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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

《メモ》エメラルド・タブレット

『図版錬金術』吉村正和・著、河出書房新社2012より抜粋

これは偽り無く、確実で、真実である。

下のものは上のものに似ており、上のものは下のものと似ており、
かくして一なるものの奇蹟を行なう。

すべてのものは一なるものの仲介により造られたように、
すべてのものはこの一なるものから適応によって造られる。

一なるものの父は太陽、母は月である。
風はそれを胎内に宿し、地は乳母である。
世界のすべてのものを完成する父がここにいる。
それが地に変わるとき、その力は全きものとなる。

火から地を、粗大なものから精妙なものを巧みに分離せよ。
それは地から天空に上昇し、再び地に下降し、
上位のものと下位のものの両方の力を受け取る。

かくして汝は全世界の栄光を得て、不確実なるものは消え去るであろう。

その力は、
すべての精妙なものを超え、
すべての固定したものを貫いているために、
すべての力に勝る。

かくして世界は造られた。

かくして驚くべき適応が生まれるが、その過程はここにおいて示されている。

それゆえ、私は全世界の哲学の三つの領域に通じる
ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれる。

太陽の作業に関して私が言うべきことは、これがすべてである。

▼ニュートンによる注釈、1680年代

下位のものと上位のもの、固定されたものと揮発性のもの、硫黄と水銀は同じような性質を持っており、男と女のように一つのものである。両者は互いに消化と成熟の度合いに応じてのみ異なっている。硫黄は成熟した水銀であり、水銀は未成熟の硫黄である。この親近性ゆえに両者は男と女のように結び付き、互いに作用し合う。この作用を通して互いに変容して、更に高貴な子供を産み、一なるものの奇蹟を行なう。

すべてのものが唯一の神の創意によって渾沌から創造されたように、我らの術においては、すべてのもの即ち四大元素は、一なるもの即ち我らの渾沌から造物主の創意と事物の巧みな適応によって生まれた。

この生成は人間のそれに似ており、父と母、即ち太陽と月による。子は父と母の結合によって胚胎し、誕生の時まで風の胎内に留まる。誕生後は緑の大地の胸で育まれ、成長する。

この風は太陽と月の浴槽、メルクリウス、ドラゴン、作業進行役として第三の地位にある火である。地は乳母であり、洗われ清められたラトナである。エジプト人は彼女をディアナとアポロンの乳母、即ち白い錬金染液と赤い錬金染液とした。これは、全世界のすべての完成の源泉である。その力と効力は、煎出による赤化、増殖、発酵により固定された地に変われば、全きもの、完全なものとなる。

かくしてまず四大元素を優しく、急ぐことなく、ゆっくりと分離して清め、すべての物質的なものを昇華によって天へと上昇させ、昇華を繰り返して地へと下降させる必要がある。この方法により、それは精気の貫通する力と身体の固定された力を獲得する。

かくして汝は、全世界の栄光を得て、すべての不明瞭さ、窮乏、悲哀は逃げ去るであろう。

これは、溶解したものと凝固したものを通って天に昇り、地に下降する時、すべてのものの中で最も強いものとなる。それは、すべての精妙なものを捉えて凝固させ、すべての固定したものを貫き染めるからである。

かくして暗い渾沌から光の登場、地から空気層そして水が分離されて世界の創造が行なわれたように、我らの作業は、暗い渾沌とその第一質料から始まり、四大元素の分離そして物質の霊的照明へと続く。

かくして我らの作業において、驚くべき適応と編成が生まれる。その様は、世界の創造において概要が示されていた。

この術によってメルクリウスは、全世界の哲学の三つの部分を持つ三倍に偉大なものと呼ばれる。彼は「哲学者のメルクリウス(水銀)」を意味しており、三つの最強の物質から成り、肉体・魂・霊を持ち、鉱物・植物・動物であり、鉱物界・植物界・動物界を支配しているからである。

(ラテン語)

Verum, sine mendacio, certum, et verissimum:
Quod est inferius est sicut quod est superius,
et quod est superius est sicut quod est inferius,
ad perpetranda miracula rei unius.
Et sicut res omnes fuerunt ab uno, meditatione unius,
sic omnes res natae ab hac una re, adaptatione.
Pater eius est sol; mater eius est luna.
Portavit illud ventus in ventre suo; nutrix eius terra est.
Pater omnis telesmi totius mundi est hic.
Virtus eius integra est, si versa fuerit in terram.
Separabis terram ab igne, subtile ab pisso, suaviter, magno cum ingenio.
Ascendit a terra in coelum, iterumque descendit in terram,
et recipit vim superiorum et inferiorum.
Sic habebis gloriam totius mundi.
Ideo fugiet a te omnis obscuritas.
Haec est totius fortitudinis fortitudo fortis,
quia vincet omnem rem subtilem,
omnemque solidam penetrabit.
Sic mundus creatus est.
Hinc erunt adaptationes mirabiles, quarum modus est his.
Itaque vocatus sum Hermes Trismegistus,
habens tres partes philosophiae totius mundi.
Completum est quod dixi de operatione solis.
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古代ヨーロッパ考・後篇

《ヘレニズム哲学から絶対一神教へ》

コスモポリタンの発生と漂流…生の不安が拡大する中、新時代を切り開く哲学として浮上したのが、混迷を生きるための哲学、ストア派とエピクロス派でありました。

【ストア派】
コスモポリタン主義。宇宙理性(ロゴス・神)が世界に遍在する。一切はこのロゴスの摂理に従う。この神の摂理にしたがう賢者はアパテイア(完全理性)の境地に達するであろう。
【エピクロス派】
隠者主義。万物は原子と真空によって構成されている。感覚は実在の偉大なる伝達者である。生活を簡素にして自然との究極の調和が得られたとき、これをアタラクシア(平安充足)と言う。

更なる発展形として、絶対一神教のスパークにして理論的バックボーン、新プラトン主義も登場してきました(新プラトン主義=完全なる一者から世界が流出生成したという思弁)

そして、重要な事件が発生しました。イエス・キリストと、その福音の登場です。

このヘレニズム時代の遺産、共通(コイネー)の基盤を前提として、「西欧普遍世界」における画期的な個人救済、普遍宗教・キリスト教が発生し、急速に普及したのであります。

更に時代を下って、アラブでも、マホメットの登場を通じて「イスラム普遍世界」における個人救済、普遍宗教・イスラム教が成立。

恐るべき歴史の分断を経て、生まれてきた福音教…キリスト教とイスラム教。そしてこの2つの新興宗教は、それまでの多神教の世界を駆逐したのであります。

この多神教/一神教の怒涛のごとき「入れ替わり」もまた、かつてのアレクサンドロス大帝国の領土範囲の中で進行した出来事でありました。実に恐るべきかな、ヘレニズムの因縁・・・

個人救済の性格を持つ「普遍宗教」は、ヘレニズム時代が生み出した、コスモポリタン漂流社会における、究極の人心救済メソッドであった…とも考えられるでしょうか。


《「宗教」私観》

religion の意味には、「神との再結縁」というのがあるそうです。本来の宗教とは、「世界」から切り離されてバラバラになり絶望に落ちる「個人」を、再び「世界(亦はゴッド)」と結縁する(救い上げる)とか、そういうものだったのでしょう。

おそらくは…創生の息吹きに満ちていた頃のキリスト教は、洗礼を通じての「再結縁」の能力があったのです。そうした中での、アウグスティヌスの提唱した、「人は洗礼を受けなければ人では無い」というドグマの採用…

当時の人々の動揺がどれほど激しかったか、どれほど孤独の闇にうちひがれていたか、そういう悲しいコスモポリタンならではの心理が透けて見えて、恐ろしくなるのです。

名高い「アダムとイブの楽園追放」のエピソードや、ぬぐい切れぬ「原罪」感覚には、そういう伝統断絶・喪失における悲しみと不安が、合わせ鏡の如く映し出されているのだと考えられはしないでしょうか。

エリートなら、上のような数々のヘレニズム哲学に慰めを見いだせたのでしょうが、知識も活動も制約されていた下層の人々には、それは到底かなわぬ事であった筈です。

キリスト教が何故、ローマ帝国の弾圧にも関わらず、下層の人々の間で爆発的に広がっていったのか。それは、こうした数々の与件が重なっていたからこそ、の事象であったと思われるのです。

一方、古代日本語は、こうした「結縁共同体」の概念を、「ムスヒ(結び、産霊)」、「ユヒ(結)」、「ウブスナ(産土)」などで言い表してきました。お宮参りの風習は、この結縁の慣わしが現在まで残ったものですが、「宗教」と言うよりはもうちょっと、広い意味で混然となったものを含んでいるようです。

《洗礼と洗礼名について》

キリスト教では、専門の司祭や牧師が洗礼を行ない、神に代わって洗礼名(「人」と認められた証しとしての名前)を授けますが、すでにプロの手を必要とする専門業である…という点で、キリスト教における「世界(ゴッド)」と「人間」との遠大な距離感が感じられるものであります。

神の代理人という地位と、神/人の間の距離感…という要素の共鳴が、ローマ・カトリックに絶大な世俗権力を約束したのではないでしょうか。こういうと語弊はありますが、歴史の流れの中で、その後の西欧キリスト教は、「神と人との再結縁」よりも、「神の代理人としての世俗支配権」を選択したのです。

神道の考え方だと、日本人はみな神の分け御霊(みたま)を授かっている存在である(神に生かされて人生を歩むものである)…となります。ある意味、親から授かった名が、神の授けられた名なのです。


以上の如く歴史の分断、および多神教/一神教入れ替わりのいきさつを考察し、当時を生きた人々の苦悩や、切なる思いを想像しながら、物語ってみたのでありました…

古代ヨーロッパ考・中篇

《ヘレニズムの動揺・・・コスモポリタンの発生》

ヘレニズム時代とは、激しい文化的シンクレティズムと、社会&人心動揺の時代であります。エポックメーキングは、コスモポリタン(世界帝国市民)意識の発生。現在は「無国籍の人」という事になっているそうですが…

これはどういう文脈で言うかというと、以下のようなもののようです
「お前は何処のポリスの者か?」
「私はどのポリスの者でもない。この世界(コスモス)こそが我がポリスだ」
※コスモス+ポリス+人=コスモポリタン(世界市民)

アレクサンドロス大帝国の発生は実に、世界「普遍」帝国の発生でありました。おおむね、その言語基盤――国際共通語は、古典ギリシャ語が変形した「コイネー(共通語)」であります。

コイネーは、同時に、エリート言葉でもありました。ゆえに、この頃から上層/下層の人々の言葉環境(イントネーション等)の差や、上/下の階層の文化的距離が広がり始めた可能性がある…と申せましょう。

アテナイの平和崩壊、ポリス間紛争、文明終末期に入っていた古典ギリシャ文明。

そこに彗星の如く現れた、マケドニアのアレクサンドロス大王・・・

ヘレニズム時代をことさらに神秘化するつもりは無いのですが、実に神秘と言えるほどのタイミングでヘレニズムの激動が起きた事に、驚異の念を禁じえないのであります。

さて、そのアレクサンドロス大王がくわだてた人種融合、集団結婚式…ここで、「諸民族の宥和」、「世界市民の共存」の宣言がなされました。

※このスローガンを「民主主義の拡大」とか「資本主義拡大」に置き換えれば、何だか現代のアメリカを見ているようです

つまり、ローマ帝国成立より300年も前に、ユーラシア東西文明の混淆と、それによって立つ共通(コイネー)世界の発生があった事を意味しているのです。続くヘレニズム宇宙において、「共通の市民」、「普遍」という理念が確立しました。

後のローマ帝国の版図よりも、ずっと広大な地域で起きた出来事でした。実に、シルクロード諸国全体を巻き込んだ、世界的な潮流。シルクロード経済の興隆(共通貨幣の広域流通)に見られるように、政治だけでなく経済方面においても、あまねく行き渡った変容でありました。

こうして確立したヘレニズムの諸理念を、後のローマ帝国が継承したのです。パックス・ロマーナの奇跡の影に、かように先立つ広範な物語があったことは、絶対に外せないと思われます。

西欧の文明理念、「西欧は普遍である」という強迫的なまでの理念の発祥を、この激動のヘレニズム時代に求める事さえ出来るのです。

しかし、怒涛のボーダーレス化、コイネー(共通語)の言語環境の中にあって、伝統的ポリス社会で育まれてきた古典ギリシャ哲学は、激しく衰退します。古典ギリシャ文明を担う共同体であった筈の人々・文化が、社会的に断絶・溶解していった、混迷の時代でもあったのです…

(もっとも、ソクラテスに毒杯をあおらせた件を取り巻く事情に見られるように、ポリス政治は以前から激しく分裂し、党略的・利権的なものに堕していたという事が指摘されています)

それは、正しく、恐るべき歴史伝統の分断でした。「ポリスに属す」という伝統的結合体を構成していた人々が、根無し草の、バラバラの有機体、コスモポリタンたる個人個人となって、「普遍世界」の中に漂流したのです。

自然、ヘレニズム諸王国の政治は、ポリス共同体を背景にした権威支配ではなく、コスモポリタンの囲い込み、軍事力・経済力による権力支配でありました。(実際は、ポリス的な要素も多分に残っていたと思われますが…ローマ帝国の頃には、すでに権力支配のスタイルが完成したと言えるでしょう)

こうして、ポリス的なものに価値を置く古代伝統社会は崩壊します。恐るべき伝統の断絶…ヘレニズムの混迷の中、「人はいかに生きるべきか?」という、苦悩に満ちた問いが浮上しました。倫理の確立や個人の内面といったものに注意がゆき、ゆき過ぎて絶望し、自殺を選んだ哲人さえ数多くありました。

ヘレニズム時代からローマ前期の時代に起きた神秘主義・オカルティズム・密儀、バッカスの祭りなどの熱狂的な流行は、この恐るべき伝統断絶感、崩壊感を埋めるがためのものでもあったのです。

当時の人々がひたすら求めたのは、「個人」の安心立命でした。それほどに当時の人々は、ボーダーレス化するグローバル社会の中において、孤独と絶望にさいなまれた「絶対的な個人」でありました。伝統の根を絶たれて、果てしも無く動揺するコスモポリタンであったのです…