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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

思案:伝統とは何か

パイオニアという存在は、いつでも興味深いものです。

世界各国にそれぞれの文化伝統があるけれど、その伝統は、有名にせよ有名でないにせよ、いずれもたった一人、あるいは少数のパイオニアから始まったもの。言語や衣服の習慣を考え出すときりが無いので、身近なお菓子や商品で考えてみる…

伝統ある商品は、定番商品であり老舗商品であり、あるいは有名ブランドであったりします。

「伝統」と認められる商品と、そうでない商品との間の差とは何か?

実際にデパートや老舗を訪れて、それなりの商品を手に取って見ないと分からない…というものもあるのだと思います。その場を訪れてみる、手で触れてみる…全身の感覚を動員するということは、それ程に大きな行為。

伝統に触れるというやり方の中には、「全身の感覚を動員して味わってみる」と言う贅沢なやり方があります。その全体的な感覚に応える程の高度なクオリティを、伝統的な商品は持っている。

人間は多種多様で、しかも常に変化し続けている…その生命ゆえの、揺れ定まらぬ感覚に対して、伝統商品が常に一定のラインを超えるハイクオリティで応えているということは、実は凄いことなのです。

伝統の中で培われてきた定番商品、老舗の商品は、そのベースエネルギーそのものが、平均以上である…ということ。発酵食品やお菓子などといった、複雑なプロセスを経て生まれてくる種々の商品であっても、たいてい、外れが無い。最近は手作りで楽しむやり方も普及してきましたが、老舗や定番ゆえの伝統ブランドの価値とは、その万人向けの驚異的な品質、完成性、安定性にこそあると言えます。

伝統ブランドの品々は、ゆえに高級品としての地位を占めるものが多くなります。その高いクオリティを「これ見よがし」ではなく、ごくごく自然に、マイルドな雰囲気でこなす時、そこに本当の上品さ、文化的な洗練が生まれるのではないでしょうか。

万人が納得する高いクオリティ…それが伝統、ないし伝統ブランド商品の魅力。

最初は、どの商品もパイオニアです。駆け出しのものは、どれも若く、不安定なエネルギーに満ちて、背伸びしたり尖っていたりするもの。

ひときわ尖ったパワーに満ちる商品が、そのクオリティを徹底追求しながらも、万人向けのマイルドな雰囲気をまとってゆくことがある。それが伝統商品、定番商品となる可能性を秘めた商品だと思うのであります。

更に、クオリティを徹底追求して伝統の定番商品に至るまでには、多くの時間と熟成のためのエネルギーと、そして多くの改革刷新が重ねられている…その商品としての変遷の歴史もまた、伝統ブランドを支える魅力です。

伝統商品とそうでない商品の差は、そのような多くの改革刷新を重ねている伝統ゆえの、秘められた実績、多様な姿を垣間見ることができるかどうか…にあると申せましょうか。

何故、伝統において、改革刷新が起こるのか。それは、その時代によって、その商品に「欠陥」が生まれるゆえであると考えられます。従来の時代では欠陥がないように見えたものが、新しい時代では欠陥が明らかになる事がある。それは、「傷」とも「痛み」とも理解できます。人間で言えば「故無き欠陥、故無きトラウマ(前世からの傷・烙印)」であります。

欠陥、痛み、トラウマ…そのような負の要素は「傷」という閉塞的な状況を構成しますが、その「傷」は同時に、新たな時代を切り開く突破口としての意味を持つことがあります。

傷によって出来た裂け目を、新たな時代への入り口として活用すること、それが伝統の凄み。

ただ、新たなステージを開けるかどうかは、古いステージの状況にもよります。伝統商品は、常に一定ラインを超えるクオリティを維持してきた…その持続的・驚異的な努力が、「傷」を突破口に変える、進化のためのパワーだと言えるかも知れません。

時代の変遷は、常に「傷」をつくり、多くの努力と進化を促すものです。その努力と進化の積み重ねが、伝統なのです。故無きトラウマ…前世からの傷。人にも商品にも現われる、その不可解な傷の中に、伝統の息吹たる、多様な改革刷新のヒントが現われる…

宇宙の運行は、とどまることが無い…その不可思議。

高級品、伝統的な商品は、万人向けのマイルドな雰囲気を持っています。しかし、そのマイルドな雰囲気は、時代の変遷の中であらわになってきた、多くの傷や欠陥を乗り越えてきたもの。

人間もまた同じかも知れません。巨大な宇宙の運行から見れば、物も人間も…そして、人間社会も、ひいては国家も、変わらない。文化や社会の伝統(道徳も含めて)については、まだまだ考えてみるべき点がある…という風に思うのであります。

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異世界ファンタジー試作22

異世界ファンタジー6-4窓の雪:遺された手紙

――冬になってから何度目かになる雪が、シンシンと降っている。時刻は真昼の頃だというのに、空が分厚い灰色の雲に覆われている事もあって、辺りは夕暮れのような薄暗さだ。

通りに面した窓からは、ランプの光がさざめくように漏れている。ロージーの部屋も、複数のランプで照らされていた。

身辺整理が終盤を迎えた頃、ロージー自身の私物をチェックしている時に、それは見つかった。

――亡き父の遺骨を納めた時、共同墓地の墓守から渡されていた、父の遺品――ちょっとだけ古い、未開封の手紙。

(私ったら、あれから色々あって――あり過ぎて、すっかり忘れていたんだわ)

近況報告に使われるような、武骨なまでの実用性を追求した封筒。中に入っている紙も、同様だろう。封筒には、やはり武骨で何処か角ばった不器用な文字で、「父より」と、あっさりと書いてある。ロージーは改めて、かすかな笑みを漏らした。

部屋の中からは、ほぼ全ての家具が無くなっており、残っているのは作り付けの棚やコーナーテーブルのみだ。腰を落ち着けるべきソファも、既に無い。ロージーは窓際にランプを置くと、部屋の真ん中に鎮座していた大きなトランクを引っ張ってきて、それを椅子に見立てて、ちょこんと腰かけた。

ロージーはおもむろに開封すると、父からの手紙を読み始めた――

結論から言えば、父グーリアスからの手紙は、ロージーが成人した日に書かれた物だった。

――実はロージーは、成人祝いを自宅で行なっていない。

令夫人の強い希望で、婚約者の実家の方で成人祝いを行なったのだ。ロージーはそこで、ささやかな成人祝いを内々のパーティーと共に贈られたのである。

そして流石に侯爵家と言うべきか、ギルフィル卿の親戚の列席があり、更に執事その他の多くのスタッフたちや、王宮から派遣されてきた占術師の列席があった。父グーリアスにとっては、大いに戸惑う代物であったらしい(祖母はその頃、体調を悪くし始めていて、出席できなかった)。

当主ギルフィル卿が、多忙な公務の間を縫って短い時間だけ挨拶に帰って来た。ロージーの父親はギルフィル卿の直々の祝福に対し、「娘の成人を祝って頂き、ありがとうございます」と、堅苦しく、通り一遍の返礼をするのみだった。

そしてその至極簡潔な儀礼応答は、すぐに王宮へとんぼ返りしなければならぬギルフィル卿にとっては、ありがたい物であったようだ。勿論、婚約者ジル〔仮名〕は公務に忙殺されていて、遂に現れなかった。しかし、父親たるギルフィル卿ご自身が、恐れ多くも短い時間にせよジル〔仮名〕様の代理を務めてくださったのだから、贅沢を言っては罰が当たる。

いずれにせよ成人祝いのパーティーの間、ロージーの父は終始、言葉少なだった。令夫人が気を利かせて、明るい夕べの中での、父と娘の庭園散策の時間を作ってくれたのだが、ロージーが、今まで学習した庭園のあちこちのいわれを説明し続けるばかりで、父親は「うん」とか「ああ」とかしか言わなかったのである。

そんな父親が、あの成人祝いが終わった後のいずれかのタイミングで、ロージーに手紙を書き残していたのであった。

*****

――娘ローズマリーへ

成人おめでとう。お前は小さい頃は身体が弱く、無事に成人できるのかと心配していたものだが。

当主ギルフィル卿から婚約の打診があった時、父としては正直、お前が成人の日まで生きられるのかどうかの方が、気がかりだったものだ。その不安を先方に正直に申し出たところ、仮婚約で良いから是非に、という話を頂いたのだ。

だから、仮婚約という状態とは言え、お前は自分の立場について何ら不安に思う必要はないという事を、此処にハッキリと書いておく。どうも貴族社会では、人付き合いで色々奇妙な事があるようだからな。

いつも恐ろしく忙しいジル〔仮名〕卿とは、何回か王宮ですれ違って、わずかな時間の間だけ立ち話をすると言うだけの付き合いになってしまっているが、彼が聞くのは、いつもお前の事だった。正真正銘の貴族クラスだけあって、気性などは想像できる通りだが、彼になら、お前を任せても良いとは思っている。

(私が言うのも何だが、何というか綺麗な男だ。親バカという事を差し引いても、お前の横に立つに似つかわしい男だと思う)

お前がようやく結婚できる年になったという事で、私も一つ、肩の荷を下ろした訳だ。

どうか、幸せにおなり。

――父より

*****

今は亡き父からの手紙を読みながら、ロージーは静かに泣いていた。

途中で、「何をどう書こうか」と悩んだらしきインクの染みがポタポタと落ちているし、書きかけて修正したらしき痕跡が、そこかしこにある。まさに父グーリアスらしい、短くて、武骨で口下手で、不器用な手紙だ。

しかしそこには、父親でさえ知らぬ貴族社会に足を踏み入れようとしているロージーに対する、気遣いと愛が溢れていた。

(――ごめんなさい、父さん。私、婚約者とは違う人を愛してしまったの――)

更にロージーは、その不実の責任を取るために、ジル〔仮名〕卿との婚約を破棄する。

ロージーは袖が濡れるのも構わず涙をぬぐうと、父からの手紙を丁寧にたたみ、鍵付きの文箱の中に固く封印した。

窓の外の雪は、相変わらずシンシンと降り続けていた。

詩歌鑑賞:チュチェフ「おお夜の海よ」

◆チュチェフ(ロシア詩人、1865作品、無題)

おお 夜の海よ、お前はなんと美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。

涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとく どよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。

巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝っているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。

この動揺のさなかに、この煌耀(きらめき)のさなかに、
夢見るごとく茫然と私は立ち尽くす。
ああ いかに心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈めることができたなら