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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作13

異世界ファンタジー4-4夜の街角:《運命の人》

監察官は目を見開いたまま、驚愕の表情で固まっていた。竜人の聴力は決して悪くない。貴族クラスの竜人であれば尚更だ。

――あなたが、好きです――

一瞬で踏み潰されそうな程の小柄な体格。透けるような肌の白さと白緑色の髪が、スプリング・エフェメラルのように儚げな雰囲気を作っている。しかし、再びゆっくりと露わになったラベンダー色の眼差しは、奥に秘めた思いに比するかのような、高い透明度をもってきらめいていた。

薄暗い馬車の中で、監察官の表情は良く分からない。ロージーは更に、「あなたは…」と、そっと口を動かす。

「私の、《運命の人》です」

そう言ってロージーは、モジモジとした様子であらぬ方に視線を流し、一方の手をもう一方の手で覆った。それは、監察官が以前にも見た仕草だ。ロージーは整理のつかない――遣る瀬無い思いに沈むと、無意識のうちに、婚約指輪をくるくる回す癖がある。

禁断の恋――それは、是か非か。

監察官は青い目を閉じて口を食いしばっている。監察官の手にも、婚約指輪があるのだ。

「…ロージー」

ただ一言の、硬い声の呟き。それでも、胸が潰れそうな不安の中で待ち受けるロージーにとっては、全身を震わせる呟きだった。

《宿命の人》。

《運命の人》。

人は、揺れ動く生き物だ。その心の、自由性、不確実性。自由であるがゆえの喜びと、不確実であるがゆえの残酷。

揺れ動き定まらぬ《運命》――しかし、そんな不安定な中から敢えて立ち上がり花開いた思いの、何と甘い事か。

「ごめんなさい、変なこと言って。私、きっとまだ混乱してるんです」

婚約者の居る人に告白なんかして、どうするのだ。監察官は優しいし、気を利かせて誰にも言わないでくれるだろうけど――いたたまれない思いに顔を赤らめ、涙目になりながら、ロージーはうつむいた。

やがて、目の端で、監察官が身じろぎした――身を乗り出して、ロージーに手を差し伸べてきた。

――監察官…?

ロージーは目を大きく見張って、男の手の動きを見ていた。頬に触れ、肩に触れ、そして脇の下に腕が差し込まれたかと思うや、ロージーの身体は力強い腕で宙に浮き、次の瞬間には、対する座席に座っていた男の、広い胸の中に居た。

男の腕は決して強く締め付けるものでは無かったが、その内に抱き込んだロージーを逃がさなかった。ただ一回、先ほど「ロージー」と呼び掛けたきり、それ以上愛をささやくような言葉は一切出て来なかった。しかし、馬車の窓から入ってくる夜店のわずかな明かりの中で、男の深い青い目は言外に、ロージーと同じかそれ以上の、禁断の思いを告げている。

――これは、夢かしら?

ロージーは男の目から視線を外せなかった。見ていると男は、再び綺麗な微笑みを見せた――が、目は笑っていなかった。

「私の婚約者は《宿命の人》です――でも、今の私はきっと、ロージーにとってはこの世で最も危険な男です。先刻、ロージーが襲撃されているのを見た時、私は…、――何故なのかは分かりませんが」

さっきまでの滑らかな低い声は、いつの間にか掠れていた。青い目は、未知の感情――おそらくは激情に近い何か――を秘めて、暗くきらめいている。今まで見たことの無い闇を見せた眼差しに貫かれ、ロージーは知らず、震えていた。

――男の青い目が伏せられ、やがて、ロージーの額と両頬に、ゆっくりと男の口づけが落ちた。その後、暫しためらうような小休止があったが、――いつしか、どちらからともなく互いの腕が、互いの背中に回っていた。


4-4@夜の街角:帰宅と別れ

馬車は軽快な足取りで進み、通りの停車駅に止まった。

乗合馬車の停車駅には既にライアナ神祇官が居て、無紋の馬車の到着に気付き、「ロージー様?」と声を掛けた。すると、すぐに馬車の扉が開き、白いショールをまとったロージーが荷物を抱えつつ、背の高い男に抱きかかえられて降りて来たのであった。

ライアナ神祇官は目を潤ませ、だいぶシッカリしてきた足で立つロージーに抱き着いた。

「ああ、ロージー様!生きていて良かった…!」

そして、襲撃事件の顛末について、監察官から簡単な説明を受けたライアナ神祇官は、「大変お手数をおかけしました」と、深々と頭を下げた。事情はどうあれ、ファレル副神祇官を大急ぎで派遣して、王宮警備の一角を騒がせたことには変わりない。

監察官は、念のため門前まで送る事を申し出たが、ロージーの傷は大したことは無く、足取りも既にほぼ問題ない状態であり、ライアナ神祇官の付き添いのみで済むものだったため、停車駅で分かれる事になった。

ロージーとライアナ神祇官は停車駅の元に佇み、王宮へと戻って行く馬車を見送った。

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詩歌鑑賞:北原白秋「帰去来」三好達治「雪夜」

「帰去来(ききょらい)」

山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(いまひとたび)。

筑紫よ、かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度(いまひとたび)。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

*****

(三好達治「雪夜」より)

雪は思出のやうにふる また忘却のやうにもふる

異世界ファンタジー試作12

異世界ファンタジー4-3夜の街角:白いショール

ショック状態にあるロージーに刺激を与えないよう、無紋の馬車はゆっくりとした足取りで、夜陰に沈むストリートを進んで行く。幾つかの夜店が営業中である他は、静かだった。

ロージーは平民クラスの竜人であるため、貴族クラスの竜人を対象とする王宮の治療師では対応できない。平民は、貴族に比べて竜体の能力が圧倒的に低く、回復力が非常に弱いからである。ゆえに、この場合は、高度治療師の資格を持っているライアナ神祇官に、ロージーの体調管理を任せるという事になるのだ。

ロージーは監察官の膝の上で抱きかかえられていたが、まだショックで呆然としているのか、 自分がどういう状態なのか余り意識していなかった。何だか自分は今、この人の婚約者であるユーフィリネ大公女に申し開きが出来ないような事をしているらしいという、現状認識を飛び越えたチグハグな思考を、くるくると回しているだけだった。

やがてロージーは、自分がやっと、監察官の上着にくるまっている事に気付いた。目をパチパチさせ、自分をじっと見下ろしている深い青い目に、焦点を合わせる。この人は何で、上着を脱いでいるんだろう?と、ロージーはボンヤリと考え始めた。

「ロージー?」
「寒くないんですか、監察官?」

監察官は目を見開き、そして長いため息をつく。「最初に言うことがそれですか」と言って、監察官は苦笑した。

ロージーは眉根を寄せた。今の監察官は、いつもの監察官だ。今は暗いので余り良く見えないが、サファイアの目には、面白がっているような呆れたような笑みを浮かべ、ふとすると少年のようにきらめく光を湛えているだろう。アーケード型回廊の蔭から垣間見た時の、あのゾッとする程に冷たく硬質な印象は、無い。

「ロージーのコートは、滅茶苦茶になっていますからね」
「縫えば着られるかも…」
「あれは証拠物件として押収してあるので、返却は不可能です」
「そうなんですか。じゃ、監査官に上着をお返ししませんと…ってあれ?どうして私の左手に包帯があるんですか?」

ロージーは相変わらず、現状認識をすっ飛ばしている状態である。しかし、ある程度とはいえ、意味の通る応答が出来るようになってきたのは、良い兆候だ。限度を超えたショックにさらされると、暫くの間、人格や記憶が分裂した状態になってしまう。

やがてロージーは眉根を寄せたまま目を閉じ、真剣な顔で、むー、むーと考え出した。

「ロージー、今は襲撃されたことは、余り考えなくて良いですよ」
「流石です。すごいです監察官」

ロージーの思考は、再び現状認識が怪しくなっていた。思考は、直前の恐怖の記憶を整理しようとして、冬宮で装飾テーマについて悩んでいた事に飛び、次いで、見本市で感じた苦悩の記憶をありありと再現した。

「それで見本市の事を考えていたんですけど。ホントは貧血じゃ無かったんです。済みません」
「気に病むことはありません」

ロージーの思考を混乱させているのは、大部分が恐怖と不安である。そもそも、竜体において、あれほど体格差のある二人を相手にして、ロージーが瞬殺を回避し、わずかな時間にせよ自らの命を守り切ったことが、奇跡に近い出来事だった。監察官は、ロージーを安心させるように、抱えていた腕に力を込めた。

ロージーの夜目があまり利かず、ランプを持っていたことは、そもそも夜目が利くことが前提だった彼らにとっては、全くの想定外だったはずだ。ランプの準備で、時間が延びた。更に投げ出されたランプが、ロージーの場所を、これ以上なく速やかに、的確に知らせていたのだ。倉庫が立ち並び、どれも同じように見える数多の細道、その中に一か所だけ、火が灯っていた場所――

馬車がガクンと揺れた。ロージーは「うっ」と呻き、顔をしかめて口に手をやる。気分が悪くなったらしい。監察官は御者に暫くの間、馬車を止めて待つように指示した。ロージーの手があちこち動き回り、開いてしまった上着の合わせを再び重ねる。

「ロージー、ちょっと待っていてください」

監察官はロージーをそっと座席に抱きおろすと、馬車を降り、記憶にあるストリートの夜店に目を留めた。

*****

見覚えのあるような馬車の中で、ロージーは横たわったまま吐き気をこらえ、目をギュッと閉じていた。

馬車の壁を通して、夜間の厳しい冷え込みがシンシンと伝わってくる。ロージーはブルッと全身を震わせ、身を包んでいた布を一層きつく巻き付けた。記憶にある香りがする――これは、まさか、あの監察官の?

やがて、閉じていた目をゆっくりと開いた時、ロージーの思考は、だいぶ明瞭さを取り戻していた。

――此処は何処?

まだ奇妙にフラフラする身を起こし、馬車の窓から外を窺う。ロージーの記憶に間違いなければ、此処は帰宅ルートの途中にあるストリートだ。夜間営業中の夜店の光が並んでいる。

(左手から左ひじまで包帯が巻かれている――何処かで転んだのかしら?)

ロージーが、見覚えのない包帯に首を傾げていると、程なくして夜店の一つから人影が現れた。速足で馬車に寄り、扉を開く。

「落ち着いて来たみたいですね、ロージー」

監察官はロージーの頭をポンポン叩き、そして白緑色の髪に沿って手を滑らせ、頬に優しく触れた。その愛撫にも似た感触に、思わず、ロージーは頬を染める。半ばもつれていたロージーの白緑色の髪は今はすっかり縛りが無くなって、有るか無きかのささやかなウェーブと共に、まっすぐ背中の半ばまで流れ落ちていた。

「ロージーはさっきまで、混乱した受け答えをしていましたよ。覚えていないでしょうが」
「私、何かとんでもない事を喋ってませんでしたか?何処かでひっくり返ったとか?――どうして包帯してるのか覚えてなくて」

慌て出したロージーの前で、監察官はちょっとの間だけ目を伏せ、脇を向いて沈黙していた。やがて滑らかな動作で馬車に乗り込むと、ロージーとは反対側の座席に腰かける。夜店で何かを買って来たらしい、一抱え程度の紙袋を持っているのであった。

ロージーが目を丸くして見ているうちに、監察官は長くて白い物を紙袋から取り出して広げ、ロージーの身体をそれですっぽりと包んだ。ウール系の柔らかく暖かな感触にホッとしていると、監察官が、ロージーにかぶさっていた上着を器用に抜き取った。

「厚手のショールがあれば、少しは違うでしょう」
「暖かいです。ありがとうございます」

監察官は、手慣れた動きで上着を羽織る。何という事のない動きだが、ロージーは見惚れた。

「ロージーが手掛けた冬宮の装飾が話題になり始めているようで、街中にもそのモチーフが広がってましたよ」

不思議そうな顔をしたロージーに、監察官はショールの模様を示した。馬車の窓から入ってくる夜店の明かりでショールの柄を見てみれば、成る程、スプリング・エフェメラルの花の一種がプリントされているのであった。

「節分草…」
「エランティスとも言いますね。ロージーに良く合います。冬宮の装飾のテーマをどうしようかと相談された時にスプリング・エフェメラルのテーマを出したのは、"ロージーに良く合う"と言おうとして口が滑ったせいですが、このようになるとは思いませんでした。とんでもない行動力がありますね、ロージーは」

監察官はまぶしそうに目を細めて、ロージーを見つめている。その口元には、微かながら確かな笑みが刷かれていた。

――その花言葉は、「気品」、「微笑」、「輝き」。そして――「人間嫌い」或いは「デリケート」。

――まるで、物語の中の高貴な深窓の姫君のように、愛をささやかれているみたい。

ロージーの心臓は早鐘を打ち始めていた。

後から考えてみても、この時のロージーは全然、冷静では無かったのだ。最初に出会った時のように、やはり、男の綺麗な微笑みが、そしてその低く朗々として甘い声が、ロージーの心を打ち貫いていた。

――私、一目で恋に落ちたの。

とても恥ずかしくて、監察官の深い青い目をまともに受け止めていられず、ロージーはそそくさと視線を落とした。カクンと頭の位置が変わって新たな刺激が脳内に入ったせいか、ロージーの脳内を、ここ最近の記憶が走馬灯のように駆け巡った。

食堂の前で、金髪碧眼の貴公子のしつこいナンパから救ってくれたこと。そして金髪の貴公子と対峙した時の、凍て付くような殺気。アーケード型の回廊から垣間見た、美しいユーフィリネ大公女と手を取り合う姿。親し気な二人を目撃した時の、胸の痛み。

――わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが――

ユーフィリネ大公女の言葉が、美しい声が、悪夢のように立ち上がって来た。水を幾ら掛けても消えない埋火のように、嫉妬が胸を焦がした。同時に、婚約者の居る身でありながら別の人を愛してしまったが故の罪悪感が、突き刺すような痛みをもたらした。襲撃の記憶が巡り、恐怖を呼び起こしたのか否か――浮遊感で頭がクラリとした。

「ロージー、気分がまた悪くなりましたか?傷が痛みますか」

その声に誘われるかのように、ロージーは、禁断の思いを漏らした。

「あなたが、好きです」

――その一瞬、馬車の中に、海の底よりも深い沈黙が落ちた。