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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

薔薇十字の歴史思想

《転載メモ》日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」:人類と光と植物
http://oka-jp.seesaa.net/article/188199072.html
(In Deep-2011.2.28記事より)

「原植物」を目指す人類

シュタイナーが言う体内における光合成の件、これは明らかにオカルトに聞こえますが、薔薇十字の伝統に生きる者は本気でこれを実践します。狂気の沙汰と言われようと、呼吸による身体内の炭素の把握はぼくらの最重要の関心事です。

これは呼吸の行とよばれます。

ぼくら薔薇十字の徒は人間の本来のバランスを取り戻そうとします。呼吸の行というのは人間である自分と植物との共生の問題です。人間は生きているだけで大気中に二酸化炭素をばら撒きます。そして「どれだけ二酸化炭素を排出しないか」という冗談みたいなことが、ぼくら薔薇十字の修行者にとっては真面目な課題です。

古神道の大国隆正という人の『本学挙要』という本の中に人と稲が逆さに並べて描かれている図があります。これはフトマニの区象といって、人間は逆さまになった植物であり、互いに共生しているという旨を説明するものです。西洋でも東洋でも霊学ではこれは一般的な認識です。

薔薇十字でもおなじです。

植物というのは、体内に緑色の血が流れ、太陽に向かって真っすぐに成長する地上の存在としてはピュアなあり方のお手本みたいなものです。

ゲーテには「原植物」という理想的な植物の概念があります。つまりあれが人間として目指すべき理想であり、最高の元型です。鉱物の中にも例えば水晶のように炭素が純化された存在として理想的な存在たちが居ます。植物や鉱物というのは本来の意味において頭上の天体運動の鏡像みたいなものです。薔薇十字の理想は、赤い血の情熱を保ちつつ植物のように上へと向かうことです。そして太陽に向かうことです。これが重要な点です。

天体のなかで西洋神秘学でロゴス(言語)と呼ばれるものの象徴が「太陽」です。

でも現在の宇宙で頭上に輝く太陽が人間にとっての「言語」の象徴に過ぎないとすれば、物理的に把握されるただの象徴である太陽より、植物のほうが先に創造されるというのは自然ですよね?

その前に「言語」は既に存在している、というより、むしろこの宇宙の原初には「言語」が先にあったのですから。それ自体は植物の誕生よりずっと昔だというわけです。「言語」という表現がいけませんね。ロゴスとは「秩序」のことです。

人間によって認識される物理的な宇宙が誕生したのは、つい最近のことです。

それを観察する科学が人間中心であるのは当然といえば、当然かも知れません。ロジックによって把握する対象として宇宙が存在を開始したのは、ロジックを駆使するようになった人間の大脳の誕生と密接に関わりがあります。人間はそれ以前に存在していた "見えない" ロジックの宇宙を "見える" ロジックとして観察することが出来るようになりました。

これは物理的な脳が誕生したおかげです。人間のロジックは宇宙のそれの模倣に過ぎませんが、でもこの模倣を可能にする大脳という精密な器官を作り上げるために、宇宙はとてつもない長い時間と労力を費やして来ました。だからある意味、科学的な認識手法というのはこの宇宙の最大の成果であると言えます。

それ以前の宇宙は、光があっても太陽がないようなものでした。内的な光で認識されただけです。

しかし実際、太陽が出現し、またこれによって眼という器官が形成され、そして脳が作り出されました。人類がこの能力をどう利用したかは別として、人間における理知的な行為を可能にする完成された脳神経系は、どう見積もっても神の最高傑作であるに違いありません。

そして人間に与えられたこの認識力の限り、ロゴスの象徴である太陽のなかに根源的な神性を知ることこそ、霊的な伝統のいずれの系譜においても追求されてきた共通の課題でした。

気の遠くなるような昔から過去の賢人たちはそのために気の遠くなるような努力によってその道を準備して来ました。宗教とは、そのようなものの大成です。

太陽へと向かう植物のようにしかも自由への衝動を内に担いながら上へと成長しようとする、地上では類をみない神聖な存在として人間存在が語られ、そしてその正しい道が古今東西どの流派に限るとなく実践されて来ました、、、、、と、このようなことを信じる、信じないは別として、いずれにせよこれが宇宙と人間の歴史に対する薔薇十字の伝統の解釈です。

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2008.1.27ホームページ更新

『深森の帝國』トップページ:http://mimoronoteikoku.tudura.com/

物語ノ本流セクションのページ:http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

鈴鹿峠の章が完成しました。個別ページ分割済みです。


《境界観念とお茶の関係について、興味深い記事をメモ》

▼日本の喫茶文化…茶堂と茶屋
http://www.o-cha.net/japan/dictionary/japan/culture/culture17.html
峠に着くと新しい風が汗ばんだ頬を撫でていき、見下ろすその先にはこれまでとは別の新しい世界が広がっているような感じがします。おおげさに言えば、峠は二つの世界の境にあり、境界線の役割を果しています。

峠につきものなのが、時代劇に欠かせない峠の茶屋。店先の床几(しょうぎ)に腰掛けて茶をすする旅人、といったような光景が目に浮かんできます。峠に茶屋があるのは、旅人の求めに応えるというのが第一の目的でしょうが、もうひとつ、古い信仰がその下地にあると思われます。それは、峠が二つの異なった世界の境界に位置するということと関係しています。しかも、茶屋という言葉自体別な意味をもっているのです。

三重県の海岸部では、村人が海岸に集まって初盆の供養をしますが、そのとき、供養の塔婆を安置したテントのことを茶屋とよんでいます。浜松市などで盛んな盆行事である遠州大念仏では、この世に帰ってきた祖先の霊が、茶屋で子孫から茶の接待をうけるという文句が歌われます。つまり、茶屋というのは霊に茶を飲んでもらう施設、という意味もあるのです。この世とあの世。こっちの世界とあっちの世界。茶屋はまさに異なった世界を出入りするための、境界越えの儀礼を行う場でもあったのです。

四国にはあちこちの村はずれに茶堂という、ちょうど辻堂のような建物が建っています。

毎年お盆の近くになると村人が交代でここに詰め、通りがかった旅人に無料でお茶とお菓子の接待をします。おそらく、旅人の姿に、盆に帰ってくる自分たちの祖先の霊を重ね合わせているからでしょう。ここにも茶屋に通じる境界越えの儀礼が隠されています。
▼日本の喫茶文化…葬儀とお茶
http://www.o-cha.net/japan/dictionary/japan/culture/culture16.html
お葬式に行くと、喪主の挨拶状とともにお茶を渡されることが、最近とくに多くなったような気がします。もともと仏事にお茶はつきものというような感じがあります。たとえばお茶湯(ちゃとう)といって、仏前にお茶を供えることは広く行われていますし、徳島県あたりでは、小さな手桶にお茶を入れてお供えしますが、この桶を茶湯桶と呼んでいます。

お茶はもともと禅の修行と深い関係があったところに、とくに日本では葬儀をお寺で行ったので、自然に仏事とお茶とが関係を持つようになったとも考えられます。

しかし、棺桶にお茶を詰めるという話もよく聞きます。それは死臭を防ぐためだとされ、お茶がもっている消臭効果が役立っているようです。同じような話はミャンマーでも聞いたことがあり、日本だけの習慣ではありません。

さらにいえば、お茶が境界を区切る象徴的な意味をもっていることとも関係があります。茶の木は畑や屋敷境の目印になりましたし、お茶を飲むことがある境を越える意味をもつことがあったからです。たとえば、ある家を訪れた時、お茶が出れば、その家に受けいれてもらえたことを表します。つまり茶を飲むことは境界を越えることを示すことになります。人が亡くなり、この世からあの世に旅立つ、その境を越えることが、お茶を飲むことによって示されるのです。葬式にお茶を配るのは、本来はその場でお茶を飲んでもらうという意味があったのでしょう。お茶を配ることで故人との別れを確かなものにする、香典返しのお茶にはそんな意味が込められていたようです。

詩歌鑑賞:「鷺の歌」ヴェルハアレン

鷺の歌/エミイル・ヴェルハアレン/上田敏・訳

ほのぐらき黄金(こがね)隠沼(こもりぬ)、
骨蓬(かうほね)の白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
徐(おもむろ)に影を落しぬ。

水の面(おも)に影は漂(ただよ)ひ、
広ごりて、ころもに似たり。
天(あめ)なるや、鳥の通路(かよひぢ)、
羽ばたきの音もたえだえ。

漁子(すなどり)のいと賢(さか)しらに
清らなる網をうてども、
空(そら)翔(か)ける奇(く)しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。

また知らず日に夜(よ)をつぎて
溝(みぞ)のうち泥土(どろつち)の底
鬱憂の網に待つもの
久方(ひさかた)の光に飛ぶを。