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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

拝読記事へのコメント

訪問先のブログで、ニュートンの話題が出てきていたので、様々な記憶を刺激されました。

自分が知っている事といってもわずかな内容だけですが、思い切って書き出してみようと思います(トラックバックを送らせて頂いております…)。

刺激を受けた記事>>変容する世界-2010.3.2「啓蒙思想とは」
http://marcooichan2.blog129.fc2.com/blog-entry-14.html

中世の宇宙観では、天上界(神の住まう場)と地上界(人間の生活の場)は全く別々の世界であるという内容になっていました。例えば、「神は永遠の物質で出来ていて、人間は永遠ではない物質で出来ている」とか「月はこの世のものではない神秘的な物質で出来ている」とか、そんな感じです。

ニュートンがやったのは、その上下2つの世界が、実はまったく同一の一つの世界であり、統一的な理論で記述できる、という事の証明です=『プリンキピア』。これは、実は「ヘルメス思想」的なもので、古代グノーシス思想と並んで、錬金術師の間では主流となっていた中世異端思想でした。「ヘルメス思想」が西欧に普及したのはルネサンスの頃だという事になっていますが、実際は、それより昔から地下でひっそりと普及していたかも知れません。

そして、グノーシス派の学問では、この世のものはすべて「至高神」から流出したという風になっておりまして、ニュートンが追求し続けた「第一原因=神」は、すなわち「グノーシス的至高神」だったという説明もあるくらいです。

ヘルメス思想やグノーシス思想が何故カトリックにとっての異端になっていたかというと、「神と人は同じものである」という主張が基本になっていたからです。このあたりの主張が、イルミナチ啓蒙思想(自由・平等・友愛っぽいもの)やマルクスの共産主義思想の基礎になっているかも知れません。当時のカトリックにとっては、「許しがたい冒瀆」という事になっていました。

・・・・・・

聖書には聖書年代学という謎めいた分野があり、この延長で聖書預言の分析が行なわれているらしいです(例えば、聖書に記述された或る日の事件を緻密に特定して、「最後の審判」の日取りを「科学的」に算出するとか、そんな感じです。終末世界観とかアンチ進化論とか、ファンダメンタリスト歴史観が代表的なものだと思われますが、このあたりには無知なので、笑って流してくださいまし)。

ニュートンが聖書を研究したのは、聖書に書かれている事件も「第一原因」によって起きたのであって、故に、「歴史の法則」も、『プリンキピア』と共通の「グノーシス的至高神」の理論で説明できる筈だ…と言う確信があったからだと言われております。

※なお、当時の「歴史のようなもの」は、聖書=オリエント世界は意外に淡い感じで、古代ギリシャ・ローマ伝承を中心にして、古代エジプト・ペルシア伝承がイスラム風聞と一緒にまぜまぜされていて、さらに各地の伝承が適当にツギハギされたもの…だったようです。ローマ・カトリック中心の世界でしたし、今のような歴史学など無い時代だったので、必然の結果かも知れません

言ってみれば、『プリンキピア』は、「ヘルメス的・錬金術的・大統一理論」を完成し、グノーシス的至高神の存在を証明しようと言う、「大いなる秘密の掌握プロジェクト」の橋頭堡だったという事になるかと思います。

ここはちょっと悩むところですが、当時は、「知識」=「力」というような認識があったと思います。「グノーシス認識を成し遂げた人は神のようになり、神のように無知で下等な人間どもを支配できるようになるのだ」という考えが出てきても、それほどおかしな事では無いように思います。まして当時は貴族社会だったわけですから、「自由・平等・友愛」というスローガンやマルクスの共産思想が、「ものすごく矛盾に満ちた形」で広まったとしても、そちらの方が自然な気も致します…

※ニュートンとソロモン宮殿の件については知りませんでした…
一応、ヘルメス思想の書『エメラルド・タブレット』の著者がヘルメスなのですが、その正体はフリーメーソンの伝説的な始祖ヒラム・アビフだったのだ、という話があります。真偽の程は不明ですが、ヒラム・アビフは、ソロモン王の第一神殿を建立した石工の棟梁だったという事になっています。

☆今のところ知っているのは以上ですが、考察の参考になれば幸いです…

近代宗教としてのフリーメーソン(メモ)

考察:フリーメーソンを、近代理性による人間の完成を目指す〈理性宗教〉と捉えたとき、「ソロモンの神殿」、「古代密儀宗教」、「薔薇十字団」は、<近代理性による世界の変容>という文脈の中で理解される、と考えられる。

近代化を促す〈理性宗教〉において、古代グノーシスやヘルメス思想といった古代神秘哲学は、近代理性による人間の変容のための思弁的・象徴的道具として活躍することになった。

古代宗教で重視された「神に至る神秘階梯(ヤコブの梯子)」は、至高の近代理性を象徴する「万物の眼」に至る「徒弟位階」「職人位階」「親方位階」として組み直され、それぞれ、中世錬金術の変容思想の中で発達した様々なオカルト的な象徴に彩られていった。

近代版「ヤコブの梯子」は、ある時は螺旋階段、ある時はピラミッド(=アメリカ合衆国ドル紙幣に採用された図像が代表的=)というように、様々な古代的・神秘的なイメージで表現された事が知られている。


FriendFeedコメントより転載

どうもありがとうございます。ニュートンはやはりグノーシス派なんですね。またヘルメス(別名エルメス、メルクリウス、マーキュリー)は商人および盗賊の守護神であり神と人とを介在するということで、啓蒙思想家などのエリート意識の表徴でもあったのでしょう。メーソン内部のことはもちろん秘密なので憶測するしかありませんが、その中心思想にグノーシスがあるのはどうも間違いないような気がします。 - 丸山光三
《返信》お役に立てて幸いです^^ヘルメスは「仲介の神」ですね。「上のもの」と「下のもの」を連絡している存在だと考えられていたそうです。その象徴性から、錬金術でも「変容を促す媒体」として意味づけられていた…というお話があり、ヘレニズム時代の頃は、グノーシスと共にさかんに論じられていたと言う事です。
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タロット05法王

タロット05法王

カード・メッセージ=「信頼」

主な意味=偉大な師匠、博愛、改善、助言、精神的な充足、良医との巡り合い、援助者、集中力、貢献、目上からの引き立て、寛大、聖なる場所、大いなる知恵、広く深い識見

精神的な支配、あるいは精神的な支持基盤を暗示するカードです。「皇帝」カードが世俗的な力を表現するのに対して、「法王」カードは超俗的な力を表現します

「医術は仁術である」と言われる事がありますが、法王は、その仁術の部分を担当するカードと考える事が出来ます。人間は、物理的な部分だけで生きているのではなく、精神的な部分でも生きている…その精神的な部分の改善と成長を、「法王」カードは促すのであります

上と下から、それも複数の束を持って到来して来る、運命の軌道の群れ。「現在時点」で衝突し様々に分岐する「可能性」の道の複雑さは、人を迷わせます。「法王」は、偏りの無い大いなる識見によって、その迷いの中心を見極め、適切な助言を繰り出す…そのようなイメージで描画してみました

逆位置の場合は、その大いなる識見が、非現実的な見解として解釈されることがあります。抽象的過ぎて、現実には余り意味を持たなくなる…最高の学者や学識を集めたアカデミーが、実際には、現実社会と接点を持たない「白亜の塔」となってしまう…それもまた、現世に確かに現われる、矛盾のひとつなのであります

(たとえば、現代の地球科学の粋を集めた地震予知学会が、実際には東日本大震災を予知し得なかったように/現代のあらゆる防災技術が、実際には、福島原発事故に対して驚くほど非力であったように)

しかし、高い学識によって鍛え抜かれた識見は、素人判断に比べれば、やはり大いなる意味を持っていると申せましょう。「無私の心」という基本的な姿勢は非常に困難なものではありますが、高度な判断を下そうとする時は、その無言の信頼に応えるべく、可能な限り謙虚かつ誠実であれかし…とするものであります

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

感想:浅田真央選手のラフマニノフ

2010.2.26・・・この日、フィギュアスケートのフリープログラムがありました。

浅田真央選手は『鐘(ラフマニノフ)』だそうで…「死線上のアリア」と言いますか、色々と厳しい環境だったようで、さすがに消耗していたようです。難曲なのに、さまざまな高次元イメージに満ちた緻密な演技内容で、感動しました…*^^*

浅田選手の決戦瞬間のホロスコープを見ると、恐ろしく困難な惑星コンディションの下でトリプルアクセルに挑んでいたと言う事がよく分かります。関門みたいなものでしょうか。時々、人生にはそういう重圧に満ちた恐ろしい軌道が用意されておる訳ですが、彼女は自暴自棄にならずに、まっすぐに壁に挑んでいました。心から最大の賞賛を送りたいと思います。

キム選手の方は、スケーターとしてはこれ以上無い、という程の最高の惑星コンディションが用意されていました。ミスの有無に関わらず、金メダルが嫌でも転がり込んでくるという配置です。占ってみる限りでは、彼女のピークは、今回の試合がベストです。故に、今のコンディションを如何に長期間にわたって維持するかが課題でしょうか。演技パターンは今の作品がベストなので、今後はそのアレンジ作品で通すのが良い感じ。

将来性ないしは進化という観点では、浅田選手には、大きな可能性があります。たいてい、空前絶後の作品とか、革命をもたらす名作というのは、こういうタイプの選手が生み出しますね。ただ、決め技はトリプルアクセルという状態が続くなら、金メダルもあと1歩で逃してしまう状態が続くと思いますが…今までの彼女にとっては、トリプルアクセルの完成が課題だったのかなと思われるところもありますし、これから前人未到の領域に踏み入るところかなとも思います。幅をうんと広げてくれるとうれしいです…^^

人生の困難なコースを、真剣に苦しみ悩みつつ、重圧の中で未知の領域に挑み続ける選手と、人生の楽なコースを、玉の輿に担がれつつ、あらかじめ用意された地位と名誉と金銭バックアップを欲しいままにむさぼり続ける選手。

言うなれば「未知への冒険者」と「安全な場所で蝶よ花よ」ですが、どちらに価値を認めるかは、自分が人生の価値をどのように考えるか?によって変わってきます。ある意味、人生の覚悟を映し出す鏡…みたいな感じですね。鮮やかな「二極化(仕分け)」が起きていると思います。それにしても前世の因縁か何かでしょうか、つくづく対照的な2人ですね…^^;


《メモ:ラフマニノフの『鐘』》

ラフマニノフは、ロシア革命の時代を生きた人だったそうです。 ロシア共産革命では、多くの文化人が殺されました。そういった事情もあって、ラフマニノフはソビエト・ロシアを脱出した後、ソビエト政府がいくらコンサート要請を行なっても応じなかったと言う事です。 共産主義革命を賛美しなかった文化人の運命は悲惨なものだったそうです(文化大革命の際の大虐殺やポルポト派の大虐殺でも、同じことが起きたらしい)。

ラフマニノフの『鐘』には警鐘としての意味があり、その内容は、祖国の伝統文化が燃えて滅びてゆく事への焦燥感や悲しみである…という解釈が出来るわけです。炎のような赤と黒の衣装は、そういう解釈の元に選ばれている…と推測されます。

(参照動画・浅田真央 鐘/全日本2009年の作品) http://www.youtube.com/watch?v=A3HSQaJEoJI&NR=1

『鐘』はある意味、少しずつロシア正教に戻っていっているロシア人にとっては、共産革命以前の「古き良き祖国」を象徴するような音楽なのだろうと思われます(=精神的故郷のようなもの?)。

ロシアのタラソワコーチに師事した浅田選手にとっては、この重い象徴を託された曲を演じきることが何よりも大事で、本当は、メダルはどうでも良かったのかも知れないなと思います(推測ですが)。

※近代アヴァンギャルドに走ってからは意味不明なものも増えましたが、伝統的なロシア芸術には、とても深いものがあると思います…