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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

易経:雑卦伝メモ

雑卦伝

易経の解説本にあたる「十翼伝」のうちのひとつが「雑卦伝」。内容は、64卦の各卦の意味を短い辞で説明するものである。

なお「十翼伝」は、細かく分けて「彖伝-上」、「彖伝-下」、「象伝-上」、「象伝-下」、「繋辞伝-上」、「繋辞伝-下」、「説卦伝」、「文言伝」、「序卦伝」、「雑卦伝」がある。

(漢文)

乾剛坤柔。比樂師憂。臨観之義。或與或求。屯見而不失其居。蒙雑而著。震起也。艮止也。損益盛衰之始也。大畜時也。无妄災也。萃聚而升不來也。謙輕而豫怠也。噬嗑食也。賁无色也。兌見而巽伏也。随无故也。蟲則飭也。剥爛也。復反也。晉晝也。明夷誅也。井通而困相遇也。咸速也。恆久也。渙離也。節止也。解緩也。蹇難也。睽外也。家人内也。否泰反其類也。大壮則止。遯則退也。大有衆也。同人親也。革去故也。鼎取新也。小過過也。中孚信也。豊多故也。親寡旅也。離上而坎下也。小畜寡也。履不處也。需不進也。訟不親也。大過顚也。姤遇也。柔遇剛也。漸女帰待男行也。頤養正也。既済定也。帰妹女之終也。未済男窮也。夬決也。剛決柔也。君子道長。小人道憂也。


(読み下し文)

乾は剛にして坤は柔なり。比は楽しみ師は憂(うれ)う。臨観の義は、或いは與(あた)え或いは求む。屯は見(あら)われて其の居を失わず。蒙は雑にして著(あらわ)る。震は起るなり。艮は止まるなり。損益は盛衰の始めなり。大畜は時なり。无妄(むぼう)は災(わざわい)なり。萃(すい)は聚(あつ)まりて、升は來らざるなり。謙は輕くして、豫(よ)は怠るなり。噬嗑(ぜいごう)は食(くら)うなり。賁(ひ)は色なきなり。兌(だ)は見(あら)われて、巽(そん)は伏すなり。随は故(こと)なきなり。蟲は飭(ととの)うるなり。剥は爛るるなり。復は反(かえ)るなり。晉は晝(ひる)なり。明夷は誅するなり。井(せい)は通じて、困(こん)は相い遇うなり。咸は速やかなり。恆(こう)は久しきなり。渙は離るるなり。節は止(とど)まるなり。解は緩やかなり。蹇(けん)は難しきなり。睽(けい)は外(そむく)なり。家人は内なり。否泰は其の類に反するなり。大壮は止(とど)まり、遯(とん)は退(しりぞ)くなり。大有は衆(おお)きなり。同人は親しむなり。革は故(ふる)きを去るなり。鼎は新しきを取るなり。小過は過ぐるなり。中孚(ちゅうふ)は信(まこと)なり。豊は故(こと)多きなり。親しみ寡(すくな)きは旅なり。離(り)は上りて、坎(かん)は下るなり。小畜は寡(すくな)きなり。履(り)は處(お)らざるなり。需は進まざるなり。訟は親しまざるなり。大過は顚(くつがえ)るなり。姤は遇(あ)うなり、柔剛に遇うなり。漸(ぜん)は女帰(とつ)ぎ、男を待ちて行くなり。頤(い)は正を養うなり。既済(きせい)は定まるなり。帰妹(きまい)は女の終りなり。未済(びせい)は男の窮まるなり。夬(かい)は決なり、剛柔を決するなり。君子の道長じ、小人の道憂うるなり。


(意訳)

乾は剛徳を持ち、坤は柔徳を持つ。比(したしみ)は楽しみ、師(いくさ)は憂う。臨観の義は、臨(のぞむ)が與(あた)えること、観(ながめる)が求めることである。屯は現れてなお土中の居(陽位の陽)を失わず。蒙は雑(まじ)わり隠されているが著(あらわ)れている。震は(一陽)上へ向かって起こる象。艮は(一陽)上爻に止まる象。損極まって益、益極まって損、盛衰の始め。大畜は時なり。无妄(むぼう)は災(わざわい)なり。萃(すい)は人や物が聚(あつ)まる象、升は(のぼり進んで)戻って来ない象。謙は身を輕くする象、豫(よ)は本業を怠る象。噬嗑(ぜいごう)は食(かみくだ)く。賁(ひ)は無色の装飾を最上とする象。兌(だ)は一陰が二陽に乗って上に見(あら)われる象、巽(そん)は一陰が二陽を承けて下に伏す象。随はみずから故(こと)成さずに随う象。蟲はみずから飭(ととの)うる(※整理する)象。剥は一陽爛熟の極で落ちる象。復は下から一陽来復の象。晉(しん)は明るさの頂点の晝(ひる)。明夷は明るさが誅した(滅した)象。井(せい)は無尽蔵の水が広く通じる象、困(こん)は剛が柔に遭遇して水漏れ枯渇の象。咸は感応しあうこと速やか。恆(こう)は恒久不変。渙は離れ散る象。節はほどよく止(とど)まる象。解は解放されて緩む象。蹇(けん)は艱難で行き悩む象。睽(けい)は背反して各々外を向く。家人は内で向き合い和合。否と泰は互いに反対の象。大壮は暴走を戒め、遯(とん)は退(しりぞ)いて時機を待つ。大有は柔爻が君位で衆が心服。同人は柔爻が下位で友人と親しむ象。革は故(ふる)きを去るなり。鼎は新しきを取るなり。小過は少々行き過ぎ。中孚(ちゅうふ)は信(まこと)。豊はおのずから多事。親しみ寡(すくな)きは旅。離(り)は燃え上がり、坎(かん)は流れ下る。小畜は力及ばず。履(り)は怯えて落ち着かない。需は時宜に適わず進まない。訟は争い親しまない。大過は顚(くつがえ)り転倒する。姤は遇(あ)う、一柔が五剛に遇う淫奔の象。漸(ぜん)は女が嫁すにあたり礼節漸進する象。頤(い)は正しい栄養で正しく養う。既済(きせい)は完全完結の象。帰妹(きまい)は女(娘)の終り(=人妻の始まり)。未済(びせい)は男の窮まるなり。夬(かい)は一陰を決去する象、剛が柔を決去すれば(全陽=乾となり)君子の道が長じる。小人の道は衰え憂うる。

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時空物理学の解釈および文明文化OS考察

■時空物理学・論―時間、重力、反粒子、エントロピー関連(映画コラム)

(1)世界の境界線(夢は逆夢)
https://fansvoice.jp/2020/09/15/nolan-inception-science/

夢から覚めるための一つの方法として用いられていた「キック」という手法は、落下することにより睡眠状態にある身体に衝撃を与えることで、身体の平衡感覚を司る三半規管に刺激を与え、覚醒を誘発する絶大な効果を持っていた。「落ちること」の、非日常的でありながらもOngoing=進行中な事象が身体に直接的な”死”の危機を突きつけることで、我々の意識を夢から引き剥がす。重力に紐付いた現象は、そうした強制力を有している
「数学と物理学に境界線はあるのか」という、人類が直面している最大規模のこの問題は、現代になって真剣に研究され始めている。そのような境界線はきっと無いはずだ、現実の世界は数学で記述されているという予想の下、ラングランズ・プログラムという名でその試みが行われている。
数学と物理学、夢と現実の境界線が無かったとすると、夢の世界の時間遅延が現実の世界の重力の特性によって説明されることは、不思議ではない

(2)ブラックホールの中の多次元と時空特異点
https://fansvoice.jp/2020/09/16/nolan-interstellar-memento-science/

BKL特異点は単なる”点”のイメージではなく、時空が激しく振動しているイメージであり、まさにカオスな特異点である。1980年代は、ブラックホールの特異点はこのBKL特異点の1つだけだと信じられていたが、そうでなかったことが判明する。1991年にカナダのアルバータ大学の物理学者2人が、特異点がもう一つ存在することを示した。「Infalling特異点」と呼ばれる、ブラックホールに落下した後に、自身の後を追って落下してきた物体が降り積り凝縮して形成された特異点である。
2012年、3つ目の特異点「Outflying特異点」の存在が明らかになった。これは2つ目の特異点とは逆に、(落下)突入する前に形成された特異点である。ブラックホールに落ちている人間にとって、これら2つの特異点は自分に向かって動いてくるように見える。そしてInfalling特異点とOutflying特異点の2つは、激しく振動するBKL特異点と違い、非常に穏やかな特異点であることが知られている。
私たちの住む世界の次元だけでなく、「余剰次元」という他の次元にまで重力の影響が伝搬するために、重力が弱い力のように見えてしまっているのだ、と考えるのがこの「余剰次元」による仮説である。

(3)反粒子・反世界(反転世界)
https://fansvoice.jp/2020/09/17/nolan-tenet-science/

ディラック方程式上では、「過去から未来に進む陽電子」は「未来から過去に進む(仮想的な)電子」に同一視される。つまり電子は「過去から未来に進む」普通の電子であり、反電子とは数学的に「未来から過去に進む」電子である、という解釈が可能

何かの日本史解説の本に

「現代に直接つながっている文明的・文化的な基盤は室町動乱の頃にできた」

という主張がありました。

それが日本OS(初期型)であると前提して考察。

西暦1400年~1500年ごろに、それまでの要素ほぼ網羅して、満を持してリリース。順次、全国に波及して運転スタートと考えてみて、

現代の日本OSは、500年~600年くらい前のものを、戦国時代、安土桃山、江戸、明治…と、折々の動乱の節目にアップデートして運転中であると見ることができそうです。

※明治維新は特別で、「OSのアップグレード」というべき大型の転換だったように見えます。あらゆる付属ソフトのバージョンアップが要求されたというレベル。正確には、現代日本OS=明治OSかも知れません

*****

中華OSと欧米OS(理解が浅いので部分的な内容であるかと思いますが)

・中華OS…唐代、西暦690年~700年の頃

則天武后の革命は、古代からつづく従来型の易姓革命ではなく、弥勒信仰=外来思想ツール魔法合体による、アップグレード型の中華民族としての革命であったと解釈。毛沢東の文化大革命OSとしても採用され、引き続き現代の中華OSとして運転中であると考えることもできそうです。

・欧米OS…ルネサンス、西暦1500年~1600年くらいの頃

先進イスラム世界の強烈な外圧インパクトを受けて、諸国が様々に揺れ動き、近現代へとつながる大型アップグレードが起きて、欧米OSが立ち上がったと解釈。大量のギリシャ・ローマ翻訳文献の流入、ウィーン包囲など。

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世界全体的に

「OSアップデートは、東日本大震災の時のような、ギリギリ動乱の臨界状態でないと困難」

という傾向があるかも知れません。

民族OSアップデート/アップグレードとは、民族の限界の壁のようなものを突破することなのだと

動乱状態(時代の節目)になると、民族エートスが最大限に活性化する。すなわち導火線に火が付いて、限界を破ってOSアップデート/アップグレードする体勢ができる。

破壊的創造のフェーズ。新奇ゆえの大きな揺さぶりや異次元パワーが集中するステージ。

時代の節目となる動乱の時のみに、奇跡的に手が届くようになる領域。

国家と民族の未来を賭けて、のるかそるかの大勝負の時。

それで勃興・発展した集団もあるし、それほど変われなかった従来路線維持の集団もあるし、衰退して呑み込まれていった集団もある…と考えてみると、胃が痛くなりそうですが、世界史のダイナミズムという事かも知れません。

いま、世界は、それぞれの国家と民族の未来を賭けて動乱しているのか。

この動乱が落ち着いた後、いったいどんな世界になっているのでしょうか…

2021.12.12ホームページ更新

『物語ノ本流』にて
【第二部 タタシマ】…「第十章.東奔西走」を全ページ公開(オリジナル和風ファンタジー漫画)

『物語ノ傍流』にて
「猫天狗!」シリーズ、2つの短編を追加
・【猫天狗が光り舞う!~不惑の年のボーイ・ミーツ・ガール事件(海外版)】
・【猫天狗が光る!~密室の窓を金魚と泳ごう】


(何かの時の考察用メモ)

https://enlt.net/ps/Togoku3/「東国三社」(日本のパワースポット)
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社は富士山を意識して配置された可能性あり。
富士山から見て、鹿島・香取・息栖の先の海から太陽が昇るように見えるのは5月第一週ごろ=日の出レイラインを構成。
東国三社から見て、富士山の頂上に太陽が没するように(ダイヤモンド富士)見えるのは11月第一週の頃。

●中央構造線メモ
阿蘇神社―(四国横断~淡路島南岸)―高野山―天河神社―伊勢神宮―豊川稲荷―諏訪大社(急角度で内陸に向かって折れ曲がる)―氷川神社―香取神宮―鹿島神宮

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1456812091457761286
わざはひ(禍・難・災・祥)】神意として深く隠されているものが、そのしるしとしてあらわれるものを【わざ】といい、【わざはひ】という。【はひ】は【幸(さき)はひ】【賑(にぎ)はひ】と同じく、その作用として機能することをいう。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470235558421331973
人の世に完全というものはない。究極のものを真といい、善といい、美という。真とは行き顚れて、その霊力の滅びずして残るもの、美とは犠牲として神に供えた羊の姿、善とは羊神判において神意を示す羊の姿を含む字である。そこには人の世界はない。それで人の究極は、その不完全態においてある

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470144883948396545
宗教はかつて、人を救うたかもしれない。しかし本当に救われたのは、愚昧随順の人たちだけであった。救われたというように思うだけで、救われるような人々であった。凡そ生物の全体に霊活を与えるもの、それが真の宗教である。その霊活なる秩序に身を投じることが、真の宗教であろうと思う。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1471368123538604035
世が乱れてまいりますと、あまりはっきりと作者が名告って批判をするということができなくなります。そういう時代に、童謡が生まれた…この【童】というのは、強制労働に服している、いわばなかば奴隷に近いような人々であります。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1475852637665120258
【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1479265118404083712
学問の世界でも、忠実な紹述者ばかりでは、何ごとにも発展はない。論難答問があって、はじめて展開がある。その論難答問を認めないような、権威主義の横行を許してはならない。【狂】とは、まずそのような権威を否定する精神である。そしてその否定を通じて、新しい発展をもたらす理性が生まれる。


(メモ)

●鷲巣繁男『行為の歌』より
風が吹いてゐる、
一本の骨の中に――。
骨の中には淋しい息がある。
或る日閉ぢ込められた運命だらうか。
骨の中に風が吹いてゐる。
何者だらう、生きてゐる時ふと聞いた風の声、
空を渡っていく鳥が告げた、この世の異変の前ぶれだったらうか。

●バックミンスター・フラー
Environment to each must be
“All that is, expecting me.”
Universe in turn must be
“All that is including me.”
The only difference between environment and universe is me......
The observer, doer, thinker, lover, enjoyer
それぞれの人にとって環境とは、
「私を除いて存在する全て」であるにちがいない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」であるにちがいない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私……
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

●ゴダール「映画は現実の反映ではない。反映の現実だ」

●https://twitter.com/Prokoptas/status/1468308956041080832
総合的に判断して、古代エジプト人は、どうやら、魚を食べることに慎重であったようだ。先ず、「海の塩は不浄とみなされ……海に関係あるすべてのものと同様……邪悪の神セトの領域に属するものと考えられていた」(ストロウハル『古代エジプト生活誌』上巻)。


https://news.yahoo.co.jp/byline/moritamasamitsu/20211120-00268912

漂着した「軽石」は資源になる 沖縄県環境部が発表した軽石の分析結果
8月13日硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)
現場付近では凄まじい噴煙
福徳岡ノ場から北へおよそ60キロに位置する硫黄島で撮られたものです。噴煙の上部がカナトコ状になり、それ以上は雲が上昇することができない、いわゆる圏界面に達していることがわかります。また、火山雷(噴火の際に噴出した軽石や、火山灰などがぶつかりあって電気が生じたもの)が発生していることもわかります
いずれも、スマートフォンで撮影したものとのこと。60キロの距離というと、東京から神奈川県の丹沢くらいになります。これだけ離れた距離でこのような写真が撮れたことからも、噴火の規模は相当大きかったと言えるでしょう
また気象の上では、火山の噴煙が圏界面を越えて成層圏に入ると気候に影響が出ると考えられています。当時の小笠原付近の圏界面は約1万7000メートル。噴煙の高さは1万6000~1万9000メートルですから、噴煙の一部が成層圏に入った可能性も有ります

2021年8月 福徳岡ノ場で起きた令和初の国内プリニー式噴火と島の誕生と漂流軽石を見守る会
https://togetter.com/li/1762225

例の軽石完全に理解した(い)~現在までに分かっていること~
https://note.com/geomemorandum/n/nb22c82b8af80