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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

断章・航海篇2ノ5

【セム系物語論の伝統・・・〝存在の夜〟と預言者たち(旧約/新約)】

非セム系のシュメール人の時代から、セム系諸民族の時代に移行する。セム系諸民族が生み出した最大の物語が、『旧約/新約』であろうと思われる。

『旧約聖書』/『新約聖書』については多くの文献研究があり、ここでは省略する。特に興味深いと思ったのが、預言者の物語である。ここでは、古代メソポタミアと中世イスラームの物語世界を結んだ『旧約/新約』の世界に注目し、「預言」という言語現象とは如何なるものであるかを考察したい。

預言とは、いかなる時空における言語現象であろうか。預言と言われる意識プロセスを突き詰めると、「存在の闇」という一種の深層的存在(異様に暗い世界次元)に行き着くのではないだろうか、という説が、井筒俊彦氏によって提唱されている。

『旧約』の宗教性を底辺で支えている世界感覚とは、「存在の夜」である。井筒氏によれば、この時代の預言者文学を当時の意味で読む場合、「暗い夜」という感覚が必要だという。濃密に妖気漂う、闇の世界。百鬼夜行の闇。『旧約』では特にその気配が濃厚であり、闇の感覚が表層まで沸きあがってきているという。

ここでは、太古の呪術的思考を彩った「言語呪術の次元」として理解したい。言語魔術が「現実」の世界に強力に干渉してくる世界である。(古代の人々の世界感覚には一種の異様さがあり、現在の我々には理解しがたい代物である。呪いの藁人形が本当の武器として生きていた世界、として考えるのが一番適当なようである)

『旧約』詩篇41篇=すべて我を憎む者、互いにささやき、我を損なわんとて相はかる。

古代のヘブライ語においては、「ささやく」に相当する単語は、呪詛・呪縛の言葉を意味していた。「我を破滅しようとてささやく者ら」とは、言ってみれば、恐ろしい呪詛をかけようとしている者らの事である。古代社会では、人を憎んだり呪ったりする事は、そのまま人の破滅を実現する行為であった。

悪霊的なものが漂う世界。

魔性的な存在のほかに、人間の意識の深層から湧き上がってくる暗い炎のようなエネルギーが、そのまま空中を漂う「何か」となって徘徊する世界・・・その不気味な暗さが織り成す物語の中を、当時の人は生きていたという事であろう。

文字と呪術の帝国、殷の人々が生きていた世界、呪術的論理で構成された世界そのものである。将来の害を滅するために、敵方の呪術師は、捕らえ次第、殺さなければならなかった。更に強力な呪禁を施し、堅牢な境界を敷かねば、安心出来なかったのである。呪術的パワーに満ちた世界とは、そういう闇の世界であった・・・という事であろう。

総じて、言語呪術の生きている物語世界は、非常に陰鬱である。

そういう存在感覚の中で預言は起こり、預言の内容は『旧約聖書』に書かれてきたのであろう。『旧約』、そして後の『コーラン』の宗教性のコアである「預言」という事象は、魔性的な者どもに満ち満ちた存在の夜からの救済を求めて、ひたすらに神にすがりつく、という切実な条件のもとに成り立ってきたのであると想像できる。

古代イスラエルの宗教史において、預言者のギルドがあった事が知られている。厳密には中世のギルドとは異なるが、大体において、遺伝的に憑依状態に陥って預言現象を起こしやすい人々が集まって、一種の団体を形成したものと考えてよいようである。

この集団のメンバーが預言者であり、一般の人がいきなり預言者になることは余り無かったと言う。(つまり、マホメットのように、個人的に預言者になるのは極めて珍しかったと言える。霊的現象の一種である「イニシエーション」を経た上で預言者になるのであるが、一般にその「イニシエーション」は、「スピリチュアル・エマージェンシー」とも言われ、激烈なものだったようである)

さて預言現象を起こすと、人はどのようになるのかと言うと、狂乱状態に陥るのである。我を失なって、刃物で我が身を傷つけたりしながら預言するのである。当時カナンの地には、『旧約』によれば、「バアル」を筆頭に大勢の邪神がおり、神官の集団に、集団憑依現象を起こしたと言われているのである。

(補遺と私見)

ユダヤの「律法(トーラー)」は、呪詛的行為を禁ずる法律でもあった事が知られている。

ササン朝ペルシャ(226-651)の時代、『タルムード』成立期になると、言語呪術が醸し出す「闇の世界」がはっきりと打ち出されるようになり、デモーニッシュとすら言えるレベルになっていたそうである。

このような「夜の世界」に救済があるとすれば、それは闇夜を貫くまばゆい一条の光であり、偉大なるメサイアによる救済であった。

ヘレニズム時代に始まる「神々と悪霊」の混乱をそのまま引き継いだローマ帝国では、このメサイアの役割は、イエス・キリストが担っていた。この救済の物語が、『新約』としてまとめられた・・・と考えることが出来る。

一方、アラブを含むセム系の諸民族の中で、この「夜の世界」からの救済者、メサイアとして白羽の矢を立てられたのが、マホメットと『コーラン』であったと言う事が出来る。ムスリムの人々がマホメットを、『旧約聖書』に連なる正統かつ最後の預言者であると考えているのも、必然といえば必然である。

マホメットの登場は、当時のアラブにとっては、間違いなく福音であったのだと考えたい。

・・・次回に続く・・・

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断章・航海篇2ノ4

《豆知識&当時の国際情勢》

  • 東セム語=メソポタミア地方・・・アッカド語(アッシリア語・バビロニア語)
  • 西セム語=シリア・パレスチナ地方・・・アムル語、カナアン語、アラム語、古シナイ語
    (うち、カナアン語はウガリット語・フェニキア語・ヘブライ語・モアブ語を包摂)
  • 南セム語=アラビア・アフリカ地方・・・アラブ語、エチオピア語

当時の小アジア地方では印欧語系の言語が話されていた=ヒッタイト語。他に、系統不明だがフルリ語も話されていた。フルリ人はミタンニ王国などの小王国群を建国する。

ウガリット王国=東西交易路の要衝であったカナアンを押さえ、東西世界の結節点として栄えた商業王国。陸路・海路の中継貿易が盛んであった。古代東地中海の主要な貿易品として、錫、銅、金、銀、紫染料、ラピスラズリ、木材(レバノン杉)、馬、穀物、塩などが取引された。ウガリット王家は領内の商行為を保護し、それらの海上取引税、関税などは、ウガリット王国に莫大な利益をもたらした。

ヒッタイト、エジプト両帝国の間にあって、彼らの政治的抗争の中に巻き込まれざるを得ない環境の中にありながら、ウガリット王国は、他の周囲の小国群の動きにも同調せず、同時に、かなり自由のきく外交的ポジションを取る事が可能であった。ヒッタイト・エジプト両帝国が、商業貿易上に占めるウガリット王国の地位と働きとを認識せざるを得なかったから、これを利用していた故である(この当時のオリエント圏は、謀略と外交の渦巻く舞台であった。一つ間違えば国家消滅、まさに激動の時代である)。


【シュメール人の遺産・・・受け継がれた「死と復活」の神話】

シュメール人が語り継いできた「牧神ドゥムジ」、ないしは「タンムズ神」の物語は、「死と復活」の神々の物語として、その後の聖書神話・フェニキア神話・ギリシャ神話へ、大きな影響を及ぼした事が知られている。

前2000年紀から前1000年紀の古代オリエントでは、豊饒儀礼の整備に伴って、「死んで復活する神」の神話が広まっていた。冥界下りの神話として語られる物語群が、それである。

シュメール時代に好まれて『イナンナ女神の冥界下り』に語られた物語は、アッカド神話『イシュタル女神の冥界下り』として語られ、冥界の描写は『ギルガメッシュ』にも引用された。幾許かの例外はあるが、一連の冥界物語に、ドゥムジという複雑な神格の神(牧畜神/イナンナの夫)が登場するのである。

シナリオは様々であるが、イナンナとドゥムジは、半年間を基準として代わる代わる地上から居なくなる。これは季節の変動を暗示しているという説がある。牧神ドゥムジは次第に王と同化し、シュメールの王と女神官が各々ドゥムジとイナンナを演じて、豊饒を招来するための聖婚儀礼を行うようになったと言われている。

ドゥムジ神は、元々はシュメールの言葉で「ドゥズ」、より正確には「ドゥム・ジ・アブズ」、すなわち深淵の神エアの息子とされ、生長・繁茂の役割を持つ神とされていた。ドゥムジは、アッシリア・バビロニアに入って「タンムズ」と呼ばれるようになったが、ここでも同じ職能を担当し、半年間、冥界に閉じ込められるストーリーとなった。

豊饒儀礼に伴う「イナンナ、またはドゥムジ神の死と復活」の物語は、どの民族にも関心が高く、みるみるうちに神の名称と物語のシナリオを微妙に違えつつ、広範囲に広まったと推測できる。また、この物語は、古代牡牛信仰としての側面も持っており、ミトラ教との関連も深いと言われているのである。

ヘブライ語やアラム語でも、名前が訛ってタンムズ神と呼ばれた。メソポタミアからシリア・パレスチナに広まっていった「タンムズの死と復活」の神話は『旧約聖書』に取り入れられ、後にはアラブ世界にも取り入れられた。ユダヤ暦第4月、アラブ暦第4月の名前は、共に「タンムズ月」であり、古代には〝嘆きの儀礼〟が行なわれた事が知られている。

タンムズが地上に居る半年間は植物が繁茂し、動物が成育するが、タンムズが地下に居る半年間は成長が止まる。そこで泣き女たちが、タンムズが地上に戻るように、タンムズ月に「嘆きの儀礼」を行なうのである。地上に女たちが座って髪をふりみだし、胸を叩いて涙を流すという内容であり、春が到来する少し前の神話儀礼として、古代からオリエント圏では広く知られていたという事である。

「タンムズの死と復活」は、フェニキア地方に達し、キプロス・ギリシャへ伝播した。ギリシャに入ると、タンムズ神話はアドニス神話となる。「アドニス」とはセム語の呼格形「アドーナイ(我が主よ)」が訛ったものであり、タンムズの嘆きの儀礼で泣き女たちが発した呼び声が元となっていると言われている。

ついでながらギリシャ神話では、愛と美の女神アフロディテが美少年アドニスを愛したが、これを冥界の女王ペルセフォネに預けた事から争いが始まり、結局アドニスは半年ずつそれぞれの世界に身をおく事になった・・・というストーリーとなっている。なおアドニスは後には、森でイノシシに殺され、その血からアネモネが生じたとされているが、これはタンムズ神話の盛んだったレバノンで、春先にアネモネの赤い花々が一面に咲き乱れる事から現れた神話であろうと言われている。

イスラエル人は、バビロン捕囚の時代に、メソポタミア地方の標準暦(タンムズ月のある暦)を採用している。『聖書』はタンムズ信仰を偶像崇拝として非難しているが、このドゥムジ・タンムズに連なる「死んで復活する神」の系列が、「キリストの死と復活」の物語に影響を与えた事は否定できないと言われている。

※参考:『聖書(エゼキエル書)』に見るタンムズ儀礼への非難

8章14節:そして彼はわたしを連れて主の家の北の門の入口に行った。見よ、そこに女たちがすわって、タンムズのために泣いていた。
8章15節:その時、彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。これよりもさらに大いなる憎むべきことを見るだろう」。

・・・次回に続く・・・

断章・航海篇2ノ3

【シュメール諸都市の物語・・・神は王権を授ける】

都市文明を築く事に成功したシュメールは、「王権は天から降ってくる」と考え始めた。

以後の時代のオリエント圏の物語は、「王権神授説」がスタンダードとなる。シュメール文明の末期、イシン・ラルサ時代に完成したとされる王名表(キング・リスト)によれば、「王権は天から降ってきたが、その後大洪水があってすべてが一新された」となっているという事である。そしてその後、諸都市の王の名前と覇権争いの顛末が、順次刻まれてゆくのである。

この王名表は、文書によって内容はまちまちだが、最初の都市エリドゥから最後の都市イシン(セム語族アモリ人国家)まで復元されている。

いわく、「天から都市Aに王権が降り、P王・在位Q年、R王・在位S年、…合計Z人の王がT年統治。都市Aが滅亡すると都市Bに王権が移行…、都市Bが滅亡すると都市Cに王権が移行…」と記されていると言う。

こうした文書は、王を戴いたオリエントの諸都市の中で次々に作成され、各都市の王権神話と分かちがたく結びついていった。いわく、「天から下された王権がこのような経緯を経て、現在のわが王朝に伝わったのである。天下に2人以上の王が並び立つ事は無く、我らは由緒正しき王統である」。

シュメール人は、伝説上の大洪水を「歴史の分水嶺」と捉え、神話に伝承した。その物語群が、オリエント交易路の一翼を担っていたヘブライ人の神話『旧約聖書』に取り入れられ、「ノアの洪水神話」という一大バージョンを生み出した事は、余りにも有名である。

メソポタミアの主要産業は農業であった。その収穫の成否は、都市の運命を左右した。灌漑組織の整備は文字通り国家の死活に関わっていたのであり、人民は毎年、運河整備や浚渫に動員されたという事が知られている。

水と人の闘い。シュメール神話における王権神話の基調音は、そこにある。そしてその物語は、水神エア(エンキ)と地母神ニンフルサグの闘争として伝えられた。この物語は、後にバビロニアの創世神話とも言われている『エヌマ・エリシュ』の起源となる。

ちなみに、バビロニア神話『エヌマ・エリシュ』では、バビロン市の神マルドゥク(古名=嵐の神エンリル)が、混沌の水の女神ティアマトの使わした各種怪獣の脅威と戦う物語・・・として再編集された。これは、オリエント文明における王権の確立に関わるもので、『旧約聖書』は洪水神話と共に、この王権神話をも受け継いだ。

シュメール神話には、「メ」という掟が述べられている事が知られている。一般に「規範/神の掟」という意味であるが、王権の維持や文化芸術の伝承に強く関連していたようである。

最古の都市エリドゥから新興の都市ウルクへ、王権ないしは文化芸術が移行した事を暗示する神話『イナンナ女神とエンキ神』がある。エリドゥの都市神が「全知全能にして水と深淵と知恵の神エンキ」で、ウルクの都市神が「天の女王にして愛と豊饒の女神イナンナ」である。

上の物語では、都市エリドゥを訪問したイナンナが、エンキを大量のビールやワインで酩酊させ、エンキが持っていた全ての「メ」(〝エリドゥの掟〟とも呼ばれていた)を首尾よく獲得し、「天の舟マアンナ」に積み込み、都市ウルクに帰還したという事が語られている。

都市ウルクでは、全ての人々が舟で到着した「メ」を喜び、あらん限りの歓迎をした。してやられたエンキは、正気に戻った後、イナンナの策略に感心し祝福したと言う。「メ」は元々抽象的なもので、「知識や芸道は、伝授しても減るものではない」という考えの下に、最後には都市エリドゥにも「メ」が復活した・・・と伝えられている。

以上のような物語は、「王権」と「繁栄」とが強く結びついていた事を暗示するものである。そして、それは、「メ」と称される「神々の掟」に結晶した《物語》であった。「世界を切り取る物語」は「世界を支配する〝絶対の掟〟の物語」となって、更に広範囲に伝播する事になったのである。

・・・付記:歴史に見る古代メソポタミアの伝統・・・

古代メソポタミア史の特徴として、「長期にわたる伝統の保持」「中央政権と地方分権との対立」の2点があげられる。

《長期にわたる伝統の保持》

古代メソポタミアにあっては、支配民族の変化による伝統断絶は、さほど大きなものでは無かった。むしろ伝統の継承が強く志向されていたのであり、そうした中で、前3000年紀に始発するシュメール・アッカドの伝統は、前2000年紀のバビロンにしっかりと受け継がれていった事が明らかになっている。

バビロンを支配したアムル人、カッシート人、カルデア人、・・・彼らはいずれも、自己の民族性の発揮よりも、バビロンの伝統の継承の方に力を注いだ。太古の知識を伝える偉大なバビロン!

伝統を保持するのとは逆に、革新を目指したナラムシンは、アッカド王朝滅亡を扱った作品『アガデの呪い』の中で、神に不敬を働いた業(=自らを神とした事)によって王朝を滅ぼした悪しき王として描かれた。古代メソポタミアに脈々と流れていた伝統継承の志向が、この作品を描かせたのであろう。

※ナラムシン=アッカド王朝(前2350年~前2100年)第四代の王。

《古代メソポタミアにおける中央政権と地方分権との対立》

ヘロドトス以降、オリエントは強大な東洋的専制国家として語られているが、現代の歴史学によれば、オリエント地域における諸都市や地方の自立傾向は強固なものであった事が知られている。これらの諸都市の自立性が、中央集権的理念の確立を阻害したとさえ言われているのである。

意外な事ではあるが、メソポタミアを象徴する歴史的文化的な統一場は確立していない。ヘレニズム世界、ローマ世界、イスラム世界…そういった普遍理念を支える統一場としての「ひとつの世界」の確立は、オリエント文明圏(とりわけ、メソポタミア地域)においては、成しえなかったのである。

オリエント圏の諸々の神話物語は、いにしえの諸々の都市が切り開き、受け継いできた、各都市の伝統世界と強く結びついている。極めて地域色の強い、個別的な面を持つ物語群であると言えよう。

21世紀に至って、地政学上の激変に飲み込まれ、四分五裂の事態に見舞われているオリエント地域。その未来が如何なるものになるのか? は、今の時点では、杳として知れない。

・・・次回に続く・・・