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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「菊花宴」

第三部マレヒト@第三章「菊花宴」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/08■

花洛の都、カモさんの邸宅(賀茂大納言の邸宅)

柚羅と瀬都、庭先で小さな火を焚き、アヤシイ薬物を発明中。菊花宴では酔っ払いが大量に出るので、酔い覚ましの薬を発明しているつもり。

夕方ごろ、カモ邸では昼の業務が終わりつつある。瀬都の護衛のため夕星御前が臨時に派遣されてきている。カモ邸に務める女官の1人して待遇されている。明日、重陽の節句=菊花宴なので、その準備が色々あった。

お忍びの訪問者がカモ邸を訪れる。無欲庵、無欲庵の商人仲間の丸頭、いったん渡辺津の港でスタンバイしたが船止めのため引き返した器物屋、先行して報告を受けた常陸宮。ちなみに船長たちは引き続き港町=本拠地に滞在。

カモ邸の執事を務める谷さん、門番を務める村雨オッサンがお忍びの訪問者たちを出迎えて驚く。早速、情報交換。目下、吉備国の鬼ノ城で戦争中。

夕星御前と澄江御前、耳ざとく聞き付け、どういうことなのかと問い詰める。鬼ノ城の戦いにカモさんが関わっているらしいとピンときた。それは正しかった。

立ち話も何なので、一旦、縁側~室内で対応。そこには「後の雛」=ひな祭り人形の虫干しがある。瀬都が居るので、女の子らしい調度がチマチマとある。

柚羅と瀬都、夕食どきと言う事で部屋へ戻る途中、常陸宮たちが来ている部屋を行きかかる。伏見の御屋敷の人だと気付いたが、常陸宮が皇族であり、本当の御屋敷の主人と言う事実を知らない状態。伏見別邸の主人は無欲庵だと思っている。常陸宮のことは田舎から来た不思議な人と言う扱い。「フラ宮さん」「おのぼりお宮さん」。

あとで、澄江御前が常陸宮を疑惑の眼差しで突っ込む。常陸宮、冷や汗をかきながら、いなす。

程なくして詳しい続報がカモ邸へ来る。カラス使いが居るので、カラスによる連絡手紙。鬼ノ城の戦いの後始末などが連絡されてきている。

■09/09■

菊花宴、当日。神泉苑の近く。女童どうしでお喋り。柚羅と瀬都も居る。綾敷・前太政大臣の邸宅に務める女童・鈴が、綾敷老のペット・大亀を世話して連れ回している。

某・貴族邸宅に務めている女童は、某・姫君から叡都王への恋文を預かっている。叡都王が参列者として到着してきたところへ、付文をしようと飛び出す。女童・鈴が押しとどめる。柚羅と瀬都も強力。「叡都王は、外面如菩薩、内面如夜叉」

女童おしゃべりしながら気を取り直し、仕切り直し。新薬の話題。大亀ペットの話題。重陽の節句に都大路をねりあるくパレードが前日から大変な評判で、通りの人たちも興味津々。

女童たち、秋ナスを賞味しながら、パレード見物。菊人形など。都大路の両脇に、貴族たち・姫君たちも牛車を出して、パレード見物。綾敷老も牛車に乗り、従者と共に見物している。

パレードが都大路を進行。特別にセットされた物見のところで、ミカドや親王たち、皇族たち、大貴族たちが臨席して重陽の節句のパレード見物。

パレード行列。龍、シャチホコ、クジラ、牛の山車。最後の山車が、牛頭天王をモデルにしたもの。新しく右大臣になった鳩山派の貴族が発案と解説。趣向を凝らして、本物の牛が山車を牽引する形。

明日香姫と姉の蓮姫が乗り合わせている牛車の近くで、女童たちが見物。菊人形のひとつが怪しげに動く。実は、その菊人形の中身は、明日香姫に懸想している鳩屋敷の御曹司・顕輝だった。

鳩屋敷・顕輝、明日香姫へアピールするべく飛び掛かる。ほとんど不審者。

女童たち、御曹司に踏みつぶされそうになり、抵抗したり混乱になる。御曹司・顕輝を護衛する従者たちとも揉み合いになり、柚羅と瀬都は、発明したばかりの新薬を多数、路上にこぼしてしまう。

パレードの牛たちが新薬を舐めてしまう。牛、暴れ出す。暴走。牛車の牛も興奮して大騒ぎに。

明日香姫と蓮姫(つまり京極家)の牛車、他の牛車と共に混乱に巻き込まれて、なかなか抜け出せず。綾敷老、素早く気付き、若手の石神井に事態収拾を指示。この珍事で、蓮姫と石神井のロマンスが進む。

柚羅と瀬都、暴走牛に引っ掛かってしまい、暴走する牛の群れにさらわれて行方不明。

そもそもの原因の鳩屋敷の御曹司(ド派手な菊人形の格好)顕輝は、同様に暴走牛に持っていかれていたが、立派な体格の大人なので牛の体力も持たず、神泉苑の池へドボン。ミカド他、臨席するお歴々は唖然。

忍者・犬上をリーダーとするヤマイヌ衆、柚羅と瀬都の捜索を開始。

ヤマイヌの群れ、あちこち捜索して、柚羅と瀬都の行き先を嗅ぎ当てる。

柚羅と瀬都は、暴走牛に引っ掛かったまま、聖麻邸へと運ばれていた、少女たち本人は、どこの御屋敷なのかは分かっていない状態。

ヤマイヌ忍者たち、追いつき、少女たちの身柄確保。少女たちは、暴走牛によって邸内へ連れ込まれた後、こっそり出られる出口を求めて邸内を探検済み。発見時、民俗的儀式の庭を探検していた。

ヤマイヌ忍者たち、問題の「酔い覚まし薬」を調べて、効き目のスゴイ興奮薬だと言う事に気付きビックリ。「変なもの発明しやがって」

その後、説明が難しいので少女たちを一旦眠らせ、ヤマイヌ忍者たち、暴走牛たちの混乱に乗じて、聖麻邸を秘密捜索。民俗的儀式の庭の間の建物には隠蔽の仕掛けがされていて、建物の中は国盗りも可能な高度な武器でいっぱいだった。聖麻グループは世界征服を企んでいるのかと言う疑惑が出て来る。

やがて聖麻氏の父子が帰宅。暴走牛によって荒らされたのを使用人たちから報告を受けてビックリ。頃合いと見て、ヤマイヌ忍者たち、退避。聖麻氏は意外に陰謀に巧みと知り、警戒を増す。

夜、カモ邸に集合している常陸宮、菊理宮、鹿深氏など、ヤマイヌ忍者たちからの最新の報告を受けて検討会議。鹿深氏、事態が深刻化したのを理解、カモさんを捕まえて話をすることを決心。

■09/10■

御前会議。常陸宮、昨日の牛車暴走の件について取り上げ、議論の流れをコントロール。菊理宮の舌鋒の鋭さも相まって、目下の政権・鳩屋敷派の責任問題として追及。鬼ノ城の戦いの最新情報も公式に届き始めているので、それも合わせて。

責任を追及された不破縄将軍、苦し紛れに、鬼ノ城の戦いへ、聖麻の軍隊を派遣することを提案。ついでに、この事態をもたらしたのは雨竜島から流れて来る大量の新型武器なのは明らかなので、鬼ノ城に集結している大量の武器の出どころの責任=雨竜島の芝賀長官も追及させる。

■09/11■

朝廷から、芝賀長官の捕縛命令が出る。

聖麻の私軍が、瀬戸内海に集まり、鬼ノ城~雨竜島へ鎮圧に向かう。芝賀長官の捕獲も。

■09/12■

渡辺津の港の船止めは解除されている。船が次々に出港しているところ。船長たち、訳知り顔で聖麻の海軍を観察。密輸に使われることが多い型式の船で、見えない部分に、聖麻の屋敷に隠されていた大量の武器を積んであることは確実。

ほか、雨竜島の芝賀長官の汚職がすごいので、その部分も感心し合う。

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並行プロット

09/10~09/12:四国は化け狸のメッカとなり始めた。808匹の化け狸。

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メモ:韓国哨戒艦沈没事件

今日の夜のNHKニュースのトップで、韓国の哨戒艦の沈没事件について様々な内容が扱われていて、いきなりの物騒な画面でビックリしました(北朝鮮による抗議TV番組まで、ニュース資料として添付されていた)。


韓国哨戒艦沈没事件(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/shokaitei_10/index.html
平成22年3月26日,韓国海軍哨戒艦「天安(チョナン)」号が黄海・白翎(ペンニョン)島の近海で沈没し,乗組員104名のうち46名(6名の行方不明者含む)が犠牲となりました。5月20日,米国,英国,オーストラリア,スウェーデンの専門家を含む軍民合同調査団は,その調査結果報告において,「天安」号は北朝鮮製魚雷による外部水中爆発によって沈没し,この魚雷は北朝鮮の小型潜水艇から発射されたものであると結論付けました。これを受け,同月24日,韓国の李明博大統領は演説を行い,北朝鮮に謝罪及び事件関係者の即時処罰を要求するとともに,北朝鮮の責任を問うべく断固とした措置をとること,また事件を国連安保理に付託することなどを宣言しました。我が国政府は,調査結果が発表された5月20日に,韓国を強く支持するとともに北朝鮮を強く非難する総理大臣コメントを発表し,同月28日には対北朝鮮追加措置(注)の実施を発表しました。
国際社会においては,6月26日のG8ムスコカ・サミットで発表されたG8首脳宣言に,北朝鮮に責任があると結論づけた調査に言及する文脈で,「天安の沈没につながった攻撃を非難する」旨が盛り込まれました。さらに,国連安保理は,7月9日,天安号の沈没は北朝鮮に責任があるとの結論を出した,韓国が主導し,5か国が参加した軍民合同調査団の調査結果に鑑み,安保理は深い懸念を表明する」,「安保理は,天安号の沈没をもたらした攻撃を非難する」旨が盛り込まれた議長声明を発表しました。
(注)1)北朝鮮を仕向地とする支払手段などの携帯輸出について,届出を要する下限額を30万円超から10万円超に引き下げること,2)北朝鮮に住所などを有する自然人などに対する支払について報告を要する下限額を1,000万円超から300万円超に引き下げること,3)措置の執行に当たり,第三国を経由する迂回輸出入などを防ぐため,関係省庁間の連携を一層緊密にし,更に厳格に対応していくことを内容とする。1)及び2)については,2009年4月10日,北朝鮮のミサイル発射を受けて発表された措置を厳格化したもの。

石破茂氏の2010.5.21ブログ記事より
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-ad3b.html
韓国哨戒艦沈没事件については、とにかく謎が多すぎて軽々な論評は差し控えなくてはなりません。
韓国の発表は「魚雷」が北朝鮮製であることは断定したものの、北朝鮮が実行したとは断定していません(北朝鮮の小型潜水艇から発射されたとしか説明できない)。
朝鮮戦争は未だ休戦状態であって終結してはいませんし、自衛権行使を巡っても相当に複雑な法的状態にあります。
ただ、これは決して偶発的なものではなく、北朝鮮の明確な意志に基づくものに違いありません。
何を利益として得ようとしているかを見定めなくてはなりませんし、それを与えないためには相当に強固な覚悟と能力を有していなければなりません。
北の狙いはあくまで「体制の維持」と「北主導による朝鮮半島の統一」なのであり、「制裁の強化」だけ言っていても、事態の決定的な解決は見られません。
韓国も中国も、北の暴発を恐れているのであり、たとえそうなったとしてもその被害を極小化する手立てにつき、意思の一致をみなくてはならないのです。
こんな時、日本の情報力不足が残念でなりません。
力の弱い兎が長い耳を持つように、専守防衛を掲げ、その能力すら充分ではない日本は、正に情報力において優らなければならないのですが、我々が政権にあったとき、インテリジェンス強化のための構想を纏めるところまではいきながら、実現をみるまでには至らなかった責任を感じます。

…インターネットのニュースに、分かりやすい日程表があったので保存。

【5月】

  • 21日 クリントン米国務長官が来日
  • 24日 韓国の李明博大統領、「対国民談話」発表
    米中戦略・経済対話(北京、~25日)
  • 26日 クリントン国務長官が訪韓
  • 29日 日中韓首脳会談(韓国・済州島、~30日)
  • 30日 中国の温家宝首相が来日(~6月1日)

【6月】

  • 2日 韓国統一地方選
  • 7日 北朝鮮の最高人民会議(国会に相当、平壌)

【7月】

  • 22日 米韓外務・国防閣僚協議(2プラス2、ソウル)

(ソウル時事)・・・・・・李明博(イ・ミョンバク)、済州(チェジュ)、平壌(ピョンヤン)


うまく説明できないけれども、…ものすごく変な日程だと感じております。

物語制作(=伏線の仕込み、シナリオ演出etc=)からの類推に過ぎませんが、いつでも、タイムラインというのは、「見えないけれど重要な事象展開の軸」になってる訳で、これは、現実の世界にも適用できるのでは無かろうか…(汗)

このスケジュール…陰謀論的な組織か何かが、何か変な事を企んでないでしょうか…orz

陰謀論的な組織…まさか、なんちゃってフリーメーソンとか(大汗)

…実は、「無意識の予知だったのではないか?」と真剣に考えている夢があります。

丸山さまのFriendFeed記事-2009.11.23
目覚める前、しつこく同じ夢を見ていた。米海軍の展示用の軍艦が沈没する夢だ。沈む直前オバマがそこを訪れていた。沈んだ後に艦長室から何か重要資料が持ち出されたらしい。その場所は戒厳令がごとき警戒であった。何者かが故意に沈めたようである。それは人の少ない悄然とした場所であった。欧州かまたはアジアであろう。

…6月は、随分きな臭くなりそうな感じです…orz

いろいろと不安を覚える事象が多かったので、とりあえず不定期ですが、エントリしてみました。

疫病と三日月と牛頭天王

西洋占星術で言えば、牡牛座の守護星は金星となっています。昔の人が直感で決めたものみたいですが、口蹄疫が流行中の今、何だか偶然とは思えない神秘的な符合を感じました。

春の三角。鎮花祭。そして、桜の花が散る頃が、疫病の季節。

…そして、灼熱の夏が来る…祇園祭の主役は、牛頭天王。

古代の祇園祭の発端は、こういう部分にあったのかも…というような想像。

資料:[ほうとする話](青空文庫)

・・・・・・祭りの発生、その一/折口信夫(興味深い部分のみ、抜粋)・・・・・・

神楽は、鎮魂祭のつき物で、古い形を考へると、大祓式の一部でもあつた。

其が、冬を本義とする処から、夏演奏する神楽と言ふ意を見せて、新しい発生なる事を示したのである。祓へや禊ぎは、鎮魂の前提と見るべきであつた。夏祓へは冬祓へから岐れて、遅れて発生した為、冬祓への条件を具へなかつた。ところが、冬祓へを形式視して、夏祓へを主とする事が時代を逐うて甚しくなつた。

冬の祓へに行はれた神楽が、別の季の神事に分裂して行く。其と共に、神楽の一方の起原になつてゐる石清水八幡の仲秋の行事の楽舞を、夏祓へにとり越して、学んだ形があるのだ。

八月十五日に行ふ男山の放生会(ハウジヤウヱ)は、禊ぎの式の習合せられたものであつた。其神楽を、夙くから行はれてゐた夏祓への行事にとりこむのは、自然な行き方である。まつりと神遊び・神楽との関係から、夏祓へは夏祭りと称せられる様になつた。陰陽道の勢力が、さうした形に信仰を移したのである。奈良末から平安初めに亘つて荒れた五所の御霊を、抑へるものとして、行疫・凶荒の神と謂はれるすさのをの命を憑(タノ)むやうになり、而も此に、本縁づける為、天部神の梵名を称へる事にして、牛頭天王、地方によつては、武塔(答。本字)天神などゝ言うた。

日本の陰陽道の、殊に、地方の方術者は、学問としては、此を仏典として修めた傾向があつて、特に、経典の中にも、天部に関する物、即、仏教の意義での「神道」の知識を拾ひ集めた形がある。日本の神道が、天部名になる外に、漢名を称した事もあつたはずである。世界最上の書たる仏乗に出た本名の威力は、どんな御霊でも、服従させる事が出来た。だから、祇園神の中央出現は、御霊・五所より遅れてゐる。障神・八衢彦・媛の祭りと、御霊信仰とが一つになつて、御霊会が出来、盛んに媚び仕へを行うて、退散を乞うた。其勢力が、牛頭天王に移つて、讃歎の様式に改つて行つたのが、祇園会である。

形こそ替れ、事実から見れば、夏祭りの疫病と蝗害とを祓へ去らうとしてゐる事は一つであり、又一つの祭礼が、主神を換へて行はれた形にもなつてゐる。蝗の害と流行病とを一続きに見てゐた平安時代の農民信仰が「花を鎮む」と書く鎮花祭によく似てゐる。

鎮花祭は、三月末の行事だが、此は夏祭りの部類に入るものである。やすらひ祭りとも言ふのは、其踊り歌の聯毎の末に、囃し詞「やすらへ。花や」をくり返すからだと言ふ。

昔は、木の花を稲の花の象徴として、其早く散るのを、今年の稲の花の実にいる物の尠い兆と見たのだ。歌の文句も「ゆつくりせよ。花よ」と言ふ義で、桜に寄せて、稲を予祝するのである。

其が、耕田の呪文と考へられて、蝗を生ぜしめまいとの用途を考へ出させた。田の稲虫から、又、其家主等の疫病を、直に聯想して、奈良以来、春・夏交叉期の疫病送りの踏歌類似のものと見做される様になつたのだ。此亦、祇園会成立後は、段々、意義を失ふ様になつて行つた。

かうした邪霊悪神に媚び仕へる行事も、稍古くからまつりと言はれてゐる。其は神霊に服従する義で、まつろふの用語例に近いものであつた。夏の祭りは、要するに、禊ぎの作法から出たもので、祭礼と認められ出したのは、平安朝以前には溯らない、新しいものなのである。御輿のお渡りが行はれたのは、夏祭りの中心であつて、水辺の、禊ぎに適した地に臨まれるのである。

広く行はれる御輿洗ひの式は、他の祭礼作法の混乱であるが、神試みて後、人各其瀬に禊ぐ信仰に基いたのであらう。鉾は祓へ串を捧げて、海川に棄てる行事の儀式化したものである。だから、尾張津島の祇園祭りの船渡りなども、祓へ串を水上のある地点まで搬ぶ形であつたのだ。此禊ぎから出た祭りに対して、勢力のあつた田植ゑの神事があるが、此は春祭りの側に言ふ。

・・・・・・以上、抜粋終わり・・・・・・