に外ならない。故ゆえに彼等のデモクラシイは、言わば「逆説されたる貴族主義」で、本質上には同じ権力感の線で、他の反対者と向き合っているのだ。自由主義もまた同様であり、彼等にあっては形式主義と相対し、同じ叙事詩的エピカルの線に立っている。

然るに日本人のデモクラシイは、そうした相対上の関係でなく、気質の絶対的な本性に根づいたものだ。日本には原始からして、一も貴族主義や形式主義が発生してない。第一日本の詩の歴史は、無韻素朴な自由詩に始まっている。(一方で西洋の詩は、荘重典雅な形式的の叙事詩エピックに始まっている。)日本では古来からして、あらゆる文化が素朴自由の様式で特色している。西洋の文化に見るような、貴族的に形式ぶったものや、勿体もったいぶったものや、ゴシック風に荘重典雅のものやは、一も日本に発育していない。皇室ですらが、日本は極きわめてデモクラチックで――特に上古はそうであった――少しも形式ぶったところがなく、陛下が人民と一所に起臥きがしておられた。一方に西洋や、支那しなや、エジプトやでは、荘重典雅な皇居の中で、あらゆる形式主義の儀礼の上に、権力意識の神聖な偶像が坐っていた。

だから日本には、外国に見るような堂々たる建築や、壮麗にして威圧的な芸術やは、歴史のどこにも残っていない。(すべての建築美術は、本来リズミカルのものであり、権力感情の表現されたものである。)日本では皇室や神社の如き、最も威圧的に荘厳であるべき物すら、平明素朴の自由主義で様式されている。殆ほとんど文化のあらゆる点で、日本にはクラシズムが全くなく、そうした精神の発芽すらない。日本に於ける形式主義は、すべて支那からの輪入であって、しかも外観上のものにすぎなかった。(支那人はこの点で、日本人と最も箸るしいコントラストである。)

かく日本の文明が、上古から自由主義と素朴主義で一貫しているのは、民族そのものの本質がデモクラチックで、先天的に貴族主義の権力感情を持たないからである。しかもこうした日本人のデモクラシイや自由主義やは、西洋近代思潮のそれの如き、相対上の反動ではなく、絶対上の気質にもとづくものであるから、日本の過去の歴史には、決して外国に見るような革命が見られなかった。革命とは、自由主義やデモクラシイやが、他の貴族主義に対して挑戦ちょうせんするところの同じ権力感情の相対する争闘だから、始めからその権力感情の線外に居る民族には、もとより革命の起る道理がない。日本人は生れつき平和好きの民族で、自由や平等やの真精神を、相対上の主義からでなく、気質上の所有として持っているのだ。

然るに西洋人は、この点で吾人を甚はなはだしく誤解している。西洋人の思惟によれば、日本人は戦争好きの国民であり、軍国主義と武士道の典型であると考えられている。もちろん近年に於ける日本は、政府の方針から多少軍国的に導かれた。またその同じ教育から、多少或あるいは国民が好戦的になったか知れない。しかし国民性の本質が、内奥に於て如何にその外観とちがっているかは、かの日清・日露等の役に於ける兵士の軍歌(雪の進軍と、此処ここは御国を何百里)が、歌曲共に、哀調悲傷を極めているに見ても解る。一方でドイツの軍歌「ラインの守」が、いかにリズミカルで勇気に充ち、威風堂々としているかを見よ。日本人がもし真に好戦的だったら、ああした哀調悲傷の歌曲は、決して行進の軍歌として取らないだろう。

さらにより大きな誤謬は、日本人の武士道に対する偏見である。確かに日本人の武士道は、社会の或る一部である、少数の武人の中に発達した。それは確かに著るしく、世界的に異常のものであるかも知れない。けれども一般の民衆は、この点の教養から除外され、全然武士道的な精神をもっていない。そしてまたこの点でも、日本人は世界的に著るしく、特殊な例外に属している。なぜならば西洋では、今日尚なお民衆がその「紳士道」を有している。そして紳士道は、正しく騎士道の変化であって、言わば資本主義の下に近代化した武士道であるからだ。然るに日本に於ては明治の変革と共に武士が廃すたり、同時に武士道そのものが消えてしまった。なぜなら日本の民衆は、この点での教養を過去に全く持たなかったから。日本の武士道は、少数の武士にのみ特権されて、西洋に於ける如く、平民の間に普遍してはいなかったのだ。

何故に日本では、武士道が普遍しなかったろうか。これ日本に於ける戦争が、古来すべて内乱であり、人種と人種との衝突でなく、少数武士の権力争いにすぎなかったからだ。これに反して外国では、戦争がすべて異人種との争いであり、負ければ市民全体が虐殺されたり、奴隷に売られたりされねばならなかった。故に支那や西洋では、都市がすべて城壁に囲まれており、市民は避けがたく戦争に参加した。のみならず一般の農民や民衆やも、常に外征に徴発され、兵士として戦場に送られねばならなかった。

故に西洋に於ては、武人的精神が早くから民衆の間に普及していた。農民や市民ですらも、その必然の経験からして、何等か武士道的な精神に触覚していた。これによって西洋では、封建社会の亡ほろびた後にも、尚その騎士道の精神が、新しき紳士道の様式で遺伝された。実に西洋の文明は、近代のあらゆるデモクラシイと女性化主義フェミニズムにもかかわらず、その紳士道を尊ぶ精神からして、本質上でいかに貴族主義のものかが解る。これに反して日本は、封建と共に武士道廃り、平民の時代に入って全く貴族主義の精神を失喪した。今日の日本が言う「紳士」とは、気概なく品性なき、成金的醜劣の人物の称呼であって、西洋のゼントルマンと根本的に別種である。かくの如く西洋では、民衆一般が武士道的で、権力感的なるエピカルの精神を気質している。故にその文明の特色は、本質上に於て著るしく貴族主義である。試みに日本の音楽と西洋の音楽と、日本の歌舞伎劇と西洋の古典劇とを比較してみよ。音楽でも劇でも、すべての西洋のものは上品であり、気位が高く、権威感があり、何等か心を高く上に引きあげ、或るエピカルな、高翔こうしょう感的なものを感じさせる。これに対して日本の音曲おんぎょくや演劇やは、どこか本質上に於て賤いやしく、平民的にくだけており、卑俗で親しみ易やすい感がする。特に日本に於ても、江戸時代の平民芸術はそうであり、卑俗感が特別に著るしい。中世以前に於ける武家文化や公卿文化の芸術は、その貴族的なことに於て、高翔感的なことに於て、西洋現代のものとやや一致している。

西洋文明の特色たる、この貴族主義的の精神は、必ずしも芸術ばかりでなくして、他のあらゆる文化一般に本質している。第一その科学、哲学、宗教、芸術等に於ける、西洋流の言語感そのものからして、何となく或る威厳的な、勿体ぶった、歴々のものを感じさせ、或る崇高な権威の方へ、意志を高く飛翔させる。そして古来の日本文化には、殆どこうした貴族感がないのである。特に江戸時代に於ては、芸術家が芸人の名で呼ばれたほど、文明の本質が非貴族感的となり、デモクラチックのものに沈下していた。今日西洋人の中にあっては、アメリカ人が最もデモクラチックである。――したがって日本人に最も接近させられる――であるけれども、彼等の極端なるジャズバンドの音楽でさえ、日本俗謡の八木節や安来節の類に比し、尚遙に貴族感的で、どこかに*シルクハットや燕尾服を着たところの、儀礼正しき紳士道を聯想れんそうさせる。

こうした西洋の文化や文芸やが、日本に移植された場合に於ては、いつもその本質が変ってしまって、根本に於ける叙事詩的エピカルの精神を無くしてしまう。特に就中なかんずく、文学はそうであって、明治以来、外国から移植された一切の文芸思潮は、一も日本に於て正解されないばかりでなく、文学そのものが変質して、全く精神の異ったものになってしまう。元来明治の文壇と称したものは、江戸末期に於ける軟派文学の継続であり、純然たる国粋的戯作げさく風のものであったが、これが延長なる今日の文壇も、本質に於て昔と少しも変っていない。そこには何等叙事詩的エピカルの精神がなく、日本的のデモクラシイと、俳句趣味とがあるのみである。

一般の場合を通じて、西洋人は青年期に抒情詩を書き、中年期に入って叙事詩人となる。一方に日本人は、若い年の時代に歌人であり、やや年を取って俳人となる。然るに和歌と抒情詩とは本質に於てやや通ずるところがあり、等しく感傷主義のものであるから、日本人も和歌の作者である年齢には、大概世界的に進出するコスモポリタンであるけれども、これが後に俳句に入ると、純粋に島国的な日本人になってしまう。明治から最近に至るまで、一として文壇に変化がなく、少しく西洋に触れては日本にもどり、無限に同じことを反復しているのは、実にこの一事のためである。日本人がもし「俳句」を捨て「叙事詩」を取らない以上には、永遠に我々は伝統の日本人で、洋服をきた風流人にすぎないだろう。

今や吾人は、最後の決定的な問題にかかっている。島国日本か? 世界日本か? である。前者だったら言うところはない。万事は今ある通りで好いだろう。だが後者に行こうとするのだったら、もっと旺盛な詩的精神――それは現在ザインしないものを欲情し、所有しないものを憧憬どうけいする。――を高調し、**明治維新の溌剌たる精神を一貫せねばならないのだ。何よりも根本的に、西洋文明そのものの本質を理解するのだ。皮相は学ぶ必要はない。本質に於て、彼の精神するものが何であるかを理解するのだ。それも頭脳で理解するのでなく、感情によって主観的に知り、西洋が持っているものを、日本の中に「詩」として移さねばならないのだ。

何よりも我々は、すべての外国文明が立脚している、一つの同じ線の上に進出せねばならないのだ。そしてこの一つの線こそ、主観を高調する叙事詩的エピカルの精神であり、日本人が欠陥している貴族感の情操である。すべてに於て、我々は先ずこの文明情操の根柢を学んでしまおう。そしてこの同じ線の上から、あらゆる反対する二つのもの――個人主義と社会主義、貴族主義と民衆主義、理想主義と現実主義――とを向き合わせ、同一軌道の上で衝突させよう。実に吾人の最大急務は、西洋のどんな近代思潮を追うことでもなく、第一に先ず吾人の車を、彼等の軌道の上に持って行き、文明の線路を移すことだ。もしそうでない限り、日本にどんな新しい文芸も、どんな新しい社会思潮も生れはしない。なぜなら我々の居るところは、始めから文明の線がちがっているから。そして別の軌道を走る車は、永久に触れ合う機会がないのだから。

いかに久しい間、この真実が人々に理解されず、徒労が繰返されたことであろうか。我々のあまりに日本人的な、あまりに気質的にデモクラチックな、あまりに先天的にレアリスチックな民族が、外国とはまるで軌道のちがった線路の上で、空むなしく他のものを追おうとして、目的のない労力をしたことだろうか。明治以来、我々の文壇や文明やは、その慌あわただしい力行にかかわらず、一も外国の精神に追いついてはいなかった。逆に益々ますます、彼我ひがの行きちがった線路の上で、走れば走るほど遠ざかった。何という喜劇だろう! 実にこの無益にして馬鹿気た事実を、近時の文壇と社会相から、至るところに指摘することができるのだ。

吾人はこれを警戒しよう。あらゆる日本の文明は、軌道をまちがえたジャーナリズムから、逆に後もどりをしてしまうということを。例えばあの自然主義がそうである。我々の若い文壇は、これによって欧洲の近代思潮に接触し、世界的に進出しようと考えた。然るに何が現実されたか? あああまりに日本的に、あまりにレアリスチックに解釈された自然派の文壇は、外国的なる一切の思潮を排斥し、すべての主観を斥しりぞけ、純粋に伝統的なる鎖国日本に納まってしまったのだ。もし日本に自然主義が渡来せず、過去の浪漫主義がそのまま延びて行ったら、すくなくとも、最近では、今少し世界的に進出していたであろう。我々は世界的に出ようとして、却かえって島国的に逆転された。

日本に於ては、いつもあらゆる事情がこの通りである。例えば西洋のデモクラシイが輸入されれば、一番先にこの運動に乗り出すものは、日本人の中での最も伝統的な、最も反進歩的な文学者である。なぜなら彼等はそれによって、自分自身に於ける国粋的な、伝統的な、あまりに日本人的な卑俗感やデモクラシイやを、新思潮のジャーナリズムで色付け得るから。最近の無産派文学や社会主義やも、多分これと同様のものであるだろう。彼等の中の幾人が、果して西洋の近代思潮や資本主義を卒業しているのだろうか。思うにその大部分の連中は、彼等自身に於ける、あまりに日本人的な卑俗感とデモクラシイとで、西洋文明そのものが本質している、資本主義の貴族感を嫌きらっているのか。

かくの如くして日本の文化は、過去に一つの進歩もなく発展もない。あらゆる外国からの新思潮は、却って国粋的な反動思想家に利用され、文明を前に進めずして後に引き返す。されば日本に於ては、一の新しいジャーナリズムが興る毎に、折角出来かけた新文化は破壊されて、跡には再度鎖国日本の旧文化が、続々として菌のように繁殖する。そして永久に、いつまでたってもこの状態は同じことだ。いかに? 諸君はこの退屈に我慢ができるか。これをしも腹立しく思わないのか?

あらゆる決定的の手段は一つしかない。文明の軌道を換えることだ。吾人の車を、吾人自身の線から外ずして、先方の軌道の上に持って行くのだ。換言すれば、吾人のあまりに日本人的なレアリズムやデモクラシイやを、断然として廃棄してしまうのだ。そして同じレアリズムやデモクラシイやを、西洋文明の軌道に於ける、相対上の観念に移して行くのだ。今、何よりも我々は詩人になり、生れたる貴族にならねばならない。先ず人間として、文明情操の根柢を作っておくのだ。そして後、この一つの線路の上に、あらゆる反対矛盾する近代思潮を走らせよう。自然主義も、民衆主義も、社会主義も、またこれに衝突する他方の思潮も、かくて始めて我々の内地を走り、日本が世界的の交通に出てくるだろう。今日の事態に於けるものは、すべて島国鎖国の迷夢であり、空の空たるでたらめの妄想にすぎないのだ。

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航海・準備篇

断章(タイトル未定)の考察準備のため、ある比較作業をしていたのですが、その結果を「試しに」リストアップしてみました。物語を読んでつらつらと観察、つらつらと考察…となっています。

ちなみに、言語の本や文法の教科書などをさらって調べたもので、ファンタジー創作モノではありません。ただ…、文法の本は斜め読み状態でしたので、誤解があればご指摘くださいませ(=これが目的だったりする)

「イーリアス」や「千一夜」、「水滸伝」、「古事記」などのメジャーな物語だけですが、それらを読んでみての比較となっています。ちょっと分かりづらい項目かなと思ったところを解説。

◆「時と場」
物語の舞台設定において、どれだけ時と場に関する状況説明が入るかを見たものです。

印欧語系は、舞台状況を逐一説明してます(ホントに逐一で、しかも、ながいのです)。最初に何も無い超越的背景があって、そこにきっちり舞台条件等の設定(at とか in)をしてストーリー云々を、「克明に因果・時系列を彫り出す」かの如く説明してゆくスタイルであり、時と場において前提される舞台を想定してないんだろうな、という事で、時からも場からも無関係な言語としました。

古漢語系は、舞台が初めから広がっている感じです。初期空白のような超越性が余り無い方。象形文字という便利さもあるのでしょうが、「天」思想の舞台も、現実の天空観との混同が見られます。舞台説明をすっ飛ばして、いきなり含蓄や心情や科白の世界を発露するというスタイルで、その発露の中で、舞台説明(または雰囲気の構造)が次第に展開してゆく感じでしょうか。

日本語は、ちょっと面白いです。舞台説明の有無というのは各々に応じて半々です。枕詞が重要なキーワードになります。枕詞をきっかけに舞台が連想・展開されるといいますか…世界をある程度「枠取り」しておいて、いざ説明に入ると印欧語なみに逐一の事があるのですが、センス主体の場合は感覚ビジョンをパッと提示するだけで、漢語系なみにササッと語りこんでいます。(「トンネルを抜けると雪国であった」とか。了解が無い場合は、かなり戸惑う表現かも)

◆「自他の区別」
科白部分で、問う人と問われる人が常駐するものかどうかを見たものです。主に世界観の構築に関連すると思いましたので、あえて考察してみました。

印欧語は「誰が何処で何をしゃべった」と、きっかり時間変化も格変化も起こして科白を入れます。特にラテン語の格変化は、すさまじいものがあります…こんなのが古典哲学の主役だったとは!(男性変化、女性変化もあるのだぞ、説明がすごいだろ、という感じですね)しつこいようですが主役個人が明らかに完全常駐型です。

古漢語はすごく無です。「誰が」という部分を抜くと、一瞬、誰の科白か分からなくなるくらい。動詞の格変化などが無い、という事もありそうですが…「子、曰く」が必須というところを見ると、自他の区別において「誰」とか「家」という有限世界を離れる事は絶対に無いみたいです。自他を指示する語をガッチリと糊付けすればOKです、というスタイルで、その分、科白をしゃべる人は科白の内容に気をつけるのだ…という感じでしょうか。

日本語は文脈判断にお任せになっている形なので、自他の区別は「無」としました。文末表現の男言葉、女言葉によって、ある程度区別をつけたり、あるいは尊敬語・謙譲語の区別によって自他を切り分けているスタイルです。むしろ、述語のほうから自他の区別を暗示・包摂するスタイルだと言える…と思います。

◆「個人観念」
この項目は、<歌語り>部分の唱和に注目して考察したものです。歌の部分が何と言っても物語のクライマックスですし、個人的観念がもっとも強く出るところだと思います^^

印欧語はレパートリーを決めて交互に歌っていったり、和音を決めてハーモニーを構築したりしており、唱和において個人がはっきりしてます。なので、バラバラな個人が前提されていると致しました。

古漢語は独唱型です。主役(宗家)の独唱に連動して集団が動く、場面が動く。圧倒的に、宗家(というよりは血統)=主役固定。で、面白い事に、連動する反応は同じ血統に限られます。血盟を誓ったもの同士とか・・・(外部は連動しない、というか想定外にあります。都市の成立過程とも関係あるかも)

日本語は、主役も集団もはっきりしない斉唱です。あるいは一人が歌の上句を歌って、別の一人が下句を継ぐ。問答歌、連歌、反歌(=長歌に対する反歌の場合は同一人物のスライドがある)など。同時ハーモニーというよりは交代唱で、時間をずらして、場面をずらしての方が多いです。主客未分というのか、主客が絶えずうつろうところ、流動的なものがあります。

  • 考察1=「立ち現れた世界に対する判断基準」
  • 考察2=「手にした世界に対する反応」
  • 考察3=「異世界に対する触手の状態」

いずれも物語のシナリオの進行状態や登場人物の示す傾向から考察したものです^^

「はやぶさ2」帰還ミッション/宇宙とテクノロジー

“はやぶさ2”の旅が「帰り道も気が抜けない」理由。2020年に地球帰還、新ミッションの可能性【帰還編】

https://www.businessinsider.jp/post-204957(2019.12.30)

2010年に地球へと帰還を果たした「はやぶさ」は、小惑星を探査する技術を実証することが目的だった。その点、「はやぶさ2」はサンプル採取技術をさらに確実なものにするとともに、小惑星への理解を深めることも重要な目的としていた。

これから続々と公表される小惑星のサイエンス、そして、はやぶさ2の後に続く小天体探査の展望について、【探査編】に引き続き、JAXAの津田雄一はやぶさ2プロジェクトマネージャに語ってもらった。

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「全然ちゃうやん!」の想定外から見えてきたもの

――リュウグウに到着した際、「リュウグウが牙をむいてきた」と表現していましたね。当初想定していたリュウグウと実際のリュウグウはどの程度開きがあったのですか?

津田雄一プロジェクトマネージャ(以下、津田):「全然ちゃうやん!」という印象でした。

リュウグウの形状の推定はずっと難しい、難しいと言われていたんです。事前に「自転軸は横倒しのはずだ」「ジャガイモのような形状のようだ」などと予想されていましたが、近づいてみると、小惑星研究者の間ではよく知られたソロバン玉型だったので、不思議な感覚でした。

科学者も「あれ、ソロバン玉じゃん」と最初は少し戸惑っていましたね。はじめに推定されていた形の中に1つでもソロバン玉型があれば「おおーっ」と思ったでしょうが、まったく想定されていなかったのは、やはり難しかったんだろうなと思います。

実は、NASAの小惑星探査機「オサイリス・レックス」が探査しようとしている小惑星「ベンヌ」もソロバン玉型なんです。

よくよく考えてみると、こんな典型的な天体を初めて、しかも2天体同時に探査ができる。「これはすごい科学ができる!」と盛り上がりました。リュウグウとベンヌは同じソロバン玉型ですが、よく見ると表面の状態が違います。似ていて比較しやすく、かつ違いがあるというのは、科学的に最も面白いパターンです。

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「何なのか全然説明できない」深まったリュウグウの謎

―― 1年5カ月の間に、さまざまな探査が行われました。実際に探査を行ってみて、どういった成果が得られそうなのでしょうか?

津田:今回の探査では、なんといっても衝突装置(SCI)運用によるクレーター生成の結果が重要です。科学的考察やそこから得られた発見についてはまだ公表されていませんが、今後、確実に成果が出てくるところです。

着陸やクレーターを作った際に小惑星の表面に紙吹雪のような岩の破片がパーッと出てきたのは、僕らにとってもすごく意外でした。誰も予想していなかったし、何なのか全然説明できません。サイエンスチームには、もう解明に取り組んでいる人たちがいるので、そこから小惑星表面の状態についての理解が深まると良いなと思います。

その意味でも、リュウグウに2回着陸できたことは大きかった。2回以上の観測によって初めて、リュウグウ全体の一般的な情報を見ているのか、その着陸した地点の固有の情報なのかを識別できます。

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帰り道も気が抜けない

――はやぶさ2は2020年12月には地球へ帰還し、リュウグウで採取したサンプルが入ったカプセルを大気圏へ投下する予定です。それまでにどのような困難が予想されるのでしょうか?

津田:リュウグウから地球への帰還には約1年かかります。2020年12月末までには帰還しているはずです。

メインの「イオンエンジン」の運転は2回に分けて行う予定です。第1期はすでに始まっていて1月末まで。第2期は2020年の5月~9月の間です。全部で2400時間程度イオンエンジンを噴射することで、地球を通過するコースに入ります。

地球へカプセルを再突入させるおよそ2カ月前からは精密誘導を行って軌道を微修正し、オーストラリアの狙った場所にサンプルの入ったカプセルが着陸するように探査機を誘導します。

実は、みなさん行きは心配してくれたのですが、タッチダウンを超えたあたりから、「これができるなら帰りは余裕では?」と、あまり心配してくれなくなりました。

はやぶさ2を地球に返すには、決められた計画通りにはやぶさ2をずっと制御しつづけなければいけません。日ごろ当たり前に運用していることをちょっとでも失敗すると、帰れなくなってしまいます。途中で装置が壊れることもあり得ます。普通の運用なら壊れても直してやり直せば良いのですが、帰る時期が決まっているので、それを逃すと地球に帰ってこられません。絶対に故障は起きてもらっちゃ困ります。

そういった事故を起こさないようになんとかコントロールしているのですが、なかなかその難しさは見えづらいんです。

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「はやぶさ2」の旅は、地球へ帰還しても終わらない

――2010年に地球へ帰還した「はやぶさ」は、最後には大気圏に突入して燃え尽きてしまいました。はやぶさ2も同じ最後を遂げるのでしょうか?

津田:カプセルとともに地球の大気へと突入し燃え尽きた「はやぶさ」と大きく違うのは、分離した後にはやぶさ2が地球重力圏から脱出することです。地球を離れるためには、軌道修正用に長時間、大量の燃料を噴射する必要があります。

地球から離れた後の予定は、本当に完全未定です。良い行き先を探しつつ、生き残って何ができるか検討しています。

――地球へと送り届けられたサンプルは、その後どうなるのでしょうか?

今後、リュウグウで得た科学的成果は世界に全面公開する予定です。現在はまず、はやぶさ2に貢献した人が成果を出す期間ですが、はやぶさ2が地球に帰還するころには全面公開され、世界中の科学者がそのデータにアクセスして研究できるようになります。

地球に帰還したサンプルの中身は、1年かけて一次的に分類されます。そして世界中の科学者から研究方法を募り、良いアイデアに対してサンプルを配ります。

サンプルを配る時にも、すべて配ってしまうのではなく、約40%のサンプルは残しておくことになります。10年先に良い分析技術が出てきたら、その技術を使える人たちに渡す。かなり息の長い話です。

将来、はやぶさ2のサンプルやデータが思ってもなかった使い方をされて、新しい成果や知見が出てきたらすごく楽しいですよね。

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宇宙資源としての小惑星を探査する可能性

ーーはやぶさ2で実証された日本の探査技術は、今後の太陽系探査にどう生かされるのでしょうか? また今後、津田さんが取り組んでみたい探査計画などはありますか?

津田:はやぶさ2のミッションを行った者の責任として、「はやぶさ2の技術をベースにした次のミッション」は、どうしても考えなければいけません。

例えば、2つの小惑星が互いの周囲をぐるぐる回っている「バイナリー」(二重小惑星)や、3つの小惑星が一体になった「トリプル」(三重小惑星)に行き、それぞれの小惑星からサンプルを採取するというようなミッションでしょうか。

また、今回は表面に穴をあけてサンプルを採取することができましたが、科学者が本当に見たいのは、『小惑星を輪切りにした断面の構造』だと思います。そういったデータを直接観察することも考えたい。そういうことができれば、世界の科学に貢献できるミッションになりますし、面白いと思います。

また、将来的に小惑星や彗星などの小天体は、宇宙資源として見られると思います。日本ではまだ真面目に議論されていないですが、世界ではもう法律を作った国もあります。

数十年後には、人間の経済活動に有用な小惑星をどうやって探査するのか、経済の中にどう組み込んでいくのかという議論が起きるでしょう。はやぶさ2では、その手始めとなることをやってしまったといえます。

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惑星探査の究極的なゴールは、大きな天体からのサンプルリターン

――はやぶさ2で実証された技術は、これからの宇宙探査・開発においても非常に有用なものだといいますが、具体的にどんなことが想定されるのでしょうか?

津田:1つ重要な点として、地球に衝突しそうな小惑星から地球を守る「プラネタリーディフェンス」という考え方があります。

リュウグウにクレータを作ったことを今はみんなすごいと言ってくれますが、だからといってリュウグウの軌道が変わったわけでも、リュウグウを破壊したわけでもない。

いざ地球に小惑星が衝突しそうになった際に役立つかと言われると、その第1歩目というか、0.1歩目くらいのところですかね。少しずつでも小惑星に対してできることを多くして、いざというときのために本当に役に立つプラネタリーディフェンスの技術を作らないといけないと思います。

また、大きい天体のサンプルリターン(=試料を採取して持ち帰ること)にもつなげていきたいです。大きい天体に行って帰ってくるというのは、惑星探査の一つの究極的なゴールです。

僕らは小惑星探査という“変化球”を使っているので、この変化球を伸ばしながら、どの国も考えていない戦略で大きな天体に行って帰ってきたいです。木星や土星の衛星まで行ければ、太陽系のかなりの探査ができます。

リュウグウでは、これ以上はない成果が出せました。これを大きな天体への探査につなげていきたいし、どこかで必ずつながると思います。

(文・秋山文野 編集・三ツ村崇志)