忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「瀬戸内」

第三部マレヒト@第一章「瀬戸内」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/04■

(前の章「東奔西走」からつづく)鏡父子、門崎から鳴門海峡の方向を望む。早朝の散策と対話。

鏡父へ、カキ眉の豹~異民族としての豹トーテムの民が大陸に居なかったかどうか、ふと思いついて、質問。

鏡父、大陸での記憶をもとに重要情報を明かす。大陸に聖麻王国があった頃、交易相手の国々が色々あって、西域にそれっぽい戦士集団を抱えていた王国があった。戦士たちは、何らかの契約でもって、豹の毛皮のようなパターンの刺青を上半身全体に施していた。彼らは「ジン・パン」といった=漢字で書くと「金斑」。直接に、金斑の由来につながる事実。

カモさん、御影王、良基、ネコマタ・ハイネは盗み聞きしていたが、全員でビックリして飛び出し、鏡父へさらなる説明を促す。

(鏡父の説明)金斑の戦士集団を抱えていた王国はアンゲロス皇国といった。西域の山岳地帯に栄えた王国で、国土の規模としては小さかったけど、無限と言って良い程の黄金を産出する、周辺諸国の垂涎の的となる資源国だった。強力な戦士集団でもってよく防衛していたが、大乾帝国が大軍でもって、攻略したため、アンゲロス皇国は滅亡した。

(鏡父の説明・つづき)アンゲロス皇国の戦士集団もバラバラになったようだ。脱走兵は出た。脱走して来た少年戦士があり、彼が聖麻王国にひそかに亡命して来た。少年兵といえども手練れの大人の戦士を倒せるほどの戦闘力があった。厳しい戦闘訓練を受けているのは明らか。その腕でもって、王室お抱えの護衛に=聖麻の姫とひそかに恋愛関係になり、そして出来た男子が、鏡の友人の亮である。

鏡父、これらのことは前代の聖麻王による箝口令が敷かれていて秘密になっていたが、いまはもう時効だろうと明かす。これで鏡父の説明が終わる。

それぞれに新たに判明した事で思案することがあり、検討。

やがて昼食の刻。鳴門海峡の潮流が切り替わる。

昼の潮流(潮止まり)に乗って、不審な忍者らしき小舟が忍び寄る。上陸し、御影王の隙を窺う。

不意を突かれ、御影王、不審者たちに拉致される。不審者たちは小舟を熟練の技術でもって操り、潮流の変化に乗って、猛スピードで鳴門海峡を渡る。

カモさんたち、即座に気付いて追跡するが、舟を持っておらず、見送るのみ。次の潮流の具合が良くなるまで、鳴門海峡を渡れない。次のチャンスは夕方の頃。ともかく急いで旅装を整え、いろいろ準備。

(鳴門海峡:直線距離1.4km。潮止まりの時の潮流は2~3km/時)

夕方出発。カモ一行に鏡父も加わる。鳴門海峡で漁をする漁業者と交渉、舟に同乗して、鳴門海峡を渡る。

四国へ上陸。ほどなくして、上陸地点の近くに、御影王と、拉致した不審者たちの痕跡を見つける。痕跡は北西へつづいている。「高松?」「まっすぐ高松へ向かうかどうかは怪しい」足跡が工作されている部分も見受けられるため。

カモ一行、鳴門海峡を渡った後で体力消耗が大きく、近くの輸送業者の宿場町へ寄る。そこで少し食事と休養。体力回復したところで、馬を1頭借りて、御影王の追跡を再開。あたりは夜間で、とっぷりと日が暮れている状態。

何故か夜空をカラスが飛んでいて、カモ一行を先導している状態。実はヤタガラス一味が使う偵察用のカラスで、夜目が利く。鏡父は初めて見るので不思議がる。

偵察用のカラスは方々を飛んで、早速、御影王の居場所を発見する。その近くで飛びながら騒ぐ。御影王は四国の大尊教の勢力(コトヒラ派)が有する分館のひとつに囚われていた。御影王の遠縁の従兄弟・類仁王が首謀者として、御影王をさらってくるよう指示を出していた。

類仁王は、新しい親王宣下つまり叡都王が親王となることについて、不平不満でいっぱい。目下、四国の大尊教も分裂して勢力衰退が大きいので、これを盛り返し、その結果について御影王から中央に話をするようにし、類仁王の功績をアピールさせたい。そうすれば、類仁王もその功績でもって、叡都王と同じように、親王宣下が来るだろうという見込み。ただし甘い見込み。

大尊教の別の一派(コンピラ派)が、いきなり夜間襲撃を仕掛けて来る。

類仁王を警護していたコトヒラ派はたるんでいたので、あっと言う間にコンピラ派によって制圧される。夜を徹して、説教道場で、コンピラ派の神学でもって説教される。

御影王と類仁王は、建物の隅に縛られ放置される。四国の霊峰・剣山から出て来た世界救済の予言、玉手箱=世界を救う「契約の箱」、それを原因とする四国の大尊教の分裂状況(コトヒラ派vsコンピラ派)について、ボケとツッコミの応酬。

■09/05■

早朝、御影王と類仁王は捕縛された状態のまま、同様に捕縛されたコトヒラ戦士たちと共に、コンピラ派に護送されて象頭山方面へ移動。分館はコンピラ派の戦士たち一部が残って警備・管理する。

大尊教の分館は、御影王と類仁王が連行された後は、コンピラ派の戦士たちがウロウロする場に。一方で、カモさん一行が分館へ接近中。

もう一方で、九鬼の御曹司・幸隆青年と、元・山伏の迫さんが別方向から分館へ接近。(カモさんたちとは別の目的。四国で、大尊教の派閥の分裂が大きいので、瀬戸内海の航路について交渉するため、いったん対立を収めてもらうよう説得する予定だった)

カモさん一行と、九鬼2人、分館へ向かう路上でバッタリ。互いに偶然の再会に驚きながらも情報交換。分館を急襲し、御影王の身柄を確保出来たら、次の段階、交渉事に移ることで同意。

合流したカモさん一行、分館を急襲、制圧。コンピラ派をとりあえずアチコチに拘束。コトヒラ派のほうは最初から牢の中。コトヒラとコンピラの対立状況に困惑しながらも事態を整理。事情聴取。御影王がすでに別の場所へ連れ去られたことを確認。

事情聴取を通じて、四国の大尊教に広がっている教義の対立が、剣山の予言にある事を突き止める。それは裏の光連衆が仕掛けたものと推測できる。タイミング的に、亡命してきたのが同じ。

鏡父、四国の大尊教を混乱させている特定の世界救済の予言の内容を聞いて、それはアンゲロス皇国の建国神話をなぞったものと気付き、指摘。欠き眉が地方回りの活動に熱心だった事実も含めて考えると、このような異形の予言は全国に広まっていると推測できる。カモさん、その大掛かりな神話的な侵略の構図に呆然。

何としてでも、大急ぎで金斑や光連衆と対決し、玉手箱を奪う必要がある。その方針を固めると、同じように玉手箱を狙うコトヒラ派とコンピラ派が反発するが、カモさんの説得により(我が国の亡国の危機につながる)協力的な行動をとる。

■09/06■

雨天。カモさん一行と、分館の残党たちは、コトヒラ派とコンピラ派の本拠地、四国の大尊教の本堂を目指して、街道を移動する。御影王と類仁王の追跡も兼ねる。

夕方、御影王と類仁王は、コンピラ派の戦士に連れられて、象頭山の界隈、コンピラの宮に到着。そのまま、座敷牢へ押し込められる。

コンピラの宮の座敷牢の中で、今までこのような乱暴な扱いを受けたことの無い類仁王はショックで色々喚くが、御影王は座敷牢に茶も用意してあるのを見て、落ち着いてお茶。「伊勢の時に比べれば随分とマシな扱い」

程なくして、座敷牢の前にコンピラ派の説教師がやって来て、コンピラ派の神学の巻物を手にして、深夜であるにも関わらず熱く説教し始める。延々と続く説教。御影王と類仁王は、呆れかえる。

同じ深夜、コンピラの宮の本堂。コンピラ教主が上座にいて、大勢の信者たちを睥睨。そこへ急使が到着し、玉手箱=契約の箱が、吉備国の「鬼ノ城」へ運ばれたと言う情報をもたらす。

つまり、現在時点、鬼ノ城を影響下においているコトヒラ派が玉手箱=契約の箱を手中にしつつあるということ。コンピラ教主は急遽、みずから赴いて鬼ノ城を攻略することを決断、信者たちに指示を下す。

■09/07■

コンピラの宮は、早朝から騒がしい。夜を徹して軍備を整え、今にも出発する段階。目的地は高松港、そこから吉備国を目指して瀬戸内海を渡る予定。

座敷牢に閉じ込められていた御影王と類仁王も引き出され、連行される。目的地は「鬼ノ城」と聞き、土地勘のある類仁王は即座に「目的地は吉備国で、これから吉備の穴海を渡る事になる」と真っ青。

類仁王は、実は船の揺れに弱い。吉備の穴海を苦手としている。

コンピラ軍、高松に到着。港は多くの軍船で物々しい。

カモさん一行も高松へ到着。(コンピラの宮へ通じる道が高松を通る。そのせいで、コンピラの宮から出て来た軍勢と、予想外に早く遭遇する形になった)

カモさん一行、すぐには事情が良く分からず、海事に詳しい九鬼メンバーが、心当たりのある情報先で色々聞き込む。村上軍の番屋でだいたいの事情が分かる。

村上軍の番屋の担当たち、前日に九鬼メンバーに大尊教の分館への道筋を案内したのが戻って来たので「鳴門の分館のほうへ行ったのでは無かったのか?」と仰天しながらも、事情説明。

大尊教が大きな動きを見せたと言う事で、高松港まで村上軍の大将がやって来て、カモさん一行を見出し、色々と情報交換。神戸の方で光連衆の残党を捕まえたなど、話が大きくなる。鬼ノ城に諸勢力が集まって、大混乱~大戦闘が発生する見込みが確実になった。

カモさん一行、村上軍を含む瀬戸内海の海軍と合流。瀬戸内海はかつて、欠き眉が絡む雨竜島戦争の余波を受けて大混乱になった事があった。再び血の海にするわけにはいかない。

カラスがコンピラの軍船をひととおり偵察、御影王と類仁王は、司令船に同乗させられている事が判明。好機を窺って、身柄を取り返す必要が出て来た。

村上軍の大将を旗印に、瀬戸内海のすべての海軍を緊急招集、鬼ノ城の混乱に備えるよう、急いで軍備整える。コンピラ軍が出港。その後で、瀬戸内海の海軍も追跡のため、瀬戸内海を渡る予定。

神戸で拘束した光連衆の忍者を児島の番屋で拘束中。事情聴取のため、カモさん一行、吉備の穴海を渡って児島へ上陸。コンピラ軍は夕方遅く、対岸の吉備国の沿岸(国分寺あたりの湾岸)に上陸。※中世の海岸は、地形がかなり入り組んでいる

児島の番屋にて、カモさん一行、忍者の尋問を始める。

拘束済みの忍者は、前もって塩田で日干し拷問されており、逃走を防ぐため眠り薬を盛ってあるので、グッタリしている状態。カモさん、呪術的手段で忍者の意識をハッキリさせ、尋問を始める。

忍者は、光連衆メンバーだが、元々は紅蓮教団の者。光連衆の内部構造を説明。上層部が胡蝶公主や大銭屋をはじめとする光連衆メンバー、中層部が欠き眉や紫銅を含む金斑メンバー、下層部(奴隷扱い)が紅蓮教団のメンバー。互いに火花を散らす関係。玉手箱=契約の箱に関しては争奪戦が始まっている。鬼ノ城は地獄になるだろう。

目下、鬼ノ城では、大尊教コトヒラ派が立てこもっている。

大尊教コンピラ派が上陸し、鬼ノ城を攻略しようと進軍している。

紫銅たち金斑は神戸の道を通って、鬼ノ城へと肉薄中。(欠き眉は目下、道成寺の妖異事件の時以来、行方不明だが、そろそろこの世界に出て来るタイミングなので、鬼ノ城に現れる見込みが高い)

ひそかに、光連衆(天角が率いる)も接近。

忍者が属する紅蓮教団メンバーも赤日をリーダーとして接近中。

深夜、アザミ衆メンバー、鬼ノ城へ続く山道の上で、ひそかに動く聖麻メンバーを発見。戸惑いながらも、聖麻も油断できない優秀なプレイヤーと気付く。聖麻の中も、上層~下層に分かれている筈。

PR

青銅華炎の章・古代6

【諸子百家の時代・・・文明の大断絶と思想の大混乱】(後)

かつての古代シナ神話は、古代ギリシャ神話と同様、数多くの物語に満ちていました。

今日、ギリシャ神話が体系的に伝わっているのに対し、シナ神話は不完全な、断片的な形でしか伝わっていません。怪力乱神を語る事を拒否した儒教思想も大いに与るものでありますが、神話断絶に最も決定的な影響を与えたのは、戦国時代に台頭してきた陰陽五行思想であったろうと考えられています。

〈前シナ文明〉の暦・・・殷・周時代の暦は、農耕生活に密着した暦でもありました。ところが、春秋戦国時代に入ると、昔ながらの世界観も暦も断絶し、混乱を極めます。

(この頃、大きな気候変動があり、華北地域の急激な寒冷化&乾燥化が進んだと言われています。遊牧騎馬民族の侵入もあり、中原に広がっていた「前シナ世界」の崩壊は激しいものであった…と想像するものであります。その怨念が今、西域辺境自治区に対する暴政などの事象として現れているとしたら…これはこれで、背筋が寒くなる事象であります… > <;;)

諸子百家の時代を生きた陰陽五行思想家らは、当然ながら、バラバラになってしまった世界観や暦の統合作業に入りました。その過程で、あらゆる自然現象と人事現象とを総合的に捉え、その循環によって世界を説明しようとする一派が、最も勢力を誇るようになります。

この一派の説が、司馬遷『史記』太史公自序に、次のように記されています。

「そもそも陰陽家によれば、四時(四季)・八位(八卦)・十二度(黄道十二宮)・二十四節には、それぞれ教令がある。これに順(したが)う者は栄え、逆らう者は死ななければ国を滅ぼす」

上に曰く「それぞれの教令」の事を、月令(ガツリョウ・ガチリョウ)または時令と言います。

この「時令」系統のルールは秦・漢時代に至って完成され、秦代の『呂氏春秋』十二紀や漢代の『淮南子』時則訓、『礼記』月令篇などとして見られます。

かくも奇妙にして厳格なルールが組織されてきたのは、春秋戦国時代において、相手国を如何に完全に滅ぼし、後々に渡って抵抗力を奪うか、という戦略・政治の発達とも関連していた筈です。

古代社会は同時に祭祀社会でもあり、相手国を蚕食するに対して最も効果を発揮したのは、都城の徹底的な物理的破壊では無く、その神々に対する祭祀権を奪う事による習俗の破壊および精神的破壊でありました。

・・・まさしく春秋戦国時代とは、陰陽五行家らが完成した「時令」という時空ダイヤグラムの中で、多様な神話・習俗が分断され、滅びていった時代でありました・・・

その中で辛うじて生き延びた神話伝承が、「夏」です。上古の「夏」の権威を受け継ぐ諸族という意味で、「諸夏」と名乗ったという事も、当時の記録にあります。

しかし、秦の天下統一に至って、前シナ王権の記憶を受け継いでいた「諸夏」という観念も、滅んでゆきました。「諸夏」は、前シナの伝統を受け継ぐ諸部族をまとめるには適切な観念でしたが、西域出身の帝国・・・中央集権を目指す秦にとっては、もはや無意味、かつ弾圧すべき存在でした。

代わりに立ち上がってきた観念が、「夏」を思想操作した末に造られた「天命」です。ただ一人の皇帝、ないしは一つの王朝による一極支配を伴う観念として、潤色されてゆきました。実に「天命」こそは、〈シナ文明〉を彩る事になる言葉であり、新たな時代の呪術的観念であります。

その言葉の登場は、部族社会の消滅と時を同じくしています。そしてその時から、義烈の精神で結びつくという、おそらくは前シナの気風を受け継ぐ秘密結社〝幇(パン)〟が、歴史の暗黒街道を歩み始めます。

〈シナ文明〉。
恐るべき一極支配と一斉反乱の歴史が、まさにこの時、幕を開けたのです。

いわゆる「中華文明」の中世において、古代シナ神話のルネサンスは起こりませんでした。一方、ゲルマン文明の栄えた中世欧州では、例えば『アーサー王伝説』や『聖杯探求伝説』などの物語として、古代のケルト・ゲルマン神話が復興する、という現象が広く起こりました。

「華夏」と「星巴」の運命を分けたのは、正しく《神話》に他ならぬ、と詩想するものであります。


詩想の過程で、しみじみと思い返した箴言を以下に引用:

・・・日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない。簡潔ということは、水の流れるような勢いを持っているということだ。・・・
・・・「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける」という歌があるが、くにの歴史の緒が切れると、それにつらぬかれて輝いていたこういった宝玉がばらばらに消えうせてしまうだろう、それが何としても惜しい。
他の何物にかえても切らせてはならないのである。
そこの人々が、ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。
ましてかような美しい歴史を持つくにに生まれたことを、うれしいとは思いませんか。歴史が美しいとはこういう意味なのである。・・・
・・・どうもいまの教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲なことにあると気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。学問にしても、そんな頭は決して学問には向かない。・・・

いずれも『春宵十話』、岡潔(おか・きよし)著より抜粋

青銅華炎の章・古代5

(追記)アムゼルさまのご指摘により、一部修正です

【諸子百家の時代・・・文明の大断絶と思想の大混乱】(前)

春秋戦国時代(前770年~前221年)の思想革命とは、「怪力乱神を語らず」・・・人間理性の自覚とその普及にあります。合理的思考と太古の呪術的思考との闘い。思想的大混乱。その結果が、諸子百家の旺盛な活動でした。

周の政治権力が弱まると、文字もまた統一性を失い、地方ごとに異なる字体が発達しました。

一般に複雑な字体の方を「籀文(ちゅうぶん)」と言い、簡便な字体の方を「六国古文」と言います。漢字(=と言うより、「文字」の地域的流用=)が爆発的に広まったのは、殷・周による文字の独占が終わってからの時代・・・春秋戦国時代の事でした。

地方で発達した多様な字体は、後世に天下統一した秦によって、再び規格統一される事になります。

◆秦の字体=篆文(てんぶん)。
◆焚書は異体字を滅する為の政策という説もあり。
◆坑儒は周代以来の諸夏思想を滅する為の政策という説もあり。

春秋戦国の時代には、王道/覇道という概念が論じられました。

天下統一するには、法律(法術)・軍事・経済・外交・官僚体制といった多種多様な統治技術が必要であり、これらの成熟が、巨大帝国「秦」の誕生を促します。

「覇道」とは、大陸交易圏の急速な拡大に伴って生じてきたものであり、実に徹底した合理的思考の結晶でありました。


(少しの私見)

中国史における春秋戦国時代末期=前3世紀から前2世紀、アレクサンドロス大帝国の衝撃によって、トランスオクシアナ=マーワラーアンナフルを横断する大陸交易の市場のすさまじい拡大がありました。このことは、東アジアの果てで、「覇道」という概念が何故に発生したのかを考える際に、重要になってくると思います。

何故ならこの時期から、ユーラシア大陸交易路を横断する遊牧民族&騎馬民族の活動が大きくなり、シルクロード交易や、騎馬民族による大帝国(たとえば匈奴帝国)の時代が始まっているからです。ソグドの民、匈奴=フン族の民、クシャーナ氏の民、エフタルの民、いずれもトランスオクシアナの交易路に栄えた民でありました。

「覇道(中央集権による統治の技術)」もまた、西域から到来した概念では無かったでしょうか。東アジアもまた、アレクサンドロスによる、大いなる歴史分断の衝撃から逃げられなかったのです。

(私見、終わり)


群雄割拠と同時に起きた、思想的大混乱。この文明的カタストローフが、〈前シナ文明〉の断絶を引き起こしました。

その文明断絶の深い痕跡を、古代シナ神話の大断絶という事象に見る事が出来ます。

〈前シナ文明〉と〈後シナ文明〉とは、青銅祭祀の始原たる〈上古諸州〉の神話(=古代シナ神話=)伝承の〝血〟を受け継いだか否かによって、決定的に分断されます。

殷・周の諸王国は、〈前シナ文明〉。そして、秦・漢といった諸王国は、〈後シナ文明〉です。そしてこの間に、連続はありません。

春秋戦国時代に起きた文明的カタストローフ・・・古代シナ神話の大断絶とは、それ程に大きな出来事であったのです。秦・漢は、殷・周の後継者では、決して、あり得ないのです…

つづきは次回。古代シナ神話の断絶、という事象を、詩的・物語的に考察です