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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

タロット11力

タロット11力

カード・メッセージ=「意志」

主な意味=忍耐、たゆまぬ努力、難関に挑む、勇気、基礎体力、怨敵調伏、不屈の精神、隠れた力を見出す、コントロール(感情の制御など)、征服

カード「戦車」に比べると、静的なイメージのあるカードです。百獣の王・ライオンの皮をかぶった人物をイメージして描画。獣の皮をかぶり、其れまでとは全く異なる視野に触れる事で、この人物は、自らの内なる「得体の知れぬ力」に気付く筈です

己の中に、新たに見出すパワー…暴力的な感情などをコントロールする事は、如何なる賢人にも困難なものであります…古代社会の中では、若者に数々の試練を課す「通過儀礼」がありました。未熟な子供は、その中で大人の意志の力を、そして力の善悪を見出し、その力の巧みな制御を覚えてゆく事で、本物の大人になってゆくのです

『スター・ウォーズ』の主人公ルーク・スカイウォーカーもまた、厳しい修行の最終段階に見出したのは、自らの内なる暗黒面でした。彼は、己の内なる暗黒のパワーと対決して、初めて英雄への道を踏み出したのです

逆位置の場合はやはり、『スター・ウォーズ』における暗黒卿ダース・ベイダーのイメージであると申せましょう。或いは、無気力・臆病・無謀な賭けに出る…などという、意志の脆弱さゆえの、行き当たりばったりな行動を暗示する…と読む事も出来ると思います

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14


☆「力」をテーマにした民話伝承で印象深い内容があるので、以下にご紹介:

聖クリストフォロス=旅行者・航海者・自動車の運転者の守護聖人

カトリック教会における伝承(ウィキペディアより)
伝承ではクリストフォロスはもともとレプロブスという名前のローマ人だったという。彼はキリスト教に改宗し、イエス・キリストに仕えることを決意したという。別の伝承ではカナン出身でオフェロスという名前だったともいう。彼は隠者のもとを訪れ、イエス・キリストにより親しく仕える方法を問うた。隠者は人々に奉仕することがその道であるといい、流れの急な川を示して、そこで川を渡る人々を助けることを提案した。レプロブスはこれを聞き入れ、川を渡ろうとする人々に無償で尽くし始めた。
ある日、小さな男の子が川を渡りたいとレプロブスに言った。彼があまりに小さかったのでお安い御用と引き受けたレプロブスだったが、川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、レプロブスは倒れんばかりになった。あまりの重さに男の子がただものでないことに気づいたレプロブスは丁重にその名前をたずねた。男の子は自らがイエス・キリストであると明かした。イエスは全世界の人々の罪を背負っているため重かったのである。川を渡りきったところでイエスはレプロブスを祝福し、今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストフォロス」と名乗るよう命じた。
同時にイエスはレプロブスが持っていた杖を地面に突き刺すように命じた。彼がそうすると杖から枝と葉が生えだし、みるみる巨木となった。後にこの木を見た多くの人々がキリスト教に改宗した。この話は同地の王(伝承によってはデキウス帝)の知るところとなり、クリストフォロスは捕らえられ、拷問を受けたあとで斬首されたという。
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古代の祭祀/四月・三枝祭

『事典 古代の祭祀と年中行事』2019吉川弘文館

四月・三枝祭

概要

毎年の4月、国家(神祇官)が大和国添上(そうのかみ)郡(奈良市本子守町)に鎮座する率川神社(率川社)の祝部に幣帛を託し、大物主神の子孫とされる大神氏(三輪氏)の氏宗(うじのかみ=氏上)が行なった祭祀である。

率川神社は率川坐大神神御子神社ともいい、3座の神が祀られていた(『延喜式』神名帳上)。

城上(しきのかみ)郡(奈良県桜井市)に鎮座する大神神社の祭神である大物主神の御子神もしくは「大神の族類の神」(「令釈」)とされてきた。

率川神社は大神神社とは離れた地にあり、その創建は大神氏の勢力が最も拡大した持統朝(7世紀後半)であったという〔和田:1989〕。また付近には後に平城京の外京(げきょう)(条坊拡張部分)が成立し、大神神社の神威は平城京にももたらされていったと考えられている〔藤森:20018〕。


祭祀の内容と方法

『延喜式』四時祭上には三枝祭と3月の鎮花祭(大神神社・狭井神社)の両者について、全j津の通り幣帛を祝部に託すことが記されている。しかし両祭には、祈年・月次祭の班幣のような祝詞宣読などの何らかの祭儀(行事)が神祇官で行なわれた形跡は窺えない。祭日についても4月としか記述がなく、鎮花祭と同様に吉日を選んで行なわれていたと考えられる。

具体的な次第などは不明であるが、祭司にあたり「三枝」の花で飾り付けた酒樽を供えたことが分かり、これが「三枝祭」の名の由来であった(『令集解』「令釈」)。

三枝は通常ヤマユリ(ユリ科)のことと言われるが、他にイカリソウ(メギ科)やミツマタ(ジンチョウゲ科)などとする説もある〔宮地:1949〕。

いずれにしてもその読みは「福草(さきくさ)」に由来し、「三枝」の字義が示す通り茎の先が三つ枝に分かれた、福寿を祝う瑞草であったことが分かる。また酒樽に納めた神酒は、神税の稲百束から醸造されたものであったと考えられる(『延喜式』四時祭上)。

三枝祭の斎行に重要であったのは、事前に大神氏の氏宗が定められていなければ斎行は適わなかった(「令釈」)。三枝祭は氏宗を祭祀者(神主)として行われたのである。この形式は「古記に別なし」とある通り「大宝令」の頃にはすでに定められていた。

国家がみずからの願意を率川神社に伝えるために幣帛を奉るにあたって、幣帛を神祇官から現地まで運ぶのは祝部であり、これを最終的に祭神に奉るのは大神氏の氏宗の役割であった。

祝部は主に神戸(かんべ)の中から任命され、神祇官にて名簿が管理された在地出身の令制官人であった。(『令集解』)。すなわち祝部が幣帛を運搬することは、国家に所属する末端官人としての自然な任務と言える。

一方で、現地で祭祀を行う大神氏は在地の一氏族であり、令制でも明確な規定はなく国家の管理下にはないため、国家祭祀の祭祀者ではない。

国家が主体となり国家のために行う祭祀(国会祭祀)を、特定氏族に委託するという特徴的な形式であった。


祭祀の背景と性格

大神氏が率川神社に対する国家の祭祀を担うこととなった背景には、鎮花祭と同様に、記紀神話における崇神朝の三輪山伝承が語る大神氏と大物主神との関係があった。

それによると崇神天皇の御代、疫病の流行により多くの人々が犠牲となった。あるとき天皇の御夢に大物主神が現れ、疫病の原因が自分の神意であり、その子・大田田根子(『古事記』では意富多多泥古)に自分を祭らせれば、たちまち国に平安が訪れることを伝える(『日本書紀』ではさらに三人の人物が同様の夢を見ている)。

天皇は国中を探して、ついに大田田根子を見つけ出し(『紀』では茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)〈大阪府堺市東南部〉、『記』は河内の美努(みぬ)村〈大阪府中河内郡〉とする)、これを神主として三輪山で祭祀を行わせた。すると疫病は収束し、国家は平安を取り戻して五穀豊穣になったという。

三枝祭の神主となる大神氏は、この大田田根子の子孫にあたり、右の伝承を起源として祖神・大物主神を奉斎してきた。大神神社の御子神である率川神社へも同様である。

古来の原則として、国家は国家の願意(疫病鎮静など)を個別の神社に直接祈り祀ることはせず、在地・氏族の祭祀に対しては不介入の姿勢を保った。そのため、神話伝承で大物主神の子孫とされる大神氏の氏宗を神主として、国家祭祀(三枝祭)を委ねる必要があったのである。

三枝祭の意義については明確な記述がないが、率川神社の親神を祀る鎮花祭と同様、疫病の予防・鎮静の意義をもつと考えて良いだろう。国家にとって率川神社は、三輪山から離れた平城京における防疫神と認識されたのである。

一方、大神氏は個別の氏族(氏神)祭祀として大神祭(四月・十二月上卯日)を行なっていた。これは貞観年間(859~877)に公祭となるが、大神氏が氏族のための祭祀を行う時、大物主神は他氏族の氏神と同様の単なる始祖神であった。これは国家にとっての大物主神が防疫神としての性格で認識されていたことと対照的である。

国家祭祀の三枝祭と氏族祭祀の大神祭が、祭司者を同じにしながらも全く祭祀の目的を異にする祭祀であったことがわかる〔藤森:2008〕。

また二月・十二月の「率川祭」は率川神社の祭祀ではなく「率川阿波神社」(現在は率川神社の摂社)への祭祀であった。


変遷

三枝祭は平安時代中期には廃絶したが、明治12年(1879)に率川神社が大神神社の摂社となるに伴い、同14年に再興した。

現在は毎年6月17日に別名「ゆりまつり」として行なわれており、濁酒(黒酒)・清酒(白酒)を入れた酒樽を三輪山のユリの花で飾り供える祭りが行なわれている。


参考文献

宮地治邦「三枝祭について」『神道歴史学』一、1949

和田萃「率川社の相八卦読み」『日本古代の儀礼と祭祀・信仰』中、塙書房1995(初出1989)

藤森馨「鎮花祭と三枝祭の祭祀構造」『古代の天皇祭祀と神宮祭祀』吉川弘文館、2017(初出2008)

(木村大樹)

研究:カバラ言語感覚・象徴と寓意

◆考察および研究のために個人的にノート◆

《カバラー、メルカバー・ヘイハロット文学とグノーシス主義―ゲルショム・ショーレムとユダヤ神秘主義の「起源」問題―/手島勲矢・著より》

(引用者による要約)

ユダヤ神秘主義の研究は、ユダヤ学を構成するひとつの重要な分野である。しかし、ユダヤ神秘主義が学問的分野として認知されたのは、さほど昔ではない。それは、第二次世界大戦後のことであり、ひとえにG.ショーレムの功績といっても過言ではない。

ショーレムは、「自分のカバラー研究の真の目的は、その歴史を描くことではなくて、カバラーの中にある形而上学的意義を言葉にすることであった」と、友人への書簡で明らかにしている。

彼のもっとも純粋な関心は、過去の出来事としてのカバラーの発見にではなく、時空を超えた普遍的なカバラーの「意味」、現在も脈々と生き続けているその「実体」に向けられていた。この意味で、彼はカバリストであった。(事実、ショーレムは、若い頃アブラハム・アブラフィアの瞑想術を実践し、後年、その体験を詩にしている)

※ユダヤ教においては、「神秘家(カバリスト)」とは、ユダヤ教の神秘伝承カバラーを研究し、継承努力した歴史家を指す。

現在、カバラーは、12世紀~13世紀の中世プロヴァンス・ユダヤ社会の中心部に居た人々の間から発生した宗教思想・神秘思想であり、ユダヤ神秘主義とは無関係とされている。

歴史的には、ラビ・アキバやラビ・イシマエルが主人公であるメルカバー・ヘイハロット文学がユダヤ神秘主義テキストの始まりであり、そのテキストの起源を論じることが、ユダヤ神秘主義の起源を問うことである。

ショーレムはユダヤ神秘主義の歴史の一貫性を強調するあまり、メルカバー・ヘイハロット文学の神秘主義を「古代カバラー」と呼んだが、現在一般には、無用な混乱を避けるため、「初期ユダヤ神秘主義」という用語が用いられている。

カバラーには、13世紀のプロヴァンス・スペインに発する神秘思想としての「カバラー(『ゾハル』・『バヒール』などの書物に代表される神秘思想)」と、古代ユダヤ伝承としての「カバラー(ヘブライ語で「伝承」の意)」の二重の意味があるのだが、カバラーの起源問題が複雑化しやすいのは、こうした二重の意味が存在する事にもよる。

・・・重要な用語の説明=『セフェル・イェツィラー』について・・・

ユダヤ教の伝承では父祖アブラハムが伝えた書物ということになっているが、文献学的には初期ユダヤ神秘主義のテキスト群に属する。現在のテキスト形式は6世紀以前に成立していたのは確実で、伝承自体はさらに古く、おそらく2世紀~3世紀にさかのぼると思われる。

このテキストの主題は、ヘブライ語の22文字と10の数字を、神が世界を創造した原理として説明することであるが、2000語足らずの短いテキストである上に、難解で謎に満ちた文言なので、多くの読者がその理解に苦しむ。「10のスフィロット(数字)」という概念をユダヤ教に導入したのがこの書であるが、この書物の興味はあくまでも「数字」としての「スフィロット」であり、数字が宇宙の構造の中で果たす原理的役割に過ぎない。

しかし、大胆なラビ・イツハク・サギ・ナホールは、この「10のスフィロット」を、「数字」ではなく、10の「神の力能」(の存在)と解釈した。このような理解は、12世紀までは存在せず、12世紀から13世紀の南仏プロヴァンスで、急に立ち上がってきたものなのである。以後の「スフィロット」の意味は、サギ・ナホールの解釈した意味でカバリストの間に定着したのだ。

(引用者による要約終わり、以下は引用)

【言語感覚の問題―象徴(シンボル)と寓意(アレゴリー)―】

ショーレムは、哲学者は言語を「アレゴリー(寓意)」として扱い、カバリストは言語を「象徴(シンボル)」として扱うというが、サギ・ナホールの大胆な『セフェル・イェツィラー』の新解釈は、まさにこのカバリスト特有の「象徴」言語の感覚と無関係ではない。

では「象徴」と「アレゴリー」の違いとは何か。実は、それは、中世の聖書解釈問題でもある。つまり、中世のユダヤ哲学者は、合理の観点から聖書に多くの矛盾が含まれていることを認識していて、その聖書の言葉の矛盾を「アレゴリー」として捉えることで解決しようとした。

ショーレムの定義によれば、「アレゴリー」とは「自分の伝えたい意味を他の言葉で言い換える手法」であるが、理性に矛盾している聖書の箇所を「アレゴリー」として読めば、文字通りの意味にこだわる必要はなくなり、テキストの言葉を形而上的意味の〈言い換え〉として理解できる。

しかし、カバリストは、難しいテキストの言葉を「アレゴリー」とは読まず「象徴」として読んだ。ショーレムによれば「象徴」とは〈言語では表せないものの表現〉ということだが、これは「アレゴリー」的言語感覚と本質的に異なる。この「象徴」の言語感覚をショーレムはこう説明する。

〝神秘主義者の意見では、聖書の命令を行なうユダヤ生活の〈具体的な世界〉の中には、言葉で表現できない〈もう一つの世界〉が反映しているのだ。その世界は、了承された定義の形やその他の描写の形などでは表すことができない。それは、ただ「象徴」という様式でのみ現すことのできる世界である。
すなわち、聖書の読者の〈具体的な世界〉を、形而上学の教科書の原理のような、理路整然と整理できる〈真理〉の総体に置き換えるようなことはできないのである。ただ、その世界は〈象徴〉の総体としてのみ出現する。具体性それ自体のなかでのみ与えられ、展開される象徴たちが、その(もう一つの)世界を顕にして、そのベールを剥いでくれるのである。
つまり、哲学的な方法でなく、ヒントのなかからのみ把握できる概念の形で、そのベールを剥いでくれるのである。(ヘブライ大学連続講義『ゲロナのカバラー』21頁)〟

一見、アレゴリーも象徴も同じような「言い換え」の作業に思えるが、両者はテキスト解釈において根本的に異なる。それは前提とするものが異なるからである。

哲学者はある言葉の意味が謎に思えても、最終的に、それを合理的に説明することが可能だと信じる。なぜなら、言葉は「アレゴリー」にほかならないからである。すなわち謎の言葉でもアレゴリーである限り、そこには必ず率直な言葉で〈言い換えできる〉最初の「意味」が存在するのである。だからアレゴリーとして言葉を解釈する哲学者は、謎の「言葉」に対して理性が納得できる「意味」の言い換えを発見するまで諦めない。

しかし、言葉を「象徴」として捉えるカバリストは、言葉に合理的説明を求めない。なぜなら、「言葉」は、最初から「言葉にできないもの」の象徴である。つまり、言葉には最初から哲学者が求めるような「意味」は存在しない。「言葉」が提示するのは、ただ言葉にできない「存在」または「実体」なのである。

したがって、カバリストは、テキストを前に〈why is it?〉とは問わない。ただ、〈what is it?〉と尋ねる。そして、その問いに答え得る人は、その「存在」に出会った者か、またはそれについての伝承を持つ者だけである。

このような「象徴」言語の感覚は、哲学者が持つような、「言葉」に対する懐疑の上には成立しない。ただ「存在」の象徴として「言葉」を無条件に受け入れる上にだけ成立する。

したがって、ラビ・イツハク・サギ・ナホールが『セフェル・イェツィラー』注解で、10のスフィロットを神の内部にあるさまざまな「力」と説明する時、それは決してものの譬えではない。それらスフィロットは、疑いもなく、「ひとつの神」の内部に色々な「力」として存在する「神々」である。

・・・(中略)・・・

このようなカバリストの象徴言語の感覚を考慮するときに、なぜ『セフェル・イェツィラー』で用いられる何の変哲もない「エイン・ソフ(終わりがない)」という形容詞的表現が、サギ・ナホールの手にかかると、スフィロットより高次元の「存在」を意味する名詞へと変じてしまうのか、その理由も理解できる。つまり、「エイン・ソフ」というカバラー用語は、サギ・ナホールによって生み出されたもので、以前には存在しなかったのである。

哲学者とカバリストの間の聖書解釈の違いも、この言語感覚の違いにより説明できる。例えば、「シェキナー(臨在)」や「カボード(栄光)」という聖書によく出てくる神の顕現を表す言葉を、サディア・ガオンなどの哲学者は、合理的な立場から「創造者」(すなわち神自身)とは区別すべきだと考え、それらは被造物(物質的存在)の一部であると主張する。

しかし、カバリストは、シェキナーやカボードも神自身から流出した「神」自身であると抵抗なく主張する。これも、彼らの言語感覚に由来している。つまり、カバリストたちには、自分の解釈が生み出す哲学的矛盾を解決する必要はない。彼らにとって聖書の言葉は最初から「象徴」であって、合理的説明が不可能な「存在」を表しているだけなのである。だから、シェキナーとは何か、カボードとは何か、ただ知る「答え」を断言するだけでいい。彼らの答えの権威は、その答えの合理性の上にはない。

このカバリストと哲学者の言語感覚の違いは、カバラーとグノーシス主義とが結びつくひとつの重要な背景である。つまり、ショーレムにとって、グノーシス主義者の神話的言語とカバリスト(また初期ユダヤ神秘主義者)の言語感覚は、言葉を「象徴」として扱う点において極めて似ているというのである。

・・・《以上、引用》・・・資料テキスト=『グノーシス 陰の精神史』(岩波書店2001)・・・


コメント・メモより転載

《管理人の呟き》何度も何度も引用文献を読み直してみて、やっと「象徴」と「寓意」の違いが分かったような気がします(汗)。西洋の神学者や哲学者は、すごく妙な事を考えているなあ…と感心。とりわけカバリストの脳みそが謎だらけなのだ…という事だけは、理解しました。それもこれも、西洋の心の基盤を作った『聖書』という存在が、如何に大きいものであるか…という事を意味している…という事は、とてもとても明らかですね…(12世紀から13世紀といえば…「二重真理説」などという「ややこしい考え方」が普及した時期でもありますね)^^;
「象徴」と「寓意」の違いは英語に訳してみるときわめて簡単に理解できますけど♪漢字の意味にとらわれてはいけませんね♪ - 丸山光三