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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌・断片鑑賞-ネリー・ザックス,パウル・ツェラン,他

詩はひとりぼっちなものです。詩はひとりぼっちなものであり、道の途上にあります。詩を書くものは詩につきそって行きます。
しかし詩はまさしくそれゆえに、つまりこの点においてすでに、出会いの中に置かれているのではないでしょうか?――出会いの神秘のうちに。
――パウル・ツェラン「子午線」

落ちていくことへの誘惑、呼びかけ。だが、この私は孤独ではなく、私たちへと移行するのであり、この二人での落下は、現在にいたるまで、落ちていくものさえも一つに結び合わせる――
――モーリス・ブランショ「最後に語る人」

ぼくたち二人の下の雪の寝台、雪の寝台。
結晶また結晶、
時の深さに 格子を嵌められて、ぼくたちは落ちる、
ぼくたちは落ちる そして横たわる そして落ちる。

そして落ちる――
ぼくたちはいた。ぼくたちはいる。
ぼくたちは夜と一体だ。
――パウル・ツェラン「雪の寝台」

しかしわたしは嘆きながらあなたの白さのなかに沈みこむ、
あなたの雪のなかに――
そこから生がとても静かに遠ざかってゆく
最後まで唱えられた祈りのあとのように――

ああ 世界の火の息のなかのあらゆる苦しみをたずさえて
あなたの雪の中に眠ること。
――ネリー・ザックス

むき出しの鉱石が、結晶が、
晶洞がある。
書かれなかったものが、
言葉に硬化して、
ひとつの天をあらわにする。
――パウル・ツェラン「研ぎすまされた切先で」

この紫水晶の中には
夜の年代がつまっている
そして太古の光の叡知が
まだ液状で
涙を流していた憂愁に
灯をともした

今なおあなたの死は輝いている
硬い菫
――ネリー・ザックス

翼の夜、遠くから来て そして いま
白亜と石灰のうえに
永久に 張りめぐらされて。
小石、深淵に向かって転がって。
雪。そしてさらに多くの白いもの。
――パウル・ツェラン「翼の夜」

夜よ二つに分れなさい
光を受けたあなたの二つの翼は
恐怖におののいている
なぜならわたしは立ち去って
血潮の夕空をあなたに取り返そうとしているのだから
――ネリー・ザックス

かき立てられた不安の重みを泣きはらしてください
二匹の蝶があなたのために世界の重さを支えています
そしてわたしはあなたの涙をこの言葉のなかに降ろします――
あなたの不安は輝きにまで達した――
――ネリー・ザックス

疲れはてた蝶の翅に照るもの、――
それは遥かから来る月のひかり
――西條八十「蝶と氷と」

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タロット08正義

タロット08正義

カード・メッセージ=「均衡」

主な意味=公正さ、中立、合理化、調停、理性と感情のバランス、真面目、正しい意見が受け入れられる、つりあい、偏りを切り捨てる、無駄をなくす

「正義」は双方向性を持つ暴力によって生み出され、担保される権威である…という点を考慮して、二本の剣の間でバランスをとる天秤を描画しました

(オーソドックスな絵柄では、描かれる剣は一本である事が多いです)

人間は常に、自らの都合で動く生き物であり、真に公明正大な選択をする事は非常に困難であります。愛情の深さ故に道を誤る、無意識の執着に足を囚われる、自らの生活や立場、或いは自らの正気を守ろうとする余りに、道を外れてゆく…

危ういバランスの中で揺れ続ける天秤。剣の都合で揺れ動く中心点。天秤の皿の中にあるのは…ひとつの世界と、もうひとつの世界。天秤が傾くたびに、それぞれの皿の中の宇宙が少しずつ失われてゆくのかも知れない…

人類は、真の均衡には遠く、まだまだ未熟である…という事だけは、事実です。或いは『イティハーサ』(水樹和佳子・著)で考察されたように、「人類は進化する反調和である」が故に、宇宙の均衡を破り、ひいては最終的な正義を乱し続ける存在であるのでしょうか

生きてあるが故の不条理の中で、それでもなお…と、願いを込めざるを得ないカードであります

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

《私感》憲法十七条

憲法十七条は、「種々の思想を適当に入れて」成立したとは思えないのだけれど、人(=法律専門家かな?)によっては、そういう見解になる、というところに興味を覚えております

個人的には…憲法十七条は、「和」の精神をベースにした成文法であったと思っています。種々の外来思想の言葉と法律をいろいろ調べて摂取して、古代日本人なりに、いわゆる「日本的魔改造」というプロセスで組み立てたものが、憲法十七条だったのではないかと思っています。

物語的な直感ですが、憲法十七条は、どう考えても、聖徳太子1人の手になる作品だとは思えない…、国内の慣習法と、大陸の法律の両方に通じた、大勢のブレーンの気配を感じるのですね。おそらく渡来人系が半数を超えていた筈。皇室の祖先・親戚含めて、渡来人は大勢居ましたが、渡来人による占領国家的・独裁的な取り決めでも無かったし、国内豪族もしくは皇室の独裁を可能にするための取り決めでも無かった筈なのです…

憲法十七条。

あの当時としては、国内情勢の安定を目的として、相当に知恵を絞ったユニークな法律だったと思います。当時は豪族同士の暗闘があって全然平和じゃなかったし、皇族でさえも豪族と対立すれば殺される情勢だったし、蘇我氏と物部氏の抗争は、あと一歩で大和朝廷全体を巻き込む、一大宗教戦争に入るところだった…

しかも当時の一般庶民は、相次ぐ飢饉と疫病と災害で、それどころじゃ無かった筈…

☆参考[仏教はなぜ日本で普及したのか(永井俊哉ドットコム)
蘇我稲目が大臣になった宣化元年(536年)における宣化天皇の詔=食は天下の本である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか
※当時、すさまじい異常気象が続いた事が知られています。この詔からは、一般庶民の間で、深刻な飢えと凍死が多かった事がうかがえるのです…

泥沼の豪族至上主義&宗教戦争への恐れが生み出したのが、あの憲法十七条だったと思う…

豪族同士の抗争で乱れっぱなしの国内を早期に安定させ、足並みそろえて効率的に国内外問題に広く取り組むために、中央集権の担保として天皇を担ぎ出したので、天皇中心の形態を支持してくれ(=挙国一致体制を支持してくれ=)、という事情があったのではないか…

…憲法十七条が、一見、独裁体制(中央集権)を支持しているようにも読めるのは、そういう事情があったと推測されるのです。

そういう「急場の挙国一致体制リーダーシップ」…その体制を規定する成文法というのが、現代政治学の意味でも古代政治学の意味でも、「大王独裁化や豪族の官僚化を成立させたもの」と言えるかどうかについては、疑問符が付くのではなかろうか…

(あのような内容になっている以上、中央集権形成への意思は明らかにあったと思いますが、それをもってストレートに、大王独裁体制成立と同一視するのは、多くの誤解を招くのではないかと思いました。中央集権であっても独裁体制じゃない組織は、いくらでもあります。会社組織とか、ボランティア組織とか…ただ、ブラック企業とかになると、また違うかも知れません)

古代日本人は、古代ギリシャの民主的ポリス社会を築いていなかったし、「民主主義」という言葉も無かったし、現代的な意味で「憲法十七条は、大王権力の絶対性を保証するための成文法であった」と評価できるかどうかは…はっきりとした確証は無いと考えられます(近いところで、ローマ的な元老院スタイル、というのは、可能性としてはあったかも知れませんが…)

当時の天皇の地位は、豪族の意のままに上下左右に振り回される、ものすごく不安定なものだったと言われています。それがようやく「古代的な独裁体制」的な意味で安定したのは、100年も後、律令体制の確立(飛鳥浄御原令)と、中央集権国家に関する軍事力の裏づけが堅牢になった、天武持統体制になってから…(持統天皇は、本当にものすごい政治家だったと思う…)

だから、憲法十七条は、現代的な意味で言う「大王独裁体制の誕生」とは直接的な関係は無い…という風に言える、と思われるのです。むしろ、現代的な意味で、権力の身勝手な暴走を食い止める方向になったと思う。そういう意味では、現代の民主主義の機能を一部含んでいると言える、と思います。

…あと、本当に「得体の知れない神さまとの合体の下に独裁をやった」天皇は、中世の後醍醐天皇だったりするかも。でも彼はその後、中央政界から追放されてしまったし、日本に実際に、「憲法十七条に基づくカルト的・天皇独裁」と言える時代があったのかどうか、相当に怪しくなってまいります…(汗)

五箇条の誓文も、古代と同じようなカオス情勢の下で、憲法十七条と同じように中央集権の形成を目的として、魔改造的に作られたものだったように思う…

明治維新の頃にどれだけの血みどろの内戦があったかを考えると、五箇条の誓文は、天皇を媒介にした神前契約じゃ無かった場合、とても国内がまとまったとは思えない…

当時の大名含む上級武士の大部分は「陽明学」の深い教養がありましたし、陽明学の神聖性に対抗できる神的な存在は、江戸幕府が壊れてしまった後は、天皇くらいしか無かったと思います。「陽明教国家」というのも、可能性としてはかなり興味深いですが…「マルクス教国家」っぽくなったかも知れません

現代でも、民主主義の大国として知られているアメリカでは、アメリカ大統領が就任の際に『聖書』を媒介に神前契約していますが、あんな風じゃないと、普通、「国家レイヤー」というのは、中央集権的な状態でまとまらないと思います…(政治と祭祀≒宗教思想≒国家神話のアヤシイ関係)

最後になりますが、民主主義にも問題点はあると考えております。「大衆権力による独裁」「多数派閥による圧力」「お金の力による派閥化&分裂化」という可能性を、常にはらんでいる…という意味においてです。

口コミやマスコミによる宣伝が効果的に行なわれれば、大衆はそれに従って権力を行使し、ヒトラーやスターリンのような独裁者を生むことができるのです(※破壊革命的な政権さえ、成立できるのです。この危険性については、既に「目の前の現実=民主党政権」という動かぬ証拠があるかも…)。

「天神地祇に誓うところの天皇独裁体制」と「民主主義国家の神話の下における大衆独裁体制」、どちらにしても危険性は変わらないと思われました


考察材料:宣伝、または工作世論の危険性

世界史bot@history_theory(2023.03.12)ツイッターメモ
https://twitter.com/history_theory/status/1634751610562936836

倉山満『大間違いの太平洋戦争』2014
“なぜ日本はアメリカのような、勝てるはずのない巨大な国と戦ったのだろう?"という、いわゆる“太平洋戦争への道"史観を全否定! 負けるはずのない世界最強の帝国陸海軍がありながら、敗戦に至った近現代史の真実をあぶり出す。アメリカなんぞはマイナー国家! ! 太平洋戦争の本質は対英関係にあり! 対英関係がわからなければ、戦前の日本は理解できない! ! https://amazon.co.jp/dp/4584135878/

「ロンドン会議が日米開戦の元凶だった」という史観があります。
しかし、むしろ条約締結は大成功だったのです。
10月1日に枢密院で可決し、11月14日に浜口首相が暗殺未遂に遭ったため「そこから軍国主義の足音が」と言う人がいますが、その弾がそれていたり、対米開戦がなかったりしたら、ロンドン会議のことなど誰も覚えていなかったでしょう。
1928年ジュネーブ会議のことを誰も覚えていないように。
この時点で本当に日本にとって有害だったのは英米ではなく、北一輝ら民間右翼をはじめとして「英米一体論」と「統帥権干犯問題」を煽った連中です。
大前提として
この頃までの大日本帝国は滅びるはずのない国でした。
英米協調か米英協調かという対立が外務省の中にあるとき、石井菊次郎が正論中の正論を言っています。
「英米は仮想敵国に等しいような敵対関係にある。結局アジアが太平洋で日本の言うことを聞かねばどうにもならないのだから、いずれ両方がすり寄ってくる。そのときに日本は両方と仲良くすればいい」
それを正反対にも
「英米一体で敵だ」
と煽り、統帥権干犯問題を煽りまくり、ソ連のことがすっぽり抜けているのです。
ロンドン会議は日英米の三国でソ連や蒋介石を抑え込もうという枠組みづくりなのに、逆にわけがわからない世論を煽って「英米が敵だ」という話にしてしまったのがこの連中です。
(略)
この時は、統帥権干犯論は粉砕されました。
しかし、この時の敗者が復活して、のちに大日本帝国を撹乱してきます。
正しい言論が勝たねば国家は滅びる、の見本のような状態になります。