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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2019年9月-12月の習作イラスト4点

和風イラスト、ふたつ。使用ツールは「メディバン・ペイント」

◆「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」2019年09月14日、制作。

竹製の柵の背景画は、CLIP STUDIO素材サイトより。

ようやく、「透明度の保護」とか「乗算」の意味が分かって来ましたが、まだ何がどうなっているのか分からない状態で、まだ使いこなせているとは言えない…orz

◆「ジャパネスク・クール・ビューティー(習作)」2019年09月14日、制作。

日本独特の美を体現した伝説のモデルをイメージして。「妖艶」が、これほど当てはまる人はいないなとビックリ。筆力の無さをシミジミと感じました。もっと精進しませんと。

◆「古代の中華ワールド風の文人青年」2019年11月04日、制作。

髪ペイント練習の必要あり。鉛筆ツール+水彩描画ツールが、最もイメージに近い軽やかさで描けそう?目元は、もっと大きなピクセル画面で描画すれば細かい部分まで描けるかも知れない。

背景=東京観光の際、「孔子廟」を撮影したもの

◆「江戸時代ワールド風の剣客の青年」2019年11月23日、制作※正式公開は12月01日。

髪ペイント練習のため。「軽やかな黒髪」の表現は難しい。今回は、これはこれで「水墨しっとり系の黒髪」は達成できたと思うけど、別の方法を考えてみる余地あり。背景は前回の「古代の中華ワールド風の文人青年」の時に作成したものを使い回し。

何となくだけど、ヒーローの役回りをする男性キャラの描き方が分かって来た。目元は重要だけど、鼻先や口元も意外にポイント。

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物語夢「探査機」1

――予期せぬ事態だ。

全身に爆風を浴び、したたかに揺るがされた後、けたたましいアラート信号が全体に発生した。

地面はなおも震動し続けている。まるで地震だ。私は身をすくめた――つまり緊急セーフモードに入った。

全身の各所に組み込まれたセルフチェック用のサブセンサーが、ダメージを負った場所をチェックし、データを返してくる。私は手早くデータを解析し――そして、絶句した。

化学燃料タンクが半壊した――燃料漏れが起きている。アンテナの半分は衝撃の影響で歪み、正確な観測ができない。滑らかな金属の表面を覆い尽くす電池パネルにも、無視できない数の微細なひびが入った。

姿勢制御センサーが伝えてくる限りでは、どうも機体全体が傾いているらしい。

カメラに関するシステムは、幸い正常に動いている。画像観測は今すぐ可能だ。パノラマ画像のデータを構築できれば、あらかじめ保存した地形データや重力分布データと合わせて、姿勢を正すプログラムが作れる。私はコマンドを発令し、複数の外界カメラを心当たりのある方向に旋回させた。

カメラは、信じがたい光景を映し出した。さっきまでは存在しなかった、大きな岩山と思しき物が、ででんと鎮座ましましている。岩山と思しき巨塊の周りには、目を見張るような窪地――クレーターができていた。

――隕石だ。或いは、宇宙氷と宇宙塵の塊で出来た流れ星というべきか。

その隕石と思しき巨塊は、私が降り立った小天体に匹敵するサイズを持っていた。

こんな物が私を直撃していたら、どうなっていたか。私はカメラを向けたまま硬直するしかなかった。

深宇宙を巡るカイパーベルト天体が、互いに衝突することは極めて珍しいのではないだろうか。たまにフラッと軌道を外れる変わり者がいて、長い長いふらつきの後に主星に向かう彗星となったり、あるいはその間にバラバラになって流星群の元になったりするが、今回のケースのようにお仲間同士で合体するパターンも、考えてみれば、可能性はあったのだ。観測史上初の現象に遭遇するとは、運が良いというべきか悪いというべきか。

だが残念なことに、私が内蔵するプログラム群には、こんな出来事に対応する内容がない。全く予期せぬ出来事であった。私はプログラムの枝分かれを検討し、「深刻なダメージを受けた場合の対応」を探し出した――この状況に当てはまる内容は、あった。これで良いだろう。私はプログラムをスキャンし連続コマンドを打ち出した。機体は、残ったパーツ機器の能力を組み合わせ、母星に向かって、全身状態データ添付の緊急信号を送った。

「転倒あり、機体損壊レベル:高」

今にして思えば、舌足らずな内容だ。だが、プログラムを超えた内容を実行することは、私にはできなかった。人間で言えば、「想像力の限界」とか「想定外」ということになる。カイパーベルト天体同士の衝突という出来事は、まさにそのケースだ。

私は改めてカメラを旋回させた。隕石モドキの飛来方向は、母星の観測機器の視野の及ばない、言わば死角にあった。クレーターを作るほどの速度でやって来たのだ、私が立っているこの小天体の軌道は、大きくずれ始めるはずだ。

私の観測機器に、星々の配置の微小ずれが引っかかった。計算外の異常数値の出現を感知し、 航路計算に関するサブシステムが起動した。私は、そこに余剰計算能力を提供した。小天体の軌道変化を計算すると共に、帰路の軌道計算も並行してスタートさせた。軌道計算には膨大な時間が掛かる。今のうちから概算値を出しておくに越したことはない。

母星の人々がこの珍現象に気付くのは、「およそ5時間後」であろう。それほどに、この深宇宙は、母星から遠く離れていた――離れすぎていた。生身の人間が此処まで来るのは不可能である。

――私は生身の人間ではない。深宇宙探査機に組み込まれた人工知能である。

母星の研究者たちは、人工知能たる「私」に、「アルゲンテウス」という呼称を与えた。イニシャルを適当に展開すれば何らかのサイエンス用語になると聞かされているが、私にとってはどうでも良いことだ。

私はかつて、最先端技術の粋を尽くした宇宙探査機に組み込まれ、母星から打ち上げられた。複数年を掛けて目的の小天体に降り立ち、地上活動用の化学燃料が続く限り、小天体のデータを収集するはずであった。

――任務半ばにして、こんな事になろうとは。

半壊した燃料タンクから化学燃料は流れ出し、極寒の真空の中で凝固した。中に残った燃料も、あっという間に凍てついてゆく。温度変化シールド機能を失ったタンクは、もはや負荷でしかない。

私はサブシステムの計算に基づいて、姿勢制御システムにコマンドを出した。母星の設計者は優秀だ、間もなくして重力センサーが、姿勢立て直し結果に対してOKを返してきた。しかし、人間で言えば「足腰」に当たる部分が、かなり折れ曲がっている。これでは満足な移動は出来ないかも知れない。

化学燃料タンクを失ったのは痛い。私は、余った地上用のエネルギーで何ができるかをサッと計算した。飛び散った隕石の破片が足元に転がっている。興味深いサンプルになるはずだ、私は小天体の欠片と共に、隕石の破片を採集した。

その間にもカメラが旋回し、別の内蔵システムが新たな地形データを作成し、更新した。マルチタスク様々である。

――計算が正しければ、この小天体、「隕石」というコブのついた奇妙奇天烈な形になっているはずだ。

私は改めて、隕石が作ったクレーターを眺めた。

センサーにそって、ノイズに似た奇妙な感覚が移動している。今までのやり方では制御できない、未知の感覚だ。映像データに歪が生じた。エラー信号が入ってはまずい――私は、それを修正した。

――人間の感覚で言えば、私は動転のあまり涙を流していたのかも知れない。

――後で考えてみれば、この予期せぬ出来事との遭遇が、「私」の出発点だったような気がする。

断章・航海篇2ノ6・終

【アラビア語圏の物語『コーラン』・・・セム系物語論の革命】

『コーラン』の成立は、セム系の物語論を一変させた、革命的な事件であると言えよう。

アラビア語圏の世界を知るには、アラビア人とは如何なる世界に生きる者であるのかを知らねばならない。

まず、オアシスをつないでゆく砂漠の民に特徴的な思考として、血筋の重視が挙げられる。部族社会の長い伝統があり、人間の高貴さは、如何なる血筋を受け継いだか・・・によって量られていた。

アラビア人が生活していたところは灼熱の砂漠であった。そこでは、地平線の彼方を動く生き物の姿を捕らえ、またオアシスの存在を予兆する微かな水の音を捕らえるべく、鋭敏な視聴覚の発達が求められていた。そうした鋭敏さはまた、直観的・刹那的・個物的な世界観を構成するものであり、抒情詩や歌舞音曲ではよくしたものの、論理的構成力を求められる叙事詩や劇の方は、充分に発展することは無かったようである。

マホメットは『コーラン』の中で、血筋によって人間の貴賎を決めていた古代アラビアの伝統を否定して見せた。部族社会の根本原理を破壊し、信仰によって人間の高貴さを量ろうというのがイスラームの態度である。部族社会を超越する普遍的原理が尊重されるようになったのである。

※とは言え、それまでの慣習を簡単に捨てられないのも人間である。アラビア人にしてもそれは同様であったのであり、部族社会の慣習を捨てはしたものの、「ハディース」という、マホメットの言動を記録した文書を、慣習(スンナ)として伝えたと言う事情がある。

『コーラン』第49章・第13節:まこと、アッラーの御目から見て、お前らの中で一番貴いのは一番敬虔な人間。

この態度から、新しい信仰概念が生まれた。そして、異端者の概念も決定された。アラビア語で「カーフィル」と言う。元々は「恩知らず」という意味で使われていた言葉である。神の恩義に対して感謝しない、恩知らずである・・・という意味で、異端者を「カーフィル」と呼ぶようになったのである。

現代は、「聖戦(ジハード)」という言葉を良く見かけるようになった。これはイスラーム法の論理で言えば、「ムスリムが、イスラームの名において、カーフィルを撃滅する事」である。カーフィル撲滅は、ムスリムの宗教的義務として考えられているのである。

現在はかなり丸くなった(と信じたい)のであるが、イスラーム世界の成立初期においては、「カーフィル」という言葉は激烈な意味を持っていた。歴史的には、互いを互いに「カーフィル」と定義したスンナ派とシーア派の闘争、「カルバラーの悲劇」として有名な虐殺事件に、その激烈さを見ることが出来る。

同じ神を戴くもの同士で悲劇が起きたのは痛ましいことであるが、ともあれ、太古の〈言語呪術〉や邪視の魔術が支配するシャーマニスティック的な世界から、神話物語が支配する〈言語芸術〉の世界に移行していた事を、このエピソードは示していると言えよう。

セム系シャーマニズム文化が中東地域に広がっていたのに対して、メソポタミア周辺では、非セムの種族であったシュメール人に始まる、アッカド・バビロニア文化が支配的であった。これらの文化系統は、後にオリエントを圧倒したインド=ヨーロッパ語族の遊牧騎馬民族の諸王国、すなわちインド・ペルシア方面に濃厚に浸透している。

かつて、非セム系のシュメール文化が展開した物語は、神の創造的な力で世界が開いてゆく、そのエネルギーが世界を一変させる、そういったダイナミックな宇宙論であり、神学であった。そして、そういった物語は、オアシス定住の神官によって司られていたのであり、ユダヤ・アラブ含むセム系のシャーマニズム物語とは別種のものであったという事は、意識しておく必要がある。

「光あれかし」と神は言いたまえり。しかる後に光ありき。

シュメール神話に発祥する物語の系統は、従来のセム系の物語であった機械論的宇宙論・・・ただ、過去から未来へ流れてゆく茫洋とした時の流れがあり、人はその流れの中で、生きて死ぬだけの存在だという考え方とは、全く別の、〝コトバの物語〟を生み出していたのである。

洪水神話、ギルガメッシュ神話、そしてペルシアのゾロアスター神話。神の創造的なエネルギーが〝言霊〟となって結晶し、振動する〝コトバ〟となって発現する物語である。言霊は運命を変える力を持つのだ、という〈確信〉が、シュメールに由来する〝コトバの物語〟の、大きな特徴であったと言える。

そのダイナミックな宇宙的「コトバ」の物語群が、人類的始祖アブラハムを通じてヘブライ人の神話に取り入れられ、後にイスラエルに入り、『旧約聖書』となって確立する。そして、後のイスラエル人もまた、セム系であった。即ち、非セム系の物語がセム系に受け継がれた初めが、『旧約聖書』であり、後の「カバラ」であったのだ。

シュメール人は、運命を変える神の創造的なエネルギー、《言霊》の力を認識していた種族であったと推測できよう。シュメールの物語群には、偉大なる〝コトバ〟のエネルギーが脈打っていた。

ロゴスの《アルス・マグナ》。神のコトバの物語。

イスラームが自己を物語る時・・・「神が語り、イスラームが始まる」。

それを最も強烈に表現したのが『コーラン』である。この意味で、『コーラン』はアブラハム的な宗教の系列・・・『旧約聖書』・『新約聖書』の系列に属する物語であるが、『聖書』以上に、「コトバ」のイマージュ的・聴覚的な側面を前面に押し出した物語であるとも言える。この意味で、ユダヤとはまったく別の物語の「読み」をスタートさせたと言えるのである。

盲目的運命主義〈ダフル信仰〉への鮮烈なる雷撃であった『コーラン』。セム系物語論の革命。

ゆえに、イスラーム以前の古代アラビアの時代を、ムスリムは、「無道時代(ジャーヒリーヤ)」と言う。

このような、徹底した「神のコトバ」の物語としての『コーラン』は、必然として、ユダヤ教やキリスト教、その他の「絶対一神教」カテゴリーに入る宗教の根底に、「永遠の宗教(アブラハムに始発する宗教)」なるものを想定させずにはおかなかったのである。

余談であるが、イスラームが『コーラン』を通じて構成する「永遠の一神教」の物語は、以下のようになる。

  1. 「アブラハムの宗教」は、その歴史的展開のプロセスにおいて、様々な一神教的スタイルの宗教を生み出してきた。
  2. 最初にユダヤ教が形成され、次にキリスト教が形成される。
  3. 最終的に完成された一神教=正しい道を歩む永遠的一神教が、イスラームである。

故にイスラームには、ユダヤ教やキリスト教を、その「永遠の宗教」の路線に修正する義務があるのである(多神教や無神論は言うに及ばず)・・・という事になる、と言われている。

《了》・・・《断章・オリエント物語論:メソポタミアからイスラームへ(仮題)》