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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

タロット15悪魔

タロット15悪魔

カード・メッセージ=「呪縛」

主な意味=小賢しい知恵、自惚れ、虚栄心、砂上の楼閣、魅惑、誘惑、蠱惑的、囁き、仄めかし、卑屈、欲望、荒廃、耽溺、没頭、盲目、理性のストッパーが外れる、腐れ縁

解説書の解釈の中で、考えさせられる内容があったので引用:

人間の欲望に働きかけ、か弱い理性をかき乱すもの、それが「悪魔」です。・・・(中略)・・・悪魔は囁きかけますが手を下すことはありません。その甘美な囁きに踊らされるのは常に愚かな人間です。しかし、欲望があるからこそ人間は明日を生きる勇気を持つこともあります。理屈ばかりで動くことをしない老人には明日はないのです。悪魔はまた改革のシンボルでもあります・・・エミール・シェラザード

当サイトの解釈も、だいたい似ております。「呪縛」は、人間にとっては良い方向にも悪い方向にも働くものであり、故にこのカードは正位置/逆位置の両方で、正負どちらにも解釈できる両面性を持っていると思います。慎重な読みを要求するカードです

「呪縛」はまた「魅了」でもあり、時として人気沸騰する奇妙な作品が出たりするのは、まさにこの魔物ゆえの魅了の力によるものでありましょう。例えばダークファンタジー、恐怖神話などと呼ばれるような暗いジャンルが放つ魅力が、まさにそうであると思うのであります

「悪」は時として、暴力的な行動力を見せることがあります。世界を征服する時、敵を撃滅する時…躊躇の無い破壊を可能とするのは、それがどれほど「正義」に彩られたものであったとしても、「悪魔」の力に他なりません。「悪」の魅力とは、このような、ある種のストッパーが外れたが故の、「従来の世界の終わりを予期させる力」である…と申せましょう

妖しげな笑みを浮かべ、奇妙に手を交差させて思案する悪魔…というイメージで描画。白炎揺らめく薄闇の中でひそかに思い巡らせているのは、新たな謀略か、それとも…

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

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習作:民族衣装あれこれ(色彩絵&白黒絵)

『千一夜物語』に出て来る「シェエラザード」をイメージ


アジア民族衣装のひとつ「アオザイ」

ベトナム民族衣装アオザイ「Áo dài,襖」正装として着用される。「アオザイ」はベトナム北部の発音であり、南部では「アオヤイ」と発音する。アオ(Áo)は上衣の一種を意味する中古音、ザイ(dài)は「長い」を意味する形容詞。下衣は直線仕立て長ズボン型「クワン,quần」


チャンバラ時代劇の剣豪をイメージ


《添付:ナニゲに感動したのでケータイ写真》

台風一過の夕空

☆撮影日=2010.9.25-17:00頃|☆タイトル=台風一過の夕空
☆サイズ=幅800*高480ピクセル53KB
☆コメント的和歌=《西の果て,戦(いくさ)ありけり波高し,はるかに仰ぐ天(あめ)の夕凪》

目下、尖閣諸島の関連の出来事が気になっていましたが、曖昧でウヤムヤで落ち着かない結末になったのは、正直ビックリしました。和歌の文字数の都合で「戦(いくさ)」を入れてあります。

タロット14節制

タロット14節制

カード・メッセージ=「整調」

主な意味=重要なヒント、反復、復習、交流、交換、循環、順調、二者の融合、調整、調節、復調、相反する出来事を同時に経験する、穏健な思想態度、両立、平等

循環の意味を含むという箇所では「運命の輪」カードに似ていますが、こちらはむしろ、「調子を整える」というイメージの強いカードです。乱れていたものを整え、正常な/清浄な循環に戻す…

不思議な水瓶と、その間を行き来する水…というイメージで描画

このカードは偉大なる浄化の意味も持っています。「浄化」というのはなかなか複雑なものを孕んでいますが、その要点はやはり、「整調」という事にあるように思うのであります

心臓があるべきリズムを取り戻す、季節があるべき順番で巡ってくる、咲くべき時に咲くべき花が咲く…「大自然の中の、かくあれかしという調子」という条件だけで、世界はこれ程にも浄化されるのであります

日本が生み出した哲学の中に、明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」があります

「栂尾明恵上人遺訓」《http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/1honmyou.html》より引用転載:

人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。
河合隼雄は、その著作「明恵夢を生きる」で『「あるべきようわ」は、日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを生きようとする』ものであると述べている。
何でも受け入れる母性的な「あるがままに」でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な「あるべきように」でもない。
白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業・・・・。どちらかに偏してはいけない。違いを認めながら共和する心が大事だという、古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。・・・
・・・彼はおそらく、自分の生き方について多分こう言ったであろう。
「私は後生で済われようとは思っていない。ただ、現世においてあるべきようにあろうとするだけだ。修行すべきように修行し、振舞うべきように振舞えばいい。今は何をしてもかまわない、死後往生して助かればいい、などとはどの経典にも書いてない・・・」と。

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14