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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作35

異世界ファンタジー9-6エピローグ

翌日も相変わらず空は曇天に包まれていたが、令夫人の顔は明るかった。

ジル〔仮名〕の狭量で気難しい性格からして、昨夜のジル〔仮名〕とロージーの話し合いが決裂したら、きっと血を見る事になる――と心配でたまらなかったのだが、あにはからんや出て来たのは冬薔薇の花束。それは、頬を染めたロージーの腕の中に収まっていた。

「あの気の利かない息子にしたら、上出来じゃないの」

令夫人は、昨夜以来ずっと気恥ずかしそうな様子のロージーが、タイプライター作業のため部屋に戻った機会を捉えると、早速、息子を、説教部屋もといサンルームに拘束し、昼食時になるまでビシバシと問いただした。

当然、最初に北部辺境の雑木林で巡り合った見ず知らずの女性『ロージー嬢』を、いわば『ローズマリー』と上手くやるための練習相手にしていた――という突拍子もない経緯は、令夫人を呆れさせた。

人知を超越する運命の力が働いたのであろう。ジル〔仮名〕は、『ローズマリー』への時折の手紙や贈り物を欠かさない事からわかるように、その気になれば面倒見の良い性質である。少なからぬ好意を抱いた『ロージー嬢』に対してそれに準ずる態度を取った事は明らかだ、本人同士だったから良かったようなものの、冗談が本気になったら血の雨が降りかねないところである。

この時になって襲撃事件の顛末が明らかにされ、ロージーが怪我をし、記憶が混乱するほどのショックを受けた出来事があったという説明の後、馬車内での告白のエピソードに至った。そこで令夫人は、呆れ果てた余り、こぶしを振り回した。

「あんた一体、何やってるの…ホントにバカよね!おバカさんよね!」

ジル〔仮名〕は小首をかしげ、黒髪を片手でかき回した。苛立たしくなる程の非人間的な無表情だが、令夫人は知っていた。ジル〔仮名〕が困惑したり赤面したりする代わりに、この仕草をする事を。

――令夫人の説教が、一段落した後。

「昨夜、《宿命》の盟約を交わしたので、正式な婚約指輪に交換したいと思います」

そう言って、ジル〔仮名〕は、珍しく心からの綺麗な笑みを浮かべたのであった。

《了》


《異世界ファンタジー試作連載/あとがき》

今回のファンタジー物語を思いついた「きっかけ」は、夢の中のストーリーです。いつ見た夢かは覚えていませんが(今年に見た夢です)、「これは絶対に物語になる」と確信しました

記憶に残っている場面はランダムで、時系列も滅茶苦茶な状態だったので、場面のポイントをザッとメモした後、時系列を推測しながらストーリー順番を整理しました

夢で見た情景は、主にフルカラー系の場面と薄暮(グレー&オレンジ系)の場面が多く、人物より風光の方が、存在感が強烈でした。物語の初めの頃の場面で、「紅葉シーズンの雑木林」が出て来ます。これも、夢の中で見た情景をできるだけ描写してみた物です

特に強い印象に残った夢の中の情景は、「抜けるような群青に近い真っ青な青空を背景に、万年雪をいただいてそびえる、高く巨大な山脈」であります。このたびの物語を彩る底流的なイメージになりました。物語の中では「雪白の連嶺」という名前で登場します

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ユーモアイラスト:おじさん「友よ」

おじさん同士のラブシーンを、ユーモアたっぷりに。

電車の中でよく見かける平均的なオジサンを適当にモデルにしています。

Shall we ダンス?』のワンシーンを参考にして、(色っぽいと思う)真剣なラブシーンに仕立ててみました。

「おや?偶然、誰かさんに似てる?」とか、そういうツッコミは、無しです…(もしかして似てしまったかも知れない、未知のオジサンの名誉のためにも)

※これから日本は高齢化社会になるので、こういう「仲良し」も案外増えるかなと…

「目撃した人がどう思うか?」は抜きにして、結構、いろいろ、楽しかったです♪

台湾への手紙(2)

台湾への手紙(2)・・・戦後史ダイジェスト

「戦後日本は、戦後台湾を非情にも捨てたのか?」の件がどうしても気になって、数学のT先生のところに駆け込んで、戦後史ダイジェストを聞き出しました。(T先生はちょうど戦後史と青春とが重なっていて、当時の情勢を直接に見聞きしているという感じで、激動の戦後史の語り手としては一番のタイミングの世代に位置してらっしゃいます…^^;)

まず結論から言うと、T先生の解釈では、日中国交正常化に伴い、台湾を手放す事は、キューバ危機~全面核戦争の回避と引き換えの、苦しい選択であった…と言うことです。

「台湾を見捨てるか」、「世界中を核戦争に巻き込むか」、どちらを選択するか…といったら…背筋が凍るほど恐ろしい選択です…(T T)

で、時を巻き戻して:


1947年:2.28事件=大日本帝国が滅亡中で、いかんともしがたかった…と解釈です。
(本国がアメリカ占領下にあって、何も出来なかった…)

1957年:スプートニク・ショック。ソビエト連邦がもたらす軍事的恐怖が表面化

1958年:長崎国旗事件~周恩来(知日派)勢力と最悪の関係になる、日中貿易中断

1961年:ユーリ・ガガーリン、宇宙飛行。アメリカ、アポロ計画を立案。
(アメリカは、本気でガガーリンの偉業に怯えたそうです。それで、アポロ計画が当初の有人宇宙飛行ではなく、月面着陸に変更された…らしいです・深くため息)

1962年:キューバ危機~世界核戦争の1秒前

1964年:中国大陸側では文化大革命が起こり、非常な混乱に陥ってしまい、核戦争抑止のための外交どころでは無かったらしいです。しかも、ソビエト連邦と非常に険悪になり、1966年頃には、中国共産党はソビエト連邦に向かって、「ブレジネフを頭目とする、ソビエト社会主義、修正主義の裏切り者集団」と罵ってすらいたそうです。(この部分はT先生からの聞き取りなので、本当にそういう科白だったかどうかは不明…^^;)

1971年:ニクソン・ショック~冷戦体制&核戦争の抑止に対応するための国際関係の激変

1972年:日中国交正常化(田中角栄-周恩来)
(ニクソン・ショック=冷戦体制確立により、1958年以来の周恩来派との最悪関係を修正する必要に迫られたらしい)


当時、キューバ危機がもたらした全面核戦争の恐怖が、いまだに色濃く漂っていたということでした。冷戦時代は、核兵器の爆発的な急増時代でもあり…どのような手を使ってでもソ連の覇権を抑圧せねばならず、その過程で、台湾を外交の犠牲にせざるを得なかった…という感じだったと、T先生は話していました。

もちろん、この解釈は当時の緊迫した情勢…「有人宇宙飛行」「キューバ危機」「核戦争の恐怖&冷戦体制」というトリプル・クライシスの進展をまざまざと見ていたT先生の考察によるものであり、他の人は別の考察をするのかも知れません。当時の空気がどんなものだったのかは知らないのですが、世界核戦争を防ぐために台湾を犠牲にせざるを得なかった…というのも、その当時の情勢を構成していた、ひとつの真実であった…と思われました。

その後、中国共産党では、戦前教育を受けていた知日派が順番に死に絶えました(例えば、周恩来は京都大学の留学生だったそうです)。当時の知日派の功績は、日中国交正常化を通じて、ソ連からの技術移転を日本からの技術移転に切り替えた事なのかな…T先生は、後々歴史評価されるかも知れないねえ、と言われてましたが…ともあれ、今は保留という事で…

補足・・・・・・資料[日中国交正常化交渉記録]・・・・・・
当時は、中ソ対立が最悪状態で、ソ連から中国への技術移転が完全にストップしていたそうです。中国共産党は文化大革命で荒廃してしまった国を立て直すために、当時の最新技術の移転を真剣に希望した筈です。個人的な感触に過ぎないのですが、日本からの技術移転に際して、台湾に関する黙示的な条件を付けていたと想像される節がありました。会談記録ではいろいろありますが、台湾に武力介入してはならない旨、厳密に約束し、確認する…という明確な流れはあったと思います。

そして、戦後教育を受けていた、日本を知らない世代、江沢民の独裁体制(??)に変化してゆき…その後の、まあ、反日教育への変化は言わずもがな…かも、です。でも、うーん、中共独裁化の方がメインなのかな、よく分かりません。

T先生曰く、民族主義と社会主義はどうしたって水と油なんだから、社会主義で多民族をまとめようとしたソ連は、結局その無理がたたって、失敗したのだよ…という事で。(社会主義を使って多民族をまとめようとすると、時の経過と共に、必然的に独裁体制にシフトする、というのがT先生の見解です。)

過去の鳩山内閣については、今いろいろ非難があるようですが、えーと、シベリア抑留者の返還へのこぎつけとか、オホーツク海方面の…北海道サケ・マス漁業とか、北洋漁業について、ソビエト連邦と必死にやり取りしていて、いま北海道の漁業がある程度可能なのは、鳩山内閣がソ連からの保証取り付けに努力したからだろう…という話でした。まあ「本当はこうすれば良かったのではないか」とか、是々非々いろいろありますが、そんなに単純に評価できるようなシロモノでは無いようです…

T先生の、これは曖昧な推察の類かな…という話ですが、最後のお話。ソ連崩壊を引き起こしたのは、チェルノブイリだ…というのがT先生の解釈。で、将来、中国共産党崩壊を引き起こしたのは、四川大地震であった…と言う風に語られるんじゃないかな、という事でした。

…ハッと気づけば、いろいろ付け足しが多くなってしまいました。

当時の緊迫した情勢を目にしていた、1人の日本人の見解に過ぎないのですが…「全面核戦争の回避のための一手段として、台湾を犠牲にせざるを得なかったのだ」という見解で、台湾の人たちは納得してくれるだろうか…多少の不安と共に、エントリしてみました(それでも外交的には「裏切った」というのには変わり無いので、やっぱり恨まれても仕方が無い、と観念…汗)。