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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

秋葉原☆オカルト☆メモ

▼秋葉原通り魔殺人と平将門伝説をめぐる「7」の不可解な符合
リアルライブ2008.6.12(http://npn.co.jp/article/detail/54407087/)
アニメ、コスプレ、フィギュアなど世界中から若者が集まる街・秋葉原。この秋葉原が流血の惨事に見舞われた。加藤智大容疑者(25)は、静岡の自宅から上京、レンタカーを借りて秋葉原の歩行者天国に乱入し、行き交う人々を車でなぎ倒した後、サバイバルナイフで次々に刺すという暴挙に及んだのだ。この史上に残る通り魔事件に関して、NMR編集部に数々の不気味な都市伝説情報が寄せられているのだ。都市伝説といえども、その中には社会不安の残像が見え隠れしているはずだ。今回のこの事件にまつわる都市伝説とフォークロアをお届けしたい。
まず、平将門と今回の事件の奇妙な符合である。加藤容疑者は静岡から上京、レンタカーを運転し、神田明神の前を通過して秋葉原に乱入している。この神田明神に奉られているのが将門の御霊である。因みに神田(かんだ)とは、元々神田(かど)と読んでいた時期があり、将門に通じる。つまり、江戸の守護神・将門が祭られた神田明神の眼前を通過して、秋葉原に切り込んでいるのだ。さらに、犯行日である6月8日は、鳥越明神の祭日にも当たっている。この鳥越明神とは、将門の首が飛び越えたことから、飛び越えがなまり鳥越明神と名づけられた将門ゆかりの神社である。加藤容疑者は将門ゆかりの鳥越神社の祭日に、将門が祭られた神田明神の前を通って犯行に及んだのだ。
しかも、彼の住む静岡県にも、将門の首塚がある。掛川市にある十九首塚は、将門一族郎党19名の首が埋まっていると言われているし、同市内の池辺神社も、将門の首が埋葬されており、将門の剣、犬の掛軸、薬師如来など将門の宝物が奉納されているという。
まだまだ不気味な偶然の一致は続く。将門は北斗七星を信仰しており、北斗七星の呪術を使って、朝廷軍と対峙したのである。そのためだろうか、将門関連の伝承には数字の7が深くかかわってくる。千葉県市川市にある薮知らずは将門の影武者が死んだ場所とも言われているが、この影武者が7人なのだ。また西多摩にある七つ石という場所も、将門が7人の影武者を使って、天敵・俵藤太をかく乱した場所。さらに、都内にある将門ゆかりの7つの神社、鳥越神社、兜神社、将門首塚、神田明神、筑土神社(津久戸明神)、水稲荷神社、鎧神社を結ぶと北斗七星の形になるのだ。今回の通り魔事件でも7人の尊い命が奪われた。北斗七星と被害者7人の一致、この偶然の一致はいったい何を意味しているのであろうか。
さらに、この加藤智大容疑者と宅間守の犯行が一致しているという情報もある。今回の惨劇は2008年6月8日に発生しているが、この日からちょうど7年前の01年6月8日に宅間守が池田小学校に乱入、無差別殺人が発生しているのだ。加藤容疑者はひょっとして宅間守に影響を受けた上で犯行に及んだのであろうか。自ら進んで死刑台に上った宅間守は、一部の犯罪者の間で神格化されているらしい。
それにしても、加藤智大と宅間守の行動は似ている。車で犯行現場に乗り込んで、刃物で無差別殺人を行うという手口はまったく一緒だし、宅間守は当初、大阪の商店街に車で乱入し、無差別殺人を行おうと思っていたという。さらに似ているのは、子供時代の境遇である。少年時代、加藤も宅間も頭脳が明晰であり、その後成長するにつれだんだんと歪んでいった。また、2人とも強い自殺願望があり、自分ひとりで死ぬのはいやだからという幼稚な理由で、他人を巻き添えにしているのだ。はたして加藤容疑者は宅間守をオマージュして、似たような犯罪を同じ日に行ったのであろうか。
どちらにしろ、許しがたい犯罪であり、今後発生が予想される模倣犯への徹底的な警戒、殺傷能力の高いダガーナイフの取り締まりが必要であろう。今回の惨劇で理不尽なまま亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。このように都市伝説を生み出すほど、社会不安を引き起こした犯人には厳罰が科されることを強く希望する。
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異世界ファンタジー試作18

異世界ファンタジー6-1問答:踏み込む役人たちと令嬢

冬宮の設営は完了し、後は人の移動を受け入れるのみになった。先に使用人たちが移動してホテルよろしく各々の貴族たちに割り当てられた控室の私物を完備させ、しかる後に王族や貴族たちが入って来るのである。

公務明けとなった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、冬宮の主会場で貴族たちに囲まれて、輝かんばかりのユーフィリネ大公女を、微妙な眼差しで見つめるのみだ。貴族たちの招待名簿をひっくり返している以外には大して活躍しなかったはずのユーフィリネ大公女が、見物客第一弾の貴族たちの間で、冬宮の装飾についての賛美を独占している。

「ユーフィリネ大公女は、取り巻きの令嬢たちと一緒になってローズマリーの怠慢をチクチク吹聴してるけど、最終盤のところでローズマリーが活躍できなかったのって、この間の襲撃事件のせいだわ。サフィニアは一足の差で危機に突っ込むところだったって言うじゃ無いの、どうしてバシッと言わないのよ」
「ガイ〔仮名〕から口止めされちゃってるのよ。彼が真剣になるなんて滅多に無いし、ただならぬ何かがあるみたい。二度目の危機も起こりかねないから、護衛がくっついてるって脅されたし」

――それは脅しとは言わないのでは?と、令嬢アゼリア〔仮名〕は本気で首を傾げた。会場をくるりと見回す。ガイ〔仮名〕占術師が用意したと思しき護衛の姿は、影も形も見えない。よほど上手く紛れているのであろう。

(まあ、サフィニアとガイ〔仮名〕は既に《宿命》の盟約を交わして、正式な婚約者同士だからね。《宿命の人》として合致した者同士で《宿命》の盟約を交わすと、竜体の能力が底上げされる。実際、ガイ〔仮名〕はサフィニアが何処に居るのか、やたらと勘が働くし)

令嬢アゼリア〔仮名〕は、ドレスの下でこっそりと足の具合を直した。先日の夜、暴走族よろしく竜体で飛来して来た二人組と出会い頭に衝突して、空中階段の上から放り出された時、足首をくじいたのだ。軽傷ではあるが、夜会に使うような華やかなサンダルや細いパンプスは、まだ無理だ。軽傷で済んだのは、ひとえに同伴していた婚約者の、近衛兵としての能力のお蔭である。

ちなみに、かのレストランを含めて空中階段に居合わせていた人々は、滅多に目撃することのない近衛兵の身体能力を目の当たりにして興奮した。若手の近衛兵の間ではトップクラスの実力を持つクリストフェルですら感心したという尾ひれもついた。

その金髪碧眼の貴公子クリストフェルは、目下、ユーフィリネ大公女の恋人の第一候補であると言われている。今も、目の前でユーフィリネ大公女の手を取って、見物を楽しむ貴族たちと共に、主会場のあちこちを視察している。本格的な警備体制を組む際の下見という名目だが、別の要素をも楽しんでいるのは明らかだ。

「ユーフィリネ大公女は、相変わらず殿方に人気があること。夫になる人の苦労は、想像するに余りあるわね」
「王族に最も近い公爵令嬢だから、王女並みに相当数のスペアがあってしかるべき、だそうだけど。ヴィクトール公爵のお眼鏡にかなわない求婚者…っていうか恋人候補は、片っ端から排除されてるそうだし、これはこれで割に合うのかも知れないわ、何せ筆頭公爵ですもの」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が内緒話に花を咲かせていると、監察機関に所属するスタッフ数名――下位の監察メンバーが、逮捕権を持つ検察機関所属の衛兵のチームと共に主会場に入場して来た。

見物に来ている貴族とは明らかに異なる一団の登場で、主会場の中には戸惑いのざわめきが広がった。

「監察の人と、検察の人じゃないの。汚職があったのかしら?」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、嫌な予感がした。そして、その予感は的中した。

中年の監察官スタッフたち数名は、引き連れている衛兵たちと共に令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕の前に立つと、必要とあらば証人喚問をする旨の文書を披露したのである。一斉にざわめく貴族たち。

「このたびの冬宮設営にて、室内装飾業者の一と不正に結託し、認可された計画書の内容を大幅に超える品の購入ないし横流しをした疑いが浮上している。領収書の合計と決算報告書の数字が合わぬのだ。申し開きあらば、この場にて簡潔に披露せよ。内容次第によっては、この文書に従い、証人喚問に移行する」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、開いた口が塞がらない。二人は一斉に顔を見合わせ、野次馬と化した主会場の大勢の貴族たちに目をやり、そしてその中心に居るユーフィリネ大公女とその取り巻きの令嬢たちを眺めた。

ユーフィリネ大公女は口に手を当てて、純真そのもので驚愕の表情を浮かべている。その取り巻きの令嬢たちは早速、「まあ信じられない!」「お育ちが卑しいと…ねぇ?!」などと、口を歪め、ささやき交わしていた。

スプリング・エフェメラル装飾は、初めての試みだけあって品が少ない。ロージーが最初に突き当たったように、対応できる王宮御用達の室内装飾業者が、一件しか無かったという有様である。貴族御用達となっている数々の室内装飾業者でも、件数こそ増えるが事情は同じである。冬季草花装飾に対応できる職人そのものが、少ないのだ。

冬季草花装飾の市場は、冬季の定番だった歴史装飾に比べると、遥かに小さい。王宮における冬宮の装飾をきっかけとして、多大な需要が発生したらどうなるか。当然、市場価格が、実物の価値を越えて高騰するのである。

注文が殺到する直前のタイミングで、見本市などで冬季草花装飾を手掛ける業者を引き抜き、品物と合わせて独占してしまう。その後、価格が高騰した状態で、ペーパーカンパニーを窓口にして注文をさばく。差額による収入は、莫大な物になるだろう。

スプリング・エフェメラル装飾の計画を事前に知りえるがゆえの、汚職の疑い。

――それに相当するタイミングで物品購入にタッチしていなかった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕にとっては、寝耳に水の疑いだ。疑いを掛けられた根拠を説明されると、二人は揃って、「はあ?!」と反応するのみであった。

業者の選定や見本市での買い付けは、まさにロージーが担当していた仕事であるが、平々凡々な平民たるロージーには、それだけの大掛かりな汚職を可能とする人脈は無い。ギルフィル卿やジル〔仮名〕卿の人脈が使えれば可能ではあるだろうが、仮婚約者に過ぎないロージーに、王都の貴族クラスの人脈にタッチできる力があろうはずが無い。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、そのように、疑いが事実無根である事を申し開きした。

監察官スタッフ代表は、「では、一の業者と入札なしで契約したのは?」と質問を重ねた。

「まだ監察機関に文書が行ってないんだと思いますが、問題の領収書に、理由を書いたメモを添付していると聞いてます。私たちが知る限り関係した業者はその一件だけだし、品そのものが少ないので、後は見本市で品ごとに買い付けしていたそうです――それも、公費を使って購入したのは、きっちり領収書の分のみです――全て、契約先のサイン証明付きの」

令嬢サフィニアの説明に続き、令嬢アゼリア〔仮名〕が説明を始める。

「私たちは別の仕事を担当していたし、室内装飾関係は完全にローズマリー嬢にお任せしていたので、くだんの室内装飾業者とは契約締結の時に顔をつなぐために、立会人の下、王宮内にて同席したのみで、見本市には一回も行っていませんでしたの――」

――そこで、令嬢アゼリア〔仮名〕は、ある事に気付いて、目を丸くした。そのまま、驚愕の表情でユーフィリネ大公女の方を振り返る。令嬢サフィニアも遅れて、令嬢アゼリア〔仮名〕と同じ事実に思い至り、唖然として同じ方向を見やった。

流石にユーフィリネ大公女も、ハッとした顔になった。取り巻きの令嬢たちの顔が、これ以上無いほど、凍り付いた。

――いつだったか、サロンでお茶をした際にロージーに絡んだ時、ユーフィリネ大公女は何と言ったか。

――『わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが』

取り巻きの令嬢たちのうち一人が、「な、何よ…!」などと口ごもり、更に何か言おうと口を開いた時。

何処に潜んでいたのか、ガイ〔仮名〕占術師が意味深な笑みを浮かべながら、ふらりと現れたのであった。

「あの時、確かにおっしゃっていましたよね、ユーフィリネ大公女。見本市にて訪問したと言う、数々の業者の名前も――」

ほとんどロージーが手掛けていた冬宮の装飾。その評判が高まり、その評判に続く賛美をちゃっかりと横取りしようとして、ユーフィリネ大公女が決定的な失敗を――巨大な墓穴を掘ったという事を、その指摘は、無慈悲にも暴露していたのである。

読書:意識と存在

お勧めの本/井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫1991)

井筒は、「意識と本質」とは何かという普遍的で根源的な問題に関する広範囲にわたる多言語資料を読み解くことで、古代ギリシアから、キリスト教世界、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラーム、さらには中国をも含めた、全世界的な諸宗教・哲学言説を見通し、まったく新しい比較宗教学、思想史を提示する。本書は決してやさしくはないが、学問とは、かくも深く難しいことを思い知らせてくれる一方で、一人の学者がこのような学識を備えることができるのかという驚嘆も与えてくれる稀有な書といえる。私がイスラームに根本的な興味を持つきっかけになった書であり、個人的な思い入れもあいまって推薦する次第である。

――『科学と宗教 対立と融和のゆくえ』(中央公論新社2018、日本科学協会・編)「第5章イスラームと科学技術、三村太郎」


「意識と存在」という同テーマの2冊の本を読書しました。特に引き込まれた文章を、メモ。

『意識と本質』井筒俊彦・著(岩波文庫)より

禅の覚知に現成する「真如」とは、決して絶対無分節、すなわち「無」だけではない。ここでの無分節は、「無」でありながら――というよりむしろ、真に深い意味での「無」であるという、まさにそのことによって――限りない分節、つまり「有」なのである(「無一物中無尽蔵」)。
そしてまた逆に、それらの限りない分節の「有」が、そのまま無分節でもあるのだ。(正勤希奉、問う、「如何なるか是れ諸法の空相」。師曰く「山河大地」。)
「諸法の空相」それ自体にほかならぬこの山河大地は、その空相において己の分節を否定する。が、それらが現に山河大地、すなわち存在分節、である限りにおいては、それらは互いに相通し、透明であり、無礙である。
「本質」で固めてしまわない限り、分節はものを凝結させないのである。内部に凝結点をもたないものは四方八方に向かって己を開いて流動する。すべてが、黄檗のいわゆる「粘綴(ねんてつ)無き一道の清流」(どこにもねばりつくところのない、さらっとした一道の清流)となって流れる。「粘綴(ねんてつ)なき」この存在分節の流れは、ものとものとを融合させる。
華厳哲学では無「本質」的に分節された事物のこの存在融合を「事々無礙」という。黄檗はそれを「虚空」と呼ぶ。分節即無分節の意である。

『意識と存在の謎』高橋たか子・著(講談社現代新書)より

(高橋氏の談話)私はこれまで多種多様な人々に出会ってきましたが、大別すると、表層における分節の少ない、つまり粗雑な人々と、数え切れないほどの分節のはたらく人々とがあり、後者の方が、直面している現実をかなりきちんと見る。表層がきわめて細分化している人々と言ってもいいが。

分節即無分節の究極が、「虚空」。能狂言の舞台理論「花・幽玄」とかなり共通するところがあるなあ、と感心しました。微粒子的感覚とか、感性とか、緻密な思考は憧れですね^^

意識の構造を、「根源無(ゼロポイント)」の上に咲く蓮の花(上側へ向かって開く円錐形)として捉えているところ、なるほどなるほど…と、うなづき。

※自分が想像している意識構造は、ゼロポイントの位置も含めていささか異なるのですが、これはイメージにも個人差(偏見&思い込み)がある、という程度のもので、学生時代の専攻内容や、現在やっている占いの影響が大なのかも知れません^^;

2冊の本を読んで感じたのは、心理学及び哲学で言う「分節」は、数学で言う「微分・積分」に非常に似ている(或いは同じプロセスを違う言葉で捉えているだけ?)…ということです。「意識」が描いてゆく「存在の軌道」というものがあって、それがどれだけ緻密で精妙なカーブを達成できるのかは、分節の微細化とその再構成の巧みの度合いによるのだ…と、解釈しました。

あと、面白いと感じたのが『意識と存在の謎』に書かれていた「意識の中間層」のお話でした。「意識の中間層」、ここはちょうど夢の中で到達する魔境、迷宮的な領域に当るところで、レム睡眠~ノンレム睡眠の深度と同調しているのではないかという説明が出ていました。

そして、脳幹は生命の座であり、同時に死の座であり、ノンレム睡眠の中でも最も深い〈最熟睡〉に向かうときには、意識が脳幹に向かって沈んでゆくのであろうという話。

※最熟睡=臨床的には5分~10分、長くても15分程度、断続的なものらしいです。臨床データ(睡眠時の脳波)をじっくり観察してみる限りでは、最熟睡という名に似合わず、生命信号がシステマティックに行き交っているような感じです。

「死」に向かうときも、意識が脳幹に向かって収斂してゆくのであり、最深部、すなわち脳幹へ向かって辿っていく終極の意識のルートが、臨死体験者によって記憶され、報告されている訳です。

ただし、その記憶が中間層~最深層のどの部分なのかは、誰にも分からないです。臨死体験者の場合、程度の差はあれど相当に深いレベルまで意識降下しているのは確実で、その後に人格が急変するというのも、普段は意識する事も無かった生命の深層部分を、まざまざと「経験」した結果ではないかと思われます。

意識の表層~中間層における迷いや煩悩が余り無い、またはごく淡いものであるために簡単にブロックを解除できて、スマートに中間層を通り抜けられる人は、特に臨死局面で無くても、すぐに最深部に到達するらしいという話が出ていました。もしかしたら、普通に目が覚めていても、最深部(=無念無想界)に到達できる人もいるのかも知れません。

何とは無しに、広漠たる「生死の海」という言葉をしみじみと思いました。