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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

覚書:詩的に見る《運命》

《覚書》

現実の全体とは現在目の前にあるものに尽きるものではない。現実はその巨大な部分をまだ陰に隠れた、発せられていない未生の言葉としてはらんでいるからである。<ドストエフスキー>

■若き詩人への手紙(マルテの手記)/リルケ著より

・・・ですから悲しいときには、孤独でいること、注意深くあることが非常に大切です。つまり私たちの未来が私たちに入ってくる瞬間は、一見何も起こっていないかのようであり、じっと麻痺したような瞬間であるにもかかわらず、そういう瞬間こそ外部からくるように思われる未来が、実際に生起するあの騒々しい偶然的な瞬間よりは、実に遥かに生に近いものだからです。

私たちが悲しみをもつものとして、静かに、辛抱強く、開け放しであればあるほど、その新しいものは、一層深く、一層迷うこと少なく私たちの内部に入ってきます。一層よく私たちは、それを自分のものにすることができ、一層多くそれが私たちの運命になります。そして後日、いつかそれが起こるとき(という意味は、それが私たちの内部から、他の人たちへと出てゆくとき)、私たちは自分自身がそれともっとも深い内部で親しい間柄であることを感じるでしょう。そしてそのことこそ必要なのです。

…私たちの遭遇するものが、何ひとつ未知なものではなく、久しい以前から私たちのものであったものばかりである、と言うようになる必要があります。私たちが運命と呼ぶものが、人間の内部から出てくるものであって、外から人間の中へ入ってくるものではないということも次第々々に認識するようになるでしょう。ただ大抵の人はその運命を、それが彼らの内部に住んでいる間に、それを跡形もなく吸収し尽くさず、自己自身へと変化させなかったからこそ、自分自身からでてくるものを、それと認めることができなかったのです。彼らにとって、それはまことに未知なものに思えるので、ただ驚き慌てるばかりで、それが、いまはじめて自分の中へと入ってきたばかりに違いない、と思ったのです。

…私たちは、私たちの存在をその及ぶ限りの広さにおいて受け取らねばなりません。すべてのことが、前代未聞のことさえ、その中ではあり得ることなのです。それこそ本当のところ、私たちに要求される唯一の勇気です。私たちに出合うかも知れぬ、最も奇妙なもの、奇異なもの、解き明かすことのできないものに対して勇気をもつこと。

人間がこれまで、こういう意味において臆病であったことが、生に対して数限りない禍をもたらしたのです。

《幻影》と呼ばれる体験や、いわゆる《霊界》なるものの一切や、死など、すべて私たちに非常に身近なこれらのものは、日ごとあまりにも生活から遠ざけられ、はばまれてしまったために、これを捉えようにも私たちの感覚が萎縮してしまっています。神のことはさておきとしてです。しかし解き明かしのできないものを恐怖することが、個々の人間の存在を貧弱なものにしたばかりでなく、それによってまた、人間の人間に対する関係も狭いものにされ、いわば無限の可能性の河床から、何物も生じることのない不毛の岸辺へ掬い上げられてしまっています。

というのは、人間関係が言うにも堪えないほど単調に、旧態依然として、一つの場合から場合への繰り返されるのは、怠惰のせいばかりではありません。それは新しい、見きわめのつかない体験に対して、何でもはじめからかなわないと思い込んでいるその恐れのせいでもあるのです。

しかし何物に対しても覚悟のある者、何物をも、たとえどんなに不可解なものをも拒まない者だけが、他の人間に対する関係を生き生きとしたものとして生きることができ、自らも独自の存在を残りなく汲み味わうことができるでしょう。


■山中智恵子の短歌作品

百年の孤独を歩み何が来る ああ迅速の夕焼の雲
那智に来て滝の時間に逅ひにけり心死にゆくばかり明るき
秋の夢泡立ちにけりうつせみの桔梗宇宙にわれはかへらむ
ここすぎて水甕多き村に出づ星の水盤かたむきてあり
暗黒星妖霊星とこそ光年の彼方に滅び元雅歩む
■『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』より
童子のときは
語るも童子のごとく、
思うも童子のごとく、
論ずるも童子のごとくなりしが、、、
人と成りては
童子のことを棄てたり
今我ら鏡もて見る如く観る所おぼろなり
されどかのときには顔を対(あわ)せて相ま見えん
今わが知るところ全からず、されど
かのときは我が知られたるごとく全く知るべし

■コリントの信徒への手紙、第一、13章1節~13節

1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい応鉢と同じである。
2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
9 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
10 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
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《物語ノ目次》ノート

―物語ノ目次―

序章「清ら月は道野辺に照り」…旧暦05.15夜-05.16朝

◆第一部「ヤツマタ」

  • 第一章.十六夜…旧暦05.16昼-05.17朝
  • 第二章.鈴鹿峠…旧暦05.17朝-05.17昼
  • 第三章.坂下宿…旧暦05.17昼-05.17夜
  • 第四章.伊勢道…旧暦05.18朝-05.18夜
  • 第五章.伊勢志摩…旧暦05.19朝-05.19昼
  • 第六章.門前町…旧暦05.19昼-05.21夜
  • 第七章.斎ノ宮…旧暦05.22朝-05.22夕
  • 第八章.妖霊星.前篇…旧暦05.22夜-05.25夜
  • 第九章.妖霊星.後篇…3旧暦05.25夜-05.27昼
  • 第十章.流星群…旧暦05.27昼-旧暦06.03夜

◆第二部「タタシマ」

  • 第一章.水無月…旧暦06.04昼-06.18夕
  • 第二章.夏越祓…旧暦06.19朝-06.30夕
  • 第三章.七夕…旧暦07.01朝-07.08夕
  • 第四章.熊野道.前篇…旧暦07.09朝-07.23夕
  • 第五章.熊野道.後篇…旧暦07.24朝-08.10朝
  • 第六章.京街道…旧暦08.10昼-08.14夕
  • 第七章.観月宴…旧暦08.15朝-08.17夕
  • 第八章.百鬼夜行…旧暦08.16朝-08.26夜
  • 第九章.八重潮…旧暦08.27昼-08.30夕09.01未明
  • 第十章.東奔西走…旧暦08.30夕09.01未明-09.04朝

◆第三部「マレヒト」

  • 第一章.瀬戸内…旧暦09.04朝-09.07未明
  • 第二章.鬼ノ城…旧暦09.07未明-09.08夜
  • 第三章.菊花宴…旧暦09.09朝-09.09夕
  • 第四章.宮島厳島…旧暦09.09夕-09.15夜
  • 第五章.雨竜島.前篇…旧暦09.16朝-09.22昼
  • 第六章.雨竜島.中篇…旧暦09.22昼-09.23夜
  • 第七章.雨竜島.後篇…旧暦09.24朝-09.28夕
  • 第八章.禍ツ日…旧暦09.29朝-09.30夜
  • 第九章.高千穂…旧暦09.30昼-10.05昼
  • 第十章.大宰府…旧暦10.01未明-10.04夕

◆第四部「トキサヤ」

  • 第一章.不知火…旧暦10.04朝-10.08夕
  • 第二章.神無月…旧暦10.08夜-10.17夕
  • 第三章.紅葉狩…旧暦10.17朝-10.18朝
  • 第四章.大氣都…旧暦10.18未明-10.26昼
  • 第五章.八十嶋…旧暦10.26朝-11.02朝
  • 第六章.比叡颪…旧暦11.02朝-11.09昼
  • 第七章.関ケ原…旧暦11.09昼-11.15夜
  • 第八章.神坂峠…旧暦11.15夜-11.25朝
  • 第九章.黄金郷…旧暦11.25朝-11.30朝
  • 第十章.御神渡…旧暦11.30朝-xx.xx

終章「岩の根は緑の苔を纏い」…旧暦xx.xx-xx.xx


【物語制作&公表の月日の記録】

序章=2007.7.15完成(清ら月は道野辺に照り/16p)

第一部「ヤツマタ」=2007.07.18スタート

第一章・・・2007.07.19-2007.09.29〔了〕(十六夜/28p)
第二章・・・2007.09.30-2008.05.06〔了〕(鈴鹿峠/32p)
第三章・・・2008.05.07-2009.09.27〔了〕(坂下宿/30p)
第四章・・・2009.09.28-2010.11.27〔了〕(伊勢道/56p)
第五章・・・2010.11.28-2011.05.07〔了〕(伊勢志摩/34p)
第六章・・・2011.05.15-2011.10.23〔了〕(門前町/40p)
第七章・・・2011.10.29-2012.05.23〔了〕(斎ノ宮/54p)
第八章・・・2012.09.30-2013.03.27〔了〕(妖霊星.前篇/62p)
第九章・・・2013.03.28-2013.06.14〔了〕(妖霊星.後篇/52p)
第十章・・・2013.06.15-2014.11.17〔了〕(流星群/56p)

第二部「タタシマ」=2014.11.18スタート

第一章・・・2014.11.19-2015.02.27〔了〕(水無月/32p)
第二章・・・2015.03.01-2015.05.11〔了〕(夏越祓/54p)
第三章・・・2015.05.17-2015.08.14〔了〕(七夕/60p)
第四章・・・2015.08.17-2015.12.22〔了〕(熊野道.前篇/54p)
第五章・・・2015.12.25-2016.05.31〔了〕(熊野道.後篇/54p)
第六章・・・2016.06.01-2017.02.27〔了〕(京街道/44p)
第七章・・・2017.03.04-2018.01.08〔了〕(観月宴/60p)
第八章・・・2020.11.07-2021.04.17〔了〕(百鬼夜行/80p)
第九章・・・2021.04.18-2021.08.13〔了〕(八重潮/70p)
第十章・・・2021.08.14-2021.12.12〔了〕(東奔西走/70p)

第三部「マレヒト」=2022.03.11スタート

第一章・・・2022.03.11-2022.08.13〔了〕(瀬戸内/50p)
第二章・・・2022.08.14-2023.02.05〔了〕(鬼ノ城/48p)
第三章・・・2023.02.26-2023.05.28〔了〕(菊花宴/32p)
第四章・・・2023.06.11-2023.10.09〔了〕(宮島厳島/28p)
第五章・・・2023.11.05-2024.04.07〔了〕(雨竜島.前篇/36p)
第六章・・・2024.04.27-2024.06.23〔了〕(雨竜島.中篇/38p)
第七章・・・2024.10.20-2025.02.11〔了〕(雨竜島.後篇/44p)
第八章・・・2025.04.19-2025.11.09〔了〕(禍ツ日/52p)
第九章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(高千穂/xxp)
第十章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(大宰府/xxp)

第四部「トキサヤ」=xxxx.xx.xxスタート

第一章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(不知火/xxp)
第二章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(神無月/xxp)
第三章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(紅葉狩/xxp)
第四章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(大氣都/xxp)
第五章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(八十嶋/xxp)
第六章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(比叡颪/xxp)
第七章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(関ケ原/xxp)
第八章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(神坂峠/xxp)
第九章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(黄金郷/xxp)
第十章・・・xxxx.xx.xx-xxxx.xx.xx〔了〕(御神渡/xxp)


《物語制作用の用語メモ》

「ストーリー」お話。物語になった作品そのもの。意識の流れのままに叙述されたもの

「プロット」端的に論理的に説明するために、再構成したもの。人物や背景における設計図をザザッと説明すれば…のスタイル

「シナリオ」物語を演出するために説明されるもの。場面構築や科白の詳細、順番の割り振りが計画的に叙述されるもの

*****

水五訓

一、常に己の進路を求めてやまず自ら動いて他を動かしむるは水なり

一、如何なる障害にも屈せず巌をも透す力を蓄えながらよく方円の器にも従い和合の性を兼ね備えるは水なり

一、自ら清くして他の汚れを洗い清濁併せて容れるるの量あるは水なり

一、力となり光となり生産と生活に無限の奉仕を行い何ら報いを求めざるは水なり

一、洋として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し凝しては玲瓏たる鏡となりたえるもその性を失わざるは水なり

*****

加藤清正 治水五則

一、水の流れを調べる時に、水面だけではなく底を流れる水がどうなっているか、とくに水の激しく当たる場所を入念に調べよ。

一、堤を築くとき、川に近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いていても堤が切れて川下の人が迷惑をする。

一、川の塘や、新地の岸などに、外だけ大石を積み、中は小石ばかりという工事をすれば風波の際には必ず破れる。角石に深く心を注ぎ、どんな底部でも手を抜くな。

一、遊水の用意なく、川の水を速く流すことばかり考えると、水はあふれて大災害を被る。また川幅も定めるときには、潮の干満、風向きなどもよく調べよ。

一、普請の際には、川守りや年寄りの意見をよく聞け。若い者の意見は優れた着想のようにみえてもよく検討してからでなければ採用してはならぬ。

《物語》を物語るための問い

稲垣足穂『空の美と芸術に就いて』

天を慕うのは芸術家の個性である―ラスキン

空中飛行を一言に云うなら、私たちの平面の世界を立体にまでおしひろげようとする努力である。

芸術家のエレメントは感受性にあると云われているが、飛行家の第一要素もそれにかかっている。

私たちは何も飛行機に関する冒険小説を書こうとするのではない。イタリーの小説のヒーロは恋人の胸によりかかって海のひびきをきいた。ドストエフスキィは大地にキッスする人の心をえがいた。が、私たちはそれだけでは物足りない。私たちはすべてのものを愛さねばならぬ。ダビンチはなぜ大空を恋いしたったのだろうか? 私たちは空中、いや地上と空中とに常に生きようとする人々の気分を完全に知りたいのだ。もっと自由な高い生活をする人々の言葉に接したい。自分もそんな生活をしてみたいと望む者である。大空に対して私たちがふるさとのような親しみをかんずるときはこないかもしれない。けれどもそれは私たちの理想郷として、私たちはそこから真にきよらかな新芸術の暗示を汲みとることができるだろう。

人間の高速運動に対する欲望は無常迅速な運命に根ざしている。不老不死は不可能である。かぎりある一生にかぎりのない事業をなし、かぎりのない快楽を得るにはどうしてもその運動速度を高めるのほかはない。飛行機の進歩はじつにこの本能的欲望に基づくものである―ジャンダルゲー・フランス学士院

*****

■賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ。何も学ばない者は、本を焼く。1私財2掟3公共財4工事5結界または注連縄_街道

■見当のつかぬ事柄については早急に是非を論ぜず、
 疲れた人のように歩みを遅らせるがいいだろう。
良し悪しをいうにせよ是非を論ずるにせよ
 細かい判断もなしに肯定否定を行なう者は
 愚か者の中でも下(げ)の下(げ)たる者だ。
だからはやまった意見はとかく
 狂った方角へ曲がりこむ。
 その上、情(じょう)が知(ち)にからむ。
真理を漁(あさ)ってそれを取る技を心得ぬ者は、
 来た時と同様手ぶらで帰るわけにはゆかぬというので
 むやみと岸を離れたがるが、それが危険なのだ。
……(中略)……
まだ穂が実りもしないうちに畠(はたけ)に出て
 穂の数を勘定するような、あまりに安んじて、
 判断を下す人間にはならないでくれ。
―ダンテ『神曲』天国篇-第13歌115行~訳・平川祐弘

■「国家神道」という戦後の神話■https://note.com/prapanca_snares/n/nee7a3b705750

■ひとは転がる多面体/人間の-心はいびつな-多面体-流転の末に-それは丸きや

■宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う。
―南方熊楠

■細微分子の死は微分子の生の幾分または全体を助け、微分子の死は分子の生の幾分または全体を助け、ないし鉱物体、植物体、動物体、社会より大千世界に至るまでみな然り。ただしこの細微分子の生死、微分子の生死、ないし星宿大千世界の生死は斉一に起こり一時に斉一に息まず、常に錯雑生死あり。
―南方熊楠

■萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ 人類ノ為メ國ノ為メ
―1931(昭和6)年、信濃川大河津分水堰修復工事竣工碑文、青山士技師

■いかに生きているかという事と、いかに生きるべきかという事とは、甚だしくかけ離れている。為すべき理想を欲し、為されている現実を顧みぬ人は、身の破滅を招くに至る―マキャベリ

■盗みにおいて愉快だったのは、盗む[物]ではなく、盗む[事]だった―アウグスティヌス
(※悪事の成果よりも、悪事を反復する事に耽溺する。心の貧しい人間は、繰り返し虚勢を張るという行為で空虚な喜びに溺れる)

■庭が芸術として目指すのは、現実の風景の魅力を忠実に模倣し、本物の伝えるのと同じ印象を同じように伝えることにある。/小泉八雲

■沈黙だけがいつも最後に残る。そして沈黙にほとんど接するように表現しえぬものを表現しようとやって来るものがある。音楽である。/オルダス・ハクスレー『夜の音楽』

■本は、それが終わるところで終わっているのでは決してありません。本は、膨張を続ける小さな宇宙なのです。/アントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝』和田忠彦/花本知子・訳

■活きた者は皆無限の対立を含んでいる、即ち無限の変化を生ずる能力をもったものである。―西田幾多郎『善の研究』

■白川静
すべて偉大なるものは、複数的であり、対極的であるのです。そういう両極のものが矛盾し、向かい合うというところに、強烈な芸術運動が生まれる。
ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。
言語はわれわれにとって所与的なものである。われわれは生れると同時に、われわれを待ち受けている既存の言語体系の中に包まれてしまう。われわれはその与えられた言語体系の中で生長し、これを通して思惟し、また自らの思想を形成してゆくのである。

【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な世界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである。

【文】はまた「天の文」「地の文」「人の文」といわれるように、その内的な生命の外へのあらわれをもいう語であった。

【たね】はおそらく【さね】【ものざね】の【ね】と関係があろう。種と実とは、同じものである。種を残すことは【幸(しゃち)】を残すことであり、そのような信仰を「幸の信仰」という。山林の伐採にも、のちに至るまで、そのような幸の木を残す信仰があった。

伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、「述べ」られる。述べられるものは、すでに創造なのである。

■漢籍名言(https://twitter.com/kann_seki/status/876038818675150848)
数(すう)を極め来を知るこれを占と謂い、変に通ずるこれを事と謂い、陰陽測られざるこれを神と謂う。『易経・繋辞上伝』
◎因果の理法を極めて来を知ることこれを占と言い、変化の理法に広く通ずることこれを事と言い、これらの理法でも知り得ないこと、これを神・神妙な働きと言うのです。

■宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 ブルカニロ博士の言葉より
おまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わり すべてにわたるようでなければいけない。
それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。
ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえは、あのプレシオスの鎖を解かなければならない。

■事変俳句について
俳句は、ひつきよう、境地の詩であると思ふ、事象乃至景象が境地化せられなければ内容として生きないと思ふ。
戦争の現象だけでは、現象そのものは俳句の対象としてほんたうでない、浅薄である。
感動が内に籠つて感激となつて表現せられるところに俳句の本質がある。
事実の底の真実。――
現象の象徴的表現、――心象。
凝つて溢れるもの。――
―種田山頭火『其中日記』


■格言メモ/ラテン語

■Tempus est quaedam pars aeternitātis. 時は、永遠の中のある一部分である。/キケロー「発想論」

■Dum vītant stultī vitia, in contrāria currunt./愚かなる者たちは、欠点を避けようとして反対の欠点に入りこむ。/ホラーティウス『風刺詩集』

Stultum facit Fortuna, quem vult perdere.
運命は、破滅させんとする者を愚者にする。(プブリリウス・シュルス)

Fortuna vitrea est; tum cum splendet frangitur.
運命は、ガラス製。輝く時に砕け散る。(プブリリウス・シュルス)

Levis est fortūna: id cito reposcit quod dedit.
運命は軽薄である。与えたものをすぐに返せと催促する。(プブリリウス・シュルス)


■土方巽(舞踏家)

生まれてきたことが即興なのだから、舞踏は一度としてくりかえされたことのない必然を創造しなければならない

■『アイオーン』高野史緒・著、ハヤカワSFシリーズJコレクション2002

私はただ知りたかっただけだ。かつてこの世に何があったのか?この世界には何があるのか?これからどうなっていくのか……そして、何故、そうなるのか?何が決めている?真理と呼べるものはあるのか?魂を救うとか、良く生きるとか、そんなことは思わない。私はただ、知りたかっただけだ…
…だが、人は結局、気づいてしまうものだ。全てを知ることはできないのだと。人は何故、そのようにできているのだ。神が、神々が造ったのか、進化の結果、人間という生物になったのか、いずれにせよ…何故、どうせ得られもしない答えなど望むように出来ているのか?
時間、空間、脳、五感、言葉、意味…我々は全てにありとあらゆる限界を課されている。古(いにしえ)の賢者たちは、この限界、世界と人間とを隔てる強制力を〝アイオーン〟と呼んでいた。もうすでに何百年、いやおそらく何千年も前に、幾多の賢者たちが諦めたように言っているにもかかわらず、何故、問うことを止められないのだろう?
私は東の果てまで行ったが、結局、あるのはただ、それぞれの勝手な理屈ばかりだ。何処へ行ってもそうだ。科学があろうが、信仰があろうが、結局は何処も同じだった…

■心理学的観点から見る「夜の旅」

「ナイト・ジャーニー」とも呼ばれ、無意識への旅ないし集合意識(「神」と呼ばれるもの)の深層部への旅を意味する。「英雄の試練(未知の世界への冒険)」に属するジャンルの神話物語は、「夜の旅」と全く同じ構造をしている。

「行きて帰りし物語」、「帰らざる物語(世界の秘密を知って/偉業を成して天へ召される)」という異なるバージョンがあるが、いずれの神話物語についても、その全編を貫くテーマは「イニシエーション」もしくは「死と再生」だ。

“自立すること”と“孤独になること(精神的な意味で「死」を贈与されること)”が、実に同じ意識フェーズの裏表であることと関係するのである。


■『神話の詩学』著者=ロシアを代表する碩学エレアザール・メレチンスキー

序文から抜粋:

・・・『神話の詩学』について言いますと、この本は、歴史詩学を論じてきた私の一連の研究、すなわち、言語芸術の古型からの文学の発生、とくに神話という古型からのその発生と、数多の文学ジャンル形成とを論じてきた私の研究の中核に位置しています。・・・
本書の表題は、いくぶんか厳密さを欠いているように見えるかもしれない。神話創造には、無意識的な詩的創造の原理があるだけなので、何らかの神話をとりあげて、芸術固有の手法、表現方法、文体などという詩学的問題に関して語るわけにはいかないはずだからである。
しかし、神話には、感覚的、具体的な形の普遍的表象の変容がつきものだ。
すなわち、芸術に固有ではあるが、ある程度は神話から受け継いだともいえそうな、まさにそうした形象性が備わっているのである。
太古の神話は、ある種混交的な統一体であって、宗教と太古の哲学的観念(神話的源泉が乗り越えられていく過程で形成された)の萌芽だけでなく、芸術の萌しも、わけても言語芸術の萌しも潜ませていた。
芸術形式は、神話から、具体的、感覚的な普遍化の方法も、混交性そのものも直接受け継いで用いている。

解説部分からの抜粋:

歴史詩学は何よりも、詩学的諸形態とカテゴリーを(最広義における文学の〈言語〉を)その生成のありさまと形成の歴史的論理とにおいて研究する。
そのため、理論詩学が古典的形態の方を注目するのに対して、歴史詩学は、とくに初期、早期の形態、移行段階の形態の方に注目する。

■「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す」加藤友三郎

■人間は超人になれるか(思想的進化)
《http://twitter.com/t_ota/status/11527323061》
《http://twitter.com/t_ota/status/11527400804》
《http://twitter.com/t_ota/status/11527466378》
〝意味〟や〝物語〟に縛られて生きていた人間が、これからは〝強度〟に満たされて生きるようになる、そして人間は〝超人〟という人間を超えた存在あるいは〝動物〟や〝機械〟といった非人間的存在になる――
この図式は、かつてポストモダンの思想が好んで用いたものであった。この図式は一見したところきわめて魅惑的で、そこに〝現代思想〟が大いに流行した理由もあるわけだが、端的に言って全く間違っている。人間は〝超人〟や〝動物〟や〝機械〟になることはできず、あくまで人間であり続けるしかない。また〝意味〟や〝物語〟から逃れることもできない。
「物語が終わり、人間は…になる」という言い方すら、新しい一つの"物語"であるに過ぎない――それも、聞くに堪えないほどお粗末な。


■星と境界についてのメモ/「摩多羅神はどこから来たのか?」より

ラテン語TER-MINUSは境界、制限、終局、限界などの意味があり、ローマのテルミヌス(境界神)の語源。TARAはサンスクリット語STRIに由来、「まき散らす、拡大する、拡散する」などの意味があり、英語STARになった。星とターラー(多羅)は切ることが難しい
ターラーは、「救い」と「夜空に輝く星」の意味を併せ持った境界神である。
ターラー(TARA)にはサンスクリット語で語源的には川を横切る、運ぶ、超越するなど、また、解放する、逃れるなどの意味がある。
ターラーが救度菩薩と言われるのも、冥界との境界においてこの女神が援助の手をさしのべてくれると信じられているからである。

■冬から春の草「よもぎ」・・・沖縄・九州「星の草」神話的に「冥界との境界の草」可能性あり

「よもぎ」語源:
・『萬葉集』大友家持の長歌…「余母疑/よもぎ」
・中国語「艾草」…「艾/ガイ」、漢方薬の一種
・『和名類聚抄』源順、10世紀前半~漢字「蓬」初出。「本草云艾一名」…艾草のことを一名では「蓬」ともいう、和名では「與毛木」である、とする。「蓬」は不老不死の「蓬莱山」に由来。薬効の強調のためか
・九州全土の方言で「フチ」。沖縄県の方言で「フーチバー」。「フツ」「フチ」は琉球地方で「星」の意味。日本語「ほし」の語源
※日本神話の武神フツヌシは『星の王』の意味を持つ。「星の世界」は「死の世界」であり、「よもぎ」>「よもの木」>「黄泉の木」解釈が可能
・西洋/オウシュウヨモギ:Artemisia vulgaris…防虫、魔除けの魔法の草として儀式・儀礼に使用
ヨモギ属の学名Artemisia:月と狩猟の女神アルテミスに由来。ギリシャ神話の神だが、トルコ由来。生と死の二面性を持つ女神とされる(安産と豊穣/疫病と死)
冬から春の季節、「死(月・蛇・冥府・地下)」から「生(太陽・現世・地上)」へ移行する季節とされた。早春の草である蓬を、冥府の世界から送られて来た草(アルテミシア)と名付けた可能性あり。別名「蛇草」
※早春に芽を出して地表を覆うカキドオシやキランソウの別名「地獄の窯の蓋」


■ジョルダーノ・ブルーノ
「諸君が広大な天空を見上げる時、太陽も諸惑星も地球の周りを回っているように見える。そして、青空は青い壁のように見える。この青い壁は、諸君の認識能力、知覚能力がそこまでしか達していないために、そのように見えるのだ。しかし、諸君の限られた感覚が壁しか見ようとしないところには、無限の空間が拡がっている。そこには無限の宇宙が存在しているのだ」

■思考は言語によって構成される/アンカー効果
―さよう、太陽と月が寄り添えば、金と銀がそろい踏み、この世を革命する光輝、いっさいのものが手に入ろう―/―賢者の石をものにしても、石に賢者がご不在では―/―この世は仮面舞踏会、監獄舞台の檻の中で、クルクル茶番を踊ります―

■ゲーテ
「別の人生を願わない人はすべて、この世の人生においても死んでいる」
(ひとつの生と死は、その外側にある無数の他の生と死によって基礎づけられるゆえに)

■エレノア・ルーズベルト
「偉人は考えを論じ、凡人は出来事について話し、つまらない人間は噂話をする」

■アリストテレスの四原因説αἴτιον、アイティオン
質料因(希: ὕλη, hyle, ヒュレー)
形相因(希: εἶδος, eidos, エイドス)
作用因(「始動因」や「起動因」とも)(希: αρχή, arche, アルケー)
目的因(希: τέλος, telos, テロス)

■ロゴス=理性, 言語, 理義, 留め置き&集め置き(ピン止め)
~カテロゴス(=カテゴリーの事)

■モイラ=運命, 人々への配分
クロートー「糸を紡ぐ」/ラケシス「糸を割り当てる」/アトロポス「糸を断つ」

■二コマコス倫理学(アリストテレスの著書を息子ニコマコスがまとめた物)
徳=選択にかかわる「性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)」における「中庸(メソテース)」

https://x.com/dadakomach/status/1760938357394440544
1970年代/山口小夜子という/モデルが現れた時/欧州の人々は騒然となった/「まるで人ではないもの/白猫か白狐/あるいは白蛇のようだ」/それらは皆/神の使い/美しさだけでなく/彼らは「畏れ」を/感じたのではないか

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《直感メモ》
―権力はあの雲を越えて遠くへ遠くへ飛ぼうとするもの
権威は雲に長く長く落とされてゆく影
いつか時代の変化と共に、ひとつの権力は身を灼き尽くして砕けてゆくけれど
雲に蓄積されたフラジャイルな影は、伝統の形して、次の時代を飛ぼうとする権力に、さらに遠くへつづく道を開く

国際感覚■外交経験の深い政治家や外務省の見解を間違っていると言い、我が国際感覚こそスタンダードと叫ぶ類=一義的・一方的視点で判断する性質。海外についても国内についても同相の発言をしがち。※情報収集能力/インテリジェンス能力/複眼的思考/解像度

(備忘メモ・いつか創作に活かせるかも)階段でズッコケて、数段ほど、サスペンスドラマ場面みたいに転げ落ち。背中と腰の各所、数時間ぐらい痛み。死を見たような気がする一瞬、謎ですが「恋に落ちる」と似た心身状態になる可能性あり。人類の脳ミソについて興味深い考察ができそう。

「日本のメディアにはヒューマニズムがない。人間愛がない。なのに妙なセンチメンタリズムだけがあり、悲惨さを楽しもうとする」上岡龍太郎

言語化能力とは「高低差の大きな抽象思考」、「メタファー(比喩)創作能力」、「エピソードトーク(テーマに引きずり込むための、面白おかしい具体例)の卓越性」の3つで構成される/一方通行ではなく双方向に、縦横無尽に具体と抽象を行き来=構造を読み解く力が発達してるので、例え話や類推が上手くかつ、相手の理解度に合わせて抽象度を上下させられる/