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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

台湾への手紙(1)

台湾への手紙(1)・・・台湾の方への感謝と御礼とお詫び

テレビで見た番組や、丸山(=丸幸亭)さまがイザ版ブログにエントリされた『海角七号』の影響が大きくて、しばらくボーッとしていました…

こちらは戦後世代で、昔の人のことはよく分からないので、自分が、台湾と、台湾の人々について、どのように考えているか…というような事を、手紙風に書いてみるしかありません。

台湾の歴史をさらっと見ただけなのですが、それでも、台湾の歴史のすさまじさに息を呑む思いです。日本の場合、その近代化を、明治元年(1868年)にスタートし、台湾統治スタート年(1898年)までかかった…という風にカウントしても、30年の時間がありました。

ひるがえって、台湾の近代化にはそれだけの時間が無く、だいたい8年で、近代的統治にあっという間に着手したという感じで…それは、現代の目で見ても、信じがたいまでにすさまじいスピードであるというしか無く、是々非々の評価はさておき、そんな激変に対応できた台湾の先人というのは、本当にすごいと言うしかありません。

50年の統治時代ですが

差別も流血も込み込みで、このあたりは、日本からは「反省の弁」以外の事は言いにくいです。日本統治時代の台湾で起きた諸々の事情は、台湾という土地で刻まれた歴史であり、台湾の人たちの歴史評価にお任せしたいと思います。

(今の日本としては…「当時こういう事があった」という風に、かつての大日本帝国としての責任を持って誠実に記憶し続ける事、日台交流の実績を地道に積み上げる事…以上の事は、できないと思います。直接に台湾に干渉しようとすれば、それは内政干渉と取られてしまいますし…)

日本人自身も、近代化してわずか30余年という、あまりにも若すぎる近代人で、当時の近代国家としては、あまりにも「近代社会」の蓄積経験が無さすぎた…というところはあると思います。これは結局、現代の(しかも戦後世代の)日本人としての見解ですが、他に言いようが無く。

戦後日本が選択した決定については…自分でもまだ理解していない部分の方が大きく、今まさに現在進行形という事もあって、この辺りは判断が下せないです。将来の日本がどういう決定を下すのか、台湾とどういう関係になってゆくのか…という事も、よく分からないです。今はただ、大戦後の台湾に対してあまりにも無関心でありすぎた事に対して、お詫び申し上げるのみです。

どのような形であれ、台湾の未来がより幸多いものであるよう、祈っています…

そして、やむを得ぬ経緯とは言え、50年という、決して短いとはいえない時間を、同じ日本人として、わが祖国・日本の歴史を真摯に共有してくれた台湾の尊敬すべき先人たちに、心より感謝と御礼を申し上げたいと思います…

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研究的独り言:中華思想等

「中華」とか「漢民族」という概念があれほどに宗教的なものになったのは、清の頃なのかどうか…(個人的には、漢の時代かなと思っていました…)ちょっと気になる記述だったので、パッと捕まえておくことにしました。

http://www.tkfd.or.jp/blog/kawato/2009/04/post_107.html
中国人は世界や外国をどうとらえているか?北京での観察

(引用始)
清は満州の女真族が建てた王朝だが、女真族は明征服に当たって元朝の成れの果てであるモンゴル族、そしてモンゴル族が仏教や婚姻を通じて深く提携していたチベット族と同盟関係を結んだ。清が成立してからも、清の皇帝は同時にモンゴルの汗の称号を併せ持っていた。つまり清の初期はゆるい連邦制がとられていたようなのだ。

そして当時のチベットは強国で、新彊地方を広く平らげていたから、新彊がそのまますっぽり清の版図に入り、ここで初めて中国の現在の広い領域が一つにまとめられたのだ。初め、女真族という異民族に支配されるのを嫌っていた漢族の知識人達も、清中期になると「中国」という言葉を使って清と漢族を同一視し、「中華」という新しい言葉を発明して広大な領域全体にナショナリズムを及ぼしたのだと言う。

中国の学校では、明を女真族が滅ぼしたあたりはちゃんと教えるが、「その後は国民の90%は漢民族になっています」というあたりに飛躍しているらしい。「漢民族」という人たちは日本民族やドイツ民族と同じく、決して一種類の人種ではないのだが、どの国もそこらあたりは意図的に混同し、近代民族国家神話を作り上げている。
(引用終)

★以下の記述は表現が…いや、これこそが「中国」&「権力」ではあるようです…^^;

(同じく冒頭のサイトから引用始)
どこの国でもエリートと言われる連中は、国家という高性能のスポーツカーのハンドルを握ったみたいにわくわくしていて、右に行くのが国益だとか、いや左だとか口角泡を飛ばして論争をするのだが、その実自分の見栄と地位保全のためという場合も多いだろう。エリートのエゴイズムと使命感を区別するのは難しい。
中国でも今、空母を作るとか言っているが、大衆にしてみれば空母を作る金があるのならすべて自分が食べてしまいたいところだろう。
(引用終)

★あとは、個人的に調べた中国大陸の伝統住宅の建築様式。
(浅く調べたものなので、あまりイメージ出来て無いです)

四合院という建築様式:三国志の時代にはすでに普及していたようです。

特徴:四面をきっちりと囲まれており、正面に小さな門が空けてあるそうです。
家の中に入ると中庭(パティオ?)があり、陶器の卓を置いて、そこでお茶お酒したりする。
家の外の庭(縁側)、といったような日本的イメージの庭は無いらしい。

家の中に実はエクステリアがあってインテリアがあるというのが、
中国(中原エリア支配階級)の伝統的な建築の美学(らしい…)。

こういう美学にして中華的膨張傾向が出てきたと言うのが、何とも不思議であります。
…大陸のミステリー…人間は、結局、よく分からない…^^;

日本の近現代史の闇?

(独り言)北朝鮮のミサイル、4月5日お昼の11時30分頃に発射されたようです^^;;
タロットの読み(4.4は計画倒れ、4.5発射)は当たった?わけですが、微妙な気持ちです。

知人から見せていただいた、本日の朝日新聞(2009年4月5日版)のテレビ番組紹介欄に、「うーん」と考え込んでしまったコラムがあったので、後々のために、写真を撮って保存…(携帯カメラで写したので、画質は悪いです・汗)

テレビ番組の紹介コラム

写真にあるのが、「うーん」と考え込んでしまった内容です。以下引用:

[試写室]・・・何に倣い、何をしたのか・・・
JAPANデビュー「アジアの〝一等国〟」★NHK夜9:00

日本の近現代150年をたどる企画「プロジェクトJAPAN」内のNHKスペシャル1回目。

1895年、日本は日清戦争に勝利し、台湾が割譲された。日本は初の植民地統治を成功させ、列強に〝一等国〟として認められようともくろんだ。番組は2万6千冊に上る「台湾総督府文書」=写真=や欧州に残る史料などに基づき、半世紀の統治の実情に迫る。

1910年の日英博覧会で、日本は台湾の少数民族を「展示」した。列強が植民地の人たちを見せ物にした人間動物園に倣ったものだ。旧制台北一中の台湾人OBは昔を振り返り「嫌だな。差別。馬鹿にしおって!」と涙する。

あの半世紀に日本が台湾で何をしたのか。
知った上で、「親日的」と言われるかの地と付き合っていきたいものだ。(大室一也)

(感想)
素直に考えれば、日本は過去、台湾にひどい扱いをしたのだなという感じです。

台湾に住んでいる人の事はあまり知らないですし、「台湾から来たよ」という人とまだ会った事が無い(一応、お仕事先では、国際化が進んでいる場所では台湾出身の方も割といらっしゃるようです)ので、今でも「馬鹿にしおって!」と恨まれているのなら、本当に彼らに会った時に、どう振舞えばいいのか、ちょっと考えてしまいました。

歴史上の良心の呵責を抱えながら付き合う、と言うのは、ハードかも…歴史事情の上でこちらを恨んでいる人と、如何にして付き合えばいいのか…というのは、思いもつかない分野なので、考えるだけでも、付き合う前から、げっそりと疲れてしまいます^^;;

いつか台湾に旅行してみたいな…という思いはすこーしあるのですが(台湾に行った事は無いです)、うーん、ちょっと行き辛いかも…なんだか、複雑です…;^^ゞ

(※台湾には豊かな山岳地帯が連なっていると言われており、その中でも最高峰と言われている玉山というのに、なにげに興味があります。登山のほうではなくて、玉山を含む山脈の風景を回って見たいなという方ではあります。玉山ツツジとか…自然観察系ですね^^)

歴史上の事情とか、恨みの感情が今でも色濃く溜まっているのが現実であれば、台湾との友好関係というのは、本当は難しいのかも知れません(ため息)^^;;;;

このコラムを書いた大室一也氏は、きっと「歴史事情を踏まえての適切な付き合い方」というものに関して、普通の人よりもずっと、深く深く考えている筈なので、大室氏なりに、適切な付き合いという事に関して、紙面を割いて、思うところをもっと書いて欲しかったなと思いました(「新聞」と言う媒体である以上、それは難しかったかも知れませんが…)。

ともあれ、コラムを読んだ美月は、上のような感想を抱いたのでありました…^^ゞ

コラムだけでは実際の全体像は分かりませんし、くだんのテレビ番組は、いちおう見てみようと思います(他の用事と重なっている時間帯なので、パラパラと拾い読み…という感じになるかも)。

(追記)
テレビをパラパラと拾い読み…といった感じですが、台湾の方は本当に苦労されてたのだな…と思いました。

世界中の植民地はいろいろありましたが、台湾くらい、時代の波に激しく振り回されていた所は、ちょっと見つからないかも知れないです(その時代の波の元に日本があったというのが、何とも複雑…1人の日本人として、やっぱり責任を感じるところです。台湾の聖所とか、古来の神々の世界をかき乱してしまった部分については、やっぱり問題ありすぎだったと思います…orz)。

台湾が経験してきた近現代史から、学ぶところ、学ばなければならないところは、いっぱいあるように思いました。多分、台湾の歴史的経験と、その経験から来る思索は、日本にとっても貴重なものとなる筈です…、と思います。

テレビだけでは、「今後、台湾とどのように付き合うか」という件に関しては、回答が出ない状態ではありますが…これはやっぱり、現実に台湾の人々と会って、現実の付き合いを重ねてゆく中で、少しずつ探っていくというのが、一番誠実で確実な方法かな…と考えております…;^^ゞ