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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ノート:物理学の来歴・〆

http://philosophy.hix05.com/Plato/plato06.nature.html

プラトンの自然哲学:ティマイオスと宇宙創生

物理学は、始原物質(アルケー)を想定しての様々な根源粒子説(アトム説・原子論)が提唱された古代から始まります。世界を構成する基本要素としての四大元素(火・風・水・地)説やエーテル説も、古代の頃から考えられていました。

中世の物理学は、磁力に代表される魔術的な「遠隔作用」、及び接触・衝突に代表される物理的な「近接作用」を説明しようとして、それぞれ発展しました(魔術的な物理学と、日常的な物理学の二つがあったという感じです)。

遠隔作用を説明するパラケルススの魔術的な言説「武器軟膏」は、こうした中世の物理学観念を代表する物であります。

※「武器軟膏」=刀傷の治療のため、傷にではなく、傷を負わせた刀の方に軟膏を塗ればよいという薬であり、「それにより、たとえ20マイル離れていたとしても、傷ついた兵士は癒される」と語られた。またその遠隔作用という性質により「磁気治療」とも言った。

中世の頃は、天体間の重力は遠隔作用の一種であり、磁力と同じような「訳の分からない物」として理解されていました。錬金術師は磁力を神秘的な魔力の一種として理解していたし、占星術師も、「星辰と人体の相関関係は磁力(のような力)が作り出している」と考えていた節があります。

ケプラーの法則の意義が現代的な意味で理解されるようになったのは、「力(動力学・重力)」という物理学的概念が確立してから後の話です(ニュートン、フック、ケプラーは、この意味で、「力」という概念を数学的に扱う事を可能とした、近代物理学の父と言える)。

ただし、その近代的な「力学」の確立に際して、「間に何も無いのに、何らかの力が働いている」という、魔術的なイメージを持つ磁力(遠隔作用)からの連想が働いたであろう、という事は確実に言えます。実際、「万有引力」を唱えたニュートンは、錬金術師としての側面も持っていました。

依然として魔術的な観念領域に留まっていた磁力を、物理学的な対象として扱えるようになったのは、近代になってからの事です。


近代に入って、ファラデーの電磁誘導の法則の発見があり、その後、電力・磁力を、電場・磁場という概念で数学的に扱う事が可能になりました。ここに、「場」理論の誕生を見たのであります。そして最終的に、マックスウェルによって、電場と磁場の融合が試みられ、電磁場の力学が完成したのであります。

(「魔術的な意味」での遠隔作用という考え方は、とうの昔のものとなっていました。)

その後のアインシュタインによる相対論~重力場の力学への発展、および多数の科学者による量子論~量子場の力学への発展のくだりは、多分有名なので(?)、ここでは省略します。ちなみに、量子物理学では、「ゲージ場」という「力=場」の概念が活躍します。

最先端の現代物理学の大きなテーマのひとつが、重力場と量子場の融合(=量子重力理論=)であると申せましょう。大統一理論(GUT)や「ひも理論」の構想までは何とか行き着いていますが、理論的・技術的困難があり、巨大加速器による理論検証などを通じて、様々な説明が試みられている、というのが、今の状況である…と考えて良いと思います。

…すごくはしょっているかも。実際には、様々な名前の「理論」があります^^;

こうやって考えてゆくと、「宇宙」や「時」というものの本質が、それなりにイメージできるのではないかと思います。この辺りは、個人個人によっても思想が違いますし、やはり理論も理解も未熟な現在の段階では、一概には言えない、というのが現実であると思っています。

今のところ、「時」は、「力=場」から独立して在るものでは無い、という風に考えています。

《物語》において、光の相と闇の相が一切同時に現成するように、それらはすべて、《無》としか言えない、絶対の無限、その無限の中から、一切同時に現成するのではないでしょうか。

ドラマチックに言えば:

「〝力=場〟現成において、〝時〟現成する」…by 空海阿字観(大日如来)の改作

この辺は、井筒俊彦氏の『意識と本質(思惟分節の部分)』を参照しても良いかも知れません。

当サイトの宇宙観は、次のようになりますでしょうか:[グリーン・エフェメラル](当ブログ記事)

・・・(おまけ)オカルト的な言論ですが、解釈が興味深いのでピックアップ・・・

>>プラトン図形と五行説★http://longcave.at.webry.info/200608/article_16.html

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ノート:物理学の来歴・4

テキスト=『磁力と重力の発見1‐古代・中世』山本義隆・著(みすず書房2004)

プラトンの『ティマイオス』では、はじめに「宇宙の構築者(デミウルゴス)」すなわち「神」が「構築者自身に良く似たものになるように」と望み、「無秩序な状態から秩序へと」導く事によって宇宙を作ったとする、半ば神話的な創世記が語られている。

その詳細はさておき、神が無秩序を秩序に導く事で世界を創ったという事は、プラトンにあっては、理性によって把握されるものとしての幾何学にのっとって、神が物質の根源(元素)を創った事を意味していた。

すなわち火・空気・水・土の四元素の根源粒子は、神によって「およそ可能な限り立派な良いものに」作られたのであり、したがってそれらは、もっとも単純でもっとも基本的な幾何学形状を有していなければならない。

このように論じてプラトンは、それらの根源粒子のそれぞれに多面体を割り振る。

  • 火の粒子=正四面体
  • 空気の粒子=正八面体
  • 水の粒子=正二十面体
  • 土の粒子=正六面体(立方体)

プラトンの言説を詳しく言うと次のようになる。

3点を決めれば平面が決まり、その平面で囲まれた空間として物体が決まる。それゆえに、物体の基本要素は三角形である。

その際、三角形の中で基本となるのは、「正三角形を等分したもの」と「正方形を等分したもの」である。ところが、正十二面体の面である正五角形は、この2種類の直角三角形からは作れないから、正十二面体はまず除外されなければならない。

また、この2種の基本三角形のうち、後者の直角二等辺三角形からは正方形が作られ、それから土の元素の正六面体が構成される。前者の正三角形の半分の直角三角形からは正三角形が作られ、それから正四面体、正八面体、正二十面体が構成され、そのそれぞれに火の粒子、空気の粒子、水の粒子が割り振られる。

このように、火と空気と水の粒子はすべて面が正三角形で、そのため互いに他の粒子の間に入り込む事も、また移り変わる事も容易である。それに対して、正六面体の土の粒子だけは、面が正方形であるため、他の元素への変成が困難であり、それゆえ土はもっとも不活性でもっとも動きにくい。

現代人にとってはただの空想であるが、実を言うとプラトン自身も、現代人とは異なる立場から、この議論は「ありそうな言論である」と繰り返し但し書きをつけており、それが確証された真理である事をみずから否定している。

プラトンにとっては、「真の意味で知ることの出来るもの」、したがって学問的考察の対象となりうるものは、個々の事物と離れて在る永遠の「真実在」としての「イデア」とされているからである。

イデアの世界こそが、「思惟されるもの」の世界、理性の働きによって把握される世界であり、そこにおいてのみ、真に確実な認識が可能である。

それに対して、「可視世界」すなわち人間の感覚が捉える変容に満ちた現象世界は、イデア世界の影でしかなく、したがってそこでは厳密に正しい言論は不可能で、せいぜいが「ありそうな言論」、もっともらしい憶測でしか語れないものなのである。

とどのつまり、『ティマイオス』は、プラトンの思想の本筋であるイデア論からの逸脱であった。

とはいえ、根源粒子に対するこのプラトンの正多面体の理論は、素粒子の世界は3次元ユニタリ変換[SU(3)]に関する対称性を有し、素粒子はSU(3)の既約表現で分類され記述される、という現代物理学の理論と、根本思想において、それほど距離があるわけではない。

もちろん実験的根拠の有無という点でも、数学的精巧さという点でも、プラトンの理論は、極めて原始的なレベルに留まっているものである。

しかしながら、物質世界を究極的に構成していると想定される〝基体〟は、感覚に捉えられないけれども、しかし数学的に単純な構造を有し、したがって数学的に厳密に理解できるはずであるという思想を最初に提起した事において、それは決定的であったといえよう。

そのことを考えれば、プラトンの空想は、2000年先の物質理論のありようを予兆した、と言えないことは無い。

・・・

古代科学の補足として、ヘレニズム科学についても少し言及しておく。

ヘレニズム時代は、各種の科学の目覚ましい発展が見られた時代であるが、こと磁石と磁力については、それほど顕著な知見が得られていない。

その結果といえるかどうかは分からないが、磁力という「力」に対するギリシャ哲学の立場は、大きく2つに分かれることになったと言われる。

一方にはデモクリトス、エピクロス、ルクレティウスらの原子論による説明、そしてエンペドクレス、ディオゲネス、後期プラトン、プルタルコスらによるミクロ機械論的な説明、総じて還元主義の立場からの「近接作用論」が置かれる。

他方にはタレス、初期プラトン、アリストテレスの、磁力を「神的で霊的な能力」と見る見解、そしてガレノス、アレクサンドロスらによる、生命的ないし生理的な磁力観、すなわち有機体的全体論がある。ついでに言えばこれらの議論は、磁力を、それ以上説明の出来ない神秘的な「遠隔作用」として受け入れるものであった。

ヘレニズム時代に起きたこの分裂は、近代において、「重力」をめぐるデカルト機械論とニュートン主義者との対立として再現されることになるが、それはいずれにせよ、1000年以上の後の事である。実際には、ヘレニズム科学の衰退と共に、磁力についての説明もまた、西洋においては、完全に見失われていったのが現実であった。

中世の西洋では、「磁力を説明する」という試みはもとより、「磁石に対する科学的な観察」でさえも見失われていたのである。

しかし、磁石についての関心が薄れたという事ではない。磁力を魔力と見るオリエント神秘主義の影響が強くなった事もあり、磁力の不思議そのものは、「遠隔作用」を認める神秘主義的な観点から、関心を持って注目され続けたのである。

なお磁石どうしに働く「力(引力/斥力)」は、ヘレニズム時代に至っても、知られていなかったらしい。ついでに言えば、古代ギリシャでは、磁石や磁針の持つ指北性も知られていなかったという事が推測されている。実際、羅針盤が入ってきたのは、古代に「磁石の指南性」を発見していた中国からであったのだ。

《付記メモ・科学哲学の参考》当ブログ2008.11.22エントリ[理論負荷性のこと

ノート:物理学の来歴・3

テキスト=『磁力と重力の発見1‐古代・中世』山本義隆・著(みすず書房2004)

磁力の《観察》は、古代ギリシャで始まったらしい。

知られている限りで、最初に磁石に言及したのは、商業と海運で栄えたイオニアの港町ミレトスのタレスであったと言われているが、タレス自身の書いたものは残っておらず、後世の言及や伝聞によるもののみである。

例えば、アリストテレスは次のように書き残している。「タレスも、人々が記録している事から判断して、もし磁石は鉄を動かす故に霊魂を持っていると言ったとすれば、霊魂を何か動かす事の出来るものと解したように見える」。

タレスは「霊魂(プシュケー)」の働きを説明するために磁力を持ち出し、万物に霊魂が備わっている事を主張するために磁石を引き合いに出しているのであって、磁力そのものを説明しようとしているわけでも新規な発見として語っているのでもない。これらの記述は、当時、既に磁石の存在や作用それ自体は広く知られていた事を示している。

ところでギリシャ語の「プシュケー」とそれに対応するラテン語の「anima」は、日本語では「霊魂」ときに「精神」、英語では「soul」などと訳されているが、実際にはその日本語や英語の語感よりも広く、現代英語では「soul」、「life」、「mind」にまたがる茫洋とした意味を持ち、「生命的なもの」全般ないし「生命原理」そのものを指すようである。

つまりタレスの言論は、森羅万象に生命の存在を認める物活論(hylozoism)であり、磁石の存在は、その例証として語られていたようなのだ。タレス自身が磁石についてそれ以上何を語ったのかは知られていないが、「万物は水である」と語ることによって、「始原物質(アルケー)」の思想を初めて提起した事は、科学的な自然説明の端緒として、重要である。

始原物質が「変わらないもの」であるとすれば、何故に万物の変容が起きるのか、について、言論が始まったからである。同じくミレトスのアナクシメネスは「始原物質」は「空気」であるとし、ヘラクレイトスは「始原物質」は「火」であるとした。

そのいずれもが生命に欠かせないものであり、当時の世界観においては、ともに霊魂を有する生命的存在であった。この時代には、宇宙全体が生きていたのである。そして磁力は、無生物をも含む自然の事物が有する生命(プシュケー)のしるしである、として観察されていたのだ。

さて、後世に登場したトラキアのデモクリトスは、原子論を提唱した事で知られている。伝えられるところによれば、彼は、それまで「存在」が否定されていた「空虚」の存在を認め、「それ以上分割できないもの」を想定した。つまり世界は、「空虚(ケノン)」とその中を動き回る「原子(アトム)」から成る、と考えるのである。

原子自体は単一均質の物質からなり、その大きさと形状のみを様々に異にする粒子であり、多種多様な物質に見られる状態や性質の違いは、構成原子の「形状・向き・配列」の違いによって説明されるとする。

更にデモクリトスは「甘いものは(その原子が)丸くて適度な大きさのもの、酸っぱいものは(その原子が)大きく粗く角が多く丸くは無いもの」であり、原子から構成される物質の色は「それらの原子の並び方と形と向きによる」と語ったといわれる。

これをアリストテレスは「デモクリトスは味を形状に還元している」と断じたが、感性的な性質が、それ自体としては無性質な原子の幾何学的形状や配置や結合状態から説明されるべきである、というこの還元主義こそが、その後の近代に至るまでの、原子論と機械論の基本思想となったものである。

デモクリトスにおいては、森羅万象は、神意によってではなく、機械論的に説明されるべき現象であった。まさにその点こそが、神話と科学との分水嶺であったのである。

「始原物質(アルケー)」から始まったイオニアの自然思想は、ここにおいて最高の到達地点を示したが、その後、ソクラテスの登場と共に、ギリシャ哲学の関心は自然から人倫に移り行き、磁力の《観察》を含む自然哲学の衰退を迎える事となった。

ところで、中世・ルネサンス・近代における各時代のヨーロッパを通して、その影響の大きかった思想家といえば、ソクラテスの弟子プラトンであろう。プラトンの著作は数多く残されているが、磁力に関する言及は少なく、2箇所ほどしかないという事である。

ひとつはかなり初期の対話篇である『イオン』である。

それはちょうど、エウリピデスがマグネシアの石と名づけ、他の多くがヘラクレイアの石と名づけている、あの石(=磁石)にある力のようなものだ。
つまり、その石もまた、単に鉄の指輪そのものを引き付けるだけでなく、さらにその指輪の中へひとつの力を注ぎ込んで、それによって今度はその指輪がちょうどその石がするのと同じ作用、すなわち他の指輪を引き付ける作用をする事が出来るようにするのだ。その結果、時には鉄片や指輪が互いにぶら下がりあって極めて長い鎖となる事がある。これらすべての鉄片や指輪にとって、その力は彼の石に依存しているわけだ。
これと同じように、ムーサの女神もまた、まず自らが神気を吹き込まれた人々を作る。するとその神気を吹き込まれた人々を介して、その人々とは別の、霊感を吹き込まれた人々の鎖が繋がりあってくる事になるのだ。・・・

この記述からは、磁石について、直接に鉄を引き寄せる力だけではなく、鉄を磁化する能力(=磁化作用)もが、この時代に知られていた、という事実が読み取れる。ちなみにこの現象は、古代・中世では、「サモトラケーの環」或いは「サモトラケーの鉄」と呼ばれた。鉄鉱山のあったプリュギアのサモトラケーで最初に見出されたと伝えられていたためである。

プラトンが磁力に言及したもう一つは、円熟期の著作『ティマイオス』である。『ティマイオス』は中世を通してラテン・ヨーロッパに伝えられた対話篇であり、西ヨーロッパの哲学と神学思想に持続的な影響を与えたものである。

次回はこれを詳しく見てみる。

・・・[ノート:物理学の来歴・4]に続く・・・